悪役令嬢養成学科
私、ラズベリアの朝は早い。
「♪あー↑あ↑ーあ↑ーあ↓ーあー↓」
「「「「「「♪あー↑あー↑あー↑あー↓あー↓」」」」」」
先生のピアノに合わせて発声練習を行う。喉を傷めない為に、腹から声を出す。これをしっかりやらねば、声がしっかり出ないので入念に行う。
「―――――97回、98回、99回、100回、101回、102回、―――――」
腹筋を鍛えるべく、上体起こし。これもまた、しっかり声を張るためだ。更には、ドレスをコルセット無しでも着こなすためのシェイプアップとして、起き上がる際左右に捻りを加えたバージョンの上体起こしも行う。
「うぐっ」
潰れた蛙の様な声は、正に今、床に押し付けられているからだ。柔軟性を養うべく、長座体前屈。べったりと、膝に頭が付くまでやるのだ。
「ふんぬっ、ふんぬっ、ふんぬっ」
背筋も鍛える。まるで鯱のような体勢で、陸に上がった魚の様にびちびちと跳ねる。綺麗な背筋を作るために必要である。
まず、私達はこれを毎日一通り熟す。それから、その日の演技指導が行われる。
「じゃあまず、高笑いからっ。声をしっかり出して、音程をぶれさせない様にすることがポイント!」
「お―――ほっほっほっほっほ!」
「ホ―――ホッホッホッホッホ!」
基本の高笑い。これは腹から声を出さねば咽てしまうため、中々難しい。初等部の子達は、入学後はとにかくこれをやらされる。最初は慣れず、喉を潰してしまう子達も多い。
表情も大切である。見下すように笑顔を浮かべ、口に手か扇を添える。あくまで、気品を失ってはいけないのだ。
「次っ、初めて社交界に出た主人公を貶める! 相手は小動物の様に怯えきっている。そこを更に威圧しろっ」
演技指導の先生が、ポイントを説明しつつ檄を飛ばす。私達も、その熱意に応えようと真剣だ。
「あーら。何なの、その流行遅れのドレスは? 恥ずかしくないのかしら」
「この私を誰だと思っていて? 貴女のような下賤な身分とは訳が違うのよ」
腕を組み、威風堂々とした態度で振る舞う。意地悪な女王様を思い描き、必死に演じる。
そう、今の私は社交界の華。圧倒的な華やかさを武器に、主人公を上から押さえつけるのだ。王子様か王様が助け出しに来るまで、主人公の目に少し涙が溜まるくらいが望ましい。
「異世界から来た主人公を馬鹿にする! 相手は貴族としての教育を受けていない女、そこを狙えっ」
「まあ、さすが異世界の乙女は礼儀も何もご存じありませんのね。そういうものが必要とされない環境でお育ちになったようで、結構ですこと」
「殿下に失礼な真似をしないうちに、さっさと元の世界にお戻りになればよろしいわ。これ以上、恥を晒すのはいかがなものかと」
扇をぱちんと閉じ、びしぃっと主人公を指す。顎を上げて、高慢に。厭味ったらしく、それでも丁寧な口調を崩さない。
おそらくこのシーン、『俺に逆らうとは面白い』的なことを俺様系王子様が言って、強気な主人公が気に入られるパターンである。それに対し、嫉妬に狂う私達。たまらない。
「さぁ、嫌がらせをしていたことが明らかになって、必死に言い繕おうとする! しどろもどろに、それでも最後の最後まで足掻くんだっ」
「なっ……殿下! これは、どういうことですの!」
「貴女っ。騙したわね! 私は悪くありません、全てこの女が悪いのです!」
掴みあげていた主人公の髪をぱっと放し、動揺を露わにする。必死に王子様に縋りつき、言い訳をし、取り繕う。
これは、私達が嫌がらせをしている真っ最中に、主人公達の取り巻きが乗り込んでくる。ようやく正体を現した私達を追い詰めようと、取り巻き達が怒り心頭に私達に詰め寄るのだ。ああ、心躍る。
「よしっ、衛兵に連れて行かれようとする! あくまで衛兵なんてモブだ! どう扱おうとも構わんっ。お前らを輝かせるための舞台装置だと思えッ」
