第一章 魂の奪い合い(1)
第一章 魂の奪い合い
【一】
「お、俺を殺しに来た!?」
鍵はしたはずだ。だから、インターフォンに応えなければ、何事もなくこの場を終えられるはず。窓がないビジネスホテルのような個室で、天崎飛鳥は一歩二歩後ずさりをした後、数回深呼吸をした。
ただインターフォンが鳴っただけだ。それなのに、扉と枠の僅かな隙間や鍵穴から、飛鳥を襲わんとする意思が漏れ出て向かってくるように感じて、さらに後ろに下がった。
だがそれも仕方ない。部屋に置かれたジェラルミンケースの中に、殺害予告にも似た招待状が入っていたのだから。
“あなた様は、殺し合いの館へ招待されました。どうか大金を手にするため、殺しを行って下さい。
あなた方は一つずつ、他人の魂を持っております。魂からは他人の記憶を感じられる。仲間にも、敵にも容易になり得るでしょう。
魂を制した者が、このゲームを制します”
窓もなく、照明もどこか薄暗い。暗さは簡単に不安に変換される。その上、自分の意志でこんな所に来た記憶はなかった。自室のPCの前で寝落ちしていたはずなのだが、なぜこんな所にいるのか分からないし、かといって部屋から出て散策しようとも思えない。
あまつさえ、伸び切っていたはずの髪がモデルよろしく整えられ、ジャージだったはずの服装が、いつの間にか白いワイシャツに黒のパンツに着替えさせられているのだ。
「何!?」
カチャリと音がする。
鍵はした。それだけは、PCゲームに溺れる引き籠りたる飛鳥は習慣的にしていた。だから間違いない。それなのに、鍵を壊したような音もなく、インターフォンを鳴らしたであろう何者かに扉を開かれてしまったのだ。
不安は恐怖に、瞬く間に絶望に。
どうやら飛鳥は、殺し合いが許されたこの館で、最初の犠牲者として狙われているらしい。
「う、うわあああああ!!」
すでに部屋の奥にいたが、さらにベッド脇で身を隠すように丸める。一般的な十九歳の男性たる飛鳥の身長では、どれだけ小さくなろうとも隠し切ることは出来なかった。
「!」
それでも頭を下に下に入れ込もうとして、目に入る。
どうやら後ずさりした拍子に、ジェラルミンケースをぶちまけていたようだ。その中身が、ベッドの下へ潜り込んでいたのだろう。必死でその黒い鉄の塊に手を伸ばした。
夢中で扉の方へ向けるが、拾った拳銃の重量のためか、ひやりとした鉄の温度のせいか、或いは飛鳥の鼓動の激しさが伝わっているのか、あまりに震えて照準が定まらない。
おかしい。こんな場所に突如来てしまったことではない。着替えさせられたことでも、侵入者が来たことでもない。飛鳥はこの館に来てすぐ、「仕方ない」と呟いたはずだ。口癖だった。
これはたぶん罰。いや、間違いなく罰だ。
殺し合いが許された場所で、自分が殺される側に回ることは分かっていた。生きる目的を失った飛鳥には、あまりに相応しい場所だと思った。それなのに、今自分が取っている行動はなんだ?
