11. 退場 ※ ジェラシル視点
マリュアンゼが元婚約者になった瞬間は今でも忘れられない。
最初から気に入らない女だと思っていた。
何より自分に好意を持たなかったところが。
多くの令嬢はジェラシルの美貌に惚け、目を潤ませる。
けれどマリュアンゼは自分に全く興味を持たなかった。
そんな婚約時代を思い出し、ジェラシルは唇を噛み締める。
美意識が異常なのだろうかと真剣に悩んだ事もある。
別にマリュアンゼとの婚姻に否と言う気は無かった。貴族の婚姻など家同士が決めるただの縁だ。それに婚姻後に義務を果たせば、後は好きに過ごそうと決めていた。
だからジェラシルはマリュアンゼがどんな令嬢でも構わないと思っていた。一目見て、それ程悪くないとは思ったけれど。
だがやはり自分に関心を示さない事に不満だった。
マリュアンゼは自身の胸の内を……というか、自分を一切見せないように仮面を被りジェラシルに接する。
ジェラシルはそれが非常に嫌だった。
今までどんな女性も自分に全て曝け出して来た。それなのに、よりにもよって婚約者の女が自分に素を見せない。
(何故だ────)
追い出された会場の扉を背に、ジェラシルは立ち尽くす。リランダが何やら怒り叫んでどこかに行ってしまったが、どうでも良い。
どうせもうここにはいられない。
ジェラシルは王城から出るべく足を進めた。
苛つくジェラシルの心境など露知らず、マリュアンゼはいつも上辺だけでジェラシルに笑い掛けていた。
そしてある時、堪りかねた鬱憤を晴らすように毒を吐きかけたのだ。とても紳士のする事では無いその所業に、ジェラシル自身も驚いた。直ぐに謝らねばとマリュアンゼを振り向けば、彼女は顔を俯かせ、じっと涙を堪えていて……
思えばそれからだった。
マリュアンゼの心が垣間見える、あの瞬間が欲しくなりジェラシルはマリュアンゼを事ある毎に貶めた。構わなければ、寂しくて泣きついてくるとも思ったから。
けれどマリュアンゼは次第にそれに耐えるように自分を押し殺していき、ジェラシルに何も見せないようになっていった。
そして気付けば剣を突きつけられての婚約破棄。
あの時、初めてマリュアンゼの晴れやかに笑う顔を見た。
ジェラシルは変われなかった。
誰からも好かれる事に慣れていて、それが当然だったから……マリュアンゼからも他の令嬢のような反応が欲しかった。ありのままの自分を肯定して欲しかった、のだ。
「……」
マリュアンゼはジェラシルの方がマリュアンゼに興味を持っていないと感じていたようだが、逆だ。マリュアンゼがジェラシルに関心を示していなかった。
だからあの時、驚いたのだ。
マリュアンゼは舞踏会場で、以前のように取り繕うような笑みを浮かべていたけれど、フォリムに向ける眼差しには柔らかいものが混じっていたから。
────結婚すればいくらでも、と思っていた。
夫婦となれば否が応でも向き合わなければならない、ものだと……
気付いていた。
認めたくは無かったけれど。だから気に入らなかった。
今は怒りと苛立ちと、そして、どうしようもなく胸が空だ。
「フォンズ小伯爵様」
眉根を寄せて歩き続けるジェラシルに背後から声が掛かる。
知らず早足で歩いていたせいか、止まった時には声の主とは大分距離が出来ていたけれど、その顔はまだ忘れていない。
「団長の、侍従……」
振り向いた先の相手は、フォリムの返事に、にこりと綺麗な笑みを浮かべてみせた。
「ええ、先程はどうも。オリガンヌ公爵閣下からの伝言を伝えに来ました」
その科白にジェラシルは眉を顰める。
聞かなくても分かる気がするが。
「……何だ」
「一つは転勤のご連絡です」
「異動か……」
「はい、そうです」
ジェラシルは近衞騎士だ。
それが異動となるなら、もう近衞では無いという事だ。
「ご心配無く、ご栄転ですから。サラト辺境伯領の騎士団を率いて頂きたいのです」
