第8章 10話目
半分欠けた月がとても綺麗だ。
軽い足取りで、いつの間にか口笛まで吹いて。
「よし、これで基本は決まった。あとは構成を決めて、それから……」
宮脇さんは僕らのアイディア、即ち『かぶり物ロコドルの推理小説風ラブコメ』にOKを出してくれた。しかもかなり褒めて貰った。お世辞でも嬉しい。頑張らないと。
主役の名前とか、細かい設定はこれからだけど。さあ、忙しくなるぞ。へへっ。
僕は日の出町商店街にあるケーキ屋に入っる。
宮脇さんとは前回同様『喫茶・シュレディンガーの猫』で打ち合わせた。
店ではまたプリンパフェを注文したからお腹が空いているわけではないけれど、僕は桜子へのお土産にケーキを買う。
「えっと、モンブランとミルフィーユをください」
もう時計の針は八時を指していた。
ケーキを買ったら立花書店だ。
「へへっ」
自分でも頬が緩むのが分かる。
今日は何が待っているのかな。
入り口にあるお勧め本のコーナーは、もうどこかへ仕舞われていた。
立花書店って閉店時間八時だったよな、いいのかな今から入って。
店内には大学生風の男性客がひとり、みんな大好きエロ本コーナーで何やら物色中だった。こう言う時は見て見ないふりをするのがよい子のマナー。世の中ギブアンドテイクだ。僕は捜し物を見つけるため旅行ガイド本コーナーの前に立つ。レジには可愛い衣裳を着た立花さんの姿。僕と目が合うとニコリと会釈をしてくれた。いつもなら声を出して挨拶してくれるんだけど、他にお客さんがいるからかな。
ちらり男性客を見る。『若奥様の熟れた柔肌』。熟女ものか。僕の知らない世界だな。
やがて彼はその本を手に持ったまま、雑誌コーナーから週刊誌を抜き取る。そして週刊誌を上にし二冊重ねて無言でレジに置いた。
必殺『週刊誌のついでにエロ本を買うんだもんね』攻撃だ。
家に帰って親に本の袋が見つかっても、週刊誌を買ってきたんだよ~ と言って窮地を凌げる一石二鳥の護身術。
「ありがとうございます。合わせて一千三百九十円になります」
僕の時より小さな声で、僕の時より事務的に仕事をこなす立花さん。
雑誌は週刊文潮か、お堅い雑誌を選んだな。
立花さんは男性客にお釣りと商品を手渡すと、お礼を言って彼が店を去るまで頭を下げていた。
やがて。
「先輩、いらっしゃいませ!」
声の調子が一変した。
いつもの明るい可憐な声。
「あっ、もう閉店なんだよね、ごめんね、すぐ帰るから」
「大丈夫ですよ、それより今日はどうでした?」
そう言いながらレジを離れ、店の入り口に向かう彼女。
「うん、バッチリだった。OKを貰ったよ」
「うわあっ、よかった!」
僕を見て満面の笑顔を浮かべる。
「じゃあ、祝勝イベント、始めますよ~」
そう言うと彼女は小躍りしながら店のシャッターを下ろす。
「えっ、シャッターおろして……」
「今、祖父は不在なんです。だから店には他に誰もいません。はい、先輩これ」
彼女は僕にサイリウムを2本手渡す。
「これって」
にっこり微笑む彼女は、いつの間にか可愛い水色ラインのセーラー帽を被っていた。
「応援して下さいね!」
胸元にピンクのリボンが揺れる白地のセーラーワンピース。ヒラヒラのスカートは水色の縦ストライプが入って、そこから伸びる長い脚には黒いニーハイソックス。どこからどう見ても完璧にアイドルしていた。
「今日は新聞連載お祝い企画第一弾。日の出町ガールズライブへようこそっ!」
手にマイクを持ち、僕に向かって笑顔を振りまく立花さん。
ずばきゅ~ん!
僕らの新聞小説に登場予定のロコドル、日の出町ガールズは三人組だけど。
立花さんはあまりに可愛いくて、そんな矛盾どうでもいいや!
「日の出町ガールズのまゆかですっ。とっても緊張していますけど、応援よろしくですっ!」
もっ、勿論! えっと、拍手拍手っ!