生きようとしている。何者かから狙われている自分を守ろうとするばかりか、逆に相手の命を奪おうとしているではないか。
まだ自分は、何か目的を得ようと足掻いているのか? 分からない。分かることはただ一つ。自分の指に力がこもり、握ったトリガーが引かれたということだけだ。
「ま、待ってください……!」
侵入者の声が聞こえた。高い声の女だ。ということは、初発は外したらしい。
「うわああああああ!」
狙った先など見ていないが、また指に力を入れる。
「あ、あの……」
まただ。こんな凶器など初めて扱うゆえ仕方ないかもしれないが、未だ震える手を押さえ込んで、今度はしっかりと狙わなくては。
ようやく、狙うべき、殺すべき女を見た。リボルバー式の拳銃越しに、その銃口を彼女に向かわせるために、しかと女を見た。
「あの……飛鳥さん……天崎飛鳥さん!」
「え……」
漏れたのは銃声ではなく、名前を呼ばれたことで出た、ポカンとした小さな驚きだった。
というより、先程から銃声が響いたことはあっただろうか。少なくとも二発は放ったはずだし、PCのネットゲームでさえ銃声はそれなりにうるさく聞こえるのだから、実物が無音であるはずはない。
女が一歩、踏み出した。「落ち着きました……?」と問われても、飛鳥は凝視することしか出来ない。
「私、あなたを殺しに来たわけじゃないです。というより、今の時間はそれが許されていませんから……」
飛鳥は自分の指を見る。トリガーだと思っていた場所は、ただグリップを強く握っているだけだった。どうやら狙うべき女だけでなく、自身を守る重要な武器さえもしっかりと見ていなかったようだ。
「お……落ち着いた……」
あまりに小さい、搾り出したような回答は、飛鳥が落ち着いてなどいないことを隠し切れなかった。
だが、それは恐怖ゆえではない。先程まで死神のごとく迫っていた彼女が、あまりに弱々しく見えたからだ。
小柄で童顔で、ショートカットの頭には大きな白いリボン。服装がセーラー服の所を見ると、女子中学生か女子高生ようだ。
飛鳥は、自分はこんな女を前に慌てていたのかと、恥じらいからくる落ち着きのなさを抱えていた。
「よかったです……。拳銃を向けられた時はどうしようかと思いましたが、私はあなたを信用していましたから」
「信用? なぜ? 俺達は初対面だろ?」
「あなたの魂を見たのですよ。ルールを読んでいないということですね。それなら丁度よかったです。今から下でルール説明が行われるらしいですよ。飛鳥さんを呼ぶために、私は来たのです」
飛鳥の質問に女は答えたが、答えになっているように思えなかった。魂とは何だと問う前に、彼女は続ける。
「私、井口衣鈴と言うです。高校二年です。あなたの名前を知っていたのは、ジェラルミンケースの中にリストが入っていたからですよ。このゲームに参加する、プレイヤーの方々が書かれています」
飛鳥の疑問に気付いていないのか、ペコリと頭を下げた。飛鳥ににこりと笑いかける。
飛鳥を信用していると言った衣鈴だが、飛鳥は衣鈴を信用出来るはずがない。拳銃を向けてはいないとはいえ、置いてもいない。あまりに無警戒な彼女に、逆に危機感を覚えてしまう。
「その拳銃、置いた方がいいですよ。いえ、部屋に置かなければなりません。……さぁ、ルール説明は間もなくとのことなので、急ぎましょう」
「あ、ああ……」
なのに、思わず拳銃をテーブルに置いてしまった。
脅されたわけでもないが、飛鳥にはその選択肢しかなかった。長らく引き籠っていた飛鳥にとって、他人との直接的な関わりなど久しぶりだ。
ましてそれが、女子高生相手など。衣鈴は、決して誰しも振り向くような美貌を携えているわけではない。だが、知る人ぞ知る食堂の看板娘のような、素朴なかわいさを持っていた。それだけで、飛鳥の思考を奪うのは充分だった。
「行きますよ」
ここはどこだ。なぜこんな場所に来た。衣鈴はなぜ飛鳥を信用したのか。魂とは何か。数多の疑問は留まることを知らない。しかし、くるりと背を向けた彼女に付いて行く以外、飛鳥に選択肢などなかった。
パスワード式の個室の扉を確かに施錠したことを確認した飛鳥は、やたらと長い廊下を歩く。個室内と違って窓はあるものの、すでに夜間となっているのに加え、廊下の照明は頼りなく不気味さしかない。道しるべは衣鈴だけだ。
