第1章 3話目
「一年A組、立花繭香です。よろしくお願いします」
「ささ、ここに座って。あたし小金井弥生、二年よ、よろしくね」
「同じく二年の大河内佳奈です~。よろしくお願いしますね~」
彼女が部室に入るなり楽しそうにお喋りを始める女性陣。
「へぇ~、繭香ちゃんってプーシキンが好きなんだ」
「プーシキンって~、ロシアの著名な詩人ですよね~」
「はい、ロシア語は分からないので韻の美しさとかは理解出来ませんけど」
あっと言う間に彼女は女性ふたりに打ち解けている。
「あっ、喋ってばかりでごめんね。このジュースとお菓子はみんな繭香ちゃんのために用意したんだからね。全部飲んで食べて行ってね!」
小金井は嬉しそうに立花さんの前にお菓子の山を積み上げていく。
どう見てもありがた迷惑だった。
「そうです~、オレンジジュースもコーラもコーヒーも抹茶ミルクもトマトジュースも全部飲んでくださいねっ。これ、全部ミックスしてみました~」
大河内が不気味な色をした液体を立花さんに差し出す。
「これを飲めばあなたの中の隠れた煩悩が目を覚まし~、気が付くと救急車に乗って~……」
「病院送りかよ!」
いつも僕はツッコミ役だった。
「あたしはプリンにポテチと柿ピーを混ぜてお煎餅で挟んでみたよ!」
「味見はしたのかよ!」
しかし、そんなお菓子を冒涜するような暴挙にも立花さんは全く動じず、
「わたしのためにありがとうございます」
軽やかに微笑むと不気味な色の液体を手に取った。
「歓迎して戴いてとても光栄です」
その液体を見ながら意を決するように小さく頷く。
「わたし、頑張ります。では、戴きますね」
彼女は唖然とする僕たち三人を尻目に不気味な色の液体を飲み干した。
「……意外といけます」
「あっ……」
「うっ……」
そしてプリンとポテチと柿ピーのお煎餅挟みも笑顔のままで食べてしまった。
「あっ……」
「うっ……」
「作ったお前らが絶句するなよ! 立花さん大丈夫?」
「はい、食べてしまえば皆同じですから」
「何だか、負けた気がするわ」
「はい~、私もです~」
少し照れくさそうに俯いて微笑む立花さん。
よかった。想像を絶する化学反応は起こしてないみたいだ。
「ごめんね繭香ちゃん、お口直しにこれどうぞ」
小金井がプリンを差し出しながら彼女に向き直る。
「それで、立花さんは文芸部に入部してくれるの?」
「勿論です。あの、先輩方、ふつつかなわたしですが、宜しくお願いします」
「ええ、宜しくね! あっ、でも……」
そこで小金井は困ったような顔をして。
「でもさ、翔平くん……」
言いたいことはすぐに分かった。
立花さんが入ってくれても部員はまだ四人。
部の継続条件である五人に満たない。
「大丈夫だよ、僕が何とかするからさ」
僕は小金井にそう答える。
その会話を立花さんは?マークで聞いていた。
「えっ、何の話しですか?」
「ああ、立花さんは知らないよね。実はね……」
僕は文芸部が存廃の瀬戸際にあることを包み隠さず話した。
「…… だから、もしかしたらこの部は廃部になるかも知れない。その時は部室も返上しないといけないからもう活動はできなくなる……」
「……」
「あ、でも大丈夫だよ。絶対何とかするからさ、安心して入部してよ」
「あの、ひとつ疑問に思っていたのですが……」
立花さんは僕たち三人の顔を見て。
「どうしてこの学校は文芸部とラノベ部が別々にあるのですか? 小説を読んだり書いたりと言う意味では同じだと思うのですが……」
「ああ、そのことね。『バリバリ』それはね……『ごくごく』 翔平くん、部長から説明して『ポリポリ』」
やめられないとまらないから僕に振ったな、小金井のヤツ!
けどまあ、部長だし仕方ない。
クズでゴミでスケベで変態だと思われていても頑張ろう。
上目遣いにこちらを見る立花さんは眩しすぎて。
僕は少し俯き加減に説明を始めた。
「実は去年までこの高校には文芸部しかなくて、今のラノベ部のメンバーも多くは文芸部にいたんだ。でも、去年の秋に内紛が起きて文芸部は二つに分裂。文芸部とラノベ部に分かれたって訳さ。元々いた一五人の部員の内、十人はラノベ部へ行った。文芸部には当時の三年生二人と僕たち三人だけが残ったのさ」
一気に説明すると僕は紙コップにコーラを注ぐ。
「その内紛の理由って何なのですか?」
「ああ、それはね……んぐぐっ」
軽くコーラを飲む。炭酸がクーっとしみる。
「去年やってた部内のリレー小説でね、当時の部長が不死身の狙撃手を登場させたんだけど、次の回で当時の副部長が魔王を登場させてその狙撃手を一瞬で抹殺してしまったんだ」
「あっさり死んだ時点で不死身じゃないですね……」
「で、それに腹を立てた部長はその次の回で巨大狙撃手ロボを登場させて見るも無惨に魔王を虐殺、これに腹を立てた副部長は勇者レンジャーなる勇者の五人組を結成させ、登場一ページ目で巨大狙撃手ロボを爆殺したんだ」
「既に小説じゃないですね……」
あまりのおバカさに立花さんのお菓子を食べる手が止まっている。
「リレー小説にはまだ続きがあるけど、聞きたい?」
「いえ、もう結構です」
そりゃそうだよな。この後も変装名人の怪盗とか魔法剣士とか暴れる将軍とか宇宙戦艦とかが登場するけど、やってることは一緒だもんな。
「と言うわけで、元々仲が悪かった当時の部長と副部長の関係がリアルファイトに進展して部が分裂したって訳さ」
