第03話 伯母地獄
馬車が農村を出た。もう見える建物は無い。明日の夜には都に着くだろう。
僕と伯母が暮らす家…というか館は都の一等地ルルセリ区に有る。裕福な者ばかりが暮らすその区の住人はルルセリーズなどと呼ばれる。伯母も大富豪なのかと言うと、現在ではそうでもない。昨年までは、都でも上から数えた方が早いくらいの大商人の家だったらしい。が、その大商人であったところの伯母の夫が亡くなり、法律によって資産の半分以上を教会に収めてからは、やや恵まれている程度の普通の暮らしをしている。
高齢な叔母の存命中くらいは、この物価の高い都での生活を続ける蓄えは有る。が、もうルルセリーズとは呼べないだろう。「この無駄に大きな館を売って、もっと小さな家を買うべきです」と、申し上げてみた事があるが、聞き入れて貰えなかった。少ない人数で維持する苦労は伝わらない。
伯母と一緒に住む様になって、もうすぐ一年になる。
きっかけは伯母の夫の葬儀だった。大商人のそれは、もう盛大なもので、お祭りの間違いなんじゃと思った程だ。自分の伯父の葬儀だとは知らずに、僕は日雇い警備兵として偶然その場に居た。
自分の生家との付き合いすらもほぼ無く、母が亡くなってからはそれも皆無になった。僕は親戚筋に疎い。姓が違う伯母とその夫の事など覚えていない。しかし、僕とは違って常識のある人は普通、親戚の冠婚葬祭には参列するものだ。勿論父もそうで、その葬儀会場で槍を持って立っていた僕を見つけたのも父だ。
定職を失って適当にその日暮らしをしている恥ずかしい30代の息子を見つけてしまった父は「住み込みで姉さんの身の回りの手伝いをするように」と、伯母の世話を押し付けてきた。夫と資産のほとんどを失った伯母は、あの生家に戻る予定だったが、父は次男夫婦の苦労が増す事を心配していたそうだ。そこへ運良く何年も音沙汰のない独身長男が見つかったという訳だ。
僕にはとても運の悪い話だった。生家への後ろめたさから断る事も出来ないまま、なし崩し的に拒否できないところまで事を進められてしまった。ああ、あのまま責任の薄い日雇い労働者として、家族も何も重荷を背負う事無く、気楽な一人暮らしの風来坊で居られたら良かったのに…。そこからのこの一年近く、波長が合わない伯母との生活は、この国に出戻ってしまった事を全力で悔やむに十分な程だった。
3年前、あんな失態をしなければ、今も隣国の王城で高給を貰いながら勤めていたはずだったのに。
伯母を馬車に乗せてあっちへこっちへと何度送迎に使われた事だろう。以前の半数も居ないらしいが、まだ数人のメイドや執事を雇っている。が、伯母によくコキ使われているのは無給の僕だけだ。雇用関係ではないのだからせめて感謝くらいして欲しいのだが、有難うと言われた事は無い。どんな時でも呼び出され用事を申し渡される。日雇いの仕事を終え、くたくたになって帰った途端に送迎する様に言われ、やれ馬の走らせ方が荒いだの、やれ自分はもっと丁寧に停止させられるだの、伯母の口から出てくるのは文句だけだ。感謝は出た事が無い。
伯母の館には東の角に菜園がある。野菜や果物の類いを栽培している。メイドや執事に世話をさせているのではなく、伯母の趣味だ。自分以外には誰にも触らせない。が、僕だけはそれも手伝わされる。保温室の苗を持って来いだの、棒を立てろだの、紐を結べだの、一日中使われる事になる。勿論、感謝は無い。やり方が雑だとか、そこをやり直せだとか、やる事が遅いだとか、不満をぶつけられるだけだ。
何故、生家から逃げた僕が都で土イジりをしているのかワケが分からないし、無給で文句だけ言われ続けながら、世話になった事も無い伯母にコキ使われる生活には精神が磨り減る。僕が館に来てからはその菜園のささやかな生産規模はどんどん増えている。最早伯母一人では面倒を見切れないだろう。自分の趣味なのだから、自分一人の力で出来ない範囲まで広げるべきじゃない。
伯母の趣味はもう1つ。教会の信仰対称である天使の像を彫る事だ。この彫ると言うのは実に奥が深いのよという事を喋り出すと、それはそれは長い話が始まる。いくら興味が無い話題なのでと言っても、彫り物の話は特に絶対に途中でやめる気は無いらしい。陽が沈むまで同じ話を繰り返し聞かされる。普段、出来るだけ天使だの彫り物だのという話題には近づかない様に気を使っているが、この拷問は高確率ですぐに始まってしまい不可避だ。
今の生活では自前の馬と馬車を常備しておくのは無理だ。この1頭引きの馬車はいつもよく借りているものではない。今回の帰郷は長距離なので伯母の体調を考え、値段は張ったが振動の少ない車輪だと言うのを選んだ。選ばれなかったいつものランクの馬車の馬が、ほっとした様な顔をしていた気がする。いつも僕同様、コキ使われているから。ワゴンの中でガサガサと物音が聴こえ始めた。伯母が起きたらしい。建物が増え始め、道も平らなってきた。もうすぐ都に入る。
窓から顔を出し「久しぶりの生家は良かったでしょう?ね?」いいえ?まったく?と声に出して言うことは無いが「帰って良かったでしょーう?ねぇー?」伯母はどうしてもそういう事にしたいらしく畳み掛けてくる。「…はあ。まあ、うーん」流石に同意できかねていたが、伯母は何やら納得してうんうん言っている。伯母はそこからワゴンの中で何やら喋り始めたが、車輪の音でよく聞こえない。が、別に相槌を打つ事はできる。いつもの様に時折「はい」「そうですか」「ふむふむ」などと返すだけだ。伯母の話の内容に、僕の興味が沸くものは、一度も含まれた事がない。聞こえていてもいなくても構わない。
ガサガサ ガサガサ
茂みの中から道の先に虫型のモンスターが現れた。三対の足に大きな牙のある頭部。腹部の先から麻痺針を飛ばしてから標的を捕獲し、巣に連れ帰る。黒い蟻の様な形状をしているが、大きさは子馬ほどもある。学名は忘れたがこのあたりでは、童攫いと呼ばれている。大人なら帯刀してれば被害が出ることはないが、腰に手をやって気付く。生家に愛刀を忘れてきた。
逃げられない訳ではないが、伯母と馬車がある状態では無理だ。仕方なくもしもの時の為に自費で買った魔法の卵を投げつける。卵は童攫いにぶつかり割れて、淡い白光を放つ蛇が出現。そのまま最も近くに居た相手を絞め殺してから消え去った。とても高価なものだ。人間には使えない魔法を付加された道具は、エルフ等の魔族からしか購入出来ない。
馬車を停める事も無くモンスターをやり過ごせたが、家族愛も感じる事の出来ない伯母の為に、自腹を切ってしまった。納得がいかない。伯母は気づきもせずに、ワゴンの中で喋り続けていた。
あとがき
ファンタジーなんですよ。忘れてましたけど。