「この汚い手を放しなさい! この無礼者!」
「一人でも歩けるわ! 私に近寄らないで!」
傲慢に、衛兵の手を強かに振り払う。衛兵たちは怒りに顔を赤くするが、ここまできても反省の色を見せてはいけない。気高く、触れることすら許さないという気迫。
ここは、私達が私達である所以を示すシーンだ。しっかりと、目に焼き付けてもらいたい。
「さあ、クライマックスだ! 全ての悪行を詳らかにされ、最後に流す女の涙っ。しおらしくしてもいいし、最後に女としての醜さを見せつけてやれ!」
「わ、私は、ただ……殿下の愛が、欲しかっただけなのです……」
「認めない、こんなの認めないわ! 私こそが女王になるべきなのよ! 貴女なんかに、この座は渡さないッ」
ここが見せ場と言っていい。枯れた華の様に散って魅せるか、最後まで腐った性根を貫き通すか。ここは各人の判断で別れる所だ。
前者ならば、改心してもいいし、更にその後処刑を免れるかもしれない。すごく上手くいけば、ツンデレお嬢様ルートに入る。
後者ならば、斬首もしくは毒殺などによる処刑が待っている。もしくは、自分の手でナイフで喉を突いたり、毒を呷ったりしてもまた良い。
「最後、とびっきりの笑顔っ!」
そうして私達は皆、自分の作る最高の笑顔を浮かべた。
唇を吊り上げ、冷ややかに。蔑むように冷酷で、そして何より美しく。身の毛もよだつような笑みを意識する。
「お疲れ様でした!」
「「「「「「ありがとうございましたっ」」」」」」
無論、これだけでは無い。
この後にも演技の座学や各教科の授業がびっしりである。とりあえず、昼休みに入るというだけだ。
『悪役令嬢養成学科』
これは異世界転生や召喚、乙女ゲームなどで引く手数多な悪役令嬢を育て上げるための訓練である。
数人の友人と連れ立って食堂へ向かう。
食堂にはシャンデリアが吊り下がり、内装は豪華だ。他の学年の悪役令嬢見習い達も授業を終えたらしく、段々と込み合ってくる。
また、その食事のメニューも豪勢である。日替わりランチを注文する。ちなみに、食堂の職員としているのは『気の良い食堂のおばちゃん養成学科』から派遣されてきた方だ。料理の腕はぴか一、和洋中なんでもござれときている。素晴らしい。
本日の日替わりランチ
・紅葉鯛のカルパッチョ レモンと林檎のピューレ
・天使海老ときのこのリゾット 海と森のハーモニー
・フォアグラのテリーヌ アマリアワインソースをかけて
・蜂蜜と黄金砂糖で煮込んだ桃のコンポート 厳選素材ミルクアイス添え
メニューは高級料理ばかり、舌を肥えさせる必要があるからだ。食材は『戦争でヒャッハ―されちゃう農民学科』の方が育てたものだ。
ランチにしては重すぎるだろう、と思う方もいるかもしれない。だが、既にこれが普通になってしまっているのだ。これくらい食べねば、午後が持たない。
また、私達悪役令嬢は基本的に活躍するシーンは夜会だ。一つの小説やゲームにしか呼ばれないのなら小さな胃袋でもいいが、売れっ子になれば幾つもの夜会を渡り歩かねばならない。そんな時に、これ以上食べられません、なんて言っていられないのだ。
ちなみに、同様の理由で悪役令嬢は酒豪ばかりである。
「あー、疲れましたわー」
「そんなこと言っていないで、放課後まで頑張りますわよ」
どうにか確保した席の向かい側に、アリステアさんとディアドラさんがいる。この二人の友人は、それぞれ違う作品に出ていたはずだ。今日も仕事があるのだろうか。
「あら、違いますわよ。今日は合コンがありますの。良かったらラズベリアさんもいらっしゃらない?」
「相手は一体どこの殿方ですの?」
「たしか『顔面凶器で怖がられるけど本当は優しい冒険者養成学科』の方達ですわ。ちょうど、あと一人探していたのですわ」
「そうですわねぇ……お誘いはありがたいのですが、またの機会に」
