16. 牽制
「困るなリランダ嬢。私の名前であなたの再入場を許したのに、また揉め事を起こされるのは」
微かに眉を下げ苦言を呈すのは、この国の王、アルダーノその人だった。
「国王陛下」
慌てて臣下の礼を取るマリュアンゼにアルダーノは、必要無いと手を振った。
その様を受け、そっと顔を上げれば真っ赤な顔のリランダが唇を噛み締めてマリュアンゼを睨みつけている。
私のせいだろうか……
思わず王族の席に視線を滑らすも、流石にテラスからではどんな様子か窺い見る事は出来ない。
マリュアンゼの挙動にくすりと笑い声を漏らし、アルダーノはリランダに向き直った。
けれど、びくりと肩を跳ねさせたリランダは勢いそのままアルダーノに捲し立てた。
「き、聞いて下さい国王陛下! マリュアンゼ嬢は自己評価が高過ぎるのです! 今も自分がフォリム様の婚約者に相応しいと主張しておられて、目も当てられませんでしたわ! 剣を振り回す事しか取り柄の無い猪令嬢のくせに、こんな方が王族になるだなんて、公爵夫人になるだなんて!」
その科白にマリュアンゼは目を回しそうになる。
突っ込みどころは沢山あるが、彼女の主張より、何故それを当たり前のように国王に話してしまうのだろう。
しかも感情が剥き出しな上、直接的な表現で。
自分の身内では無いが、何だか関わりを持ってしまった以上、妙な責任感を感じてしまうのは性分だろうか。
目を向ければ本人は一気に言って気が済んだようで、頬を紅潮させている。それともリランダの主張に頷いている周りの令嬢でも目に入ったのか。薄らと口元に笑みを刷き、マリュアンゼに勝ち誇った顔を向ける。けれど……
「黙りなさい」
はっきりと告げるアルダーノの声は決して大きくは無いのに、その場に静かによく響いた。
「王族であるフォリムが選んだ人だ。必ずや王家の、国の為になってくれるだろう」
ふっと口元を緩めマリュアンゼを見つめる視線に息を飲む。
────アルダーノが王位に就く前、家臣たちからフォリムを王にという声が何度か挙がっていたという……
理由は恐らくアルダーノのどこか頼りない雰囲気。
薄い色彩のせいか、フォリムより年上なのに幼さすら感じる儚げな容姿……それが今は全く違う印象を持つ。
神仙めいている。
先程告げた本能がマリュアンゼに改めて正しい見解を突きつける。
彼は見かけ通りの王では決していない。
何故なら彼の即位後、フォリムを王にという声は聞こえなくなったし、なくなった。
それが何を意味するのか、今なら身に染みて理解できる。
何をされた訳でも、言われた訳でも無い。
それなのに感じる圧は、きっとそういう事なのだろう。
マリュアンゼは臣下の礼で応える。
「勿論でごさいます。この身は王家の忠臣として、骨まで捧げる所存でございます」
ふっと笑う気配に身体が強張る。
ここには人は大勢いる筈なのに、音楽だって流れているのに。
けれど今この場を治めているのは間違いなくアルダーノなのだろう。
彼が創り出す世界に飲みこまれるような錯覚を覚え、身体が震える。
「ほらね、ここまで言える女性はそういないよ。それとマリュアンゼ嬢、礼はいらないと言っただろう。困った人だなあ」
「……はい」
徐に顔を上げるマリュアンゼをアルダーノは目を細めて眺めている。
けれどやはりその瞳の奥は何を見ているのだろう。冷たさすら感じるのは気のせいか。
シンとした緊張感漂う場を崩したのは、自分を呼ぶどこか必死な声。
「マリュアンゼ!」
それを聞き、強張る背中から力が抜けた。
「やあフォリム」
フォリムは何故かマリュアンゼを庇うように前に立ち、アルダーノに向き合った。
「こんなところで何をしているのです兄上。国王であるあなたが」
「……王家主催の催しだからね。会場の様子を見て回っていたんだよ」
肩を竦め受け流すアルダーノを睨みつけ、フォリムは、ふと視線を移した先にいるリランダに一瞬反応した。が、無視する事に決めたようで、顔を背けた。
「あの、あの……オリガンヌ公爵様? 先程は失礼しました。その、私……」
けれど、めげない性格なのか空気が読めないのか、リランダは諦めない。
呆気に取られるマリュアンゼの前で、フォリムの頬が引き攣るのが見えた。
「そこまでだよリランダ嬢。これ以上フォリムに迷惑を掛けるようなら、いくら宰相の名を出されても私も庇い立て出来ない。そろそろ戻りなさい」
「そ、そんな……もっとお話したかったのに……」
アルダーノが意思を示せば、何処からともなく近衛が傍に寄り、リランダをその場から遠ざかるように促した。
後ろ髪引かれるリランダだったが、流石に国王の言葉を無視する事は出来ないらしく、近衛たちに押し出されるようにこの場から去って行った。
思わずほっと息を吐く。
「さて、私も戻ろうかな」
その言葉にフォリムは再びアルダーノを見る。
「フォリム、聡明なご令嬢で安心したよ。良い縁を築けたね」
それだけ残して踵を返すアルダーノを、マリュアンゼは再び頭を下げてやり過ごした。
礼はいらないと何度も言われているのに……何故かこうしてしまう自分がいる。
同じく王族であるフォリムから感じる圧にだって、こんな反射は無いというのに。
「マリュアンゼ」
少しずつ散っていく人集りを気にも留めず、フォリムはマリュアンゼの頬に手を添えた。
思わず喉を鳴らしそうになるが、先日はこのまま両頬を挟まれて変顔をさせられたのだった。変に勘違いをする必要は無いだろう。
「お騒がせしてしまいまして、申し訳ありません」
「兄上に何か言われたか?」
その言葉にマリュアンゼは首を横に振る。
リランダには色々と言われたが、国王に何かを言われた覚えは無い。
「庇って頂きました」
多分……というか、まだ衆目がある以上、これしか言いようもないけれど。
フォリムは探るようにマリュアンゼの瞳を覗き込んだ後、そうかと一言呟いた。
その表情が酷く優しげで、マリュアンゼは視線を彷徨わせる。
「あ、私……そ、そろそろお暇しようかと……」
「なんだ、もういいのか?」
「すみません、夜会……というか人の集まる場所は苦手でして」
あははと情けなく笑うマリュアンゼにフォリムは頬に置いてあった手を滑らせる。
「では送ろう」
「は? え、いえ。一人で帰れますよ?」
目を丸くして慌てていると、フォリムは眉を顰めた。
「何を言っているんだ?」
「は、いえ。すみません何でもありません。直ぐ帰ります!」
慌てて踵を返そうとするマリュアンゼの腕を掴み、フォリムは一つ息を吐いた。
「婚約者を送るのは当然だ」
「えっ……その、そうなんですか? ありがとうございます?」
「……」
フォリムはするりとマリュアンゼの手を掬い取りエスコートの姿勢を取った。
「ありがとうございます」
何だか恥ずかしくてそのまま頷いてしまったので、お礼を呟いた後のフォリムの様子はよく分からなかった。