第10章 6話目
その日家に帰ると桜子が夕食の準備をしていた。
そう言えば今日は両親揃って出かけるって言っていたっけ。
「茄子のスパゲティとチキンソテーだよ。茄子も鶏肉も特売で安かったんだ」
麺を茹でる傍らでトマトソースを手際よく作っていく。
数ヶ月前まで料理なんてほとんどしなかったのに。
一年前はカップ麺を世界最高難度の料理だと言い張っていたはずだ。
兄の贔屓目で見ても、このところ桜子の女子力アップはハンパじゃない。
「何かいいことでもあったのか?」
「ちょっとね」
そう言う彼女は鶏肉のソテーに取りかかる。
「七穂ちゃんがね、一緒に買い物に行こうって」
「七穂ちゃんって小倉くんの妹だよね。どうして桜子に?」
桜子は待ってましたと言わんばかりの笑顔になる。
「七穂ちゃんは服のコーディネートを小倉くんに相談したんだって。そしたら小倉くんが「お前、羽月さん知ってるんだろ、彼女に聞いた方が確実だぞ」って言ってくれたって!」
そう言うと鼻歌まで歌い始める桜子。
「で、その小倉くんとの進展は?」
とたんに彼女の鼻歌がぴたりと止まる。
「ない。これっぽっちもない。どうしてかな。七穂ちゃんの話では小倉くん、わたしのことをたくさん褒めてくれるんだって。信頼できて誰にも優しいって。みんなの憧れとも言ってくれたんだって。なのに、おかしいよね」
みんなの憧れの子、か。
僕は今日の奈々世女史の言葉を思い出す。
小金井が僕のことを。
まさかと思う反面、少しだけ、もしかしたらと思っていたのも事実。
そう言えば。
僕は中学の時の事にも思いを馳せる。
中学の時もいたんだよな、誰にも優しくてみんなの憧れの女の子。
図書委員の僕がたくさん本を持っていたり、机の並べ替えをしたりしていると、 必ずと言っていいほど手伝いに現れてくれた立花さん。彼女もみんなの憧れだったんだ。
僕も憧れてたけど、告白なんておこがましくって……
「なあ桜子、どうして桜子は自分から告白しないんだ?」
「だって……」
桜子は鶏肉をソテーする手を止める。
「もしNoだったら、もし断られたら、わたしどうしたらいいの」
「でも、七穂ちゃんの話だと小倉くんは桜子を褒めてくれてるんだろ。みんなの憧れとまで言ってたんだろ」
「でも、わたしのこと、好きかどうかは分からないじゃないじゃない……」
「…………」
「他の人を好きかも知れないし……」
「なあ、彼だけに特別な事をしたらどうだ。誰にでもじゃなくって、彼にだけ」
「小倉くんにだけ?」
「そう、ふたりだけの小さな秘密を作るんだよ」
「小さな秘密……」
ちゃ~ちゃ~
ちゃちゃちゃちゃ ちゃ~ちゃ~
満月を背景に宇宙人が自転車に乗って宙を飛んでいきそうな着メロ。
僕は慌ててポケットから携帯を取り出す。
「もしもし羽月ですが……」
まだ何か言いたそうだった桜子だが、諦めたように料理を再開した。
電話は『魔王がエロ本屋で大赤字を出しまして』を発行してくれている出版社の担当さんからだった。
「遠野さんですか。はい、第三巻も順調に書いてますよ。ええ、そうです、僕は松院高校ですけど…… ええ~っ! その話は一体どこから……」




