三
家令からの内々の知らせに、黒邸の使用人たちは、右往左往していた。
実は、黒家の本邸に仕える者の数は、貴族にしては珍しい程に少ない。
明光国は、実力主義国家としても有名だった。誰にでもその門が開かれるように、歴代の王と同じく現王耀統も力を尽くしていた。が、しかし国の隅々、全てまでは難しい部分があった。
例えば、王族の身の回りを世話する者。
彼らは、知識・教養・容姿・礼儀作法などなど。多岐にわたる分野を網羅しなければならない。何より、身元の確かなものでなければ、初めの時点で落とされてしまう。言ってしまえば、他国から流れついた者や、庶民には難しい職であった。
また、上記を考慮しても、王族に近づける滅多にない機会。可能性として、王から見初められる確率が高くなるのだ。それ故に、貴族の中でも人気な職の一つであった。
そのため、中々に狭き門であるのが実情である。
されど、五色家は使用人の募集に関し、特に出自を問わないとしていた。何より、名門中の名門五色家に仕えた経歴の持ち主ならば、この先は不自由しないことが確定していた。―――待遇面は勿論のこと、能力が見合ったものならば他家、もっといえば王家へにも。推薦状を当主自らしたためてもらえる。中々に素晴らしく、理想的な職場であった。
ただ、五色の家にはそれぞれ特質があり、仕えるものにもそれは適用されたため、どうしても適正が分かれてしまいがちではあった。
そんな中、黒家は本人の性質というのを重視していなかった。――――五色の中で、彼らだけが家ではなく、黒を持つ身にのみ関係があったためだろう。
本人の向き不向きはあるが、希望には出来うる限り添えるようと、広く門戸が開かれていた。
…………筈だった。
実際は、希望者は数多くいるが、脱落者も多いのが現状である。
一つ、主至上主義者の愛のある指導(ほぼ、主君への愛!!)で、躓く。
二つ、自分よりも上手く出来てしまう主たちに、自信喪失。
三つ、突拍子もなさすぎる言動と行動に、心身ともに大打撃。
この三つのお陰で、新しい使用人が入っては辞めてを繰り返していた。
これが、今いる(生き残った!)使用人たちが精鋭とならざるおえなかった思わず涙が浮かんでしまう、切ない理由であった。
補足として。主としては、岑廼も、詠玪も、自分のことや、それ以外にも動けてしまうので、殆ど手がかからない。―――手を焼くとすれば、一人で勝手にどこかへ行ってしまうことや、気の向くままに動いてしまうこと。
また、理不尽なことは言わない。ーーーー無茶は言うし、無理を平気でやらかす。
………………と、まあどこに基準を置くかにも寄るが、慣れれば彼ら以上に仕えやすい貴族もいないだろう。(……………慣れる前までに、その胃と寿命と堪忍袋の緒が持つかは別の問題。)
それは横に置いておくとして。
今、そんな黒家の優秀な家人たちを取りまとめるそれぞれの代表者は、頭を抱えていた。
なぜなら、詠玪専属の者が今現在いなかったためだ。大問題である。
なんせ、今まで通りであれば良かったかもしれないが、これからは違う。
それなのにも関わらず、適任者は不在。内々と知らせられた以上、大々的に募集をかける訳にもいかない。
八方塞がりで、お手上げ状態。
そんな奔走する彼らの傍ら、こと張本人である詠玪は、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
あんまりにも変化がなさすぎて、もしやこの先の大事を忘れているのではと思われるがそうではなく。
岑廼の話から、十日を経たが音沙汰はなし。忙しいのもあるだろうが、の婚約話を秘密裏に進めて置きたいのだろう。正式な発表をするその時までは。
と、その時まで幾らかの猶予を悟り、今やるべき事をこんこんと進める有能さを遺憾なく発揮していた。
(顔合わせの日取りも決まってないのに。慌ててもね。)
…………ただ単に、彼女が自由人なだけとも言える。
***
陽射しが容赦なく降り注ぎ、人は暑さに辟易し、草木もしんなりと萎れている。
そんな中、風をきる速さで駆け抜ける騎馬があった。
見るものが見れば、その腕前に舌を巻いたことだろう。
「いやー、暑いの~」
前を行く、がっしりとした躰を持った人物が後ろを振り返えった。陽射し除けに遮られていたため見えなかったが、この灼熱の太陽にも負けない笑顔が浮かべられていたことだろう。
それぐらいはわかる時を重ねていた、小柄な人物はいやそうな雰囲気を醸し出していた。
細かいことを気にしない男は、それ以上何も言わずに片手で手綱を操ると、顔から滴り落ちる汗を腕で乱雑に顔を拭った。
それを見て、仕方がなさそうに馬の速度を上げると、男の横にぴたっと並ぶ。おやっと思った男は投げ渡されたものを受け取って、口が綻んだ。
「おぉ~!気がきくの〜」
「……だから言っただろうが。街に寄ろうと」
怒りが込められた低い少年の声が落とされた。
実はつい先ほど、街を通ったときのこと。
この猛暑の中、無理するのは得策ではないと思い、その村で休憩をとることを提案したのだが、男は『問題なし』と言ってそのまま通り過ぎたのだ。
けれども、この暑さでは、喉が渇き、水を口にする頻度も増えるというもの。男の竹の筒の中身はいつしか空になってしまった。
それでも彼は『問題なし!』とのたまわっていたが、一応見た目だけ見れば年を重ねたご老体。
倒れられたら介抱するのは、旅路を共にする少年になる。致し方なく、彼は自分の水を投げ渡したのだった。
少年はずっとこんな感じで、彼の面倒を見ていた。年齢差からいって、立場が逆と言わざるおえないが。
少年の生来の面倒見の良さが、発揮された形となった。
だが、これまでの旅路を含め、振り回されて過ごした日々を振り返ってしまった。―――というか、この旅の目的もそもそも知らされておらず。
突如、『今日の晩御飯は~』と言ったかるーい感じで、有無を言わさず連れられたのだ。
少年は我慢の限界だった。
「~っ、そろそろなんで、ここまで!連れてきたのか、さっさと言え‼この、暴走爺‼」
「なっ、暴走爺とはなんじゃ‼こんの、くそがきが‼」
「くそがき言うな、老いぼれじじい‼はん。身内にも言われているだろうが、暴走ばかりだって」
「な、なんじゃと‼」
二人の馬の速さはこの言い合いの中でも、衰えなかった。
馬たちが心なしかげんなりした様子で先へ進んでいく。
ふいに、潮の香りが鼻を擽った。
同時に口を閉ざした彼らは、案外似たもの同士なのかもしれない。
「ふむ。さすがだのぅ」
のんびりと顎に手をあてて呟く男を見て、少年は目を眇めた。老人が何に対してそのように思ったか。それは分からなかったが、少年はこれまでの旅路に思いを馳せた。
(この国は栄えている。ーーーーだがやはり、五色家の地は別格に感じるのは、何故だ?)
少年は、ここと、あと一つしか、五色家が治める地を見たことがなかったが、他とは全く違うのだ。
何が、と明確に言われると困るのだが。感覚全てで、そう感じとっていた。
「さぁて、もうひと踏ん張りじゃ」
疲れを微塵も感じさせない年寄りに、少年はため息をついて続くのであった。
二人が目指す先には黒一族が建国当時より治める土地、黒州の 州都、九重がある。
彼らの目的地はもう目の前だった。