番外編 繭香の、どきどきストーキングデー 3
バスに乗った先輩が降りたのは、市の中心地の近く、科学館の最寄りでした。
先輩の後を追って科学館の方向へ歩いて行くと、大きなポスターが目に入りました。
NZK49ersスペシャルライブ in 科学館
なるほどね、
きっとこれが目的なんだわ。と、わたしは時計を見ます。
ポスターにあった開演時間は午後三時。だけど今はまだ午後一時前です。
こんな時間から場所取りとかするのかしら。新メンバーに内定している小金井弥生先輩のデビューはまだまだ先の話。と言うことは、今日は先輩がファンだというみかりんの応援かしら。
そんなこんなを考えていると、科学館の前の広場に辿り着きました。先輩が誰かに手を振っています。その方向を見るとショートカットの女の子が跳ねるように駆けてきて、あっと言う間に先輩の前に立つと、可愛い笑顔を見せました。
「桜子ちゃん!」
そう、先輩の妹の桜子ちゃんじゃないですか。
彼女は先輩の腕を掴むとどこかに引っ張っていきます。とても嬉しそうな桜子ちゃん。勿論わたしも後を追いかけます。桜子ちゃんは終始笑顔で先輩に何やら話しかけていて、先輩も満更そうでない笑顔で応えて。
普通、兄妹ってあんなに仲がいいかのな?
まさか、桜子ちゃんって、ブラコン?
って言うか、羽月先輩が、シスコン?
桜子ちゃんって可愛いし優しい子だし、果実は禁断なほど美味しいって言うし……
そんなことを考えているうちにも、ふたりはどんどん進んでいって。
いけない先輩、それは禁じられた愛!
でも突然、先輩を置いてけぼりにして、桜子ちゃんは駆け出しました。
その行く先には……
ファミレスの前に立っていたひとりの少年。長身で見覚えのあるその顔は、文化祭で文芸部を手伝ってくれた、桜子ちゃんのお友達。三人は揃ってファミレスに入っていきました。
「お煙草はお吸いになられますか?」
わたしに投げかけられた案内の人の声。高校一年生なのに煙草なんて、って今のわたしはベレー帽とサングラスを掛けた謎の変装女だったんだわ。
「いいえ」
そして、わたしが案内された席は通路を挟んで先輩達の真向かい!
先輩は背中を向いていますけど、桜子ちゃんがわたしの席を真っ直ぐ見る位置にいます。
仕方ありません。少し変ですけど、わたしは通路側の椅子に座りました。即ち、みんなに背を向けます。これでは先輩達の様子を覗き見ることが出来ませんし、振り返ったりしたらきっと勘のいい桜子ちゃんに気づかれるでしょう。でも、声はしっかり聞こえてきますから、よしとしましょう。
「お久しぶりですっ、小倉です! 覇月先生とお食事できるなんて夢みたいです!」
桜子ちゃんの友達の少年、小倉くんって、羽月先輩のファンだったんだ。
わたしは耳を澄ませます。
「ありがとう。照れるなあ」
「魔王がエロ本屋で大赤字を出しまして、は傑作ですよ。私財を投げうち苦労して、大赤字まで出して尚、魔王が追い求めるエロ本への愛が僕の心を打ちました」
「なんだか、バカみたいな話だよね……」
先輩、そこは恥ずかしがっちゃダメですよっ。だって、先輩の物語は、何者にも囚われない魔王の自由奔放な生き様を見事に描いているじゃありませんが。そしてそれは型通りの生き方しかできない、人間の大人達への強力なアンチテーゼですよねっ! 先輩の作品は立派な文学ですよっ!
「僕、松高を目指してます。合格したら勿論文芸部に入りますから、その時は覇月先生の一番弟子にしてくださいっ」
「ありがとう。これで松高文芸部も安泰だな」
小倉くんはしきりに羽月先輩と小説の話をしています。どうしてエロ本屋を舞台にしようと思ったのかとか、主人公や登場人物にモデルはいるのかとか、ストーリーはどういう手順で考えているのかとか、それはもう根掘り葉掘り。わたしだって先輩とそんな話をしたいのに。ラノベ作家の後輩として、いっぱいいっぱい教えて欲しいのに。
やがて。
「さ、料理が来たし。冷めないうちに食べようよっ」
背後でナイフとフォークを配る音がしています。
ちょうど同じタイミングで、わたしの席にもスパゲティが運ばれてきました。
手を合わせましょう。いただきます!
「ところで今日は49ersのライブだけど、お兄ちゃん最近ご執心だよね」
「ああ、ちょっと、ね」
「いいの? みかりんばっか追いかけて。明日は繭香先輩とデートの約束したんでしょ! 繭香先輩、怒ったりしないの?」
「大丈夫だよ。知ってるかな。49ersってプロダクションに所属してない地元主導のロコドルだから、自分たちで曲とか作ってるんだ。それでね、今度うちの部で彼女達の新曲を作ることになったんだよ。作詞作曲ともにね。だから雰囲気とか知っておきたくってさ」
「へえ~、そうなんだ。凄いね」
そう言えば弥生先輩、あかねに作曲頼んでたっけ。あの話かしら。
「だとしても繭香先輩は絶対大事にしないとダメだよ、お兄ちゃん」
桜子ちゃんごめんなさい。例え一瞬でもブラコンだなんて疑っちゃって。
「ところで、その繭香先輩って、あの有名な立花先輩の事ですか?」
「そうよ、桜子の憧れの繭香先輩。小倉くんも知ってるよね」
「すっごくモテたけど告白の現場に現れることすらなかったという、伝説の」
伝説になったんだ、わたしの黒歴史。
「そうだよっ、高嶺の花過ぎて手を伸ばそうとした男たちはみんな崖から奈落の底に落ちていったんだよっ」
黒伝説は更に進化していました。
「あ、でも美人で頭もよくって、テニスは県内でも無敵だったんですよね」
恥ずかしいから、その話題は早くスルーして!
「覇月先生は立花先輩のどこに惹かれたんですか? やっぱ美人だから?」
「う~ん、見た目だけじゃなくって…… 一緒にいてとても安心できるから、かな」
きゃあ~っ 鼓動が激しくなってどうしよう!
「あ~あ、のろけちゃって、ごちそうさま。あっ、そうだ。そう言えば桜子はまだ、ふたりのなりそめ聞いてないよ~!」
「ん~ それはね…… 秘密なんだ」
「えっ、ずるいよっ。教えてくれてもいいじゃないっ!」
「だから、なりそめは秘密、なんだよ」