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八、明光国大王陛下

 

「こちらにございます」

「ありがとうございます」


 軽く頭を下げた詠玪は、正面に向き直った。

 前を向くと、荘厳な扉が目に入る。

 この扉の先に、明光国の大王陛下がいる。

 その事実は、詠玪の心を波立たせるには十分だった。

 ――――心臓が早鐘を打つのは緊張故か。それとも。

 騒ぐ血を鎮めるために、詠玪はゆっくりといつもよりも長めに息を吐く。

 その息を吐ききったとき、まるで見計らっていたかのように、侍従は腹から声を出すように一語一句はっきりと声をあげた。


「―――黒詠玪様のお越しでございます」


 詠玪を案内していた侍従が先触れを告げる。

 侍従の声に呼応するように音もなく扉が動き出した。

 微かな風を伴いながら、招かれた者に道を譲るようにひとりでに。

 詠玪は思わず目を凝らした。うっすらとだが、陣が描かれているのが分かる。豪華絢爛な装飾と掘られた紋様のもっと奥。詠玪の目を以てしても術式の全容はまるで分からなかった。

 だが、確かに刻まれていた。その曲線の一つに至るまで、繊細な硝子細工をおもわせる陣はいっそ芸術と称すべきもので、詠玪は思わず感嘆の吐息を漏らした。

 そんな夢見心地な彼女をおいて、門はぴたりと止まる。

 無言で侍従に先を促された詠玪は、ぐっと腹を決めると滑り出すように一歩踏み出した。


 玉座まで一直線に続く深紅の絨毯を歩んでいた詠玪は、ややあってその場に跪く。

 一拍。

 その声は辺りに透き通るように響いた。



「国の光たる、大王陛下に拝謁いたします」

「―――楽にせよ」


 その言葉に詠玪は伏せていた顔をあげた。

 詠玪の目に真っ先に入ったのは、明光国国主耀統だった。というよりも、他のものが詠玪の意識から掻き消えた。大王の両隣に控えている、大将軍も、宰相補佐も彼女の目には入らなかった。

 ぞわりと詠玪の体の中を駆け巡る歓喜。体の奥から湧き上がり、ともすれば涙が込み上げてくる。なぜだか、郷愁さえ覚えたそれらすべて鋼の理性で押さえつけた詠玪はすうっと息を吸った。

 黒髪を彩る髪飾りが微かな音をたてて、ゆれる。


 その科白はまるで何度も言ったことがあるかのように、詠玪の口をついて出た。


「畏くも偉大なる明光国大王陛下にご挨拶申し上げます。長らくご挨拶が遅れまして申し訳ございません。黒家当主が娘、黒詠玪と申します。黒の血を受け継ぎしものでありますれば。我が身は御身をまもる盾となり、御身を害するものの剣となり、遠き地にて御身の替りたる耳目となり。大王陛下のゆく道を阻むことなく、共に歩むことをお許しいただきたく」


 紡がれた言ノ葉は、水の如く辺りに馴染み消えていく。

 大王の傍にいた(クン)大将軍と尹喬析(インキョウセキ)宰相補佐は、目を丸くせずにはいられなかった。

 彼らは大王と黒家の姫が顔を合わせるのがはじめてだと知っていた。

 だからこそ、大王の覇気に屈さず、口上を述べるとは思っていなかったのだ。


 唯一、この中で。彼女が彼女であるならばそうするであろうことをわかっていた耀統は、目を閉じる。

 ―――――彼女が黒詠玪として、生きるのならば。


「許す。其方が守人の末裔として、役目を果たすのならば、余も其方に約束をかえそう。――――其方に相まみえることができて、嬉しいぞ。黒詠玪」


「――――ありがたき幸せにござます」


 さまざまな言葉が胸の中を去来する中で、言葉となったのはその一言だけだった。


 ※



 明光国の今上の王である耀統は一国の王としては、未だ若い部類に入るだろう。されどその統治の能力は元より、彼の纏うそれは、ただの若輩と称すには重みがありすぎた。そんな耀統は幼少の頃からその異才を放っていた。彼が病に伏せがちな先王陛下の代わりに王太子として、国の安寧に尽くしたことはとても有名だ。そんな耀統の王太子時代は、今でもひそやかに語り継がれている。


