番外編 繭香の、どきどきストーキングデー 4
ファミレスを出た三人は科学館の屋外特設ステージへと入っていきます。
開演三十分前だというのに前の方には熱心なファンがたくさん集まっていました。
「みっかり~ん!」
「ルカたあ~んっ!」
熱烈なファンの人達はお揃いのパーカーを羽織っているのですぐに分かります。若い男の子もいますけど、いい歳したおじさんもたくさん混じって応援の事前練習に余念がありません。もうすぐ冬だというのに暑苦しいと言う表現がピッタリでした。桜子ちゃんと小倉くんに手を振って別れた羽月先輩は、ひとり会場の脇の方へ歩いて行きます。見失わないように後を付けると、自販機が置かれた小さな休憩スペースで立ち止まりました。そしてキョロキョロと辺りを見回すと急に笑顔になって手を上げます。
「あっ!」
羽月先輩が手を上げた先にはわたしもよく知っている顔がふたつ微笑んでいました。
小金井弥生先輩と青木奈々世先輩。
弥生先輩はわたしの尊敬する文芸部の先輩で、そして今や生徒会長です。凄く美人でファッションセンスも抜群で、性格もサッパリしていて後輩想いで優しくて。だけど、そんな弥生先輩にわたしの心は小さく疼きます……
もうひとり、青木先輩は松高の前生徒会長。わたしには凄く優しかったけど羽月先輩はよく怒られてたみたい。
おふたりは羽月先輩と何やら談笑を始めました。羽月先輩は奈々世先輩に何か原稿のような物を見せています。
しかし……
まだ秘密の話ですけど、弥生先輩はNZK49ersの新メンバーになる事が決定しています。だからここにいることは不思議じゃないんですけど、奈々世先輩は一体ここで何をしているのでしょう?
不思議な場所で不思議な組み合わせ。まさか奈々世先輩も49ersのファンとか?
そんなわたしの疑問をよそに、やがてふたりは手を振って科学館の中に消えていきました。
また羽月先輩の後を追って会場に戻ると、もう人でいっぱいでした。
先輩は何食わぬ顔をして群衆の最後列に立ちました。背が高いからどこからでもステージが見えるんでしょうけど、わたし困るな。
先輩の更に少し斜め後ろに陣取ったわたしは、もうステージを見ることは諦めました。音だけでもいいわ。勿論まだまだ探せばステージが見える場所はいくらでも空いています。でもそれだと羽月先輩を見失ってしまいそう。今日のメインは羽月先輩。申し訳ありませんが49ersはBGMに過ぎません。先輩はかぶり物をしたメンバーの『みかりん』とやらにご執心のようなのですが、わたしは正直興味がありませんし。勿論、弥生先輩がデビューしたら応援しますけど。精一杯応援しますけど。
やがて。
「みんな~! 今日もありがと~!」
「それじゃ、いくよ~っ!」
メンバーが出て来たようです。わたしの周りも急に盛り上がり始めます。
と。
斜め前にいた先輩がわたしの方を振り返り、わたしをみてニコリ微笑むじゃありませんか!
もしかして、バレた??
しかし。
「前の方へどうぞ」
先輩の口はそう言っているようです。
「あ、ありがとうございます」
少し会釈してわたしは先輩の前に行きました。先輩背が高いから気を遣ってるんだわ。
チラリ後ろに目をやりますが、先輩はステージの方を見ています。さすがベレー帽とサングラス! 完璧なる変装道具です。こんな至近距離でもバレることはありません。
チャッチャッチャ チャッチャ
チャッチャッチャ チャッチャ
最初の曲は凄くアップテンポ。ラテンのリズムで、馴染みやすいフレーズで、お客さんも最初からヒートアップしていきます。先輩もわたしの後ろで手拍子を取っているみたい。わたしも少しウキウキしてきます。
「は~い、NZK49ersで~すっ!」
最初の曲が終わるとみかんのかぶり物をした『みかりん』がお喋りを始めました。
「と、言うわけで、私たちがモデルになった、ロコドル探偵の活躍を描いた名崎新聞の連載小説。何となんと、単行本化が決まりましたっ! 明日の朝刊にあるクイズに正解すると抽選で十名にプレゼントしてくれるらしいよっ!」
えっ?