開けた所に出ればそこはエントランスらしく、吹き抜けの大階段から、大きな観音開きの玄関が下に見えた。個室は二階にあったらしい。
一面に赤いカーペットが敷かれていて、手すりは真っ白。階段を降りて辿り着いたここロビーは、何人掛けですかと問われても、即答出来ない程の大きな長方形のテーブルが中心にあり、それ全体を覆う白いテーブルクロスに包まれる。壁にはたぶん有名な画家の絵画が所狭しとあり、天井には煌びやかなシャンデリア。個室内では分からなかったが、豪華絢爛、という言葉以外が浮かばぬ洋館だ。どこをどう見ても、プライスレスの宝庫だった。
「およ、君らで最後っかなー? ルール説明、待ちきれなかったよー」
飛鳥と衣鈴がロビーに姿を現すと、サイドテールを巻き髪にした女が声をかける。
飛鳥が遠慮がちに周りを見ると、飛鳥らやその女も含め、この場には十名の男女がいた。飛鳥同様、この場に望んで来たわけではないプレイヤーがいるのは、その自分を見ているような挙動で分かる。
むしろ、戸惑っている人間の方が多いのではないだろうか。目を覚ませば突然こんな館にいて、訳の分からぬまま、殺し合いゲームをせねばならぬ事態になっているなんて。
「それじゃー始めちゃってくださいな、ルール説明ってやつをー!」
誰にでもなく、巻き髪の女が跳ねるように軽い声をあげれば、そこにいる十名の男女の目線は自然と同じ方を向いた。
一つの壁全体を支配するような、何インチかも分からない大型のディスプレイだ。画面の右上には申し訳程度に今の時間たる二十時が表示されているが、彼らはそんなものなど気にしていない。見るのは中央に映っている、この館におけるルールである。
「……」
上から下、左から右と文字を追ってみたが、どうしたって目が滑る。目を背けたいという想いが先行して、それらを読もう、理解しようとは思えないのだ。
目を白黒とさせる飛鳥の様子に気付いたのか、「飛鳥さん」と衣鈴が小声で呼びかけた。
「ここには、見ての通り十人のプレイヤーがここにいます。今日から十日間のゲームが行わますが、今日と最終日はゲームをしませんので、実質八日間がゲーム期間です」
ディスプレイの内容を、衣鈴が解説してくれるようだ。こそりと「ルールBOOKに同じことが書いてありました」と告げられる。衣鈴が話してくれるだけで、先程まで日本語かどうかも疑わしいように思えたこの館におけるルールとやらが、突如として現実味を帯びてきた。
同時に、耳を素通りしていた周りの声も届き始め、「なんだ、同じか」と発言する者や、すでにディスプレイに目を向けていない者もいることが分かる。衣鈴以外にも、すでにルールBOOKに目を通した者がいるようだ。
「殺し合が出来るのは、“マーダータイム”と呼ばれる、毎日十二時から十八時の六時間だけです。この時間が始まるまでにロビーに集合していなければ、殺しを行うことは出来ません」
続く衣鈴の解説に、飛鳥は「あ」と誰にも聞こえない程度の声を漏らした。
衣鈴が飛鳥の部屋に来た際、「殺しに来たわけではない」と言っていた。
初日の今日は準備だけであり、かつ現在二十時をとうに回っている。
殺し合いが出来るのは、二日目以降の、十二時から十八時の間に設定されたマーダータイムという時間だけらしい。つまり今、衣鈴の意志に関係なく、殺しは許されていなかったというわけだ。
飛鳥がそれに気付いたらしいことに、にこりと反応した衣鈴は、さらに続ける。
「かといって、その時間ならどんな殺しでも許されるわけではありません。二つの条件があります」
衣鈴は人差し指を立て、一つ目の説明を行うことを示す。
「まず、毎日マーダータイムまで、つまり日付変更から十一時五十九分までに、“その日に狙うターゲット”を一人だけ指定します。その人しか殺せません」
追って、中指も立てる。
「次に、殺しに使用出来る武器についてです。自分で用意したものは使えず、あらかじめ個室に配布された、拳銃とナイフしか使えません。さらにこれらは、マーダータイム以外の時間は、必ず個室に置いておかなければ反則となってしまいます」
「この二つですね」と解説の終わりを宣言すると、飛鳥は再び「あ」と間抜けな声を出してしまった。
ここに来る前、衣鈴に「拳銃は部屋に置いた方が良い」と言われた。これもルールに則っての助言だったのだと気付いた。
