第11章 9話目
サイン会十五分前。少しだが行列ができはじめる。
「覇月ぺろぺろりん先生のサイン会はこちらですっ! 今なら『おせん兵衛』先生の特製描き下ろしカードが貰えますよ~」
廊下を行く人々に声を掛ける桜子。
単に面白がってやっているようだが、いつにも増して生き生きしている。
僕は遠野さんと販促グッズの準備を始める。
「『まおエロ』イラスト担当のおせん兵衛先生、わざわざ今日のために描き下ろしてくれたんですか」
「そうよ、ありがたいわよね。ところでぺろちゃん先生は学校でラノベ作家のこと、カミングアウトしていないのね。どうしてなの?」
「決まってるでしょ。恥ずかしからですよ、ぺろぺろりんなんて」
「あら、私は可愛いと思うけど、ぺろぺろろりんって」
大歓声とともにノベルキュートのステージが終わる。
「いよいよ本番ね、ぺろちゃん先生」
「遠野さん、ホントにやめてくださいよ、その呼び方は」
「じゃあ、『ぺろぺろりんちゃん』がいいかしら」
「どっちもイヤです!」
顔を上げると行列はかなり伸びていた。笑顔で声を掛けまくる桜子。だが次の瞬間、彼女の動きがぴたりと止まる。
「あっ……」
同じ中学の制服を着た、背の高い男子と向かい合う桜子。
「羽月さん、何してるの?」
「ちょっとお手伝い頼まれて……」
二言三言、言葉を交わした桜子は僕の元へと駆けてくる。
「大変だよ、小倉くんが来たよ。小倉くん、お兄ちゃんのファンなんだって。まおエロ読んでるんだって!」
顔を真っ赤にした桜子が捲し立てる。
彼が小倉くんか。真面目で優しそうな感じだな。
「そうか、良かったな」
「びっくりだよ、不意打ちだよ。どうしよう」
「行列整理はもういいから、一緒にケーキでも食べたらどうだ」
「いや、最後までちゃんと手伝うよ」
「桜子ちゃん!」
嬉しそうな声に振り向くと立花さんが笑っていた。
「繭香先輩っ!」
「サイン会のお手伝いありがとうねっ。ステージから見ていたわっ」
「わたしも繭香先輩のステージが見れて嬉しいですっ」
ふたり抱き合う。
そんなに仲がいいのか、このふたり。
呆気にとられる僕に気が付いたのか、立花さんはこちらを向き直る。
「ところで羽月先輩、ぺろぺろりん先生はまだですか?」
「えっと」
「そうよ、そろそろ始めないと!」
小金井も歩み寄ってくる。
「ラノベ部は行列が長くなったので、予定を早めて始めたそうよ」
小金井の横にいたのは青木女史。
「正直この勝負、ラノベ部の勝ちかも知れないわね。『だーじ鈴』先生のサイン会は想像を超える人気よ、ねえ、ぺろぺろりん先生!」
僕に向かって悪戯っぽく笑いかける青木女史。
「「ぺろぺろりん先生?」」
小金井と立花さんが青木女史の視線を追う。
「って、まさか……」
「やっぱりぺろぺろりん先生って」
小金井と立花さんの声に僕は覚悟を決める。
「うん、僕がその、覇月ぺろぺろりん、だ」
「翔平くんが、ぺろぺろりん先生……」
「がっかりした?」
「…………」
桜色のくちびるを少し開け、吊り目がちの澄んだ瞳で僕を見つめる小金井。
ごめん。君がデートに誘ってくれたのは三流下ネタラノベ作家の覇月ぺろぺろりんだ。
痛いよね。恥ずかしいよね。軽蔑したよね……
「わたし、先輩の文体ってぺろぺろりん先生にそっくりだって思ってたんです。やっぱりそうだったんですね」
「立花さん……」
「よかった。嬉しいですっ!」
僕の両手を取って喜びを爆発させる立花さん。
「そうよそうよ。すごいわ。すごいことよ! 素晴らしいことよ。翔平くんどうして今まで黙っていたのよ!」
破顔した小金井も声を弾ませて僕の手を握る。
「さあ、始めるわよ、今度こそクライマックスよ!」
小金井は廊下に飛び出すと大声を張り上げる。
「覇月ぺろぺろりん大先生のサイン会を始めま~す! 人気ラノベ『魔王がエロ本屋で大赤字を出しまして』の作者、ぺろぺろりん大先生は、実は松高生だったのですっ!」
「覇月先生初めてのサイン会! 松院高校が誇る覇月先生のサイン会です!」
小金井だけじゃなく立花さんも大きな声で呼び込みを始める。すると、さっき終わったばかりのライブのお客さん達が一斉に反応した。
「おい、うちの生徒がラノベ作家だって」
「ありゃ羽月じゃないか。羽月がラノベ作家だったのか?」
みるみる行列が長くなっていく。
その様子をにっこりと笑って見ていた遠野さんが僕の肩を叩いて立ち上がる。
「さあ、始めましょう!」
「頑張ってよ、お兄ちゃん!」
そう言うが早いか、行列の先頭にいた三年生を僕の前に案内する桜子。
「お、お待たせしました」
「まおエロ、面白いよね。しかし作者が同じ高校にいたなんてびっくりだよ」
色紙にサインを書くと、イラストカードと一緒に手渡す。
「折角だし持って来たこの本にもサインちょうだい」
「いいんですか、僕が落書きして!」
「落書きかいっ!」
笑う先輩に頭を下げて本の扉にサインを書き込む。
こうして僕の初めてのサイン会は始まった。
僕の本を家から持ってきてくれる人がたくさんいて。
僕の本を二冊まとめて買ってくれる人がたくさんいて。
その誰もが僕を応援してくれる。
「ありがとうございますっ。頑張りますっ」
心からの感謝の言葉を何度も何度も繰り返す。
「覇月先生のファンですっ」
顔を上げるとさっき桜子と話していた長身の中学生が緊張した面持ちで立っていた。
僕は彼が手に持った文庫本を受け取ると扉を開ける。
「お名前は小倉くん、だよね」
「えっ? そうですけど」
「いつも妹がお世話になってます」
サインを書き終えた本を手渡しながら彼を見る。
「妹って、もしかして、羽月さんの?」
「お兄ちゃんやめてよ、恥ずかしいじゃない!」
聞き耳を立てていた桜子が割り込んでくる。
「こんな兄は恥ずかしいそうですから、中学では内緒にしておいてください」
「お兄ちゃんったら!」
真っ赤な顔をして俯く桜子。
「時間がないよお兄ちゃん。早く次、行かないと」
「僕の方こそ羽月さんにはお世話になってるんです」
「桜子の方こそ。桜子は小倉さんの活躍をいつも……」
「早く、ねえ早くったら。小倉くんも時間だよっ」
「あっ、ごめん」
急かされて立ち上がる小倉くん。
頭を下げながら去っていく彼を見送りふと視線を移すと、サイン会の行列は廊下を曲がった先まで延びていた。
そしてその先から小金井が駆けてくる。
「翔平くん頑張ってね。まだまだ忙しくなるからねっ! 繭香ちゃん!」
「はい、弥生先輩」
小金井は食器を片付けていた立花さんを呼び寄せる。
「行くわよ、繭香ちゃん」
「行くって、どこに?」
「決まってるでしょ、放送室よ。乗っ取るわよ!」