「気軽に『まゆか』って呼んで下さいねっ!」
「まっ、まゆ、か、さん……」
「まゆか、でいいですよ~!」
「まゆ、か……」
立花さん、完全にスイッチ入ってる。
「ありがとうございますっ! 今日はわたしの初ステージです。失敗だらけかも知れませんが、応援してくれたら嬉しいです」
何だろう、初ステージって。
「聴いてください。先輩のために一生懸命作った曲です。日の出町ガールズソング!」
少し照れたように微笑みながら、彼女はレジに置いてあったラジカセのボタンを押す。
レジの前に立つ彼女は背筋を伸ばしてピンと立つとゆっくり目を閉じる。やがてゆったりと前奏が始まる。
愛してもっと 本屋でもっと
ロコドルはいつも側に~
トキメキと微笑みあげるよ~ 日の出町ガールズ~
ぱっちりと大きな瞳を開け、右手を高く頭上に伸ばしながら歌い上げると、曲がテンポアップする。と同時に彼女のすらりとした肢体がリズミカルに躍動を始める。
先週見たNZK49ersのステージとは全く違う感動。騒々しく胸がときめいて止まらない。僕は右手に持ったサイリウムを突き上げる。
情熱いっぱい
小さなお店で 頑張ります
きみの近くに~ いれたらいいな
いつも近くに~ いれたらいいな
答えは分からないけど 目指してます~
「まゆかちゃ~ん!」
気が付くと僕は大きな声で声援を送っていた。
花開くような笑顔で返してくれる立花さん。
見つめてもっと 本屋でもっと
恋人みたいにいつも~
あなたと一緒に笑えちゃったら幸せ
いつしか僕は曲に合わせてステップを踏んでいた。
さすがに恥ずかしいのか少し頬を染めながら、それでもしっかり踊り続け、歌い続ける彼女。
「最高だよ~」
たった一曲だった。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまって。
曲が終わると彼女は深く深くお辞儀をする。
「先輩、ありがとうございました~!」
「いや、僕の方こそ凄く楽しかったよ。ありがとう」
「わたしもとても嬉しいです。でも……」
くりっと大きな瞳で見つめる彼女に僕は小さく肯く。
「秘密なんだよね」
「はい、わたしは先輩だけのロコドルなんです。他の人には絶対秘密ですっ!」
「何だかいつも不思議な設定だよね」
「そうでしょうか? 究極のローカルアイドルです。先輩だけローカルなんです」
僕だけのアイドルって、それって、一体……
「いつか、気に入って貰えるよう頑張りますね!」
「いや、気に入るも何も、もう、もう、もう、もう……」
ダメだ、言葉が出ない。胸が締め付けられて、思考がまとまらない。
「先輩ったら。もうもうだと牛さんですよ。ところでお探しの本はありましたか?」
そうだった。今日は買いたい本があったんだ。
「すうっ~~、 はあっ~~」
僕は自分を落ち着かせると、旅行ガイドのコーナーを見る。
「えっとね、あ、あった、これこれ」
そう言って一冊のムック本を抜き取った。
『NZK49ersが案内する・名崎の楽しいスポット50』
ネットで調べていると、NZK49ersの関連書籍は二冊あって、一冊は先日僕が買ったファンブック。そしてもう一冊がこれだ。みかりんの正体が分かった今、僕はどうしても手にとっておきたくなった。
「この本なんだ」
「えっ! 羽月先輩、49ersのファンになったんですか!」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、ちょっと興味が出てね」
立花さんは口を開けたまま一瞬固まった。
「いや、そんなに驚く事じゃないと思うけど……」
「あっ、ごめんなさい先輩。あの……」
両手を握りしめて大きく息を吸い込む立花さん。
そして意を決したように声を発した。
「あの、先輩は49ersの誰が好きなんですか?」
「ああ、好きって訳じゃないけど、気になっているのは、みかりん」
「ええっ、みかりん!」
「うん、そうだけど」
「み、みかりんの、どんなところが好きなんですか?」
どんなところと言われても。
中身が青木先輩だから興味があるんだけど、言えないし。
「そうだね、お喋りが面白いとか、歌も上手くて多才だとかいろいろあるけど、一番はお客さんを凄く大事にしているところかな」
「子供に優しいところ、とか?」
「小金井に聞いたんだけど、昔は子供をステージに上げていたんだってね、49ers」
「そうなんですか。わたしこんな話も聞いたことがあります。産地直売イベントでお母さんが買い物をしている間、みかりんが子供の面倒を見ていたって」
青木先輩って子供好きなのかな?