「―――では、今後どのようにして対策すべきだと?」


 耀統は州でのことを訊きたがった。穀物の収穫量、州軍の訓練内容、州民の生活の様子。

 詠玪がその殆どを過ごす、黒州と赤州は王都から見て両極に位置する国の極地である。

 気候は勿論のこと、生活様式がまるで違う州のことに対して、詠玪は己が知りうる限りをこたえた。

 多岐に渡る話題の中、やがて今年の猛暑による死者数について話題が移る。


「はい。注意喚起関してはこれからも医薬舎や州府を通じて密に行うべきと考えます。が、それだけでは防ぎきれないかと」

「確かに、当の本人が無自覚の場合も多いともききます。幼子のならなおのこと」


 顔を曇らせる尹宰相補佐の脳裏には、全土からもたらされた報告の数々が過る。

 その中には来年は今年よりも夏日が続く可能性が高いという報告ももたらされていた。


「うちのも何人か体調を崩したな」

「軍内にもいたのか?」


 耀統の問いかけに、軍部を任された纁泰朗(クンタイロウ)は渋い顔を隠せなかった。


「お恥ずかしながら。数名新兵が体調を崩しまして」


 耀統は肘掛の部分を指でトントンと、幾度か叩いた。


「なるほど。注意喚起だけでは限界があるな。なにか手立てを講じる必要があるが」


 そこで言葉を切った耀統は、詠玪の目をみて確信した。


「既に考えているのだろう?」


 詠玪は頷いた。


「はい。熱中症とは、私たちの身体が環境に適応できないことで生じるさまざまな症状の総称です。その高温多湿の環境下から涼しい場所へ移動することも大切ですが。

 熱中症の予防と切っても切り離せない関係にあるのが、水分補給です」

「水が予防だと?」


 胡乱気な泰朗の言葉に詠玪は首を振った。


「いいえ、ただの水だけでは予防には弱すぎます。……一つ、纁大将軍にお伺いいたします。汗が口に入ってしまったことはございませんか?」

「ああ、あるが……」

「ではその時に、どんな味がしましたか?」

「どんなって、しょっぱい?」


 戸惑う泰朗を置いて、熱中症について医師より基礎講座を受けていた尹宰相補佐は少女の言いたいことがわかった。


「確か、汗は体の中の水だけではなく塩分も失うんですよね。暑いから汗をかく。汗をかきすぎると、必要な水分や塩分まで失われて、最悪の場合死に至る」

「はい。ですが、身体に必要だからと言っても……」

「塩をひとつまみ入れて飲む、なんて日常ではするはずもないか」


 なんせ、不味いだろうし。と付け加えた泰朗は誤って口にしてしまったかのようにしょっぱい顔をした。

 それに笑いそうになるの口元を手で隠すことで誤魔化した詠玪は、唇を噛んだ。

 ____ここからが正念場だ。


「はい。味覚にあわないものは誰もが口にしたくないと感じられるでしょう。それが、世界でも美食家と名高い明光国の民ではなおのこと。なので、黒州の医薬舎梨木にて考案しました飲料水を全国に広めたいと考えております」

「飲料水?」

「飲料水とは、水と塩と糖、果物で作られた飲み物です。____糖、言わば砂糖は塩と同じく体に必要不可欠ですので。ただ」


 詠玪が言わなくてもその先は誰もが分かった。


「砂糖は高価ですからね。だから、果物ですか」


 宰相補佐という国の中でも紛れもない高官が言うには不釣合な言葉が飛び出した。

 明光国は海にまぐまれており、良質な塩の生産国としても有名だ。しかし、砂糖は別である。土地柄か国の生産量だけでは賄えず、他国からの輸入に頼る部分がまだ多い。

 砂糖を入れれば、その分飲料水の値段が上がる。それでは、意味がない。

 そこで、医薬舎梨木の研究部門と医師と詠玪は研究に研究を重ねた。

 その結果辿り着いたのは果物である。


「果物は体にとてもいいので。また、各地の特産品である果物を使用することで、価格も大分おさえられるかと」

「全国に広めるとして、方法は?」

「商人の方々にお任せしたいと思っています。果物自体は店頭に置けない傷物でも問題ありませんので、安く仕入れられます」


 耀統の矢継早の質問に詠玪は丁寧にこたえていく。そのこたえに唸ったのは、喬析だった。


「確かに。聴く限りでは、ごく一般的なもので作られているようですので、商家としても取り扱いやすいでしょう。――――しかし、どうやって商家と段取りをつけるつもりですか?」


