第八話 残されたもの
寸前まで奥山の声が聞こえていたドアを閉じる。
喧騒から開放されたような静寂。
元秋は気持ち悪さと悪寒が走った。
奈々は追ってドアを開けて来ない。
一人ぼっちの様な孤独感を感じて、元秋は戸口から階段の方へと歩みを進めた。
ドリンクコーナーには一人飲み物のおかわりを注いでいる惟人がいた。
後ろに人の気配を感じて振り返る。
「あれ?」
惟人は歩いている元秋に声をかけた。
振り向いた元秋の顔は青白く、体調が優れない様に見えた。
「どうした?顔色悪いけど。奈々ちゃんは?」
声をかけた。
「奈々は部屋にいます。ちょっとトイレに」
そう言いながら元秋は階段を降り始めた。
「いいのかい?放っといて。それにトイレは二階にもあるぞ」
「楽しく話してるから、大丈夫でしょ」
惟人の方を見ずに元秋は言って、手摺りに手を掛けながらどんどん下へ降りて行った。
「どうしたんだ」
惟人は独り言を言い、そこで暫く考えながら、元秋がトイレから戻って来るのを待つ事にした。
五分程経っただろうか。
徐々に違和感を感じた惟人は急ぎ階段を降りて、一階のトイレに向かった。
しかし、元秋はいなかった。
トイレはおろか、何処にも。
「あいつ、逃げたのか」
そう独り言を言うと、今度は急いで二階に向かった。
「あの、元秋君なかなか戻って来ないから。ちょっと見て来るね」
奈々はそう言って立とうとしていた。
「え、トイレでしょ?大丈夫だよ。それより手を出して。俺手相見れるんだ。奈々ちゃんの手相見てあげるから」
「でも」
奈々が何かを言うよりも早く、奥山は奈々の右手首を掴み、前に出させた。
「あっ」
奈々がビックリして声をあげる。
「大丈夫大丈夫!あっ、奈々ちゃんの手、柔らかくて温かいね」
奈々の右手の掌を両手で挟むようにして広げ、感触を確かめる様に奥山は言った。
「ぷにぷにしてる。気持ちイイ!どれどれ、手相は・・・」
しょうがないのでなすがままに、奈々は黙ってその様子を見ていた。
「あ、奈々ちゃん凄いよ!これ、H好きの線あるよ。うわ~奈々ちゃんて可愛い顔して意外と好き者なのか~」
「えっ!違うよ!そんな事ないよ!」
変な事を言われ、奈々は慌てて否定しようとした。
「ホントにそう?でも俺、奈々ちゃんの噂聞いたよ。嫌いじゃないんでしょ?」
「えっ?」
奥山がニヤニヤした顔で言った言葉は、奈々にショックを与えた。
この人は、知っていてそういう事を言って来たのか。もしかしたら私を誘ったのもそういう事なのかも知れない。そう思うと、気持ちが悲しくなって来た。
「奈々ちゃんってさ、そんな可愛い顔して、中学の時ヤリマンだったんでしょ?今の彼氏ともバンバンやってるの?俺も、奈々ちゃんの事堪らなく好きなんだ。俺も仲間に入れてよ」
「なっ、なに言ってるの!そんな事してないし!仲間とか!」
奥山の言葉に慌てて叫んで否定しながら、奈々はスッと手を引っ込めた。
しかし奥山はすかさず奈々の上に覆い被さる様にして、奈々の両腕を掴んだ。
「俺マジで奈々ちゃんの事好きだからさ~」
そう言いながら奈々の顔に自分の顔を覆い被せて来る。
ガツンッ!とぶつかる様に奈々の唇と奥山の唇がぶつかる。
奥山は更にそれを強く逃がさない様に押し付けて来る。
奈々は懸命に顔を横に逃がした。
「いやー!」
奈々は叫んだ。
「柔らかくて気持ちイイ!」
奥山は興奮した顔で言った。
次の瞬間、奥山は横から強い力で押され、床へと転げ落ちた。
二階に上がり、この部屋にやって来た惟人が、奥山の横っ腹を思い切り足で蹴ったのだ。
「なにしてる!」
惟人の顔は、怒りに満ちていた。
床に腹部を押さえ転がっている奥山を、更に惟人は革靴のつま先で蹴り続ける。
「殺すぞお前!」
奈々は怒り狂う惟人の背中を怯えながら見ていた。
ひとしきり蹴り続け、奥山が動かなくなるのを見ると、惟人は奈々の方を振り向いた。
「行くぞ」
そう言うと奈々の手首を掴んだ。
慌てて奈々はテーブルに置いていたスマホと、脇に置いてあった鞄を持った。
二人は部屋を出た。
惟人は最初に自分の友達の所へ行き、急用が出来たから帰ると言い、三千円程置いた。
それから階段を降りながら、
「佐野君が消えた」
と、奈々に伝えた。
外は、雪が降り始めていた。
つづく
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