「へー、ターゲット殺しを成功させりゃ、それだけで一億円獲得ってか! こりゃー真面目に働くのが馬鹿らしくなるねー。お前さんもそう思うだろ? だーっはっはっはー!」
この場に似つかわしくない豪快な笑い声が響く。少し離れた所にいるのに、耳元にいるかのような大音量だ。だぼったいジャージを着用した、ガタイの良い男だった。
「……」
彼の隣には、これまた大きな、恐らくこの十名の中で最も大きな男がいる。迷彩服に身を包み、声を発しなければ表情も変わらない。
「でも、ターゲットに指定したプレイヤー以外を殺してしまえば、加害者も死んでしまいますので、注意しないといけないです」
だっはっはと笑う男に付け足して、衣鈴は言う。衣鈴は本当に耳元でボソリと言ったので、飛鳥は思わず飛びのいてしまった。耳まで赤くなったことを、どうやら衣鈴に気付かれたようで、くすくすと笑う彼女にさらに赤面した。
そんな衣鈴と目を合わさないように、「これが、このゲームの基本的な部分でしょうか」という彼女の言葉に従って、改めてディスプレイを見た。
一.マーダータイム
・十日間の殺し合いゲームを行う。ただし、初日はルール説明のみ、最終日は結果発表のみ。
・毎日十二時にロビーに集合する。集合しなければ、殺し合いが許される“マーダータイム”に参加出来ない。
・十二時~十八時の六時間をマーダータイムとする。ターゲットを狙うことが出来るようになる。
・殺しには、配付された拳銃、ナイフ、特殊能力のみ使用が許されている。
二.ターゲットの指定及び殺しの成功と失敗
・日付変更から十一時五十九分の間に、その日に狙うターゲットを一名のみ定める。
・指定は個室のノートPCにて行う。
・ターゲットを殺害したら一億円獲得。
・ターゲット以外を殺してしまった場合、罰則で加害者も死ぬ。
・ターゲットを殺害出来なくても罰則はない。
「なんだろうな……」
目線を戻すと、意図せず言葉が漏れる。
こんな館にいきなり連れてこられて、混乱ばかりしていたはずだ。それなのに、見ているルールは、“あって当然のものだ、不思議なことではない”と思ってしまっていた。ひとたび内容を理解すれば、生まれた時から定められた法律であるかのように受け入れているようなのだ。飛鳥だけに訪れた感覚ではないようで、ディスプレイを見て頷いているプレイヤーさえいる。
しかし。
ディスプレイが次のルールに切り替わると、さすがにどよめきが広がっていた。
「ね、ねぇ……魂って何ぃ……?」
全員の気持ちを代弁したのは、白くウェーブがかった綺麗な髪を腰まで携えた、パンツスーツの女だった。挙動不審に常にきょろきょろとしている。
そもれ仕方ないと思った。飛鳥だって、そのルールを見てから同じような行動を取りかけていたからだ。
三.肉体と魂について
・プレイヤーは全員、内に“他プレイヤーの魂”を持っており、魂から記憶を読み取れる。
魂という単語は、確かに招待状にも書かれていたと思う。かといって、はいそうですかと一も二もなく受け入れられはしない。
「飛鳥さん、自分の心に意識を集中してみてください」
「心に?」
飛鳥の戸惑いに気付いたのは、やはり衣鈴だった。
「そうすれば、すぐに理解出来ると思います」
そういえば衣鈴は、飛鳥の魂を見たから信用したと言っていた。ならば、衣鈴の言う通りにするのが良いだろう。
心というものが果たしてどんなものか分からないが、大多数がそうするであろう、飛鳥も胸元に手を当てて目を瞑ってみた。
「……!」
確かに。一人のプレイヤー、この場にいる自分以外の記憶を確かに感じ取ることが出来る。
相手の人となり、思想、この館に来てしまった理由。飛鳥の内に秘めた他プレイヤーの記憶が、見るというよりダイレクトに頭に流れ込むようだった。もはや他人の記憶ではなく、過去の自分の体験なのではと錯覚した。
自分自身の脳が書き換えられてしまうような感覚に、驚いて目を開けて集中を解けば、それはパチンと消える。元の自分に戻ったようでもあった。
成程。衣鈴が自分を信用したと言った意味も理解出来る。衣鈴が持っている魂が、飛鳥のものだったのだ。
人間、敵を作るのも味方を作るのも、まずは相手のことを知るという行為が必要だ。
相手を知って、思想が合えば味方になるし、対極なら敵対する。しかしたいていの場合、そこにはある程度の時間が必要だ。