「家族連れは大喜びだね。だからファンが多いんだろうね、みかりん」
「先日ご挨拶した志賀先輩もそんなところに惹かれたんでしょうか。そう言えば……」
「そう言えば?」
「志賀先輩って羽月先輩とどことなく似てますよね、雰囲気とか」
その言葉は僕にはとても嬉しかった。だって憧れの先輩だし。
「ありがとう。僕、志賀先輩って好きなんだ」
「だから先輩もみかりんに惹かれる、のですか……」
彼女は目の前に置かれた本に目を落とす。
「あ、ごめん。それちょうだい。
『NZK49ersが案内する・名崎の楽しいスポット50』買うからね」
「はい、ありがとうございます。『NZK49ersが案内する・名崎の楽しいスポット50』一点で八百九十円頂戴します」
僕は財布から千円札を出して彼女に手渡す。
「はいっ、千円お預かりして、こちらお釣りとレシートになります。あの、先輩……」
「えっ、何?」
「日の出町ガールズはみかりんを超えますからね。わたし頑張りますね」
日の出町ガールズって僕らの小説に登場するロコドルだよな。
「そうだね、一緒にいい小説を作ろうね」
「そうじゃなくって、わたしがみかりんを超えて見せますね!」
「……?」
どう言う意味だろ。時々よく分からないんだけど。
「はい、ではこちらが商品です。いつもお買い上げありがとうございます」
セーラーワンピース姿で深く頭を下げる立花さん。
綺麗で優しくって、そしていつも楽しくって。
やがて顔を上げた彼女の大きな瞳は僕を真っ直ぐに見つめて。
つい目を逸らしてしまう。
「あ、ありがとう。今日はホントに楽しかったよ」
そう言うと僕は出口へ…… って、出口がない。
「あっ、今シャッターを上げますね」
彼女は慌ててレジから飛び出すと、入り口のシャッターを上げてくれた。
「わたしの方こそ今日はとても楽しかったです。声援凄く嬉しかったです」
「ちょっと恥ずかしかったけどね」
「それは、わたしもです」
ふたりは一緒に笑い出す。
「今日はありがとう。じゃ、また明日ね」
「はいっ。いつもお買い上げ、ありがとうございます。またお待ちしていますっ!」
第八章 完
第八章、ロコドルの純情、これにて完結となります。
いかがでしたか。
この章は生徒会長の青木奈々世女史と去年の文芸部長、志賀直輝先輩の恋を描いた話になりました。実際はどうなんでしょうね、アイドルの生活って。
あと、生徒会室はどうしていつも会長しかいないんでしょう。
実は僕にも分かりません。
何かいい言い訳とか口実があったら是非、活動報告まで。
立花さんには遂に歌って戴きました。正直言って連載当初、彼女にはコスプレに終始してもらうことしか考えてなかったので、ここまで来たらあとは落ちるところまで落ちていきます。頑張ってね~、繭香ちゃん!
ちなみに知っている方はすぐにお分かりかと思いますけど、この話はロコドルを描いた某深夜アニメにかなり影響を受けた節があります。いいな、**ガールズ。
前回白状しましたが、今、可愛い桜子ちゃんがマイブームになってます。彼女のサブストーリーは思いつきみたいなものなので、今後どうなるか作者自身も全く分かっていません。本線書くより悩んでたりします。アホか俺。頑張れ桜子ちゃん。
さて、次回・第九章は?
いよいよ待ちに待った夏休み。
文芸部は恒例の夏合宿に赴きます。
文芸力を磨き読ませる小説を書くため、真剣に喰う寝る遊ぶ文芸部の面々。
しかし、そんな平和な合宿にあの連中が乱入して嵐の予感。
次号、「夏の海には危険がちっぱい(仮)」もお楽しみに。




