五
(……どうして、こうなった?)
幾度目か分からない疑問を自分の中で呟きながら遠くを見つめる琉賀がいるのは、詠玪に剣を投げつけられた庭院だった。
「んん?琉賀、気に入るものがなかったのか?」
「……いや、問題ないが」
新たに用意させようと、焔碍が詠玪の方へ行くのを押し留める。自分の手に馴染むものは、とっくに見つけていたので、そこは問題ない。
そこ以外が琉賀を悩ませていた。
具体的に言えば、これからやらなければならないことについて。
そんな避けたい出来事がこれから待ち受けている琉賀は、目の前に並べられた模擬刀の前で、現実逃避に勤しんでいた。
往生際悪く、少しでも時間を稼ごうとする琉賀に焔碍は軽快な笑い声をあげる。
「いい加減、諦めたほうがいいぞ?なんせ、詠玪は一度言ったことはまげんからのぅ」
「………人間、時に諦めてはいけない時もあるんだよ!というか、止めろよ!」
「それは、無理じゃ。『琉賀様の事を私は存じておりません。それに、琉賀様も私のこと何もお知りではないでしょう?……ですので、手っ取り早く模擬戦をしませんか?』と、かわいい弟子のお達しじゃぞ?」
「可愛い弟子なら、なおさら止めろよ!!」
というか全然似てないし。手っ取り早いってなに!?
つっこむところがどうにも多すぎて、頭が痛くなってきた。
(というか、何故使用人も止めない。自分の仕える主が、自ら危険を犯そうとしているのに!)
詠玪が提案したときも行く諾々と従い、場まで用意した老人に、なぜだか琉賀は苛立ちが隠せなかった。
そんな琉賀の様子を具にみていた老兵は、安心していた。
この出会いが、双方にとってよい方向へ向かっていることを。
ただ、これまでの経験からか、臆病になってしまう部分がある琉賀は、まだ自分の心の変化に気づいてない。いや、自身でも気付かぬうちに鈍感を演じているのだ。
ならば、この老いた自分がほんの少し手助けしてもよかろう。
「ええい、そろそろ腹をきめぃ。男じゃろうが!!―――第一、見縊るでない。詠玪は、儂の弟子じゃぞ!!」
ばんと、強く背中を押された勢いで身体が一歩前にでる。――――そうか、弟子なのか。
国内に留まらず、国外にも彼の武勇は数多く知れ渡っており、そんな彼の元にはいくつもの弟子の志願者が後を経たず。兵の指導にはあたっていたが、弟子と呼べる師弟関係を築くことはあまりなかった………らしい。
(――――最悪の場合は、上手くやればいいだろう)
認識を改めながらも、自分の強さをきちんと把握していた琉賀は、怪我をさせないように自分が手加減すればいいだろうと。上手くやる自信もあった琉賀は、ついに腹を決めた。
まだ幼い少女。しかも、貴族のお姫様。
彼女が、焔碍の弟子といわれても、配慮するのは、小さな妹がいた彼にとってはしごく当たり前のことだった。
されど、この予想はすぐに覆されることとなる。
「――――双方、構え」
琉賀は下に剣先を向けた。詠玪は、基本中の基本の正眼の構えを。
二人の動作を目にして、焔碍は片眉をあげたが余計なことは言わなかった。
たっぷりの間。
「――――――はじめっ!!」
開始合図と同時に、金属音が鳴り響くーーー。
(っつ、はやいーー!!)
直後に降ってきた刃を受け止める。瞬時に鍔迫り合いに持ち込もうとするが、相手はその思惑にはのってくれなかった。自身の弱みを把握しているのだろう。琉賀が受けた瞬間には、また別方向から。
眉間、喉、心臓。急所を確実に狙う詠玪に琉賀は舌打ちする。
(あの、くそ爺め。絶対、笑ってやがるな!?)
――――一方。琉賀の予想通り、焔碍は腹を抱えていた。
それ、見たことか!!と言わんばかりに。隣にいた丹邑は少年を少し哀れに思った。焔碍に目をつけられたのが、運の尽きだ。
「―――きちんと、説明しなかったんですか?」
「いや~のう。儂はちゃんと言ったぞ?あれは、儂の弟子だとなぁ」
「お嬢様をあれ、などと呼ばないでください!!………しかも、説明になってないじゃないですか」
「む、すまんのう。ま、きちんと聞かんかった琉賀が悪い!」
(こんな奴と赤州から旅をしていたとは。苦労が絶えなかったでしょうに)
丹邑の盛大なため息を聞いて、焔碍の瞳が輝く。ーーー出会った頃であれば、迷わず真っ先に手が出ていただろうに。
「しっかし、お主もまーるくなったものよ!」
「……余計なお世話です。貴方こそ、昔から、成長していませんね!?」
旧知というか、腐れ縁というか。
丹邑の言葉が思わず悪くなるぐらいには、見知った存在は珍しかった。―――彼らの世代は、特に少なくなってしまったから。
嫌味にも反応せずに呑気にしている彼。いや、嫌味にも気づいてないのだろう。そんな高尚な脳は持ってない。
(これで武に対することだけはどうして、あんなに敏感なのか!?)