少し考えた挙句、お断りする。楽しそうではあるが、次の作品を練習したいのだ。
次の役は、聖女候補だったのに異世界から来た主人公に全てを掻っ攫われる女の役だ。主人公を敬う様な態度を見せながら、影で人を操り次々と陰湿な嫌がらせをし続けるのである。
「本当に、ラズベリアさんは熱心ですのね。学年主席は、伊達ではありませんわ」
アリステアさんが感心したように言った。それにディアドラさんまで頷くので、こちらが照れてしまう。
「あら、そんなことありません。私はただ、悪役令嬢として全てを完璧にする必要があるだけですわ」
「まぁラズベリアさんのその台詞、『どじっ娘主人公養成学科』の方々にそのままお伝えしたいですわ!」
「本当に! 『どこにでもいる平凡な主人公養成学科』の方達も、少しは見習えばよろしいのに」
そこからは、いつもの愚痴が始まった。
主人公は平凡でもいいのに悪役令嬢はこんなに苦労しなくてはならない、主人公は頭が空っぽでも目に涙さえ浮かべれば皆守ってくれるのに、などなどその内容は多岐に渡る。
たしかに、『悪役令嬢養成学科』は大変だ。
初めに容姿でふるい落とされる。誰よりも美しく華やかでないと入れない。また、ある程度メリハリのある体付きでないと露出の多いドレスが映えないため、そこでも厳しく選別される。
また、入った後も苦労が続く。
主人公が来るまでにその世界を支配するだけの手腕、主人公を嵌めようと計画を練るだけの知略、主人公を圧倒するだけの知性、傲岸不遜な演技、どれも一つだって欠けてはいけない。
悪役は、完璧で魅力的であるからこそ光り輝くのだ。そうでなければ、ただのモブに成り下がる。
「ああ、そういえばラズベリアさんはたしか気になる方がいらっしゃるのよね」
「なっ」
「きゃあ! 一体誰ですの? 『俺様系王子養成学科』の方? それとも『無口だけど気遣い溢れる魔術師養成学科』の方?」
興奮したようにディアドラさんが声を上げる。恋の話が好きなところは、どの学科の女子でも変わらないのだ。
「そういえばラズベリアさん、『ドS宰相養成学科』の方からこの前告白を」
「これ以上は止めてくださいな」
次々と私の事を暴露していくアリステアさんの口をふさぐ。
何故そこまで知っているのだ。恐れ戦く私に、アリステアさんはにっこりと艶やかな笑みを浮かべた。
「人脈も、悪役令嬢に欠かせないものでしてよ?」
……やられた。
私は、『悪役令嬢養成学科』の校舎から少し離れた、別の校舎に向かった。ここでは、学科ごとに校舎が違うのだ。
悪役令嬢は、噛ませ犬でしかない。それならば、少しでも輝いて、読者の記憶に残りたい。
中途半端は、性分として許せない。やるなら徹底的に、至高の悪役令嬢を目指すのだ。
私が辿り着いたのは、『勉強スポーツ何でもできちゃう天才学科』の校舎。
門番に軽く会釈して入る。この学科は、浮世離れした雰囲気の美少年や美青年が多い。天才とは、その容姿のことも含むのだ。
ここを卒業した後、彼らは主人公の気まぐれな侍医や悪のマッドサイエンティスト、主人公を馬鹿にする超人同級生などになることが多い。
「またあんたか」
「あら、フェルビア。探したわ」
私より少し背の低い、銀髪の少年。それはそれは綺麗な顔立ちをしており、少女と見紛うほどだ。
本当に、表情一つで雰囲気は随分と変わるものだ。演技をしている時のフェルビアはどこか眠たげな無気力な少年なのに、今は私をきっと睨み付けている。ツンデレ学科にでも移った方が良いのではないかと思うが、私はこの学科に居るフェルビアが好きだ。
「今日こそ、私と組んでもらいますわ!」
「嫌だよ。どうしてオレがお前なんかと組まなくちゃいけない。忙しいんだ、あっちに行け」
本当に嫌そうに顔を背けられる。さすがに、少し傷付く。
私が組もうと言っているのは、来月に迫った合同訓練。
