明日になれば
今日聞いた言葉を忘れるように眠りについた。
きっと明日になれば大丈夫。すっきりしているはずだ。
朝、目が覚めた。
ぼんやりとしたまま手を伸ばし、煩く響く目覚まし時計を止める。
ついでに時間を見ると、いつもの決まった時間だった。
しょぼしょぼの目で洗面台へ向かって、冷たい水で顔を洗う。
鏡を見て、はあと溜息をついた。
目がすっかり覚めてしまった。楽しいはずだった夢を少しも覚えていない。今日提出のはずのプリントは白紙のまま。
そんなことに心がざわつく。
鏡の中には何かを無くして途方にくれている顔があった。
母が用意した朝ご飯を食べながら、テレビをつけた。
ちょうど星座占いをしているところだった。
『……のバック。第六位は天秤座の貴方。今日は何もなく元気に過ごせそう。ラッキーアイテムは花柄の服。第九位は獅子座の貴方。凡ミスを繰り返して周りの人に呆れられそう。ラッキーアイテムはピンクのハンカチ。第十位は……』
第七位と第八位は時間の関係で読まれなかった。
私の星座、乙女座は何位でラッキーアイテムは何だったのだろうか。
まあ、どうでもいいことだ。
のんびりと歩いて学校へ向かう。
何か曲を聞こうと思ったが、家にイヤホンを忘れてきたので諦めた。
自動車や自転車の走る音、人の足音、鳥が鳴く声。そんな音を聞きながら歩くのもなかなかいい。
こうしていると、起きたときに感じた心のざわつきが気のせいのように思えた。
私は何も無くしていなくて、寂しさや空しさ、焦りなんて感じていない。
気分は晴れやかだった。
学校まであと少しのところで、私はある二人組を見かけた。
幸せそうな笑顔を浮かべ、繋いだ手を小さく揺らす、雰囲気が甘い男女。
片方はクラスメイトで、仲がいい女の子。
もう片方は同じ部活の同級生で、鈍臭いけど頼りになって、お人好しで優しくて、そして私がーーー
瞬間、昨日のことが頭を駆け巡った。
付き合うことになったと微笑む二人。彼の右手と彼女の左手は見えなかった。
一拍置いて、よかったねと返した声は震えてはいなかった。
でも、上手く笑えていただろうか。
私に気が付いた二人がおはようと声をかけてきた。
目の前の幸せそうな彼と彼女に息がつまった。キリキリと締め上げられて、心が悲鳴をあげて泣いている。
それを隠すように、慰めるように私は笑顔を作って挨拶を返した。
仲の良さをからかうと、二人は顔を赤くして照れて、惚気話のような言い訳を始めた。そしていつの間にかきらきらとした目で見つめ合っている。
二人だけの世界に入った彼らを置いて、私は校舎に逃げた。
今の私には辛すぎる光景だ。
しかしどんなに辛くても時間は止まらない。
決まった時間になれば動き出さなければならない。
ぼんやりとしながら板書して、時々あくびを噛み殺しながら授業を受ける。
友達と取り留めのないことを休み時間ぎりぎりまで話して、チャイムの音に慌てる。
いつも通りのことに救われた自分がいた。
放課後。帰る気力が無くて教室でぼんやりとしていると、友達が飴をくれた。
早く帰れよと言い残してその友達が出て行くと、教室には私だけになった。
はあと何度目かわからない溜息をついてのろのろと立ち上がる。
いつの間にか空は赤く染まっていた。
夕日に目を細めながら窓に近づくと、仲良く手を繋いで帰る二人を見つけた。
夕日に照らされた二人の姿は、まさしく青春そのもので、眩しくて仕方ない。
ぎゅうと胸が締め付けられた。
何かが奥からこみ上げてきて、口の中を強く噛んだが耐えられなかった。
夕日が目にしみたのだと自分に言い聞かせて、そのまま身を任せた。
できることなら彼の隣は私がよかった。
手を繋いで、目を合わせて微笑んで、一緒に歩きたかった。
こんなにも彼を思っているのに、なんでなんだろう。どうして。
好きなんだ。
行き場のない想いは重くて、苦しい。
それでも、いつものように日々は過ぎると私は知っていた。
朝、目が覚めた、その時から。
気がすむまで泣いて、夕日はもう沈んでいた。
力を抜いてゆっくりと深呼吸をすると、少し楽になった気がする。
涙をぐいっと袖で拭いて教室を出た。
廊下は人気がなかった。でも外から部活の声が聞こえて、寂しさはなかった。
暗い帰り道。友達がくれた飴を口に放り込むと、口の中にハッカ味が広がった。
びっくりして友達への怒りが湧いたが、何だか笑えてきた。
スーッとした、ハッカのきつい清涼感はあまり好きなものではなかったが、今はこれがよかったのかもしれない。
やっぱり一日では立ち直れない。
すぐに吹っ切れるような想いではなかったし、吹っ切りたくない。
人を好きになった自分を大事にしたい。
彼もあの子も大事にしたい。
だから。まだ辛いけれど、明日になってもまだ苦しいだろうけど。
とりあえず、ハッカ味の飴をくれた友達に話を聞いてもらおう。
心配かけたみたいだしね。
私、ハッカ味は嫌いなんだけど。
そう話し始めようか。