第3章 5話目
第三ゲームは緑山選手のサービスゲームだ。
彼女はチラリと応援団を見る。
そこには拡声器を手に身構える香雅高校テニス部の面々が。
「立花さん、あなたの悪運もここまでよ。勝つのは私なの」
自信満々に口の端を吊り上げ、緑山選手がボールを放り上げる。
「はっ!」
ばしっ!
「エロ本売りの繭香ちゃん!」
「えっ?」
ギュウイイイイイイ~ン
ばしっ!
「15―0(フィフティーンラブ)!」
サービスエースが決まる。
ボールがコートの壁で跳ね返り足元に転がってきても立花さんはそのまま立ち尽くしている。
「次、行くわよっ!」
緑山選手がボールを放り上げる。
「はっ!」
ばしっ!
「エロ本屋さんのラブドール!」
キュイイイイイイイ~ン
ばしっ!
「30―0(サーティラブ)」
僕は声が出せなかった。
何と言っていいかわからなかった。
小金井も大河内も、深山さんも、そして柳崎さんも、その様を黙って見ている。
ヤジの背景は分からなくても、その質が変わったことを感じたのだろう。
「エロい本ならお任せよ~」
「40―0(フォーティラブ)」
コートに立つ立花さんはきつく口を閉じ、きつくラケットを握りしめ。
そして、泣いていた。
涙は見えないし泣き声も聞こえないけど、でも、そう見えた。
「立花さん……」
相手応援団を見る。
立ち尽くす立花さんを見て嬉しそうに盛り上がる香雅高校応援団。
「ゲームウォンバイ緑山選手 緑山選手リーズ 2―1」
「ねえ翔平くん、一体何のこと、エロ本屋さんって?」
小金井が尋ねてくる。
言っていいのかどうか一瞬迷ったけど、小金井に隠す必要はないと思った。
「ああ、彼女のおじいさんの家、本屋さんなんだよ。小さな本屋さん。で、彼女はお店のお手伝いをしているんだ」
「なるほど、そう言うことね。ひどいこと言うわね!」
一旦ベンチに戻った彼女にみんなが声を掛ける。
「気にしない気にしない!」
その声に少し微笑んで応えた立花さん。
だがコートに戻ろうとした彼女は相手の応援団を見て立ち止まった。
「あっ、音輪さん!」
驚いたように声を上げると、彼女の顔からまた笑顔が消えた。
音輪さん?
相手応援団に知り合いがいたのだろうか。
「今まで一緒だったのに…… どうしてこんなことを……」
手で顔を覆う彼女。
しかし無情にもゲームは続く。
「今日も元気だ、エロ本がバカ売れ!」
相手のヤジは絶好調。
「フォルト! ゲームウォンバイ緑山選手! 緑山選手リーズ 3―1」
立花さんは別人のようにミスを繰り返す。
「緑山さん、相手は立っているだけっ、楽勝よっ!」
「どうしたのっ、繭香ちゃん!」
いたたまれなかった。
こんなの、いくら何でもひどい。
どうしよう。試合を止めて貰うとか……
コートを見る。
「はあっ!」
びしっ!
「ラブレターは読まないけれど、エロ本だけは読んでいるっ!」
ギュウウウイイイイイ~ン
「くっ!」
スパン
ばしっ
パシッ
びしっ
それでも彼女は必死に戦っていた。
「40―0(フォーティラブ)」
唇を噛みしめ、潤んだ瞳で、必死で前を向くように。
「ゲームウォンバイ緑山選手! 緑山選手リーズ 5―1」
だけど。
彼女は神でも超人でも機械でもない、赤い血が通った普通の女の子。
激しい動揺は隠しきれない。
「ゲームセットウォンバイ緑山選手! セットカウント1―1」
遂には一セットを失い、ベンチに戻る立花さん。
「柳崎さん、皆さん、ごめんなさい。わたし弱くて、情けなくて、惨めで……」
「何言ってるの! あなたは頑張ってくれてるわ! こんな酷い目に遭っているのに。謝るのは私達の方よ!」
柳崎さんも力なく頭を下げる。
「すいません。次こそ、頑張ります、から……」
それでも気丈に前を見ようとする立花さん。
「でも、負けたら、わたしのせいで…… もっと頑張らないと……」
見ていて僕は気持ちが抑えきれなくなった。
「立花さん何を言ってるの。充分頑張ってるじゃないか! いつも一生懸命頑張っているじゃないか! テニスだって、本屋さんだって!」
「…… えっ?」
「立花さんは世界一の本屋さんだよ、明るくって楽しくって一生懸命で、世界で一番お客さんを幸せにしてくれる本屋さんだよ。素敵だよ。もっと胸を張ろうよ」
僕の口が勝手に動く。心の声がそのまま紡がれていく。
「羽月先輩……」
「今日の試合が終わったら、また買いに行っていいかな。いかがわしい本を、エロ本を買いに行ってもいいかな!」
「もっ、勿論です、羽月先輩!」
立花さんが顔を上げた。
その顔は堅い薔薇の蕾が一気に花開いたかのように眩しく咲いていた。
「先輩は世界一のお客さんです」
彼女は立ち上がるとお茶目にくるりと回って見せた。
「今夜はとっても楽しみです!」
そう言うと弾むようにコートへと向かった。
* * *
第三セットの様子は語るまでもないだろう。
ヤジなど全くどこ吹く風。
立花さんは喜びを抑えきれないように、蝶のように舞い、蜂のように刺した。
勿論、相手の悪あがきも続いた。しかしラケットを投げ込んだり、コートに空き缶が飛ぶなどと言った苦し紛れの嫌がらせも何の役にも立たなかった。
哀れ緑山選手。
一ゲームも取れないままセット後半になる頃には諦めてしまったのか自虐的な笑みさえ浮かべていた。
結局 6―0 1―6 6―0 で、我が松院高校花の女子テニス部の勝利。
「ありがとうございました」
試合後頭を下げて握手を求めた立花さんに緑山選手は素直に応じる。
「ねえ、ひとつだけ聞いてもいいかしら」
握手をしながら緑山選手が声を掛ける。
「はい、なんでしょう?」
「あなたの学校の応援席にある『いつもニコニコ文芸部』って言うプラカードは何なの?」
応援席をチラリとみた立花さんは破顔して。
「はい、先輩達の応援です。わたし文芸部なんです!」
「あ…… そう」
緑山選手はがっくりうなだれて仲間の元へ歩いていった。
「きゃあっ!」
「やったあ~」
「うわあっ!」
一方、立花さんは松高花の女子テニス部の皆さんにもみくちゃにされている。
「でもさあ、これでよかったのかな?」
僕は小さく呟く。
「可哀想よね、繭香ちゃん。あんなことを言われたら普通簡単には立ち直れないわ」
「そうですね~ 慰めてあげないといけませんね~ よしよしと」
小金井、大河内が僕の声に応える。
「ところで翔平くん、何だったの、繭香ちゃんとのさっきの会話。 この後いかがわしい本を買いに行くとかどうとか」
小金井がジト目で睨む。
「あは、ははは、ははははは」
これで文芸部の女子全員に軽蔑されたな、確実に。
* * *
かくして僕はまたゆっくりと立花書店に向かっている。
勿論、試合中の約束を果たすため。
帰りのバスから降りた立花さんは、
「可能な限りゆっくり来てくださいね。一時間掛けて来てくださいね。ここ大切ですからね、試験に出ますからね!」
とだけ言い残し、例によって全力疾走で帰って行った。
だから僕は古本屋に立ち寄ったりしながら彼女の店にゆっくり歩いている。
帰りのバスでの騒動を思い出しながら。




