第12章 10話目
「食べ過ぎたわ~ さすがに太っちゃうかも……」
苦笑いしながら小金井が呟く。
普段から絶え間なくポテチを食べているのに全くもってスレンダーな彼女がそう言うくらいだから、今日はよほど食べまくったんだろう。
「僕も当面イモ類はいらないや。でも、プリン喰い損ねたのは残念だ」
「えっ、翔平くんプリン食べなかったの? あんなにたくさんあったのに」
「気が付かなくてごめんなさい~ 今度羽月さんのためだけにプリン1グロス持って来ますね~」
真面目な顔で提案する大河内。
「1グロスって144個か? そんなに喰ったらマンモスになる!」
「残念です~ ぽちゃった羽月さんも見てみたかったです~ どすこい」
「寄り切るぞ!」
当選パーティを終えてみんなで学校の門を出る。
「じゃあ、あたしはこっちに用があるから。今日はありがとねっ!」
小金井はみんなに手を振り去っていった。
「あの、羽月先輩」
後ろから立花さんが小声で話しかけてくる。
「先輩は知ってますよね、弥生先輩がNZK49ersのオーディションを受けるって話」
「えっ! そうなの! 聞いてないよ」
「えっ! そうなんですか! 聞いてないんですか!」
しまった顔の立花さん。
「でも、だって、ステージに立ったら先輩と一緒に見に来てねって弥生先輩が……」
「小金井なら絶対合格だろうな」
小金井がロコドルに走るとは。この前の文化祭でアイドルに目覚めたか?
「立花さんはどうなの? ロコドルとか好きじゃないの?」
「えっと、わたしなんかじゃ全然……」
口ごもった彼女はそれっきり下を向いて黙ってしまった。
何だか空気が気まずい。
「そうだ、今度の土曜日だね、発売日」
話題を変えてみた僕に、彼女はハッと顔を上げる。
「えっ、あ、そうです」
「まだみんなは知らないようだけど、宣伝しなくてもいいの?」
「え、はい。このことは…… 秘密にしてください」
「…………」
「先輩とわたしだけの秘密にしてください。それとさっきの話も……」
「さっきの話?」
「ええ、弥生先輩のオーディションの話、聞かなかったことにしてください。わたし口が滑っちゃったみたいです……」
自嘲的な笑みを見せる立花さん。
「分かったよ。絶対喋らないよ」
何だろう、嬉しかった。
先日彼女にフラれたばかりなのに。
僕は彼女の顔を見る。しかしすぐに俯いて、その表情はよく分からなかった。
「先輩、土曜日待っています。朝一番から待っています。だから誰よりも早くわたしの本を買いに来てくださいね」
「うん」
「約束ですよ」
* * *
土曜日が来た。
今日は朝早くから何度も目が覚めた。
確か立花書店は十時開店だったはず。壁の時計はまだ六時半だ。僕は再び目を閉じる。
「先輩、土曜日待っています。朝一番から待っています。だから誰よりも早くわたしの本を買いに来てくださいね」
何時かの記憶が何度も何度も蘇る。
眠れない。
「起きよう」
独り呟いてベットから出る。窓の外はまだ薄明かり、でも天気は良さそうだった。
平日と同じように洗面を済ませ居間に入る。平日と違うのはそこに誰もいないことだ。
取りあえずトーストを食べよう。食パンを取り出しトースターに放り込む。
「しかし、昨日は驚いたな」
トーストを始めると、僕は昨日の事を思い出す。
* * *
昨日の放課後、いつものように部室に入るとラノベ部の城島が立っていた。
「お、羽月」
「あれっ、僕、部室を間違えたか?」
「いや、合ってる……」
「じゃあ、お前何してるんだ」
「ってか、ほら……」
城島の視線を追う。
「って、なんだこりゃ!」
部室の右側の壁が、無かった。
壁が無くなって、壁の向こうにあったラノベ部の部室と文芸部の部室、ふたつがひとつの空間としてリニューアルオープンしていた。
「壁、どうしたんだ?」
「見ての通り取り除かれたらしい……」
「そうよ、依頼した業者さんが早速工事してくれたの。仕事が早いでしょ!」
「小金井!」
振り返ると新・生徒会長の小金井が、悪戯が成功してはしゃぐ子供のような笑顔を炸裂させていた。
「これで文字通り文芸部とラノベ部はひとつね」