だがこの、魂を感じるという行為。そこにかかる時間の全てを凝縮している。相手の魂を見るイコール相手を知る、ということらしい。
この館において、敵も味方も、魂を通せば一瞬で決まってしまう。
「ふん……こんなものか」
周りのプレイヤーらも、同じく魂を見ていたのだろう。高そうなスーツを着込みメガネをクイとあげた、いかにもインテリでございという男が呟く。
とうに魂を見ていたらしい衣鈴は、こちらを見ている。知っているはずだ。天崎飛鳥という人間がどんな存在か。
飛鳥は、引き籠りだ。小、中、高と学業優秀で収めた彼は、当然頂点と呼ぶべき大学を受験した。中学の頃に父親を亡くし、母が一人で育ててくれた。だから勉学も、より力が入っていた。模試と呼ばれる模試、全ては全国規模で上位だった。母が、親戚が、学校が、何より飛鳥自身が、合格を信じて疑わなかった。
飛鳥は、あまりに本番に弱かった。
頭が良いと言われ、それは勉強が出来るという意味ではなく、大変によく周る頭を持っている。
しかし、片親でお金がなくて失敗出来ない。模試などと違ってたった一度しかない試験において、プレッシャーに負けてしまったのだ。センター試験程度の問題など、満点近く取れて当たり前だったのに。
片親の飛鳥に、私立大学や予備校に通う金などなかった。かといって、後期受験で幸い受かった、偏差値が平均より少し上程度の大学では、なんの希望も抱けなかった。
友人でもいれば相談出来ただろうに、勉強一本で来た飛鳥は、あまりにコミュニケーション能力が不足していた。
落ちるのは、早い。瞬く間に外に出ることを恐れ、引き籠りとなった。
勉学に費やした十二年は、もう忘れた。たった一人で自分を育ててくれた母に、どれだけ失望されたかは分からない。いや、分からなかったが、こんな館に来てしまった今なら理解出来る。天崎飛鳥は、母親に売られたのだ。
だから飛鳥は、この館に来た瞬間から諦めていた。生きることを。こんな場所に来てしまったのは全て自分のせいだ。仕方ない。
それなのに、先程衣鈴に襲われたと勘違いした際、生きようとしてしまった。
衣鈴は信用したと言ってくれた。引き籠りというのはいっさいプラス要因にはならぬだろうが、ここは殺し合いの館。戸惑っている人間も多いとはいえ、望んで来た人間がいてもおかしくない。
それと比較すれば、飛鳥の魂、即ち頭の良さと人畜無害な飛鳥の人物像を見て、信用しても良いと思ったのだろう。
こんな館で、母に捨てられてやって来てしまった殺し合いの舞台で、自分なんかにも出来ることがあるのだろうか。
「んー、なんだこりゃ」
『三.肉体と魂について』という項目は、まだ終わりではなかったらしい。いつの間にかディスプレイに表示された続きの説明に、派手な金髪ツインテールで、見る物全員が注目するだろう巨乳を持った女が、風船ガムをパチンと破裂させた。
・プレイヤーは自身の肉体に、死に至る傷を受けても死なない。代わりに内にある他プレイヤーの魂が消滅する。魂が消滅したプレイヤーは死ぬ。
・内に魂を持っていないプレイヤーが死傷する傷を受けた場合、傷を受けた本人が死ぬ。
・肉体が死んだプレイヤーの内に魂が残っている場合は、元の持ち主に帰る
「死に至る傷を受けても、魂が消えるだけで死なないってなんだよー。でも魂を持っていなかったら死ぬのは本人ってー?」
巨乳の女は、新たなガム風船を膨らませつつぼやいた。
さしもの衣鈴も、「これは私も、よく分からなくて……」と飛鳥に困り顔を向ける。こればかりは、他のルールBOOKをあらかじめ見たプレイヤー達も、疑問符しか浮かばぬようだった。
“百聞は一見に如かず”
ディスプレイが切り替わったのはその時だった。切り替わったと気付いたのは、極少数だろうが。
飛鳥の耳をつんざく、何かが弾けた音が届く。
その音の正体を探る前に、飛鳥は目を見開いた。先程ガムを噛んでいた金髪の女が、突如床に伏したからだ。赤いカーペットをより赤く染めるように、女から血液がどくどくと止め処なく流れ出す。
音の正体は間違いなく、拳銃から銃弾が放たれたものだ。誰がどこから使ったかなど分からないが、この館で使用出来るとされた武器は、拳銃とナイフのみなのだから。
「あれー、なんだこれ」
そのはずだった。
確かにそれは、全員が目撃した。間違いなく女は、胸に銃弾を受けて死亡したはずだ。それなのに、次の瞬間その女は、何事もなかったように立ち上がったではないか。
