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 詠玪(エイリン)には日課がある。その一つが、武の稽古だ。『一日怠ると、勘を取り戻すまでに三日はかかる』という師より教えにより、欠かすことをしなかった。


 詠玪は、麻織物で作れらた動きやすい軽装を身にまとっていた。袖口も絞られており、装飾もなく、平民様な出で立ち。

 それでも、その所作と身のこなしで、彼女が高貴な出であることはすぐさま分かってしまうだろう。

 一つに結い上げられた黒髪が詠玪の動作に伴って揺れ動く。

 剣を真っ直ぐ構え、振り下ろす。

 単調な一連の流れを飽きもせずに、黙々と詠玪は続けた。

 素振りを二百回超えても乱れを見せない息。

 幾分かで満足いったのか、少し休憩と端に移動して剣を置く。

 予め用意していた水を飲みながら、額に手の甲を当てて汗を拭う。暑い。


 例年より暑い夏は、その猛威を容赦なく振るっていた。

 医薬舎や役人からの注意喚起と、詠玪の提案した策が見事に功を奏して、熱中症患者は落ち着きをみせていた。

 だが、それはほんの一部。それに、暑さの影響でこれからの収穫が落ち込むことが予想されていた。


 何も持っていない自分の片手をみる。

 ()()()よりも少し大きくなった手を握り締めながら、目を閉じた。まだ、この手が届く範囲は狭い。けれど――――。

 過去にとらわれそうになる自身を振り払って、乱れた精神を整えるためにゆっくりと息を吐く。

 呼吸というのは、吐くのを意識すればいい。深く息を吐くことによって、自ずと吸うのも同じになる。

 体内に巡る空気に意識を向けると、早くなっていた鼓動と気が付いたことがあって、思わず苦笑した。だから、か。


(……王子とのお見合い話は衝撃だったみたいね。)


 貴族の女子として生まれた身として、政略結婚については誰に言われることなく、覚悟を決めていた。

 元より、それが使える手段であったのなら、迷わず手札をきっただろし、自分から進言した。今回と同じように。

 けれど、黒家の血を継いだ者にとって、他の貴族とはまた違う意味で、王族は特別なのだ。――――――そのせいか、五色家の中で、黒家の者が王家に召し上げられた例は数える程しかいない。



 本当は誰かを捕まえて稽古をつけて貰おうと思っていたが、やめた。

 水筒を乱雑に置いた代わりに模擬刀を手にとり、中央へ足を進めて剣を構えると、彼女の周りの時間が止まった。

 開かれた静穏な眼は、ただ全てを呑み込んでいた。


 誰かに捧げるためではなく、自分と向き合うために――――――――――――彼女は舞う。


 矛先が天を、足先が地を描く。

 複雑な動きを、そうとは感じさせない軽やかさ。

 ともすれば、笛や二胡の音が聴こえてきそうなぐらいに、幻想的な舞。


 優美で、静かな剣舞。













「っ―――、誰⁉」

 ――――剣が、舞手から離れて、木に突き刺さった。





 剣舞は珍しかった。女性の身では、剣は重すぎたし、()()()()()を出すにはやはり不釣り合いだ。どうしたって、剣は武器として認識されてしまう。

 だから、不覚をとった。

 本当は自身が今までみた中で、初めて綺麗だと思ったからだ。

 衣も己の方が良い物で、化粧気もない自分よりも年下と思われる少女。

 けれど、そんなのは些細なことと言わんばかりに、目を奪われたのだ。

 そんな自分にも驚いたが、それは彼女の正確無比な投擲によって塗り替えられた。





 一方、詠玪もいくら自分が集中していたからといって、近くまで来ていた存在に今まで気が付かなかったことに歯噛みしたかった。

 自分のすぐ近くに武器が投げられたのに、動揺すら露わにしない男は知らない顔で、手練れ。

 ――――――この時詠玪はうっかり失念していた。この場まで来たということは、大丈夫であるということを。ここは腐っても貴族の邸で、邸を、主君を護る者達がそれなりにいるということを。


