第3章 7話目
バスの中の出来事を思い出しながら歩いていると、立花書店はもう目の前。
解散してからちょうど一時間だ。そろそろ店に入ってもいいよね。
立花書店の入り口のお勧めの本コーナーを見る。
僕の本『魔王がエロ本屋で大赤字を出しまして』一巻は、もうそこになかった。 きっと売り切れたのだろう。その代わり『アニメ放映中!』の派手なPOPとともに別のラノベが平積みになっていた。
店内を見るとレジには初老の紳士が立っている。立花さんのおじいさんなのだろう。
店の奥から声がする。
「おじいちゃん! 店番替わりましょう! ちょうど野球中継も始まったわよ、傘をさしてフライパンを叩いて応援してるわよ!」
「おっ、そうか、いつもすまないね、まゆちゃん!」
そんなやりとりを聞きながらゆっくりと店に入り、本の物色を始める。
「ん?」
雑誌コーナーの横に積まれた新刊らしいビジュアルブックが目に入った。
『お兄ちゃんなんて、いますぐ逮捕しちゃうからねっ!
オフィシャルファンブック』
「おっ、出てるんだ!」
毎週楽しみに見ている深夜アニメのファンブックだった。
表紙はヒロインのイラストとともに声優さんが婦警のコスプレをしている。
細面の綺麗な声優さんの長い黒髪には緑のチューリップの髪飾り。
黒髪と髪飾りはメインヒロインのトレードマークだ。
本の帯には『買わなきゃいますぐ逮捕しちゃうからねっ!』のキャッチコピー。
僕は逮捕されたいのだが、買っちゃいけないのだろうか。
そんなことを考えながら本を手にとって見ていると声を掛けられた。
「いらっしゃいませ、先輩!」
「あっ、立花さん。今日はお疲れさん! 色々大変だったね」
「羽月先輩の応援のお陰で助かりました」
「違うよ。全ては立花さんの実力だよ。とってもかっこよかったよ」
「そんな…… ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる彼女は前回同様ゆったりとしたガウンを羽織っている。
ここ数回の経験から、さすがの僕も彼女のガウンが意味するところは読めた。
「先輩はいま来たばかりですよね。ゆっくりご覧になってくださいね」
「うん、でも今日はこれにするよ」
「えっ、早いですね。ちょっと待ってください!」
僕がレジに向かおうとすると彼女が待ったを掛けた。
「スーハー スーハー……」
立花さんが呼吸を整えている。
「スーハー スーハー……」
僕も呼吸を整える。
「…………」
「…………」
彼女と目が合った。
「いきますっ」
「ごくっ……」
僕が生唾を飲み込んだ瞬間、ガウンが脱ぎ捨てられた。
「んあっ!」
それは紫が基調の花柄が可愛いビキニだった。
カップの縁はフリルで囲われ胸の谷間には紫の紐が可愛く結ばれている。決して下品ではなく隠すところはしっかり隠している正統派だが、それでもビキニはビキニ。下着姿と露出部分は変わらない。
「先輩大変! 鼻血が! ティッシュを!」
形の良さを想像させる綺麗な胸の谷間。引き締まったウエストに縦に割れたおへそが可愛い。形のよいヒップからすらりと伸びる太ももが眩しく、僕の心臓がバクバクとうるさく騒ぎたてる。落ち着け僕の心臓! って言うか、あれっ、鼻血が出てる?
「先輩、ティッシュですっ!」
いつの間にかレジから飛び出し目の前に立っていた立花さんが鼻の下にティッシュをあてがってくれる。
「大丈夫ですか、羽月先輩!」
湯上がり直後なのだろう。少し湿った彼女の髪からシャンプーの爽やかな香りが漂って僕を包み込む。
「あっ、ごめん!」
ティッシュを受け取ると僕は自分の鼻を押さえた。
「な、情けないね僕、鼻血なんて。床、汚れちゃったね」
「気にしないでください。それより上を向いてゆっくりしてください」
「ああ、そうだね。ほんと、ごめん」
「先輩こちらへ」
彼女は僕をレジのところに連れて行くとパイプ椅子に座らせた。
「ありがとう、立花さん」
「いえ、わたしが悪かったんですよね。でも、もしそうなら、少し嬉しいですけど」
「ごめん、迷惑掛けて」
あ~あ、後輩の水着姿を見て鼻血なんて、変態を通り越してド変態だ。超弩級変態だ。死ぬほど情けない。これで軽蔑レベルが更に三段階特進しただろうな。
けど、既に失うものも何もない僕だから、まあ、いいか。
僕は鼻にティッシュを突っ込んで上を向いた無様な姿のまま彼女に尋ねる。
「ところで、今日のサービスはどう言う企画なの?」
「えっと、これはですね、いつもお世話に…… そう、日頃のご愛顧感謝企画です」
取って付けたような企画だった。
「そうなんだ、日頃のご愛顧感謝企画なんだ。ありがとう」
「いいえ、そんな。 そ、それから、この感謝企画の事も、ここだけの秘密でお願いしますね。いつもと同じで、絶対に秘密で」
「ああ、やっぱり秘密なんだ。うん、わかった」
ここまで同じ事が繰り返されると、さすがの僕もある推測をせざるを得ない。
そう、多分この憶測は正しいと思う。
きっと彼女はおじいさんに内緒でリピーター獲得のため孤軍奮闘してるんだ。
