第4章 8話目
「もうそろそろ行こうかな」
駅前の古本屋で時間を潰した僕は腕時計に目をやる。
今日はとても長い一日だった。
いや、まだ七時だから終わってはいないけど。
あのあと僕はカラオケで『恐怖のデュエット耐久試験』をやらされた。
女の子とデュエットで歌い続けて三時間。体重が三キロ減った。もうヘロヘロだ。
ひとりカラオケ、通称『ヒトカラ』三時間と変わらないじゃないか、とお思いの貴方、それは全く違う。認識を改めて貰う必要があるのでちゃんと説明しよう。
何が違うのか?
第一に、曲は自分で選べない。
人が選んだ曲というのは気を遣う。
歌詞うろ覚えだし二番は知らないし。
知らないフレーズはパートナーの音をよく聞いて真似しないといけないし。
歌っていて気を抜ける時がない。
第二に、常に全力で歌わされる。
相方がちょっとでも不満を持つと、
「翔平くん、繭香ちゃんの時だけ張り切ってない?」
とか、
「弥生先輩とだけ腕組んでずるいです!」
とか、
「モニターの女ばかり見てないで、あたしの方を見て歌ってよっ!」
とか、
「あかねちゃんの時だけ点数高いっ」
とか……
そんな鬼のような理由で叱責は飛わハリセンは飛ぶわ。
トイレにも行けずポテチも喰えず。
みんなに公平に全力投球で三時間もやらされる身にもなって欲しい。
そして第三に…………
みんな可愛い上に、ふざけたようにベタベタしてきて。
ドキドキして、バクバクして、心臓が持たないよ。
僕はマスコット人形か?
僕はおもちゃか?
純情な僕は緊張で汗タラタラなのに。
デュエット一曲だけでも体力の消耗は並みじゃないのに。
それが三時間連続だよ。死ぬよ、ホントに。
女って残酷だ。
いつもはみんな優しいのに、集団になると恐ろしい。
あれは拷問だ!
今日一日そんな拷問を耐え抜いた僕はもうへとへとだったけど。
でも、まだ最後の楽しみが残っている。
そう、立花書店に行くのだ。
カラオケの時、突然立花さんに誘われた。
カラオケが終わると、立花さんはいつものように全力疾走で帰って行った。
「先輩、ゆっくり来てくださいね、七時になったら来てくださいね! ここ重要ですからね、アンダーライン引いてくださいね!」
そんな、いつものセリフを言い残して。
古本屋を出た僕はゆっくりと歩いていく。
はやる気持ちを押さえながら、ゆっくりと歩いて行く。
もう見慣れた小さなお店。
入り口のお勧め本コーナーには『お兄ちゃんなんか、いますぐ逮捕しちゃうからねっ!』のラノベ文庫本が派手なPOPで宣伝されている。この前来たときと変わらない。
店に入りながら薄暗い店の奥を見た僕はギョッとした。
と言うか、一瞬反射的に逃げ出しそうになった。
「べっ、別に十八禁のエロ本を買いに来た訳じゃないですからっ!」
しかし、そんな僕に可愛らしい声が投げ掛けられる。
「お待ちしていました、先輩!」
店の奥から僕に向かって歩いてくる婦警さん。
「いや、僕、悪いこととか別に、その…… えっ?」
「先輩っ!」
婦警の帽子取って微笑んでいるのは、立花さんだった。
「んなっ! どうしたの、立花さん! 何その格好!」
「見ての通り女性警察官のコスプレです!」
珍しくレジから出て歩み寄ってきた立花さんは、平積みの文庫本に指を揃えて手を向ける。
「今日はこちらの本、『お兄ちゃんなんか、いますぐ逮捕しちゃうからねっ!』、略して『おにたい』の特別キャンペーン企画なんです」
婦警のコスプレをした彼女はとても大人びて、アップした髪から覗く白いうなじに、短いスカートから伸びる黒ストの美脚にズッキンドッキンだ。彼女になら捕まっても構わない。いや、捕まりたい。お願いです捕まえてください。どうしたら捕まえてくれるんですか!
僕は恥ずかしい妄想を頭の中から追い出すように一呼吸。
「ああ、なるほどね。立花さんお勧めなんだよね、この本」
「そうなんです。でも、今日この本は買わないでくださいね!」
「えっ、どうして?」
「理由は、あとでお教えします」
人差し指を立てて悪戯っぽく微笑む彼女。
くりっと大きな瞳が僕を捕らえてズッキンドッキンだ。
思わず視線を逸らした僕は落ち着くために大きく息を吸って。
「す、凄く似合ってるね、その婦警の格好!」
「そうですか! ヒロインの妃織ちゃんに負けないように頑張りました!」
そう言いながらくるりと身を翻す立花さん。
まるでアニメの世界から抜け出してきたような完璧な美少女。
そんな彼女が僕を上目遣いで覗き込む。
「でも、さっき来たサラリーマンのお客さん、わたしの格好を見て買おうとしていた成人向けの本を買わずに棚に戻して帰って行ったんですよ」
ちょっと不満そうに頬を膨らます。
「……うん、普通買わないと思うよ、婦警からエロ本なんて」
「いえ、先輩なら絶対堂々と買ってくれました!」
僕ってバカだと思われてる?
ムキになった表情も可愛い立花さんは、すぐにやんわりと表情を戻して。
「そうそう、先輩これ見て下さい!」
そう言いながらアップした髪から髪留めを外して僕に見せる。その瞬間、彼女の長い黒髪がサラリと下りる。
どっきゅん!
心臓が弾んだ。
「この緑色のチューリップの髪留め、自分で作ったんです」
緑色のチューリップの髪留めは『おにたい』主人公の妹でありヒロインである妃織がいつもつけているアイテムだ。
「とてもよくできてるね」
「ふふっ」
彼女は嬉しそうに微笑んで。
「知っていますか、緑色のチューリップの花言葉」
彼女は澄んだ瞳で僕をじっと見つめる。
なるほど、女の子ってそういう視点で小説やアニメを見てるんだ。
「ごめん、花言葉には疎くて。知らない」
「じゃあ、宿題ですね!」
そう言うと彼女はまた器用に長い黒髪を纏めながら。
「先輩、今日の特別キャンペーン企画のことも、絶対秘密で、お願いしますね」
「ああ、やっぱりそうなのね。おじいさんには出来ないからだね」
「そうなんです。この企画も先輩とふたりだけの秘密ですっ!」
「でも、さっきサラリーマンのお客さんが来たって言わなかったっけ?」
「あっ…… 失敗しました」
一瞬落ち込んだ彼女は、しかしすぐに立ち直る。
「さっきの人は幻です」
そう言って有無を言わせずにっこり微笑む。
「では、狭い店ですけど、ゆっくりご覧くださいね」
そう言ってレジへ戻りかけた彼女は、しかしすぐに立ち止まった。
「実は、長いこと売れずに残っている商品があるのですが……」