 少女が警戒した様を察して、声をかけようと少年は一歩踏み出そうとした足を止める。濃密な殺気が肌をさした。目の前の少女からではなく、全方位から。

 これは不用意に動けば怪我をする羽目になると、悩んでいると。


「ここにいたか、琉賀(リュウガ)!」


 大きい声がここまで聞こえると、張り詰めた空気が瞬時に霧散する。

 助かったと思ったが、そもそもの元凶が彼であることを思い出して眉間に皺がよった。―――感謝する必要はなし。


「……っ、何も、言わずに、置いて行ったのは、あんただろうがっ⁉」

「いやーすまんのう。先ぶれを出すのをすっかり忘れていたからなぁ、先に言っておかんと思ってのう」

「~っ明らかに、いま!言っても遅いだろうがっ‼」


 うっかり、うっかりと笑っている老人に対して、怒りや羞恥で肩を震わせる少年、琉賀。


「―――先触れはいつものことだから、いいのですが。さすがに、初めて来た方をこの邸に一人きりにするのは可哀そうですよ?」


 すっかりと毒気を抜かれてしまった詠玪は、少年を労わるような目を向けた。

 いつものことながら彼の御仁というか、血筋の者というか、彼らはまるで嵐ようだ。


「おー久しいのう、詠玪」


 元々気が付いてだろう男は驚くことのないまま、彼女に向けて手を上げる。悪びれもない男の様子に、詠玪は滅多に見せない笑顔を浮かべる。

 それを何気なく目にしてしまった琉賀は息を止めた。


「お久しぶりです……焔碍(エンガイ)師匠」


 この男こそ、明光国内外でその名を轟かせた名将にして、名門五色家の一つ赤家の前当主、赤 焔碍(セキ エンガイ)

 詠玪に剣技を叩き込んだ人物である。




 ***




 旅装をほどいた二人が食事をしていないことを聞きつけ、少し早い昼餉にすることになった。

 前菜から次々に運ばれてくる。

 主菜はもう少し時間がかかるだろうが、予定にない客だったにも関わらず、すぐさま準備を整えられたのは、黒家の庖丁人(りょうりにん)が優秀な証拠である。

 卓についた二人には、詠玪の手自ら冷えた飲み物が出された。透明ではなく、すこし濁った色に琉賀は躊躇う。

 その横では、『変な色をしているなー』などと言いながら、焔碍が丁度飲み干していた所だった。

(変だと思うのなら、なぜ躊躇しない⁉)


「詠玪、これは旨いな~‼お代わりはあるか?」

「はい、何杯でもどうぞ。……琉賀様も、よろしければ。変なものは入れてませんので」


 ありえないといった様子で三杯目を飲み終えた焔碍を見る琉賀に、詠玪は勧める。貴族の姫からの名指し。逃げ道を塞がれた琉賀は、えいままよと、杯を空にした。目を瞑ってしまったのは、ご愛敬だろう。


