第6章 5話目
もうすぐ午後六時。約束の時間。
僕は川中町の公園に向かいながら、昔のことを思い出していた。
「そう言えば深山さんに話した昔の出来事って辺で起きたんだよな」
幼稚園の頃。
たしかこの道のどこかで魔法少女の格好をした女の子に出会って、一緒に彼女の家を探して歩き回って。最初は泣きそうだった女の子も一緒に歩いていると元気になってきたんだっけ。色んな話をしたような気がする。全然覚えていないけど。
ふと道端の電柱に目をやる。
ここだったかも知れない。彼女が、魔法少女が佇んでいたのは。
電柱に刻まれた『頭隠して尻丸出し』の落書き。
そうだ。ここで、どうしたのって、僕が声を掛けたんだ。
あの子は泣きそうな顔をしていて、それで、最初は当てもなく歩き回って。
でも、一緒にいるのが楽しくって。
銭湯の煙突を見上げた彼女が、あそこがわたしのお家、って言って。
連れて行って、さよならって言って。
でも、また会いたくて次の日に銭湯に行ったら、女の子はいなくて。
それから一度も会えなくて……
何か。
何か忘れている気がする、何かとっても大切なことを。
「羽月先輩」
思いがけず声がした。
聞き慣れたその声に振り返る。
「立花さん!」
そこには、頭に黒い三角帽子をちょこんと載せて、背中に小さな小さなマントを着け、手にはカラフルなプラスティックのステッキを持った立花さんが立っていた。
「あっ!」
暫く言葉を失った。
幼稚園の頃、ここで出会った女の子だ。勿論着ている服は違う。背丈も全然違う。でもその帽子、そのマント、手に持つ魔法のステッキ、間違いない。あの時の、迷子の女の子だ。
「その格好は、昔ここにいた迷子の女の子……」
「はい、今日は羽月先輩にお詫びに参りました。先輩、あの時は困っていたわたしを助けてくださってありがとうございます。そして、わたし、先輩に嘘を言って。お風呂屋さんの子供だって嘘を言ってごめんなさいっ!」
「立花さん?」
三角帽子を取り、深く頭を下げた彼女はその姿のまま言葉を紡ぐ。
「あのあと先輩はわたしを捜してくださったんですね。それなのに、わたしは嘘をついて、先輩に悪いことをして、今更許して貰えるなんて思いません。だけど……」
彼女の声が詰まり始める。
「あの時の女の子って立花さんだったんだ!」
「えっ?」
彼女は不思議そうに顔を上げる。しかし潤んだ瞳を隠すようにすぐに俯いた。
「先輩、ご存じではなかったのですか?」
「うん、いま気が付いたよ。でも、そうだったんだ。へへっ!」
「先輩?」
僕は嬉しくなって、つい笑っていた。だって、僕の初恋の人は立花さんだった訳で、つまり、今まで好きになった人は全て立花さんな訳で。
「いや、ごめん。でも、ありがとう。あの時はもう一度会いたいって子供なりに探したけどね。でも全然怒ってなんかいなかったし。それより、その衣装よく今まで持っていたね」
「ええ、これは宝物ですから。わたしは今でも少しだけ信じてるんです。先輩は魔法って本当にあるとお思いですか?」
「魔法が本当にあるかって、そりゃあ、そんなのあるわけないじゃ、っ!」
思い出した。
どうして僕は彼女にもう一度会いたかったのか。
どうして僕は怒ってなんかいなかったのか。
そうだ。謝るのは彼女じゃない。
僕だ。僕の方だったんだ。
「立花さん、ごめん。思い出したよ。僕はあの時、魔法なんてあるわけないって言って、その女の子を怒らせて。僕の方こそ謝らないと」
あの時僕はこう言ったんだ。「魔法なんて、本当はあるわけないよ」。そしたら彼女は急に不機嫌になって、わたしの家はあの煙突がある銭湯ですって言って。ふたり無口になって。そのまま送って行って別れたんだ。
「ごめん。魔法を信じていた立花さんの気持ちも考えずにあんなことを言って」
「先輩、それは少し違いますよ。さすがのわたしも魔法なんて本気では信じていませんでしたよ」
立花さんは顔を上げ、少し笑顔で優しく僕を睨んだ。
「あの時わたしが怒ったのは、先輩がわたしの魔法に掛かってくれなかったからです!」
「魔法に掛からなかったって、どう言うこと?」
「……もう、これ以上は言いません! 先輩はいじわるです!」
何だ、あの時僕たちはどんな話をしたんだ?