一生懸命お店の為に、個別の顧客戦略まで立てて。
頑張り屋さんだな、本当に。
ティッシュを鼻に突っ込んで暫く上を向いたままそんなことを考える。
彼女はビキニ姿のまま僕の真横に立って、そして一緒に天井を眺めている。
湯上がりの彼女からは甘く清潔ないい匂いがして、無様な自分を忘れてしまいそう。
やがて彼女は語るように口を開いた。
「今日わたし、たくさんのヤジを飛ばれましたよね……」
「……うん」
「あれって、悲しいですけど事実だったり身から出た錆だったり、少なくともたくさんの人が知っている事なんですよね……」
彼女はじっと天井を見たまま語り続ける。
「だけど、わたしの感謝企画は、先輩とふたりだけの秘密です。羽月先輩とわたしだけしか知らない、秘密、なんです」
「……そう、なんだ」
「先輩、今日はありがとうございました。先輩の応援、とても嬉しかったです……」
「…………」
「このお店も昔は子供の本とかがいっぱいあったんです。わたし、小さいときから早くレジに立ちたいって思ってました。大きな声でいらっしゃいませって言って、笑顔でありがとうございますって言って、そんなのやりたかったんです。でも、ご存じですよね。駅の近くにとっても大きな本屋さんが出来て、それで、うちのお店はご覧の通り、品揃えを変えたんです」
ビキニ姿の彼女は僕に寄り添うようにとても近くにいて。
その独白は、呟くように、しかし少しだけ弾むように続いていく。
「だから先輩が笑顔で本を買ってくださって、目の前で喜んでくださって、わたし、とっても嬉しかったんです。」
そうだよな。ニコニコしながら明るく元気にエロ本を買うバカはいないよな。
やっぱ僕って何気にディスられてる?
「わたし、先輩の応援を絶対に忘れません。頑張りますね。お客さんに喜んで貰えるように頑張りますね、わたし」
「すでに充分頑張ってるよ、立花さんは」
その頑張りで鼻血吹き出しているヤツまでいるんだから、ここに。
「……わたし、まだ希望を持っていても、いいんですよね?」
「えっ?」
「いえ、ごめんなさい。何でもありません」
よく聞こえなかったけど。時々分からないことを言うんだよな、彼女。
でも、こうして座っていると何だか優しい雰囲気が伝わってきて。とっても安心できるいい匂いがして。いつまでもこうしていたいと思ってしまう。
暫しふたり無言のまま。
何もない天井を見つめる。
時間が止まったような不思議な感覚。
いつまでも続いて欲しい。
だけど。
僕は分かっている。いつまでも彼女に迷惑は掛けられない。
やがて。
思い出したように鼻に詰めているティッシュを見る。
出血は落ち着いて来たようだった。
「立花さん、鼻血もう大丈夫みたい」
「慌てないでくださいね、無理しないでくださいね、先輩」
こんな僕にも彼女は優しい。
「ううん、大丈夫」
僕はゆっくり立ち上がると手に持っていた本を彼女に渡した。
彼女と目が合うと、そのくりっと大きな瞳に吸い込まれそうになる。
でも言わなくちゃ。
笑顔を見せて言わなくちゃ。
「今日はこの
『お兄ちゃんなんて、いますぐ逮捕しちゃうからねっ!
オフィシャルファンブック』
をくださいな」
「はいっ。
『お兄ちゃんなんて、いますぐ逮捕しちゃうからねっ!
オフィシャルファンブック』
一点で、千八百円になります」
彼女は少しおどけたように微笑んでみせる。
「はい、二千円」
僕が財布からお金を取り出すと、彼女は何だか嬉しそうに。
「先輩、このアニメのキャラで誰が好きですか?」
「えっ、立花さん、このアニメ見てるの?」
「はい、原作のラノベを読んでたので」
「あっ、だからお勧め本のコーナーに置いてあったんだ」
「はい、わたしが置いて貰うように頼んだんです」
そうか、あのコーナーは立花さんの趣味のコーナーだったんだ。
彼女は嬉しそうにお釣りを差し出しながら。
「わたしは、やっぱり妹の妃織ちゃんが好きです」
「あっ、僕も。やっぱ妃織ちゃんだよね。このアニメのメインヒロインだもんね」
「羽月先輩も婦警の格好をした妹さんに逮捕されたいタイプなんですね!」
「いや、別に僕はシスコンじゃないんだけど」
「ふふっ、ごめんなさい」
彼女は紙袋を手渡しながら優しく笑ってくれる。
「明後日、楽しみですね」
「うん、そうだね」
僕はちょっと躊躇ったけど。
「その水着、とても似合ってるね。今日はありがとう」
サービスにはちゃんとお礼を言わないとね。
「先輩! 嬉しいですっ」
眩い笑顔に後ろ髪を引き抜かれながら店を出る僕に彼女の声が聞こえる。
「ありがとうございます、次も期待していてくださいね、またお待ちしています!」
第三章 完
これで第三章は完結となります。
いかがでしたでしょうか。
第四章は文芸部のみんなが休日に遊びに行く話です。
公園で弾け飛んで、カラオケで放送禁止歌が激唱されるのか?!
歌う密室で、あんな事やこんな事が繰り広げられるのか?!
ごめんなさい。
翔平君はヘタレ野郎なので、まだまだ大人の階段は登れそうにないです。
是非まったりとお楽しみください。