「…………美味しい」

「お口に合ったなら良かったです」


 思わずと呟いてしまった言葉に、詠玪はにこやかに笑う。座りが悪くなった少年は、詠玪の差し出された手の平に、茶器を預けるのだった。


「お二人とも、随分汗をかかれた様子ですので、塩と蜂蜜を使用したものを用意いたしました」

「……塩と蜂蜜、以外にもありますよね?」

「はい、でも中身は秘密です。熱中症対策にと、医薬舎の方々と作成した飲み物なんです。――――師匠の無理に付き合わされたのでしょう?」


 後半は声を潜めて、困ったように首を傾けた詠玪に琉賀は、目を横に逸らした。

 確かに、ほぼ休憩なし。(休めたとしても、野宿‼)今日までの馬旅を水に流せるほど自分は穏やかな気性ではなかったが。

 それでも今までのやり取りで彼女が、この爺を尊敬しているのかが伝わってきていた。――――小さなお姫様に気を使われる身分ではないのだ、自分は。

 その様々な思いを含んだの曖昧な態度は、肯定をしているようなもので、今度こそ、詠玪は口元を緩めた。


「詠玪、これは何だ?」

「そちらは、右から肉まん、野菜まん……」


 あれやこれやと詠玪は世話を焼いた。本来その役目を担う侍女たちには、この予期せぬ顔ぶれの滞在する室を整えるように言ってある。

 これまで碌な休みすらとらず、半ば無理を通して馬を走らせてきた彼らは、久しぶりの美味しい料理の数々に舌鼓をうつ。

 家令である丹邑(タンオウ)は、腹を空かせた男どものために、厨を行ったり来たり。

 その間にも、焔碍に小言を言うのを忘れなかった。今、指示を仰げる主は詠玪しかいなかった。

 お嬢様が否と言えば、叩き出せたのだが、師匠と慕っている焔碍にそんな真似を彼女が出来るわけもなし。

 丹邑は仕方なく招ねいてない客をもてなすのであった。



「ところで、どうしてこちらに?」

 全ての料理を残さず、食べきった彼らに暖かい茶を渡しながら、問いかける。

 ほくほくと茶で喉を潤していた焔碍は、詠玪の言葉にぽんと手を打つ。


「おお。本題を忘れてしまうところじゃった!詠玪、お主専属の使用人がいないじゃろ?」

「ええ、いませんが……」

「うむ。これから必要な事態になってくるだろうと思ってなぁ。贈り物じゃ」


 琉賀は嫌な予感がした。


「この、琉賀じゃ。儂に及ばないまでも腕も立つし、頭もそれなりじゃ。ぴったし、じゃろ?」

 名案、名案と頷いて片目をつぶったお茶目な老人に、琉賀の堪忍袋の緒が切れた。

「~~っ、おい、俺は何も、知らないぞ!?なにが、ぴったしだ!!そんなことやって可愛いのは、子どもか女人だけって、いい加減気づけ!くそ爺っ!!」

「くそ爺とはなんじゃ!こんの、くそがき」


 被っていた猫が遥か彼方に飛んで行った。

 程度の低い口喧嘩に、丹邑の眉間に皺がよる。

 わちゃわちゃしている彼らの横で、詠玪は手早く皿を片付けていた。……そこまでの分別はあると思うが、念のため。深いため息を隠しもしない丹邑も詠玪を手伝うのだった。





 ようやく、罵り合いがひと段落ついたころには、詠玪は座って茶器を傾けていた。

「…………すまんかった」

「…………すみませんでした」

「いえ、お気になさらず」

 無言の圧力がのしかかり二人は素直に謝罪した。

 内心を覆い隠した素晴らしい模範的笑顔を向けられて、こそこそとつっつきあう。

「「…………」」

 いつもながら、女子は強い。昔はあんなに可愛かったのに。内心涙を拭った老人は、一人咳払いして、居住まいを正す。

「おほん。…………実は、儂ものう、先だって城に赴いたのよ。そん時にお主に誰も、護衛がいないことに気づいてのう。どうしたってこれから、お主には必要じゃろうと思ってなぁ」

 弟子のために一肌脱いだのだと語る師匠に思わず目を細めた。赤の状況を考えれば、王からの誘いにのれたのは、彼しかいないのだと気付き、自ずと悟る。―――心配を掛けてしまったようだ。


「何を言ってるんだくそ爺!もう専属の護衛なんて、山ほどいるだろうが!?」

「詠玪にはいないぞ?一人もな」



「はっ?…………いない?」


「いないのぅ」

「いませんね」

「…………一人も?」


 何故か本人ではなく、周りが頷く中、琉賀は顎を落とした。聞き間違えじゃないようだ。

 ――――普通に考えて、貴族の令嬢(名門中の名門)が一人もいないなんて、珍事としかいえない。しかも、何故その異常時に周りは落ち着き払っていられのか。


「琉賀、お主はいーっつも、さっさと赤州から出ていきたいと言っていだろう?ただ、一人で放り出すのはまだ心配じゃ。そんなところに、丁度よい機会に恵まれたと思ってのう」

「違うわ!あんたの、お守りから解放されたいんだよ!?」

「何を言うておる!!保護者は儂じゃぞ!?」

「そんなの書面上だけだろうがっ!?」


 心からの叫びのような嘆きをあげる琉賀に、丹邑と詠玪は顔を見合わせた。…………十中八九、彼の言い分が正しい。

 焔碍を知っている者なら、どちらが迷惑を被っているかなんて、情けないことに直ぐ解ってしまう。


「……師匠、琉賀様?琉賀様が黒州に着ていただくことは構いませんよ?私の護衛とは言わず、客人として招くことはなんら、黒家として問題ありません」

「いやー、こやつはこんななりでも強いからのぅ。宝の持ち腐れなんてもったいない、もったいない」

「ですが、琉賀様は乗り気ではないのに無理強いよくありません」


 何だかほろりときた琉賀。ここまで、自分の意思なんて二の次三の次で振り回された身には、優しさがしみいるようだ。

 琉賀としては誰かに仕えるなんて、考えもしなかったし、そんなつもりも全くない。

 ただ、護られる姫の身でありながら彼女には、どうして誰もいないのかが少し気になった。


「まぁ、そこら辺は本人の意思を尊重するがのぅ。…………詠玪や。お主だけでは、これからはきついじゃろうて。それにこれからは、護られることも覚えなければならん」


 詠玪は口を閉ざして、目を瞑る。

 師匠や丹邑を筆頭とした使用人たちが、気にかけてくれた心遣いを無下にするほど、彼女は子どもではなかった。

 それでも、一つだけ。詠玪にはどうしても譲れないものがある。





「…………琉賀様」

「っ、なんでしょう?」


 脈略もなく呼びかけられて驚いたにも関わらず、自称保護者に対する言葉遣いとは違って、丁寧な言葉遣いになってしまったのは、年の離れた妹がいた名残だろう。


「お疲れのところに、大変恐れ入りますがお願いがございます」

「お願い、とは?」


 唐突なことを言われて、思わず言葉を繰り返した琉賀に向けられるのは、力強い光を秘めた目。

 先程まで、浮かべていた迷子のような表情は微塵も感じさせない、覚悟を決めた顔。

 どうしてなんてこと、分かるわけないのに気になってしまったのだ。

 だから、珍しく興味惹かれた詠玪の突拍子もない願いを叶えることにしたのかもしれない。





 ――――――今思えば、この時には、決めていたのかもしれない。これから先、詠玪を唯一の主と仰ぐことを。





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