8. わちゃわちゃしている
「聞く耳を持つ必要は無いな」
「こぅ……っ、フォリム様」
いつものように公爵様と口から出そうになるも、フォリムからの鋭い視線に気付かされ、急いで言い直す。
「だっ、団長? 王族の入場はまだの筈では……」
こちらもまた驚きの後、尻すぼみになっていったのは、フォリムのひと睨みが効いた為だろう。ジェラシルは目に見えて動揺し出している。
「婚約者のエスコートを任せていた、私の従者から急用の為その場を離れると言付けがあったからな。下らぬ輩に絡まれていないかと様子を見に来て見れば、案の定か」
フォリムは口元に綺麗な笑みを刷いて口にしているが、目は笑っていない。
ジェラシルはグッと喉を詰まらせた。
「それは何だ? ジェラシル」
フォリムが差す「それ」は、マリュアンゼの落としたハンカチである。
(あっ!)
あんな無様な状態の贈り物をフォリムに見られたくない。そもそもジェラシルやリランダにいいようにしてやられた事を知られたく無い。
「なんでもありません! そんな事よりフォリム様は王族の入場に合わせて出直して頂いた方が……」
「は、初めまして、フォリム様! 私はリランダ・デニーツって言います!」
しかし焦るマリュアンゼに負けず劣らない様子でリランダが声を張った。
すすっと距離を詰めフォリムに乗り出す姿に思わずムッと顔を顰めそうになるので、急いで扇で顔を隠す。
(何なのよ! じゃなくて、いけないいけない私は淑女、私は淑女……)
「リ、リランダっ」
慌ててジェラシルがリランダの腕を引き遠ざけるが、既にフォリムの口元からは笑みが消え、残っているのは無表情だけである。
(わあ……怖いわ、リランダ嬢はよく平気ね)
「フォリム様、フォンズ小伯爵様がお持ちのハンカチはマリュアンゼ嬢のものです」
タイミング悪く口を挟むシモンズにフォリムは視線を鋭くする。
「ああ、ジェラシル。それを返して……」
「いいえ!」
フォリムの発言を遮る形でマリュアンゼは改めて声を張る。
「それはフォンズ小伯爵様に差し上げたのです!」
あんなクシャクシャになったハンカチをフォリムに見られたくない。
目を丸くするジェラシルにマリュアンゼは笑顔で黙ってろと圧力を掛ける。
「こ、れは……」
ジェラシルの手の中で更に皺になるハンカチを、冷や汗を掻きつつ眺めながら、マリュアンゼは急いでフォリムに向き直り必死で瞳で訴える。
「……分かった」
腑に落ちない風のフォリムだったが、一つ息を吐きジェラシルに厳しい視線を向ける。
「それにしてもジェラシル、新しい婚約者は社交界慣れしていないようだな。もしや私が誰かも知らないのか?」
「っすみません、団長!」
「そんな、フォリム様を知らない人なんていませわ! あの、そんな事より、私たちは別に婚約者ではありませんのよ?」
そう言って上目遣いで熱っぽくフォリムを見つめるリランダに、フォリムは不快そうに顔を歪める。
(……不思議な方ね?)
めげないというかどこまでもマイペースなリランダにマリュアンゼも常識を覆されそうになる。
「お前になど話し掛けていない」
「まあ、そんな事をおっしゃらないで下さい」
(うーん?)
いまいち噛み合わない三人の様子を傍から眺める。
絶対零度の冷気を放つフォリムに青褪めるジェラシル。何故かフォリムに期待を込めた眼差しで指先をもじもじとさせているリランダ。
マリュアンゼは仕方なしにフォリムに話し掛けた。
「フォリム様、王族が段取りを無視し先に入場してしまっては会場の皆様が混乱してしまいますわ」
事実、周囲はこの騒ぎに興味津々だ。
こんなどうでもいい二人の醜聞にフォリムを巻き込む訳にはいかないし、ハンカチなんて二の次だ。後からフォリムに妙な貸しを上乗せされる方が怖い。
それとなく退場を促せば、フォリムの冷えた眼差しがそのままマリュアンゼに向いた。
「さっきから何故私を遠ざけようとしているんだ。まさか今更ジェラシルに何か用でもあるのか?」
何でそうなるんだろう。
「ある訳無いでしょう」
思わず素で突っ込めば、フォリムは一瞬見開いた目元を和らげ、そのままマリュアンゼに、すいと手を差し伸べた。
「今更戻って再入場するのも格好が付かないだろう? 遅くなったが婚約者をエスコートしたいのだが、構わないか?」
許しを乞うような科白とは裏腹に、フォリムの表情はさも当然と言わんばかりで。
マリュアンゼもまた、王族で婚約者でもあるフォリムの手を取らない選択肢などある筈もなく……
少しだけ気恥ずかしく感じながらも差し出されたその手に自らのものを重ねた。