天才と悪役令嬢というのは意外に良い組み合わせである。率直に悪役令嬢の悪巧みを断罪するもよし、悪役令嬢を利用して主人公の好感度を上げるのも素晴らしい。
「私は、フェルビアと組みたいんですの!」
「はぁ?」
先を足早に歩く彼の背中に叫ぶ。振り返ってくれたフェルビアの顔は赤いような。照れている、と思うのはさすがに自惚れが過ぎる。怒り、が妥当なところか。
「……主席様がどうしてオレなんかと組みたいんだよ」
俯いた彼が、小さな声で呟いた。オレなんか、なんて自分を卑下するようなことは言って欲しくは無い。
フェルビアは努力家だ。
天才学科には、二種類の人間がいる。本物の天才と、努力した秀才だ。ただし、この学科で評価されるのは前者のみ。後者は隠れて努力し、天才になり切るしかないのだ。
私は偶然、彼が努力しているところを見てしまった。
フェルビアには悪いが、それを見てしまったからこそ、自分も頑張ろうという気になれるのだ。
ただし、いえだからこそ、本気でフェルビアが嫌がるのならばそれを邪魔してはいけない。この合同演習も、別の人と組むしかない。
「どうしても、私とは嫌かしら。なら、別の人を探すわ」
「――――っなんだよそれ! そんなことしたら、そいつが可哀そうだろっ」
失礼な。私だって、悪役令嬢を極めようと努力している。まだまだなのは分かるが、そう頭ごなしに否定されれば、むっとする。
「ああもういいよ! 組んでやるよ!」
「まぁ、本当!?」
一気に気分が明るくなってしまうのは、私が単純だからだろうか。そっぽ向いていた猫が、こっちに猫パンチを繰り出してきたような気分。嬉しい。
だが、すぐに私のそんな気分は打ち消される。
「ラズベリアさん、そいつなんかと組むの? だから、俺と組むのを断ったのか」
不満げに声をかけてきたのは、同じく天才学科の少年だった。フェルビアより、年上だ。それに彼はおそらく、本物の天才だろう。
「……バルドウィン」
ああ、そんな名前だった。悪役っぽい名前だ、と思ったのを思い出した。フェルビアと組むつもりだったので、記憶に留めていなかった。
何より、そんなに悔しげにこいつの名前を呼ぶフェルビアが嫌だ。もっと私に対して言うように、言い負かせばいいのに。
「こいつなんかより、俺と組んだ方が良い成績が出せる。考えなくても分かるだろう?」
たぶんこのバルドウィンという少年の方が、演技は上手いのだろう。けれど、彼と組んだところで、私のやる気が出ないのも事実。
勝手に私かバルドウィンと組むと思い込んでいじけている、失礼な少年に呼びかける。顔を上げた彼に、私は鍛え上げた悪役笑いでこう言った。
「私に相応しいの貴方しか居なくってよ!」
顔を真っ赤にして立ち去って行った少年を眺めながら、フェルビアは呆気にとられた顔をしていた。
「……勿体ない。どうして断っちゃうんだよ」
「言ったでしょう、私に相応しいのはフェルビアしかいないの。悪役令嬢を追い詰める貴方の演技、期待しているわ」
きっと、フェルビアは何度も何度も練習して、その日までに完璧に仕上げてくるだろう。それに追いつけるように、私も努力しなければ。
だが、この一幕を見ていた人物がいたのだ。
その日の夜、私は寮の部屋で悪役令嬢の台詞を予習していた。人を罵るのにも技術が必要とされるのだ。
相手の特徴を見抜き、それを悪いように言い換える。どんな長所も、裏を返せば短所になる。
突然、ドアがノックされる。
合コンは断ったはずなのだが。それとも、合コンで酔っ払ったアリステアさんか誰かが、間違ってドアを叩いたのか。
返事をする。
「ラズベリア、支度をしなさい。学園長がお呼びです」
寮長さんの声だ。
私は急いで着替え、髪を整えた。化粧は薄らとしかしていないが、仕方がない。もともと、そこまで化粧をしなくても映える顔だ。
「あの、私、何か問題でも……」