「って、いきなり壁破壊してんじゃねえよ!」
「あら、予告通りよ。あたし言ったでしょ、この壁取り払うって」
「比喩じゃなかったのかよ! そのまんまストレートかよ!」
城島は笑っていた。ちょっと引きつりながらも僕に声を掛けてくる。
「これから宜しくな、羽月」
「……ああ、こちらこそ」
元々城島とは部の統合について話を進めていた。統合にはもう大きな支障もなく、来週にも両方の部員を一堂に集めて茶話会を開くことにしていた。
「こりゃあ、茶話会は今日開かないといけないな」
「そうだな」
「こんにちは~」
そんなところに入ってきたのは大河内。その後ろには立花さんや深山さん、ラノベ部の左岸先輩の顔も見える。
「どうした大河内、それにみんなもそんなにお菓子を抱え込んで」
「弥生ちゃんが~ 大量に買って来いって~ 言うから………」
「みんなで買ってきたんですけど、って、何ですかこれっ!」
絶句する大河内の背後で立花さんが大きな目を更に丸くして叫んだ。勿論深山さんも左岸先輩も部室に入るなり驚いている。そりゃそうだろう。突然部室が二倍の広さになっていたのだから。
「じゃあ、予定を早めて文芸部とラノベ部、統合記念パーティを開こうか!」
* * *
トーストが焼けた。
僕は冷蔵庫からマーガリンを取り出すとたっぷりトーストに塗る。そしてコップに牛乳を注ぐと食卓に座った。気が付くと窓の外はかなり明るくなっていた。
壁を一気に取り払うという小金井のサプライズもあって、ラノベ部との統合は一気に進んだ。元々似た趣味を持つもの同士、すぐにみんなは和気藹々と打ち解けた。
「しかし……」
僕はまた昨日のことを思い出す。
「やっぱり嫌われてるんだな……」
トーストをひとくち囓って宙を見る。
昨日、彼女は一度も僕に話しかけてくれなかった。
明日は彼女の本の発売日、僕は今日のことについて彼女と言葉を交わしたかった。そう思って何度も彼女に視線を送ったのだが、そのたびに目を逸らされた。何だかあからさまだった。僕が彼女をデートに誘って断られた日からも、それまで通りに接してくれた立花さん。でも昨日は少し違った。僕は避けられていた、と思う。
「はあっ」
トーストをまた囓る。
彼女は僕を待っていてくれるのかな?
「本の発売日、わたし待っています。朝一番から待っています。だから誰よりも早くわたしの本を買いに来てくださいね」
本の予約をした日の彼女の恥じらうような笑顔を思い出して放心する。
立花さん…………
………………
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「うわっ!」
驚いて中腰になる僕に桜子は目を丸くする。
「驚いたのはこっちだよ。朝から食パン咥えてなに惚けた顔をしてるの? 今日は土曜日だよ、学校お休みだよ、夢遊病的に登校準備してないよね? 老化、始まってないよね?」
「いや分かってるよ。まだ毛細血管は大丈夫だよ。ちょっと今日は用事があってさ……」
「ふうん。またデート?」
「違うよ、ちょっと今日発売の……」
そう言いかけて言葉を止めた。
彼女が書いた本が発売されることは秘密にしてねと言われていたんだ。
「今日発売の?」
桜子がその先を急かしてくる。
「今日発売の最新鋭早期警戒型サーロインステーキのような抱き枕より巨大な精密フィギュア、その名もコードネーム私が愛した八丈島の二号ちゃんを買いに行くんだ」
「……さては何か隠してるね」
「ドキッ!」
激しく図星だった。
「まあいいです。桜子は敢えて騙されてあげます」
無い胸を張って桜子はわざとらしく偉そうな態度を取る。
「物分かりがよくって可愛い妹世界チャンプの桜子に対して、後ろめたい隠密行動を取るお兄ちゃんにわたしは美味しい紅茶を煎れてあげるよ。先日手に入れたセイロンの最高級品だよ。バタークッキーもあるからね」
ニタリと笑いながら台所へ向かう桜子。見返りの要求だな。今日あったことを今晩正直に白状しろというサインだな。気をつけろよ小倉くん。この妹、相当手強いぞ。
「はい、お待ちどおさま」
桜子が煎れてくれたミルクティーは濃厚でも不思議と優しい味がした。