第2章 5話目
あっと言う間に週末が来た。
人もまばらな土曜日の部室棟。
今日中に小冊子を準備して月曜日から配布開始だ。
「ごめんね繭香ちゃん、原稿からイラストまで全部繭香ちゃん頼みで」
作業中のパソコンをポテチ片手の小金井が覗き込む。
「いえ、わたしも少しはお役に立てればって」
レイアウト作業の手を止め後ろを振り向く立花さん。
彼女はあれから二日で原稿案を作って来た。
その文章はとても美しく、部員みんなで推敲したけど大きくは変わらなかった。
文章に合うイラストもみんなで持ち寄ったけど、仕上げは全部彼女がやった。
全部立花さん頼みだった。
僕も自然と彼女に頭を下げる。
「ほんと悪いね、全部立花さんにやらせちゃって」
「そんなことはないです。それに先輩覚えていますか、中学の図書祭りの時のことを」
「図書祭り……」
「あの時は先輩、全てのことをひとりでやっちゃったんですよ」
「……」
思い出した。
あの時のことか。
あの時、彼女だけが怒ったんだっけ。
二年前、僕は中学の図書委員長だった。
年に一度の図書室の行事、図書祭り。
たくさんの準備が必要なのに、担当の先生が僕への連絡を忘れていた。
準備の時間は週末しかなくて、しかもその週末は市内の中学総合体育大会。
金曜日の委員会で運動部員と週末に用事がある人を調べたら僕以外全員がアウト。
だから土曜日と日曜日、ひとりで準備した。
みんな褒めてくれた。喜んでくれた。
でも、たったひとりだけ。立花さんだけが怒ったんだ。
準備があること、どうして黙ってたのかって。
「でもさ、あの時はほら、立花さん運動部だったし」
「金曜に突然退部するとか、会場に怪獣を出現させるとか、会場に台風を発生させるとか、手はいっぱいありました!」
「いや、ないない」
「でも、先輩は自分ひとりでやりましたよね」
「……」
「だからこれくらい当然です」
「あの~、いい雰囲気のところ悪いけど」
小金井がジト眼で僕を見て。
「翔平くんって中学の時から繭香ちゃんとお知り合いだったんだ」
「うん。知り合いというか、校内委員でちょっとだけ、ね」
小金井は立花さんの顔を覗き込む。
「ちょっとだけって、立花さんは心外そうな顔ね」
「あ、いえ、羽月先輩の言う通り、ちょっとだけ、です」
「ふうん……」
押し黙ってしまう小金井。
やがて。
「あっ、レイアウト出来ました。これでどうでしょう」
立花さんの声にみんなでモニターを覗き込む。
「いいんじゃないかしら~」
大河内が太鼓判を押した。
「よし、これであの憎き夢野をギャフンと言わせられるわね!」
ばふっ ばふっ ばすばすばふっ ばしばしばふっ!
いつの間にか文芸部マスコットのくま、ハチ公を抱き寄せていた小金井はその腹部にボディブローを浴びせていた。いつもよりテンションが高いのか、乱打だった。
と、
その時。
「やめてください、ハチ公が死んじゃうっ!」
入り口から飛び込んできた金色の髪に真っ赤なリボンの少女。
「あれっ、あなたは確かラノベ部の……」
小金井が言うが早いか少女はハチ公に抱きついた。
「痛かったよね、ハチ公!」
ハチ公に頬を寄せながら涙ぐむ少女。
「お久しぶりですね~ またハチ公の頭を撫でに来てくれましたか~」
ゆっくり歩み寄る大河内を見て彼女は我に返った。
「あっ、す、すいません。急に飛び込んできて」
赤面した。
「大丈夫ですよ~、ほらハチ公の頭、もっと撫でてくださいね~」
「なんだか、あたしって悪役ね……」
しょんぼりする小金井。
少女は大河内とふたり仲良くぬいぐるみを愛でている。
ふたり揃って気持ちよさげに涎まで垂らして、お似合いのほんわかペアだ。
暫く唖然としていた僕も少女に声を掛ける。
「そんなにハチ公が好きなら、時々来てくれてもいいよ」
僕の声に気が付いた彼女は、しかし僕をキッと睨みつけて。
「あっ、あなたがラノベ部を分裂させ可愛い先輩達を拐かしハーレムを作っているという、悪の総本山、羽月翔平ですねっ!」
なんだその屈曲した歴史!
