第1章 6話目
その日の学校帰り。
中学時代の同級生とばったり出会った。
ロボットアニメが好きな彼は話し出したらマシンガン。
公園のベンチを占拠して一時間くらい話し込んでしまった。
でも今日は本を買って帰らないといけない。
妹の桜子に頼まれたコミックの発売日なんだ。
「立花さんのお店で買わなきゃ……」
買うお店は決めている。
小さなお店だから、置いてないかも知れないけど、
その時は他の本屋に行けばいい。
第一優先は立花さんのお店だ。
裏切り行為は許されない。組織に消される。
とことことことこ
歩いて行く。
僕は幹線道路から少し逸れて、目的の小さなお店に入った。
「あっ、先輩!」
思いがけずレジには立花さんの姿があった。
「あっ、立花さん。もしかして毎日お手伝いしてるの?」
「いえ、そういうわけでもないんですけど、可能な限り、ですね」
ちょっぴり大人びた服を着た立花さんがにっこり微笑む。
僕は漫画のコーナーから頼まれた本を探し始める。
「……ないの、かな」
暫く探してみたが見当たらない。
「あの、何かお探しですか」
「え、ああ。今日発売のコミックだけど『世界一美少年』の三巻ってある?」
「世界一美少年、ですか……」
少女漫画なんて恥ずかしい。
しかも思いっきりボーイズラブっぽい。
「そ、そう、い、妹に頼まれたんだけど……」
と言い訳しながら、我に返る。
言い訳なんか要らないよな。
僕は既にスケベで変態でゴミでクズな先輩で。
もうとっくに失恋済みなんだから。
「ごめんなさい。入荷してないみたいです。よければお取り寄せいたしますが……」
立花さんは手元のパソコンを見ながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「今からだと入荷は金曜日になります……」
「じゃあ、お願いします」
発売日に読めなくったって、それがどうした。
立花さんのお店で買うのが僕の義務。
桜子には帰って売り切れてたって謝ろう。
「ありがとうございますっ。注文しておきますね」
笑顔で立花さん。
その笑顔があまりに眩しくて僕は視線を落としてしまう。
と、そこには大人びたタイトスカートからすらりと伸びる細い脚。
黒パンストにくるまれたその美脚に僕の心臓は爆発する。
「お、おねがい……」
そう言いながらふと思う。
このまま帰って良いのかな。
こんなに綺麗で優しい立花さんが一生懸命働いているのに。
僕みたいなヤツのためにタダ働きをさせるなんて。
そんなこと許されない。
何か買わなくちゃ。
立花さんのお店のために何か買わなくちゃ。
僕は本棚を物色し始める。
そして、ふと目に入った本を棚から抜き取る。
『ラブラブきゅん! 美味しいメイド服の妹たち』
表紙でふたりのモデルさんがメイド服を着てにっこりしている。
どちらも結構可愛いじゃん。
メイド服に白いカチューシャがとってもよく似合ってるし。
…………!
と、思わず見入ってしまった。
チラリとレジの方を見る。
立花さんとバッチリ目が合った。
僕が触って指紋をつけた本を戻したら、あとで立花さんが拭いたり磨いたり消毒したり、大変なお手間を取らせてしまう。
こんな僕のために凄くお手間を取らせてしまう。
そんなこと出来ない。
許されるはずもない。
「……よしっ!」
意を決してその本をレジに持って行く。
「これください! この『ラブラブきゅん! 美味しいメイド服の妹たち』ください!」
また言わずもがなの一言を言ってしまった。
恥ずかしさと義務感と、投げやりな気持ちと少しの未練が頭の中でごちゃ混ぜになる。
もう、何が何だか分からない。
でも、精一杯堂々と、精一杯の笑顔を作り胸を張る。
「ありがとうございます。『ラブラブきゅん! 美味しいメイド服の妹たち』、一点で二千円のお買い上げになります」
立花さんは満面の笑顔で僕から代金を受け取ると、本を袋に入れながら。
「このモデルさん、綺麗、ですね」
笑顔のままで営業トークを展開した。
「メイド服も凄く可愛い、ですし」
こんな僕のために、きっと我慢して話を合わせてくれている。
なんて優しいんだ、立花さん。
商品を受け取ると挨拶をして店を出た。
失恋してしまった僕には、もう失うものはなにもない。
だけど。
何だろう、この心臓が鋭くえぐられる感覚は。
「また、お待ちしていますっ!」
背中から聞こえる可憐な声を聞きながら、目の前はかすんで見えなかった。
* * *
その夜、十一時を回る頃。
パソコンに向かって〆切間際の原稿を書いていた僕はつい、うとうと眠ってしまった。
今日はさすがに疲れたからな……
さすがに疲れた……
狭い本屋さんに眩い光が差し込んで、制服を着た天使が舞い降りる。
「羽月先輩、またエロい本を買ってくださってわたしとても嬉しいです。先輩は美少年からお姉さん、妹ものまで何でもアリなんですね。お陰でお店の売り上げアップです」
くるりと身を翻すと彼女は黒パンストにタイトスカートの大人びた姿に変身した。
そうして微笑みながら手を広げると、彼女の小さなお店が光で溢れ出す。
「これからも、買って買って買いまくってくださいね、ダメな変態部長さん。先輩のお財布、待ってます。ふふっ」
「はっ!」
夢から覚めた。
「はあはあはあ……」
夢は鮮明に僕の中に残っている。
「はあはあ……」
分かってる。
立花さんがそんな酷いこと言うはずがない。
お財布待ってます、とか、お財布なければ粗大ゴミとか、
そんなこと言うわけ絶対ない。
でも。
僕は単なるお客さん。
彼女は当たり前に接しているだけ。
お客さんだから優しくしてくれるだけ。
それなのに、どうして彼女の夢を見るんだろう。
僕の初恋は終わったのに。
この想いは永久に届かないのに。
机の上のコーヒーをぐいっと飲み干すと、僕はまたパソコンに向き直った。