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隠居爺放浪記  作者: 西尾みゆき
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死して思い残す物はなし、しかして想いは心に残る by松山柳衛門

妙に長くなったような……ま、いっか♪(笑)

神奈川県横浜市郊外にある一軒の古民家。江戸時代末期に武家屋敷として建てられたそれは、平屋ながらも数百坪を誇る豪邸であり、その昔は子爵家として栄えたと言われている。


しかしそれも今は昔、隆盛した頃を見る影もない。元は立派な漆喰だったであろう壁には罅が入り、割れて剥がれ落ちた屋根瓦を修復する者もなく、ここを訪れた華族たちが見惚れ褒め称えたと言われる黒松は既に枯れ果てて久しい。


横浜で一二を争う豪邸と噂されたその屋敷は、今や近所から幽霊屋敷として噂される事になろうとは、当時を生きる人たちには考えられなかったであろうことは想像に難くない。


人の気配もないその幽霊屋敷には、果たして未だに一人の老人が住んでいた。


16畳はある広い和室に布団を敷き寝ている、しかし薄く目を開く老人こそ”松山まつやま 柳衛門りゅうえもん”……この家の主人にして唯一の住人である。




この松山という男、戦後に日本の旧体制が崩壊した混乱期に、華族が解体されると耳にするや否やすぐさまに行動を起こし商売を成功させた鬼才。


華族時代のつてを使いアメリカを仲介に石炭貿易を始めたかと思えば、食品、電化製品、石炭に代わる石油の貿易と時代を先行するようにグングンと事業を拡大させ己の腕一つで国内有数の大企業である松山グループを創りあげた。





初代会長として松山グループに、ひいては日本経済に多大な功績を残した彼がなぜこの様なあばら家と化した幽霊屋敷、もとい古民家に住んでいるかといえばそれは見捨てられたからである。


見捨てられた。見限られた。裏切られた。追い出された。


確かに柳衛門は松山グループの創設者にして偉大なる功労者であるが、その成功の裏には様々な無理を通してきた。長きに渡る柳衛門による皇帝政治が成立していたのは柳衛門自身の強いカリスマ性と創業当時から着いて来てくれていた古い幹部たちがいたからである。しかし過ぎ去る時の流れによって厳しい時代を共に乗り越えた戦友たちは一人、また一人と去り、当然去った者たちのポジションには新たな若い人材が上がってくる。そして新しい幹部たちにも柳衛門は己の考えを実行させるわけだが、世代が新しくなるほど幹部たちは柳衛門の声を懐疑的に聞くようになっていった。


なぜ自分たちは1から10まであの老人の指図に従わなければならないのか、と。

もしかしたら己の考えを通したほうが今の会社をさらに大きくできるのではないか、と。

己の考えを会社の意思にするにはより高い地位が必要。しかしいくら昇ろうと頂上にあの老害がいる限り現状が変わることはない。……ならば、と。


そういう声が高まった時、ついに事は実行に移された。


柳衛門に相談なく興された役員会議。それを知った柳衛門が会議室へ慌てて走って向かい激しく息を切らせながら扉を押し開けると、そこには待っていたというようにズラリと並んだ役員たち。


その中心に立つ、社長の地位にいる男の手から一枚の紙が渡された。「会長退任要求」と書かれたそれには役員や主だった株主たちの名と印が並んでいた。


柳衛門が呆然と立ち尽くす中、横をすり抜けるようにして幹部たちが一人一人と会議室を後にする。最後に柳衛門の前に立っていた社長も出て行こうとするが、その両肩を柳衛門がガシリと掴んだ。