「な……! ぐぁ……」
だが全員の目は、即座に別の、一人の男に注目しただろう。
サングラスをかけて髪に剃り込みをいれた、荒れた風貌の男。
足を組んでテーブルに置き、ふんぞり返るように座っていた彼は、今や床に伏し、赤いカーペットをさらに染め上げていた。
先程金髪の女で見たはずの光景が、再度現れたのだ。今回は銃声などなかったし、そして彼は立ち上がらない。
「ちょっとちょっとー、なんなのさー」
金髪の女は、撃たれたはずの胸元をさする。彼女の大きな胸はいくらだって揺れるが、傷などどこにもない。服に穴もなければ染みた血の痕すらなかった。
飛鳥は二人を見比べた。女が受けたはずの傷が、別の男に移った。そう表現する以外見当たらない。
ところが。
「ちょ……また……」
またしても銃声が轟いたかと思えば、再び彼女は床に伏してしまった。今度は起き上がることなどなかった。
誰も、何も言葉を発しない。
突如撃たれたのに何事もなかったかのように起き上がった女。撃たれてもいないのに倒れた男。そしてまた撃たれ、今度は目覚めない女。
どこに疑問を抱き、どう問えばいいかなど分からなかった。
「え?」
そう呟いたのは誰か分からないが、大多数だろう。
指をパチンと弾いたような音がしたかと思と、カメラのフラッシュを直に浴びたように視線が遮られる。
視界が開けた時に目にしたのは、伏したはずの二人が、何事もなかったかのように立っている姿だった。とうの本人らも事態が飲み込めていないようで、右を見て左を見てを繰り返し、声すら発せない。
ご多分に漏れず、飛鳥も目をぱちくりさせるだけだ。いよいよザワめきが広がりつつあるが、コミュ障たる飛鳥は周りに混ざることなど出来なかった。
「つまり、こういうことでしょ」
コツコツと、飛鳥の後ろから足音が聞こえる。ローファーを響かせ、ブレザーを着用した、恐らくは女子高生だった。十九の飛鳥よりも、遥かに大人びて見えた。先程まで壁にもたれかかっていたが、ディスプレイの前にやってきたのだ。
ハーフアップにしつつ、腰まで伸びた長い髪が特徴的だが、飛鳥の目線は一点で固定される。
彼女の目だ。
大きくて吸い込まれそうなツリ目だが、あまりに冷たいのだ。見ているだけで、ヒヤリと周りの温度が下がったようだ。そんな彼女に口を挟めば、氷の世界に放り込まれてしまう気さえした。
一人ずつを一瞥した彼女は、腕組みをしたまま口を開く。
「AさんとBさんがいて、Aさんの内にはBさんの魂があるとする。この時、Aさんが撃たれても死なず、Aさんの内にある魂だけが消滅してしまう。消滅したのはBさんの魂であり、それにより無傷だったBさんは死んでしまった」
全員の注目を集めても、「ここでいうAが金髪の女性、Bがサングラスの男性ね」と臆さず続ける。
「すると、Aさんの内に魂はない状態となる。ここで再度Aさんが撃たれれば、消滅すべき魂をすでに失っているのだから、Aさん自身の肉体が死ぬ。だから殺された時、①内にある魂の消滅と他人の死、②本人の死、という順で起こる……こういうことでしょ」
そうして、言い終わるが早いか彼女は踵を返して元いた壁に戻る。言いたいことは言いました、後はご勝手にとでも言うように闊歩する。誰からの質問も受け付けませんと、その目に書いてあった。
誰もが、発生した事態と氷のような女のせいでポカンとしている。
それなのに、先程までクエスチョンマークを浮かべるばかりだった“魂”に関するルールについて、すでにそれが当たり前のように感じてしまってもいた。言っていることについて理解すれば、脳内に刻み付けられているのではないだろうか。
「あ、飛鳥さん。またルールが切り替わりましたよ。次は特殊能力についてですね」
やっと声を出したのは衣鈴だった。飛鳥は背中をチョンと突かれ、ゾクリとビクリを同時に感じた。
四.特殊能力について
・プレイヤーは、それぞれ特殊な能力を一つ与えられる。どれを持つかはランダムで、重複はない。
・能力は十種類。それぞれ発動には条件がある。
・自分以外の能力が誰のものか分かっておらず、その効力も分からない。
・能力名は以下。
①絶対服従 ②能力把握 ③魂把握 ④状況把握 ⑤武器携帯可能
⑥鍵師 ⑦霊媒師 ⑧肉体殺し ⑨仲間化 ⑩能力拝借
「へぇ……」