これまでの色々を思い出してしまい、足が出そうになるが、同時にこちらを振り返って『なんじゃ?』と問いかけてくる焔碍に断念した。本当に、こんなところだけは明敏なのだ。
赤家が赤家たる、そもそもの存在理由からして、それは致し方ないことなのだが、丹邑はそれを追いやる。――――彼が唯一、その首を取れなかった。そして、愛おしい愛おしいお嬢様をかっさらっていった憎き赤の一族。主至上主義者と名高い彼にとっては、それだけで十分であり。若い頃の出来事も相まって、死ぬまでに一度はその鼻を明かせたい人。
諸々を呑み込んで、問いかけるのはこの勝敗の行方。
「……で?どちらだ?」
「ああ、お主もわかっておろう?―――剣では、琉賀の方が強い。今はちょびっとだけのぅ」
一合、二合と何度目か分からない撃ち合いが続く。隙をつくろうとするが、勘がいいのか、避けられてしまう。―――護衛がついていない理由がわかるというもの。
自分の強さが同年代では、飛び抜けていることを自覚していた琉賀は、だからこそ驚いていた。
(まさか、貴族のご令嬢がここまで出来るとは。というか、これは貴族の手習い、ではないーー)
紛れもなく、実践の重みを持った人を殺したことがある剣。それも、一人、二人どころではない。―――油断すれば、間違えなく奈落。綱渡りのような駆け引きを既に経験したもの。
一瞬の交差を見逃さず、力で押そうとするが、気配で脚が動いたのが分かった。
相手が優位な体勢を狙ってくるなら、行動が予想でき、相手の隙となる。
空いた片手で、受け止めようとして、やめた。ざっと、身軽に後ろに飛び退いた直後にありえない速さで横切る足蹴り。
(何か、仕込んでるな!?)
琉賀は背中が空いたのを見逃さず詰めよるが、飛んできた何かに足止めされてしまう。剣で弾くいた時に、目の端に捕えられたのは、小刀だった。
(っ、〜足癖も悪ければ、手癖も悪いってか!?)
その間にも距離を詰められる。こちらが反撃に移れないような巧みな動き。
先ほどの剣舞のように、決められた動きではなく、変則的なのに。
それでも、どうしてだか踊っているようだった。
琉賀は剣を下に向けると、一瞬動きを止めた。すうっと息を止める。
詠玪はその隙を逃さず、剣を振るった。
――――――剣がその持ち手から離れた場所に落ちる。その剣の持ち主は、詠玪だった。
詠玪は乱れた息を整えながら無邪気な笑顔を浮かべた。それを詠玪の首元にぴったりと刃を添えていた琉賀はたじろぐ。
大人びてた表情しか見た事がなかったから。こんな子どものような、笑顔をするとは思わなかったから。
「だ、大丈夫か?どこか、怪我をしたのか?」
頭を打ったのでは!?とおろおろする彼を見て、詠玪は少しむっとした。―――失礼な。
「―――双方そこまで、じゃのう。勝者琉賀か!」
審判の気の抜けるような声で告げられた結果に異論の余地もなく。二人は和解の礼をする。
「―――――で、詠玪。琉賀はどうじゃ?」
かいた汗を丹邑に渡された布で拭っていた琉賀はぎょっとする。
(何故本人の前で聞く!?)
「………はい、凄くお強いですね。流石、焔碍師匠が見込まれた方です」
「そうじゃろう。そうじゃろう。では、どうだ?琉賀をお主の護衛として雇わぬか?」
素直に褒める詠玪に、焔碍は何度も頷く。
(なんであんたが褒められたみたいになってる!しかも、唐突すぎないか!?)
決定権を委ねられた詠玪は、竹筒で喉を潤しながら一拍おくと、琉賀に目を向けた。
「―――私は、琉賀様が護衛官になってくれたら嬉しいです。が、琉賀様はお心が決まってないご様子。……………なので、選択をするのは私ではなく琉賀様かと」