「くらえっ、あかねちゃんフルスロットルパ~ンチ!」
しかも突然殴られた。
「先輩っ!」
咄嗟のことに尻餅をついた僕を立花さんが介抱してくれる。
「大丈夫ですか!」
あっ、立花さんのいい香り。殴られてよかったかも。
しかし、そんな僕を見て少女は次の攻撃を仕掛ける。
「まだ生きてますね、トドメです、あかねちゃんフルスロットルキ~ッ…… なにっ」
小金井が少女を羽交い締めにした。
「放してください、コイツは女の敵なんですっ」
「ちょっと待ちなさい。誰に聞いたのそんなデマ」
「デマじゃありません。デマじゃないって夢野先輩言ってました!」
「夢野こそ女の敵よ、騙されないでっ」
「放してくださいっ」
とまあ、こんな感じで。
五分後。
説得に当たった女性陣の努力の甲斐もあり少女は僕に頭を下げていた。
「ごめんなさい急に殴ったりして、すいません、勘違いして。ほんっとに、ごめんなさい」
「もういいよ、怪我もないし」
「そんな。わたしをぶっても蹴ってもお仕置きしても構いませんからっ」
「大丈夫だって、そんなことしないよ。ところで、君の名前は?」
「は、はい、深山あかね、一年です」
「そうか、深山さんか。で、深山さん、ひとつ教えて欲しいんだけど、夢野先輩からはどんな話を聞いたの?」
「どんなって、それは……」
「ねっ、あかねちゃん。絶対怒らないから。教えてよ」
小金井も優しく尋ねる。
「はい、わかりました。夢野先輩が仰るには、去年ラノベ部から三年生二人と羽月先輩が独立して文芸部を立ち上げて……」
「……」
「女好きの羽月先輩は、悪代官の生徒会長とグルになって……」
「……」
「嫌がる小金井先輩と大河内先輩を力ずくで文芸部に入部させたって」
「それは全く逆ね」
「逆?」
小金井は深山さんに文芸同人誌のバックナンバーを差し出しながら。
「そうよ、見て。文芸部はこんなに昔から活動してるのよ、去年独立なんてありえない。文芸部から去年独立したのはラノベ部の方よ!」
深山さんは同人誌の発行日を見て息を飲む。
「それから生徒会長と仲良しなのは、翔平くんじゃなくて、このあたし」
「えっ」
「生徒会長に頼んで翔平くんが文芸部に残るよう泣いて頼んだのも…… あたしよ」
「えっ!」
「えっ!」
「えっ!」
深山さんだけでなく、僕と立花さんも声を上げた。
「小金井、それって……」
小金井を見たがすぐに目を逸らされた。
「ともかく、そう言うことだから夢野が言うことは全部うそ! わかったかしら、あかねちゃん!」
「はい。ごめんなさい……」
「じゃあ仲直りね」
「はい」
その後暫くハチ公を愛でていた深山さんは、やがて笑顔でラノベ部へ戻っていった。
しかし、小金井の一言以降、なんだか部室の空気が重い。
「なあ小金井、さっきの話って本当?」
「だから本当よ! こんなあたしと大河内をまとめられる変人って翔平くんしかいないじゃない!」
「そ、そうかな」
「羽月さん、奈々世先輩には私も一緒に頼んだんですからね~」
「大河内……」
「だから~ 勝負に負けるなんて、あり得ませんよ~」
そうだったんだ。
僕はこんなにも彼女たちに期待されていたんだ。
頑張らないと。
「……」
ただ、さっきから立花さんは一言も発していない。
呆然と原稿のレイアウトを眺めている。
そんな彼女に気を遣ったのか小金井が声を掛けた。
「ねえ繭香ちゃん。翔平くんって凄く鈍感でしょ!」
「弥生先輩、あの何と言ってよいやら……」
「ハッキリ言っていいのよ。それからあたしは繭香ちゃんのことも大好きだからね」
「弥生先輩……」
少しだけ空気が和んだ気がした。
僕はみんなを見回して。
「じゃあ、作業に戻ろうか。原稿を印刷してコピーしよう」
その一言にみんなは作業を再開した。