第二章 討伐計画(3)
【三】
美里亜は、吹き抜けにある白い手すりにもたれかかる。少し身を乗り出すようにすれば、エントランスとロビーとを隔てる扉を開けっ放しにした所から、ロビーで何が起こっているかは見ることが出来た。
飛鳥は美里亜に謝罪しようとするも、そんな態度を取られては逆効果だと感じる。ゆえに、少し離れたところにある白い丸テーブルに添えられた椅子に腰掛けた。
なぜ美里亜を助けたのか。
理由はあるが、衝動的な部分が大きい。衣鈴を失った直後である今、また目の前で、ライバルとはいえ同じ目的を持ったプレイヤーを殺させたくなかったのだ。
自分で自分に驚いてもいた。
少しの決意で、こうも変わるものなのか。美里亜も、飛鳥が会話したことに驚いているところを見ると、傍から見ても昨日とは違うらしい。
間違いなく衣鈴のお陰だった。結局美里亜の怒りを買ったものの、衣鈴が背中をちょんと後押ししてくれた気がする。
「さて……」
衣鈴に対して心の中でお礼を言いつつ、頭を切り替える。今は衣鈴や美里亜のことよりも、考えねばならない相手がいるからだ。
「『寺沢鉄地の魂を口寄せする』」
美里亜には聞こえぬよう、“霊媒師”能力を発動して目を閉じた――
『鉄地さぁん、さっき女の人と食事してなかったぁ……?』
「は!? ざけんなしてねーよ! してたとしても、どこから見てやがった!?」
そこは、こじんまりとしたアパートの一室だった。ただでさえ狭いアパートをより狭くするように、ゴミの入ったコンビニ袋が散乱している。そして、隅にある万年床で寝そべる寺沢が、スマホで通話しているところだ。
飛鳥はその寺沢の目線を通して見ているので、少し変色しつつある布団に顔をしかめる。あくまで寺沢の記憶であるので、実際に顔の変化は起こらないのだが。
『で、でもぉ……』
スマホを通して聞こえる、妙に甘ったるく挙動不審な声は、春野晴未のものだった。
「話はそれだけか!? 切るぜ!」
寺沢はスマホを投げ捨てる。飛んだ先には、一人の女が立っていた。
「待たせたな」
「別にー。っていうか鉄地、部屋汚過ぎ。早く行こうよ」
「おう」
それはどうやら、寺沢の恋人ようだ。もっともそう思っているのは相手側からだけのようで、寺沢にとっては遊び相手の一人でしかない。
寺沢は、春野とは一年程の付き合いがあるのだが、春野からストーカーのごとく行動を監視されており、ことあるごとに電話なりメールがかかってくる。
そんな春野に対し、寺沢は嫌気が差していた。遊び相手の中で、最も厄介な存在だった。しかし、それでも関係を続ける必要があった。
「さっきの電話の女って、例のストーカーでしょ?」
「そうなんだよ。だが、あいつは俺の財布だから捨てられなくてなー……つーか、捨てたら殺されそうだわ。メンヘラってやつ?」
目的地に向かいつつ、寺沢は、春野を馬鹿にして笑う。キャッシュカードだけポンと置いてくれればいいのに。何度そう思ったことか。
「殺される……っていえば、いい場所があるって聞いたけど?」
「あん?」
女がバッグから用紙を取り出す。ちょっとした旅行やアルバイトのパンフレットを出すかのようにしたが、軽さなどいっさいない文字が並んでいた。
「おまっ……なんだこれ。コロシアイ?」
「うん。うちのツレにちょっとヤバいやつがいてさー。その筋の人からもらったみたい」
「マジかよ……そんな場所に行ったら殺されやしねーか?」
「殺されるんじゃない? そういう館っぽいし」
寺沢は筋者から襲われることを危惧しての発言だったが、女から言われたもっともな話に吹き出した。そして女からパンフレットを奪い、隅から読み始める。
殺し合いゲームを行う館がある。場所は招待状を送られた人間にしか分からない。招待されるには、理由書と共に申し込みを行う必要がある。他人を殺すことで大金が得られ、世間的にはお咎めなし。そんな具合だった。
「こりゃあ……」
「鉄地?」
寺沢は、また頭から読み始める。女からの声など聞く耳なし。
招待状を得るには何やら理由書がいるらしい。関係ない、そんなものはいくらだってでっち上げられる。そこに行くのは自分ではない。誰が行くか。そんなもの、一人しかいないではないか。
「おい、今日の遊びはなしだ!」
「え? ちょ、ちょっと、もう!」
寺沢はパンフレットを握り締め、元来た道を戻る。理由書を捏造し、すぐに送らなくては。招待状を得るのはあのストーカー、春野晴未だ。
春野が館で死ねば、それでいい。万が一戻ってきてしまっても、その時は大金を手にしているはずだ。寺沢にとって、どちらも良いことしかない。
手続きは、あれよあれよと進んだ。「こんな招待状なんて来てしまったんだけどぉ……!」と春野から泣きつかれたが、知ったことではない。ただ一人ほくそ笑むだけだった。
……が。
なんの手違いか寺沢は、気付けば自分もこの館に来ていた。
目が覚めたら見知らぬ一室にいて、部屋から出てフラつけば、春野と会ってしまった。その瞬間、自分がどんな場所に来ているのか悟った。
飛鳥が思い返せば、確かに寺沢は初日に、「俺はこんな所に来るつもりなんてなかった!」と発言していた。
――飛鳥が能力を解除して目を開けると、思わずテーブルに拳を叩き付けていた。
「あいつ……!」
そうして声も出してしまえば、さしもの美里亜も、問いかけはしないがこちらを見ている。
こんな魂を見てしまえば、飛鳥はより寺沢と久龍の繋がりを強く疑う。寺沢はプレイヤーXだと。
それでなくても、殺したいと思えてしまった。女を道具としか見ていない、クソ野郎。飛鳥自身、自分はクズだと思っている。しかし寺沢は、それ以上の悪と言っていい。
こうなってくれば、復讐すべきは久龍と寺沢ではなく、寺沢だけなのではないだろうか?