心の底からどうでもいい理由だった。
「んんっ」
口いっぱいに頬張ったお菓子を飲み込んで小金井が更に続ける。
「恥ずかしながら翔平くんが言ったとおりよ。当時の部長は純文学が、副部長はラノベが好きでね、純文学派のあたしと佳奈はここに残った。他の多くは副部長と一緒にラノベ部を旗揚げしたのよ」
「そうですか……」
でも、立花さんはまだ何か納得いかない表情だ。
「あのう…… 羽月先輩は純文学派なのでしょうか?」
「えっ……」
鋭い。さすがは立花さん。
小金井と大河内は純文学派だけど、実は僕だけラノベ派だ。
「僕は生徒会長から文芸部に残るよう頼まれたんだ」
「生徒会長から…… 頼まれた?」
「そう、さっきも言ったけど部として認められるには部員が五人必要だ。でも純文学派は三年生二人と小金井、大河内の四人しかいなかったから」
「だからもうひとり必要だった訳ですね……」
まだ納得いかない表情を見せる立花さんに、小金井が慌てたように声を掛ける。
「そうそう、翔平くんは文芸部のホープというか、文芸部がお似合いというか……」
すぐさま大河内も歩調を合わせる。
「そうです~、羽月さんは先輩達の熱烈なご指名で残ったのです~」
「ご指名ですか、分かりました。ご説明ありがとうございます」
にっこり微笑む立花さんを見て僕は当時を思い起こす。
確かにあの時、先輩達や生徒会長の引き留めを受けたけど。
僕は未だにその理由を知らない。
君は次期部長になる運命のチェリーなのだ、とか言われたけど。
なぜこんな気弱で普通な僕だったのか?
結局、納得できる説明はなかった。
「あの、わたし、お願いがあります……」
「何、繭香ちゃん。可愛い新入部員のお願いは、何でもあたしがこの大きな胸で受け止めてあげるわ」
「平坦な胸で反射するなよ、小金井……」
ばきっ!
ハリセンで殴られた。
ハリセンにしては恐ろしく痛かった。
「このハリセンは超鋼鉄製の『ハリセン村正』よ。ダイヤモンドもバッサリ切れるわ」
「本気で殺す気かよ!」
「繭香さん、大丈夫よ~、佳奈の大きな胸に飛び込んでいらっしゃい~」
「はい、あの……」
立花さんは苦笑しながら。
「先輩方。わたしにも新入部員勧誘のお手伝いをさせてください」
「えっ!」
「新入部員があとひとり必要ですよね。わたし何でもやりますから、頑張りますから」
「立花さん……」
嬉しさで、一瞬言葉に詰まる。
「ありがとう。でもね、新入生勧誘は僕たちの仕事だから。同じ新入生の立花さんに頼むわけにはいかないよ……」
「でも文芸部はピンチですよね、是非わたしにも手伝わせてください」
そんな、僕が不甲斐ないばかりに立花さんに迷惑を掛けるなんて。
「でも、これは僕たちが……」
「翔平くん、いいんじゃないの、そんな堅いこと言わなくても。明日授業が終わったらここに来てね、繭香ちゃん」
小金井は軽くウィンクする。
「ありがとうございます。嬉しいです!」
もう、僕が出る幕はなかった。
「じゃあ、このお菓子は明日また食べましょうか」
「はい~、そうですね~。これだけあれば一週間は楽しめますね~」
それから十分後。
「じゃあね~!」
「また明日お会いしましょう~」
茶話会の片付けをして解散した後。
別れ際に立花さんは立ち止まり、僕だけに小さな声で話しかけてくれた。
「羽月先輩、わたしの名前を覚えていてくれたんですね。先輩とぶつかったとき、わたしの名前を呼んでもらって、わたし、嬉しかったです」
僕の心臓が突然爆発した。
「あ、も、勿論……」
「そ、それから、宜しければ、また、本を買いに来てくださいね」
「えっ!」
「あのお店はわたしの祖父のお店なのですが、なかなか本が売れなくて……」
「……」
「その、ちょっと、いかがわしい本が多いお店ですけど、もっとお客さんが来ないかな~って……」
「……」
「あの、き、気が向いたらでいいですから…… ごめんなさい、変なことを言って。先輩、じゃあまた明日」
そう言うと立花さんは足早に去っていった。
「……」
覚えられていた。
やっぱり僕が成人向け写真誌を買ったことをしっかり覚えられていた。
僕が変態でスケベでゴミでクズでマヌケな先輩だと思われているのは確定した。
あんなにも綺麗で素直で優しくて、とびっきりの女の子なのに。
* * *
その夜、僕は夢を見た。
綺麗な長い黒髪からシャンプーの甘い香りが漂って。
お人形さんのように整った愛らしい顔立ち。
くりっと大きな瞳が僕を捕らえて、桜の花片みたいなくちびるで僕に語りかける。
「先輩みたいな変態さんは、せいぜい祖父のお店の売り上げに貢献してくださいね」
そしてその艶めかしい肢体をくるりと翻す。
「お店が赤字なんです! 待ってますね、もっとエロ本買ってくださいね。先輩!」
「はあっ!」
僕は布団を跳ね飛ばして起き上がった。
夢なのに、胸がきつく締め付けられて。
「立花さん……」
彼女がそんなこと言うはずがない。
分かっている。
分かっているけど、きっとそう思われているんだ。
「……」
彼女のために出来ること。
こんな、変態でスケベでゴミでクズな僕でも彼女のために出来ること。
彼女のお店に貢献しよう。
彼女のお店でたくさん本を買おう。
それが立花さんに喜んで貰える、僕にできる精一杯の想い。
潤んだ瞳を閉じると、僕はもう一度眠りについた。