『なぜだ……なぜこんなことをッ!』


柳衛門は眼を血張らせながら社長に問い詰める。しかし社長は、涼やかな目で両肩を掴む柳衛門を見下ろすように言葉を発した。


『貴方はもう老いたんです。少しは自覚していただきたい……もうこの会社に、貴方を必要とする者は誰一人いないんですよ。』


『何だとッ!?龍二、貴様!』


『その名で呼ばないでいただきたいですね会長。今更あなたに家族面されたくありませんよ。』


軽く社長こと龍二が腕を振る。ただそれだけで、柳衛門の掴んでいた両手は振り払われてしまう……。


『……小さくなりましたね会長。もうその辣腕を遺憾なく振るった頃のあなたはもう過去の物。今はただの……抜け殻ですよ。』


『なん……だと……。』


『貴方の個人資産と昔住んでいたというあの家だけは残して差し上げます。』


そう言うと龍二はスッと柳衛門の脇を抜けて会議室を後にする。


『ま、待て龍二!』


『もうあなたとは何の関わりもない。上司と部下という関係も……孫と祖父という関係もね。』


バタンと閉められた扉の音は大きく、何も言葉にできない老人を一人残した会議室はまるで、時が止まったかのように静かだった。






『あれから六年か……時の流れはなんと早いものか……。』


既に使われなくなり久しかった屋敷へとほぼ強制的に隠居させられることとなった柳衛門。今でも当時のことを恨めしく思うことも少なくないが、時が過ぎてゆくにつれ憎しみも薄れつつあり、より当時のことを客観的に見れるようになった。


『一人の強大な力を持つ者に右へ行くも左へ進むも決められる。ましてやその権力者がこのような死にかけとあらば、皆もさぞ恐ろしかったろうてなぁ……なにせもし突然にワシが倒れれでもすればグループ全体が大混乱に陥り、下手をすれば取り返しのつかぬ損害があったやも知れぬ……。そう考えれば龍二はよくやってくれたのぅ。あの当時の情勢でワシと対立するのは、社長という立場があったとて並みの覚悟ではできぬ。』


もしも誰かが柳衛門へ口を滑らせていればクーデターは失敗していたであろう。それほどまでに会長という立場だった柳衛門の権力や影響力は凄まじかったのだ。


成功させるためには一人一人役員たちへ手回しをし、完璧な緘口令を敷かなくてはならない。さらには株主たちへの説得である。役員たちは現状の会社の在り方に少なからずの危うさを感じているものばかりなため、比較的説き伏せるのは楽といえる。しかし株主たちの多くは現状を維持し己の利益を損なわぬように動くもの。この説得に骨が折れたであろうことは想像に難くはない。そんな難事を乗り越えた龍二を思う柳衛門は今や感心することさえある。


会社のことを考えてここまでの大事を起こせるものはいないと。そう、会社のことのみを考えてならば。


『あの時の目は、そのような綺麗事ばかりを語ってはおらなんだ……。あの時の、ワシを冷たく見下ろす目は……。』


龍二との関係が特に悪化したのは龍二の祖母、つまり柳衛門の妻である松山まつやま 智恵ちえが亡くなったことが影響している。智恵の葬式を重要な取引があると言って柳衛門が欠席したのだ。しかもあろう事か自分の妻であるにも関わらず秘書に香典を持たせて来させた。


智恵に特に懐いていた龍二はこれにひどく激怒し、その香典を秘書に叩きつけ追い返したのだ。


それ以来、仕事以外では柳衛門に近づくことはなくなった……。


『仕事にかまけておったワシの業か……。あの時はそれが正しい答えじゃと信じておったが、中々儘ならんものじゃのぅ……。』


過去を後悔する老人の目尻から涙が一筋零れ落ちる。


『ん?おぉ、なんじゃ……やっと来たのか?遅いじゃないか。』


薄く笑う老人の目には何が映っているのか。まるで自嘲をするようなその表情から、己を地獄へと引きずる鬼か。それとも自分のような者が行くことができるのか、と天国へと導く仏の掌か。それとも……。


『何度その眼に力を貰ったことか……お前がいたからこそ、ワシはここまで……。』


喜ぶような、それでいて懺悔するような……。


『もう疲れた。ワシもお前と……ッ!?なぜじゃ……なぜ……?』


急に青ざめる柳衛門の顔が、次の瞬間には驚きに代わる。


『……なに?新たな人生だと?そんなものはいらん……ワシはお前と……ワシは…………ち…え……。』






ここに一人の老人の命の炎が燃え尽きた……。一度は己の帝国たりうる大企業を創りあげた皇帝の最期はとても寂しいものだった。





松山柳衛門。2020年1月1日、15時06分。死因、慢性臓器不全。




享年、100歳。

これにてプロローグは終わります。

次話から本編へと話が進みます!

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