久龍は、飛鳥と衣鈴が寺沢に絡まれた時に言っていた。“人助け”と。
久龍が人助けを趣味とするような人間ならば、寺沢がそれに付け込み利用しているだけの可能性もあるからだ。もちろん、実行犯たる久龍を、易々と見逃すわけにはいかないのだが。
「あら?」
飛鳥が改めて、寺沢を復讐相手だと見据えると、美里亜が小さく声をあげる。彼女はロビーを、先程より覗き込むようにしていた。飛鳥も彼女の横で同じ場所を見ることにする。
「あれは……風祭と春野……。それに寺沢……!」
風祭がこちらに向かってきて、追って寺沢と春野も二人並んで来るようだ。
一瞬こちらを狙っているのかと警戒したが、すでにここに来てから二十分程経っているため、それは今更の話だろう。
案の定、風祭はメガネを直しつつ横目でこちらを見ただけだし、寺沢と春野はこちらに興味などないように通り過ぎるだけだった。向かう先は個室だ。
風祭に関しては、単に情報収集のためにマーダータイムに参加し、どうやら何も起きないのを見て戻って来たようだ。
だが、寺沢らに関しては分からない。
同じことを美里亜も考えていたようで、飛鳥と二人して、彼らの背中を目で追うだけだ。飛鳥は春野に対し、「そんな男はやめておけ!」と言いたかった。しかし、それをするにはまだ、飛鳥の度胸は足りなかった。
「や。前を失礼しまーす少年少女! 仲が良くて妬けるよ!」
そんな時。
目の前を、いつ階段を昇ってきたのか、一人の屈託のない笑顔を浮かべた女が通過していった。
「久龍さん……!?」
「いつの間に……!?」
久龍はヒールを履いている。普通に歩けば、間違いなくコツコツという足音を残すはずなのに、いったいどんな身のこなしをすれば、飛鳥らに気付かれずに近寄ることが出来るのだろう。
このゲームで配布された特殊能力とは違う、久龍空奈自身が持つ人間としての能力といったところか。
「……あたしを狙っていたわけじゃないようね」
美里亜の身体には相当の力が入っていたのだろう。久龍が個室に入ったのを見ると、これまでで最も大きい溜息をついて、崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
「あら?」
だがその目にはすぐに力が戻り、疑問符を口にする。
「なんだ?」
「いえ……今久龍さんが入った部屋、彼女の部屋じゃないわよ?」
「何? ……今思うとあいつ、扉の前で立ち止まっていない……パスワード入力していなかったんじゃないか?」
「ええ……。それにあそこは確か……春野さんの部屋!」
「はぁ!?」
なぜ久龍が、あっさりとその部屋に入ることが出来たのか。分からない。だが飛鳥の頭には、後悔という文字が幾重にも浮かぶ。
さっき自分は、何を見ただろうか。寺沢鉄地の魂であり、彼は春野晴未が死ねばいいと思っていたではないか。そして彼と久龍が繋がっているのであれば、当然久龍は春野を狙う可能性も高い。いや、むしろ真っ先に狙って然るべしなのに。
飛鳥は走った。運動不足のせいで美里亜に抜かれたが、開けっ放しになっていた春野の部屋へ飛び込むように覗き込む。
久龍はとうに部屋の中に入った。すでに彼女の持つナイフが、春野を貫いてしまった後だろうか。
「お、お前! どうやってここに!? 部屋にはパスワードがかかっていただろうが!!」
同じく春野の部屋にいた、寺沢の叫びが響く。横には春野が、寺沢と久龍を交互に見ている。
春野は健在だった。そう、春野は健在だったのだが――
「何……?」
飛鳥は見た。ナイフの先端がどこを見ているのか。
久龍の持つナイフは、春野ではなく寺沢に向いていた。部屋の外にいる飛鳥からでは、久龍は背中しか見えない。表情は見て取れないが、笑っている気がしてならない。だがその目線は、寺沢を一点に見ているはずだ。
「よいしょっと」
久龍が場違いな掛け声と共に、床を脚で蹴った。やはり行く先は寺沢だ。