 喬析の目がすうっと眇められ、真剣味を帯びる。隣でそれを見て取った泰朗は珍しいものをみたと思った。

 喬析と泰朗は同期で、どちらも科挙では状元・武状元という第一等の成績を修めている。彼らの世代は、受験者数も少なかったせいか、文と武という違いはあれど、結束力が高かった。

 その中でも、どちらも状元という出世間違いなしの彼らは互いの家をするほど仲が良かった。――――二人に言わせればただの『腐れ縁』。

 だからこそ、喬析が『人を試す』のを期待の表れと泰朗は知っていた。なにより、見込みがあるということ。だからこそ、泰朗も詠玪がどうでるのか興味そそられた。だがーーー。


「飲料水の作成方法は提示する二つの条件を承諾してくださる、商家の方に無料で提供することを考えています」


 いずれ国の双璧を築くとまで賞賛される喬析と泰朗の二人はそろって、絶句した。


「最優先は広めることか。――――しかし、巨万の富を生む代物を手放していいのか?」


 相手の隠されたうちまで顕にするであろう耀統の澄んだ瞳をみても、詠玪は動じずただ苦笑を零した。


「素人が下手をして、失敗をさせる訳にもいきません。そらならいっそ、その道の玄人におまかせするべきと。それが、飲料水の考案に携わった者の思いです。それに……」

「それに?」


 詠玪は少し躊躇った。だが、大王の問いにこたえぬ訳にもいかない。


「……黒州人は、そういうことに向きませんので」


 心なしか小さな声に、一瞬場が静まり返る。

 次の瞬間。詠玪以外の人物は誰もが同じ動作をした。

 口元を隠したのだ。


「…… 纁大将軍っく、しっ、しつ、ふっ、失礼ですよ。っ、わらったり、したらっ……」

「ははっ、そういうっ、お前も、くっ、隠せてはないぞ。くくっ」


 詠玪からの含みある視線に気がついた二人は一緒になって変な咳払いをする。


「確かに黒州人は、商売事に向かないな」


 残念なことに耀統の言う通り、黒州民は全くもって、商売に向かない。

 自分の信念や考えをを第一とする。自分の感性の赴くままに行動する彼らは、利益なんてものは二の次三の次。明光国民の中でも、一二を争うほどの自由人なのだ。


「して、二つの条件とは?」

「一つは、飲料水を販売するうえで。私たちがお渡しするもので作られる飲料水は、利益分を極力抑えていただきたいのです」


 誰でも手が届きやすい良心的な価格での販売でなけければ、意味がない。

 それに利益分を抑えると言っても。


「なるほど。利益率を抑えることに関して口をだすのは、基本の飲料水以外のみ。あとは商人の腕次第で、宝石にも化けると。ーーーーこれで頷かないものはいないでしょうね」


 呆れたように喬析は詠玪をみる。ーーーーこれが、十そこらのこどもの発想とは。


「もう一つは」


 耀統の問いかけに詠玪は背筋を伸ばす。


「もう一つは。……人手を各孤児院から雇っていただくことです」

「それはっ」

「まてっ」


 詠玪は思わず声をあげた二人を遮るように続けた。


「もし。その条件をのんで頂けるのでしたら。飲料水に使われる材料のうち。黒州産の塩を四割ほど安く取引させていただきます」


 それは破格の取引だった。

 明光国の塩は、岩塩か海塩のどちらかだ。その中でも、黒州産の海塩は良質なものでとても美味だ。その最上級の塩を権限を握るのは黒州を治める黒家。彼らの裁量によって、値などいくらでも変えられる。


「うまく、間を縫ったものだ」


 大王はそう零すと、詠玪をみた。

 瞳に決然とした光が宿っているのをみてとった耀統は、一つ瞬くと宰相補佐に指示を出す。


「手の空いているものを集めて、早急に飲料水の草案をまとめあげよ。ーーーー詠玪、其方の案を朝議に通すために、暫し知恵を貸して貰うぞ」



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