一
話は、王位継承権第一位の陽隼生誕まで遡る。
明光国の主、耀統国王とその正妃であった、麗麗王后の間には、子が一人のみであった。
第一子、陽隼の生誕祭が、五回を過ぎた頃には、周りの声が日に日に大きくなっていった。
未だ現王の子は、陽隼ただ一人。王后に再びの懐妊の兆しはない。
皆が危惧した。
それならばと、己の娘を側室へと、王に進言する者も多く現れた。
王の妻が、麗麗のみだったのも要因だろう。―――娘を持つ者であれば、この機会を見逃す手はない。
明光国には、後宮が存在する。他国とは異なり、王が複数の女性を娶ることになんら、問題はなかった。―――彼女たちには階級が存在する。が、王后よりも、愛する側室の元へ足繁く通う王のことも記録に残っている。
後宮が存在する時代は、いつも思惑と愛憎が入り交じった。
先々王陛下―――耀統の祖父―――が、沢山の側室を抱えていたことは、記憶に新しい。
先々代の時代のことが理由なのか、現王は、誰が嘆願しても首を動かさなかった。例え、己が信を置いた、愛する王后自ら願われたとしても。
そんな中、沈黙を守る者がいた。
それは、国内でも、大きな力を持つ名門中の名門、五つの一族筆頭であった。
彼らは、氏に色をもつため、五色家とも呼ばれ、ほかの貴族とは一線を画する。
王族に継ぐ、五色家が何もしないため、耀統の意思を曲げることは困難を極めた。
月日が経つにつれて、王の意思の前に屈した者たちが、次期王とみなされる陽隼を、こぞって硝子細工のように、扱いだしたのも仕方がないことだったと言えよう。
現王が、否と申すなら次世代へと、まだ幼少の砌であった陽隼へと期待をよせたのは、やりすぎであったが。
陽隼が年を重ねるに毎に、水面下の争いが浮上してきた。
険悪な雰囲気と、ひりつくような貴族間のやりとりは、政にまで影響した。
事態を鑑みて、王と五色家はやっとその重い腰をあげるのであった。
「皆、余程、先のことばかり気にかかるようだ」
「―――恐れながら、 不安なのでしょう」
嘲笑していた耀統は、柔らかな声の持ち主に目を向ける。
白家の当主である、白 溟清である。白を冠する者は、土地柄か、一族の特性からか、穏やかな風貌と気性の持ち主が多かった。
いつもと変わらぬ笑顔を向けられた王は、彼の言葉を口の中で転がす。
「だが、これ以上はまずいと思われますが」
「……幼き、……身では、……負担が、大きい、と」
「しかし、そろそろ捌けるようになっていただかなくては」
「儂は、逃げるぞ?なんせ、あの勢いだ」
思いも思いの発言の中、きっぱりと敵前逃亡もやむなしと語ったのは、その武勇は数しれず、武官を目指すものにとっては、神にも等しい存在。
赤の氏を持つ老将であった。
そんな武将の言を受けて、場は静まりかえる。
静寂の中、王のため息は思いの外、響いた。
誰もが、耀統を注視した。
一癖二癖どころか、くせものしかいない、五色家。
その特質上、五色家は貴族の中でも特別だった彼らが、簡単に膝をつくことは無い。例え、王相手でも。
事実、彼らに認められなかった王もいた中で、五色家を動かせた耀統は、まぎれもない名君であった。
「……それほどまでに、時間がありやまっているとは羨ましい限りよ」
羨ましいとは絶対に思っていない耀統の皮肉に、そっと視線を逸らす者と乾いた笑顔を浮かべる者とに分かれた。
国王は勿論のこと、要職につき、広大な領土も持つ大貴族の彼らは、それなりに忙しい。この密議も、日程と時間を合わせるのに一苦労して、何とか作ったのだ。
ようは、『手を煩わせるな。さっさと仕事しろ』と、愚か共の尻を叩きたい気分だったのだ。
これだと、城内にいる貴族は無能の集まりと捉えられるかもしれないが、きちんと仕事を片付けた後、そっと伺いに来る者もいた。
そちらの方が、純粋な心配を多く占めている―――自身の利益でなく、国のことを真剣に思っている―――分、無下にできないため、厄介ではあったが。
現状、王族の数が歴代の中でも少ないのは、確かに問題であった。
が、王族が多ければ良いというものではない。王座はただ一つ。
その座を巡り、国が荒れたのは、耀統の祖父の時代。
百年前のことでもないのに、都合よく忘れているのだろうか。
いつの時代もそうだが、歴史に学ばない愚か者がいることに、耀統は、眉根をよせた。
「陛下、発言をお許しいただけますか」
今までのやり取りの中でも、言葉を発さず、ただ一人黒家から赴いた、黒家当主、黒 岑廼。澄んだ瞳を向けられた王は、頷くことで許しを与えた。
「感謝いたします。現状を放置するれば、ゆくゆくは貴族同士の争いに発展しましょう。一部では、既に被害報告を受けております。……ご決断ください、陛下」
淡々と述べられた言の葉に、感情は込められてなかった。
黒家当主が、自身の考えを知っていることに気付かされた王は瞑目した。
もし、これ以上手をこまねけば、五色家の一部が、己から離れていくことにも悟った。―――黒家が領地に引きこもる事態になることは、今、何よりも避けねばならない。
総てを飲み込み、明光国の王として、迷いをすてた。
耀統は、無意識に肘掛に置いた手の力を強める。
堂々たる誰もが耳を傾けずにはいられない声が、決定を告げた。
耀統は、王なのだ。その彼が打った最善の手に皆が納得する中、赤家の老将だけが、微かに目を揺らしたのだった。
暫くして、大々的な公示があった。
王子の相手―――未来の王后―――が決まったのだ。
知らせは、様々な反応をよんだ。
民は、突如もたらされた慶事に盛り上がり。
また、貴族の中には、苦虫を噛み潰した顔をした者。
またや、胸を一時なで下ろした者もいたり。
陽隼王子の相手として選ばれたのは、家格としても血筋としても申し分のない黒家息女。
名を、黒 詠玪。
このとき、陽隼九つ、詠玪八つであった。