寮の廊下を歩きながら、私は問いかける。不安だ。まさか、退学なんてことにはならないだろうか。ここを追い出されたら、私には行くところが無い。
「私には分かりません。ただ、貴女を連れてくるように指示されただけなので」
愛想のない返事に、私は眉を下げるしかなかった。
驚いたことに、寮の門を潜るとそのまま外に出た。無論、学園の中ではあるが。夜間外出は厳禁とされているはずなのに。
どうやら、学園の中心に向かっているようである。
着いた先は、理事長室だった。ここに来るのは初めてだ。嫌な予感しかしない。
部屋の中には、『悪役令嬢養成学科』の先生と理事長先生、それに何故か他の学科の先生、それに綺麗な女の人が一人。
「マリアベル、ありがとう。貴女は部屋に戻りなさい」
「はい」
寮長が頭を下げて、部屋から出る。扉を閉める際、目があった。困惑の色が読み取れたが、きっと向こうも同じだろう。私だって、何が始まるのか分からず不安なのだ。
かちんこちんに緊張している私に、椅子に座るように促される。来客用の椅子は柔らかすぎて、私の体重を支えている気がしない。
「そんなに気を張らなくていいわ。私はヴィヴィアン。今日は貴女に提案があるの」
口調は穏やかで、そして優雅である。けれど、どこか冷ややかな雰囲気を纏っているのは何故だろう。美しい人で、その場にいるだけで注目せざるを得ない華がある。
駄目だ。どこの学科の方か見当もつかない。
「ふぉふぉ、ラズベリア。君はかつて、主人公学科を志望しておったの。今から、そちらに移る気はないかね?」
「……え?」
理事長先生の言葉に、私は耳を疑った。
私は、主人公になりたかった。
光を浴びて、皆から愛される、輝くあの子達に憧れた。絶対に幸せが約束されているあの子達が羨ましかった。
けれど、私の容姿は毒々し過ぎた。主人公は可憐で清純で清らかでなければいけないのに。
悪役令嬢としての資質を見出された時、ならば私はその役で輝いてみせると決意した。ただのモブで、終わって堪るか。
それを今更、どうして。
「ごめんなさいね。この前、貴女のことを盗み見していたのよ」
そうしてヴィヴィアン様が語ったのは、フェルビアと私と、それとバルドウィンとのやり取りだった。
あれを、他人に見られていたのか。
「あの時の、貴女の表情ときたら! 『私に相応しいのは、貴方しかいなくってよ!』 悪役らしく毒っぽくて、でも清々しさもある。この二つを併せ持つ逸材は、中々見つからないのよ!」
熱く語るのも良いが、気恥ずかしい上に混乱を極める。
「それくらいにせんか、ヴィヴィアン。今日は彼女を褒めるために来たのではなかろう」
まぁそうでしたわ、と扇で口を覆う仕草。そこで気が付いた。ヴィヴィアン様は、もしかすると『悪役令嬢養成学科』の方ではないかと。
私の表情に気が付いたのか、ヴィヴィアン様は艶っぽく笑った。
「貴女の考えることは何となく想像がつくわ。けれど惜しいわ、外れよ。……私は今日、貴女をスカウトしに来たの」
『悪女系主人公学科』に移らないか、と彼女は言った。
それは、最近増え始めたジャンル。
異世界転生から異世界召喚へと、創作物には流行というものがある。他の誰かが書いているのを読むと、自分も書いてみたいという思いが抑えられない作者がそれはそれはたくさんいるためだ。
悪女系主人公とは、偽悪的な行動をするが、その裏で皆の為に働いているという涙なしでは語れない役だ。
私は、考えることなく返事をした。
「やりますっ。やらせて、ください。主人公になれるのならば、喜んで」
勢い込んで行った後、すぐに思い出したのはフェルビアとの約束。
移籍するのは何時なのか。来月の合同訓練には、出られるのか。約束を破るのは、嫌なのに。
「すぐにでも移ってもらいたいわ。残念だけど、来週にでも来てちょうだい。あの少年には、私から伝えておきましょうか?」