本来なら、なんだこれは、意味が分からない、そんなものなどあるはずない。そんな声が溢れて然るべしだったが、飛鳥が呟いた程度しか起こらない。先程の肉体の死、魂の消滅を見たばかりでは、もはや驚く要因にはなり得なかった。
とうに特殊能力は存在するものだと頭が認識し、マーダータイム内で殺しに使用出来るのは、ナイフ、拳銃とこの特殊能力のはずだということまで、すんなりと入ってきた。
さらに飛鳥は、一つの能力名を注視し、納得出来た部分もあった。なぜ衣鈴が、鍵をしかと閉めたはずの飛鳥の部屋に、易々と侵入出来たのか。
ちらりと衣鈴を見ると、にこりと返してくれた。どうやら間違いないらしい。
このルールを表示しているのであろう館側も、全員がさして先程のスライドに興味がないことを分かっているのだろう。すぐに次に切り替わる。
「部屋にあったルールBOOKの通りなら、これが最後のルールです。これまでの話の中でも少し出ていましたが、ゲームの中で行ってはいけない、罰則行為についてです」
五.罰則となる行動について
・マーダータイム以外で、拳銃やナイフの携帯をすること。それらはマーダータイム以外自室に置かなければならない。これを破った場合、当日及び翌日のターゲット指定が出来ず、特殊能力が使用不可能となる。
・自殺すること。これを破った場合、内なる魂の消滅ではなく自殺者本人が死ぬ。
・マーダータイム以外及びマーダータイム不参加で殺しを行うこと。これを破った場合、加害者も死ぬ。
・ナイフ、拳銃、特殊能力以外を使用した殺しを行うこと。これを破った場合、加害者も死ぬ。
・館から出ること。出た瞬間、そのプレイヤーは死ぬ。
これまでの総まとめのようであり、特に疑問を感じることはなかった。
「とにかく、ターゲット指定をして、決まった武器、決まった時間でなければ殺しは出来ないってことか……」
だから自然と、飛鳥は呟く。同時に、ハッとなった。
雰囲気に飲まれ、あたかも自分も殺しをして賞金を得たいかのような発言をしてしまった。
だから自分は、全てを諦めたのではなかったのか! そんな疑問をまた浮かべる。
だが、飛鳥だけではないようだ。
他プレイヤーを見れば、戸惑いばかりだった者だったはずが、やはり誰だって、ルールはさも当たり前のものであるかのように見ている。
先程の銃撃と死を見て、どこか遠いものだったはずの死を間近で感じてしまったからだろうか。
「……もう、仕方ないか」
気付いて、飛鳥は口癖を漏らす。やはり自分は、生きようとしていた。それは、もはや否定の余地はなかった。
「ルールBOOKにのおさらいみたいでしたが……やっぱり先程の、撃たれたはずが撃たれていなくて、撃たれていないはずが撃たれていて……という状況だけは、今でも信じられませんね……」
衣鈴は首を傾げる。
人間の死、しかも銃撃による死。あまりに悲惨で本来なら普通にしていられない状況のはずだ。
それでも飛鳥も衣鈴も、他のプレイヤーだって、悲惨さ以上に不可思議な現象が理解し難いという想いが勝ったのだろう。取り乱すことなどなかった。
それに結局、死んだように見えた二人は、生きているのだから。
「ルールBOOKの中で、そこが最も理解しにくい部分だった。だからこの殺し合いなんてゲームを運営する側も、そこだけは実際に見せてやろうと、ルール説明なんてやっているのだろう」
「そういうことかもしれないですね」
衣鈴は、頭につけた大きなリボンを揺らし、うんうんと何度か頷いた。
そういえば、と、飛鳥はまた一つ疑問を思い出した。
自分は、これまで友人らしい友人なんていなかった。かつては教科書や問題集が、今はPCが、唯一の友だった。だから他人と話すなんて苦手なのだと思い込んでいたが、衣鈴とは自然と話している。
衣鈴は飛鳥の魂を持っているらしいが、飛鳥は衣鈴の魂を持っているわけではない。衣鈴のことは知らない。
衣鈴に対する正直な感想が、かわいい子、だからだろうか。男の性に従ったということだ。或いは他の理由かと模索したが、今は分からなかった。
「それじゃ」
ルール説明が一通り終わり、しばし流れた静寂。それを破ったのは、壁にもたれて冷気を放っているような女子高生だった。
彼女は、その役目を果たせるのか疑わしい程短いスカートを翻し、ロビーを去っていく。個室に向かうのだろう。