久龍と寺沢が組んでいたと思っていた飛鳥にとって、その光景は理解出来なかった。だから、廊下から一歩も動かず、ただ見ているだけ。
しかし、思った。叫びたかった。死ね、寺沢鉄地! と。
これがネットゲームなどではないことは分かっている。同時に、少し前なら絶対になかった過激な思考に、驚きもする。館に毒されたのだろうか。そうはいえど、自身の心はその一心に支配された。
飛鳥は寺沢の魂を見た。寺沢鉄地という男の人となりを知った。その効果は、ただ記憶を垣間見たというだけではないようだ。それが飛鳥自身の魂にも刻まれるように、あまりに生々しいものとなっていたらしい。
「鉄地さん、下がってぇ!」
しかし。
部屋には、狩りをする久龍、狩られようとする寺沢の他に、もう一人いる。この部屋の主たる春野が、鋭く叫ぶ。その勢いのまま、寺沢を突き飛ばしていた。
「……ふふ……久龍さぁん……あなたの狙いは……ターゲットは鉄地さんだったってことでしょぉ……? でも私を殺してしまったのだからぁ……あなたは罰則で死ぬ……。ねぇ鉄地さぁん……私……あなたの役に、立てていたかしらぁ……?」
飛鳥の目に入ったのは、久龍の背中越しに見える、崩れていく春野晴未の姿だった。
「……は?」
いったい、何が起こったというのだ。
久龍がナイフを構え、そして寺沢に向かい、寺沢が刺されたのではないのか。“肉体殺し”たる久龍に殺されれば、魂の消滅ではなく肉体の死。即ち、寺沢鉄地自身が倒れている光景が広がっているはずだった。
なのに、なぜ今立っているのは――
「……はっ! なんだか知らねーが助かったぜ晴未よぉ!?」
こんなクズでゲスな、クソ野郎なのか。
寺沢は、春野の死体を蹴りつけるような言葉を続ける。
「どうせテメェは俺が殺すつもりだったんだ、その手間が省けて助かったぜ! それに! そっちの久龍もルール上これで死ぬ……マジで役に立ってくれたわ!!」
飛鳥が気付くと、自分や美里亜以外にも野次馬が揃っていた。誰しも寺沢の発言には、良い顔はしていないようだ。
だが、寺沢の言う通りだった。
久龍は間違いなく、寺沢を狙っていた。彼を今日のターゲットとして指定していたということで、春野は決してターゲットではない。このゲームのルール上、ターゲット以外の殺しを行った場合、加害者も即、死となるのだ。それは絶対的な法律である。
飛鳥の復讐は、思いがけず果たしてしまったわけだ。飛鳥自身の手によるものではないが、多少は衣鈴も浮かばれるはずだ。久龍が死ぬきっかけを作ったのが、寺沢だというのはどうにも納得いかないのだが。
「ちょいちょい、イカついお兄さん、勘違いしたらダメだぞー?」
「……あ?」
飛鳥が、復讐の成功とその理由の狭間で複雑な想いを抱えていた時。
とうに死んでいるはずの久龍が、腰に手を当て無い胸を張って笑っていた。
「今日のターゲットがお兄さんだーなんて言ったっけ? クゥさ、お兄さん達みたいなラヴラヴカップル羨ましかったんだよねー。だからクゥがお兄さんを狙ったら、そっちの倒れたお姉さんが庇うだろうなーと思ってたんだよね!」
「な……!」
そこまで言うと久龍は、笑顔で寺沢に迫る。対して、周り全員を威嚇するような態度であったはずの寺沢は、反射的なのか本能なのか、じりじりと横に移動した後、久龍の横をすり抜けて飛び出していた。
扉の近くにいた飛鳥にぶつかり、寺沢の個室の扉にもたれかかっていたメアリーを押しのけ、すぐにそこに閉じ籠もる。
「わわ、気付けばこんなに観衆が。クゥお姉さん、人生一番のモテ期かも?」
もう一人の当事者たる久龍は、変わらずカラカラと笑うと、そこに飛鳥ら立ち尽くす人間などいないかのようにするりとすり抜け、自室に入って行った。
飛鳥はただ、床に伏して動かない春野と、春野の部屋の扉が勝手に閉じていくのを、見ていることしか出来なかった。