単行本の話は先日聞きましたけど、明日の朝刊にあるクイズって、そんな話わたし知りません。一体どこからそんな情報を…… 名崎新聞と繋がってるんでしょうか?
しかし、わたしの驚きはこれで終わりませんでした。
「駅前のメイド喫茶、メイシルフィードでは、今日と明日限定で、「特製お持ち帰りプリン」を販売するらしいよっ! 甘さ控えめのオトナの味なんだって!」
思わず後ろにいるはずの羽月先輩を振り返ります。先輩はいつもと同じく飄々とみかりんのステージを見ています。だけど、この話の内容、わたしは先輩を疑わざるを得ません。先輩が49ersに繋がっている。とすれば弥生先輩経由?
次の曲が始まります。
「新曲で~すっ、聴いてくださ~い! それは君との合い言葉!」
カンカン カンカカン
合い言葉は 君に決めた~っ!
みかりんがカスタネットを打ち鳴らし大きく叫ぶと曲が始まりました。
いつもあなたは ドアの向こうで (誰を見てるのっ?)
わたしいつも ここにいるのに (待っているのよっ)
冷たい素振りは 好きの裏返し (分かってるでしょ?)
ポテチ囓って 今日もドキドキ いつもソワソワ
何故だか妙に気になる歌詞です。わたしは必死に歌詞を拾います。
だからいますぐ ノックをしてよ
たった三回 叩くだけじゃない
準備万端 わたしは いつでも イエスだから~
カンカンカン カカン
合い言葉は 君に決めたっ!
わたしのドアは 開いているでしょ
あなたにだけ 全力全開
秘密の部屋でふたりきり
さあ 夢の時間は 今始まるよ
この歌詞、わたしにはどうしても松高の生徒会室が思い出されて仕方がありません。もしかして羽月先輩の作詞とか? それとも弥生先輩の作詞とか? いや、もうひとつ可能性があるわっ!
わたしはみかりんを見つめました。
間奏の間、両手を高く掲げてお客さんに拍手を求めるみかんのかぶり物。愛らしいそのゆるキャラの中の人は、もしかして、もしかすると!
合い言葉は いつもアドリブ~
だけどあなたの声なら ドアは開くの~
「この声、間違いないわっ!」
思わず声が漏れてしまいました。
わたしは振り返り先輩を見上げました。驚いたようにわたしを見る羽月先輩。
と、その時です。
一瞬突風が吹いてわたしの帽子に悪戯をします。
「きゃっ!」
慌てて頭に手をやるも一瞬間に合わずに帽子は先輩の方へ、ってサングラスがっ!
急に頭に手をやった拍子にサングラスが外れてしまって……
「あっ、あ、あの……」
「えっ? ええっ~っ!」
わたしの帽子を持ったまま、口を開け固まっている先輩。
ど、ど、どうしましょう! バレてしまって、何て言ったら、えっとえっと……
「た、立花さん!」
「は、は、羽月先輩っ、こっ、こっ、こんにちはっ!」
こんな変装をして、先輩の後をつけて、先輩を偵察していたことが、全部ぜんぶバレてしまって!
どうしましょう! きっと先輩怒って! わたし嫌われて!
「こんなとこで会えるなんて! 嬉しいよっ!」
しかし、先輩は笑ってくれました。
「一緒に見ようよ」
「は、はいっ!」
それからわたしは先輩と一緒に歌ったり踊ったり手拍子を取ったり、時にはハイタッチをしたりしながらステージを楽しみました。先輩と一緒にいると、こんなにも気持ちがうきうきするんだわ。ありがとうございます、先輩!
でも、楽しい時間はあっと言う間に過ぎていき。
ステージが終わると、お客さんは潮を引くように去っていきました。
私は先輩の傍らでじっと俯いています。そう、ステージが終わって気が付いたんです、今日のわたしは普段着のジーンズにモコモコのジャケット姿。忘れてたわ!