それを合図に、全員同じ方向へ向かう。
「……」
そんな中、飛鳥だけは歩みを進めなかった。他のプレイヤー達の背中を眺めて、「なぜだ」と呟く。
当初は混乱ばかりだったはず。ルールも本来なら、意味不明なものだったはず。不思議と頭に刻み込まれたが、それでも腑に落ちない部分があった。
「どうしたのですか?」
衣鈴が振り向く。
「いや……今回は良かったが、こんなゲームだろ? 不平不満が溢れて、ボイコットする連中がいたっておかしくない。そんなことになったら、このゲームは成り立たないのに、なんで審判の一人でもいないのかと思ってな……」
いかにそれが、この館ではそれが当たり前に行われるものに思えたとしても、これまでいっさいの文句が出ていない、ということは考えにくい。そうなった場合の抑止力が存在して然るべしではないかと思ったのだ。
「……やっぱり、飛鳥さんを信用してよかったです。後でまた部屋に行くので、待っていてくださいね」
小さく手を振り応えた衣鈴は、とてとてと走っていく。恐らく、衣鈴も同じ意見だったのだろう。飛鳥は、去っていく彼女の背中から目を離すことが出来ない。
彼女が消えて振り返れば、この館における法律たる、殺し合いゲームのルールが繰り返し表示されていた。
この館で行われる殺し合いは、決して直接的な殺し合いではない。
仮に自分が死に至る傷を負っても死ぬのは自分ではなく、自分の内にある他プレイヤーだ。よって、ターゲットを定めた所で、殺す相手はその本人ではない。ターゲットの魂を持った別のプレイヤーを殺さねばならないのだ。
これがあるゆえ、飛鳥お得意の引き籠りは許されない。
飛鳥自身がなんら攻撃を受けていなくとも、飛鳥の魂を持っているという衣鈴が殺されたら、死ぬのは衣鈴ではなく飛鳥ということになるからだ。
飛鳥が受け入れていようといまいと、どうしたってこの法律には抗えないのである。
飛鳥はもう一度ディスプレイを一瞥し、自室に足を向けるのだった。
===殺し合いゲーム:ルール===
一.マーダータイム
・十日間の殺し合いゲームを行う。ただし、初日はルール説明のみ、最終日は結果発表のみ。
・毎日十二時にロビーに集合する。集合しなければ、殺し合いが許される“マーダータイム”に参加出来ない。
・十二時~十八時の六時間をマーダータイムとする。ターゲットを狙うことが出来るようになる。
・殺しには、配付された拳銃、ナイフ、特殊能力のみ使用が許されている。
二.ターゲット指定及び殺しの成功と失敗
・日付変更から十一時五十九分の間に、その日に狙うターゲットを一名のみ定める。
・指定は個室のノートPCにて行う。
・ターゲットを殺害したら一億円獲得。
・ターゲット以外を殺してしまった場合、罰則で加害者も死ぬ。
・ターゲットを殺害出来なくても罰則はない。
三.肉体と魂について
・プレイヤーは全員、内に“他プレイヤーの魂”を持っており、魂から記憶を読み取れる。
・プレイヤーは自身の肉体に、死に至る傷を受けても死なない。代わりに内にある他プレイヤーの魂が消滅する。魂が消滅したプレイヤーは死ぬ。
・内に魂を持っていないプレイヤーが死傷する傷を受けた場合、傷を受けた本人が死ぬ。
・肉体が死んだプレイヤーの内に魂が残っている場合は、元の持ち主に帰る
四.特殊能力について
・プレイヤーは、それぞれ特殊な能力を一つ与えられる。どれを持つかはランダムで、重複はない。
・能力は十種類。それぞれ発動には条件がある。
・自分以外の能力が誰のものか分かっておらず、その効力も分からない。
・能力名は以下。
①絶対服従 ②能力把握 ③魂把握 ④状況把握 ⑤武器携帯可能
⑥鍵師 ⑦霊媒師 ⑧肉体殺し ⑨仲間化 ⑩能力拝借
五.罰則となる行動について
・マーダータイム以外で、拳銃やナイフの携帯をすること。それらはマーダータイム以外自室に置かなければならない。これを破った場合、当日及び翌日のターゲット指定が出来ず、特殊能力が使用不可能となる。
・自殺すること。これを破った場合、内なる魂の消滅ではなく自殺者本人が死ぬ。
・マーダータイム以外及びマーダータイム不参加で殺しを行うこと。これを破った場合、加害者も死ぬ。
・ナイフ、拳銃、特殊能力以外を使用した殺しを行うこと。これを破った場合、加害者も死ぬ。
・館から出ること。出た瞬間、そのプレイヤーは死ぬ。