「……」
まあ、当然だと思う。
元婚約者を近くに置いておく事はしないだろう。
ジェラシルは近衞騎士で、マリュアンゼは王弟の婚約者だ。近くに置いておけば、あらぬ噂を立てられかねない。
それにサラト辺境伯には年頃の娘がいた筈だ。
遠回しに見合いを勧められている。ジェラシルにも相手がいた方が、円満な婚約解消を演出できるから。
流石に貴族ではないリランダと婚約をする訳にはいかない。
ジェラシルは嫡子で伯爵家を継がなければならないし、最低限の爵位と利のある相手が必要だった。
リランダ本人は貴族扱いをされ勘違いをしているようだが、庶子は平民だ。デニーツ子爵家の内情を考えても彼女を娶ったところでフォンズ伯爵家に旨味はない。
「そうか、分かった。と、団長に伝えておいてくれ」
「……それだけですか?」
意外そうに瞳を瞬かせる様子は、この従者を少しだけ幼く見せる。というか、いくつだろう。
マリュアンゼよりも年下かもしれない。先程の大人気ない自分の言動に些か恥ずかしさを覚える。
「……失礼、閣下が私を伝言に遣わせたのは、あなたが文句を言い易いようにとの配慮があっての事でしたので。俺も、何も言われ無いとは思っていませんでした」
「……従者に八つ当たりをする程愚かでは無い」
先程のやりとりの後では信じられないだろうが、全くの馬鹿と思われるのは心外だ。
「成る程、それと……」
シモンズの視線はジェラシルの手元、マリュアンゼのハンカチに注がれる。
「……っ」
知らずジェラシルの手に力が篭り、ハンカチが益々皺になれば、シモンズは得心したように頷いた。
「そうですか。まあ、皺だらけでワインの染みのついたハンカチですから、いらないでしょう。閣下には俺から話しておきます」
「それでいいのか?」
つい咎めるような声が出る。
仮にも婚約者からの贈り物なのに……自分はマリュアンゼから何も貰った事なんて無かった……こちらも贈った事は、無いけれど。
「どうでしょうね」
そう言ってシモンズは肩を竦めてみせたので、何となく察してしまう。この従者がジェラシルに同情を示している事を。
ジェラシルからの叱責ありきと考えていた仕事が、何事も無く帰されそうだ。だからハンカチを握りしめるジェラシルを見て、譲るべきと判断した。正当な業務内容に戻す為に……
けれどジェラシルとしては、ただの従者に見透かされたようで、面白く無い。だから従者からの好意は別の形で突き返す。
「そうか、なら僕からは忠臣のお前に餞別をやろう」
「餞別?」
虚を衝かれた顔を見せた従者に少し溜飲を下げ、ジェラシルは口にする。
「リランダには気をつけるんだな、あの女は僕に近づいて来たが、本来の目当ては団長だ」
主人の名前が出た事でシモンズの顔付きは引き締まる。
フォリムは元々注目される人間だ。肩書き然り、容姿然り。シモンズにはあの手の女など珍しくは無いだろう。
会場でも目にしているし、正直、相手にする必要も無い、程度の低い女だ。
こんな助言は必要も無いだろう。けれど……
「そうですか、ご忠告どうも」
無機質に返事を返すシモンズから踵を返し、ジェラシルは出口となる玄関ホールへと向かう。
結局自分の手に残ったのは、汚れて皺だらけのハンカチ。しかも、他の男の為に用意された、それ。
(何も残らず、何も伝えられず……)
もう今更、なのだ。
フォリムのあの様子を見るに、自分の出る幕は、きっともう、どこにもなくて。
玄関ホールには遅れ気味に到着した者たちが会場に向かい急いでいる。
彼らの間をすり抜けるように歩き、ジェラシルは王城から去って行った。
短編投稿しています。
GWのお供の一作に是非(^_^)♪
「断罪された悪役令嬢は隣国でも悪役であり続けるべく奮闘する」
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