「立花さん、サングラス掛けたりするんだ。似合ってたよ、かっこいいね」
「えっ? そ、そうですか……」
「すぐに気が付かなくてごめん」
「えっ、そんな、わたしの方こそ、すぐにご挨拶しなくて…… あのっ!」
こうなったら破れかぶれです。
「今日はこんな格好で恥ずかしかったから、ついサングラスで変装して見つからないようにって…… 先輩、ごめんなさいっ!」
「僕は今の服装でも十分かっこいいと思うけどな。立花さんは何着たって似合うよ」
「……先輩」
「それよりさ、僕みたいな何の取り柄もない男が立花さんと一緒に居ていいのかな~って、いつも心配なんだけど……」
「何言ってるんですか! 先輩はかっこいいですっ!」
わたしには、と言う条件は省略しました。
「あ、ありがとう」
「わたしこそ、ありがとうございます」
「今日はこのステージを見に来たの?」
「いいえ、実は…………」
そうなのです。今日は明日のデート服を買いに来たんです。わたしは思い切ってお誘いしました。
「もちろんだよ、一緒に行こう!」
やったあっ! 先輩はわたしのお願いをふたつ返事でうけてくれました。先輩と一緒にお洋服を選べたら、今からデート気分は満開です。
ふたりは科学館を後にしました。
ゆっくり歩いて辿り着いたのは、以前から気になっていたお洒落な洋装店です。
広くはないけど、たくさん並べられた色とりどりの可愛い洋服たち。
さんざん迷っていたわたしに、先輩が勧めてくれたのは薄い茶色のニットワンピでした。
「ちょっとオトナって感じかな」
「綺麗ですね、これにします! 明日がとっても楽しみですっ」
「僕もだよ、立花さん……」
そうして。
もうとっぷりと日も暮れてしまった帰り道。
少しだけ遠回りをお願いして、わたしは黙って先輩の腕を引き寄せました。
「…………」
「…………」
緊張します。
腕を組むと先輩がこんなに近いなんて。
「今日わたし、先輩がみかりんのファンである理由、わかっちゃいました」
「面白いだろ、みかりんって」
「みかりんって、青木先輩ですよね」
「えっ!」
先輩の顔に、図星、って書いてありました。
「どうしてそれを?」
「だって、わたしって魔女ですから」
「ええ~っ?」
信じちゃったかな、先輩。
でも、わたしがはじめて先輩に会った時、迷子になったわたしの家を探してくれたあの時、わたしは先輩に魔法を掛けたんですよ。絶対にわたしから離れられなくなる魔法を。
それが今頃効いてきたなんて思っている訳じゃないですけど、でも、もう二度と離れたりしませんから。
「先輩、知ってました? 魔女って大胆なんですよ」
「えええ~っ?」
「だから、わたしのことは「繭香」って呼んで下さい、翔平さん」
人気のない道の先、街灯にぼんやりと照らされた小さな公園が見えます。
わたしは公園に入るとゆっくり先輩を見上げました。
優しく肩を抱いてくれる先輩に、瞳を閉じて全てを任せます。
二度目のキスはどんな味なのでしょう?
「繭香さん……」
さん付けですか? でも、それも先輩らしいです。
わたし、そんな先輩が大好きなんです。
今日も一日、学校の友達のため、部活の未来のため、妹さんやその友達のため、みんなを想って、みんなに想われている、そんな先輩が大好きなんです。
だけど明日の先輩は、わたしが独り占めしちゃいますね。
これからもたくさんたくさん、ふたりだけの秘密を重ねましょう!
ね、翔平さん!
番外編 繭香の、どきどきストーキングデー 完
あとがき
日々一陽です。
番外編をお読み戴き、ありがとうございます。
このお話は本編終了直後のある日、初デート前日の繭香の行動を追跡した緊張と迫真のドキュメンタリーです。
って、すいません、嘘です。全部思いっきりフィクションです。
休みの日も学校の友人や妹に振り回される翔平と、そんな翔平が大好きな女の子の気持ち。その辺りが描ければと思いましたが、いかがでしたか。
まあこうやって、後書きで説明しておけば本編で伝わらなくても許されますよね。
本編の拙さを後書きで補う。ああ、僕ってなんてお利口なバカなんでしょう。
さて。
長らくご愛顧戴いた
「秘密の本は、わたしのお店で買いなさい!」
は、これで本当にグランドフィナーレになります。
翔平と繭香ちゃん。
まだまだ高校生のふたりは、これからどうなっていくのでしょうか。
このまま純白のドレスまで一直線?
それとも弥生先輩のどんでん返し?
それとも……
それは筆を置く僕にもわかりません。
できれば、その未来を皆さんの心の中で自由に想像して貰えれば、作者としてそれ以上の喜びはありません。
本当に永らくのご愛読ありがとうございました。