「でも、一番悪いのは嘘をついたわたしです。本当にごめんなさい」
「その事はもういいさ」
彼女は神妙な表情を崩さなかったが、僕には彼女を責める気持ちなどミジンコもなかった。
「ところで、このところ立花さんは調子が優れないみたいだけど、大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫です。心配させてごめんなさい」
「そうならいいけど……」
「先輩、こんなところじゃ何ですから、公園に行きましょうよ」
「そうだね」
僕たちはとりとめもない話をしながら歩きだした。
「ところで先輩、あの本はもう読みましたか?」
「あの本って、もしかしてレディコミ?」
「はい、先輩が面白いって仰ったマンガとか」
「ああ、『キャバ嬢は囚われ子猫』だね、読んだよ。枕営業も辞さない、まだ二年目のナンバーワンホステスがイケメンの御曹司を手玉に取ろうとして、反対に落ちていくって話でさ」
文章だとあっさり言えるが、その濃厚な描写は結構なお点前だった。おじさま達を好きなように手玉に取る主人公。しかしある日彼女を指名したイケメン御曹司に心を許して、あんな事とかこんな事とか、辱めの限りを受けると言う、まあ、高校生は見ちゃいけない内容だった。
「知ってます、わたしも読みましたから」
「えっ、あれ読んだの、立花さん!」
「はい、本屋の特権で……」
恥ずかしさで急に体が熱くなる。
「あっ、あのマンガはさあ、ストーリーはまあまあアレだけど、絵が今ひとつアレだったよね。こう、構図とかコマ割とかさ、ははっ……」
内容の話しなんてとてもできない。
「先輩、ああ言うのに憧れますか?」
「えっ、そ、そりゃあ男だし……」
「そうでしたね、ノーマルですものね」
「あっ、そうだよ。へへっ!」
「そうだ、週末の運動会が終わったら、また本屋に来ませんか」
「えっ、勿論いいけど。あの本も読み終えたし」
「わあっ! またイベント準備しなきゃ!」
公園に辿り着いても、そんなどうでもいい話を続けるふたりだった。
* * *
家に帰るとシャワーを終えたばかりの、妹の桜子がいた。
「球技大会はどうだった?」
「うん、うちのクラス優勝した。わたしもバスケの得点王取った」
「桜子、得意技はミスディレクションじゃなかったのか? それで、彼の方は?」
「うん、凄く活躍した。物凄くかっこよかった」
呟くように答えると彼女は階段を上り二階の自分の部屋へと消えていった。
「うまくいかなかったのかな?」
言葉少なだし、表情も硬かったし。
取りあえず僕は、この件には触れないことにした。
その夜は自室で『魔王がエロ本屋で大赤字を出しまして』第三巻の執筆に取り組んだ。もう十一時を回るけど、もう少し書いておかなければ。文芸部の同人誌作品も書かなくちゃいけないし、色々かかなくちゃいけないし……
「もっと笑えるエピソードが欲しいなあ! ああもう頭飽和! 何か飲んでこよう」
独り呟き、僕は一階の食堂に下りる。
と、誰もいないはずの食堂に灯りがついていた。
「桜子?」
台所にぽつんと桜子の後ろ姿。
「お兄ちゃん?」
彼女は目の前に置いていた麦茶を一気に飲み干す。
「お兄ちゃんも麦茶飲む?」
「うん」
冷蔵庫を開けてコップに麦茶を注ぐと僕に差し出す桜子。
「あのさ、お兄ちゃん。聞いてくれる?」
「もちろん」
「あのね……」
彼女はゆっくり息を吸い込む。
「小倉くん、わたしのサンドウィッチ食べてくれなかった……」
「……」
「わたし、もう消えたい……」