「……いえ、結構です」
そんなことをすれば、余計に失望されてしまう気がした。
それから私は、寮までヴィヴィアン様に送っていただいた。
月の光に照らされたヴィヴィアン様は悪役らしく気高いようにみえて、儚げな雰囲気もある。なるほど、これが悪女系主人公に要求される魅力。
私に、出来るのだろうか。
悪役令嬢しか目指してこなかった私に、主人公特有の、誰をも惹き付ける魅力などあるのだろうか。
「不安そうね?」
「……はい。主人公になれるなんて、夢みたいで、でも憧れるばかりだったから、どうしていいか分かりません。主人公になるために、何が私に足りないのかもまだよく分からなくて」
決壊したように、心が口から溢れる。どこまでも情けないけれど、少しでも何か助言を戴けるのならば、それはきっととても頼りになることだろう。
そうねぇ、と一息入れて、彼女はゆっくりと語り始めた。
「――――悪女系主人公に限らず、主人公は、自分の中に『正義』を持っているわ。それさえ失わなければ、どんなに惨めだろうと、その人は主人公になれる。『正義』はどんなものだっていいの。自己中心的な感情も、憎悪に塗れた思いも、貫き通せばそれは『正義』になるわ。信念、と言い換えてもいいかもしれない。そういう点では、悪役令嬢も十分に光り輝ける要素を持っているわ」
悪女としての正しさを信じなさい、とヴィヴィアン様は仰った。
私にはあるだろうか。そこまで守り、貫き通したいと思う何かが。
次の日、私は『勉強スポーツ何でもできちゃう天才学科』に足を運んだ。
「どういうことだよ、出来なくなったって! やっぱりお前、バルドウィンと」
「私、主人公科に行くことになったの」
その時のフェルビアの顔は、今までで一番目を大きく見開いていて、目玉が零れ落ちるのではないかと思った。
もう一度、どういうことだよ、とフェルビアは問いただしてきた。昨夜の一部始終を説明する。
説明する程に、顔が険しくなっていく。怒らせてしまったようだ。自分の都合で約束を破ったのだから、当然だ。
「ラズベリアが主人公? 冗談も程々にしろよ」
「冗談ではないの。ごめんなさい、すぐにでも代わりの人を探してみるわ。まだ何人か、相手が決まっていない子もいたはずよ」
「お前に主人公なんか勤まるはずないだろ!」
ぐっと唇を噛みしめる。昨夜、部屋に戻ってから寝ずに考えていたことを突かれ、痛い。
それでも、私は決めたのだ。
「それでも、やるわ。どんな苦労をしても、私は主人公になってみせる。ようやく、夢が叶うのよ」
これ以上、主人公になることを否定されたら、我を忘れ、怒りのままに私は怒鳴ってしまうだろう。
だからこれ以上、何も言わないで欲しかった。
しばらくして、フェルビアが口を開いた。
「……主人公になったら、お前は『皆のもの』になるんだな」
「悪女だから、逆ハーレムは作れそうにないわね」
「お前の相手なんて、いるわけねーよ。バーカ」
喋り方が、何だかいつもより幼い気がする。いつもは、こんな暴言を吐く子ではないのに。
「ラズベリアの相手できるような奴、オレ以外にいるわけねーよ」
!?
デレた! フェルビアがデレた!
顔を真っ赤にした、私より頭一つ分背の低い少年は、やはりツンデレだった。
「お前が主人公になるまで、待っててなんてやらない。オレ以外の相手がいないことに気付いて、絶望すればいい。……どうしてもって言うなら、オレが相手になってやってもいい」
私は思わずフェルビアを抱きしめた。ああ、この子は本当に素直じゃない。
いつか、この子に釣り合う主人公に、私はなってみせる。
この思いは、誰にも負けない。
あああ、受験前の夏休みになにやっているのでしょう。
評価・感想頂けると嬉しい限りです。
評価された点数だけ、模試の点数も上げてみせましょう。