心酔、眩む程に
その後も変わり無く授業が進み、昼休みに入る。
「やっと昼食ぅ」
雹が時雨の席にパンの包みをばら撒く。いつ買ったんだろう。
「一つ貰うぞ」
「んー」
時雨が机の上のパンの包みを一つ抓む。雹も快諾した。
俺と時雨の席が隣同士なので、机をくっつけてみんなで此処に集まる。
「俺食堂行って何か買ってくる」
「いってら」
食堂は同じ校舎の一階から直ぐ近くにあるので、時雨たちは引っ張られない筈。まあ、引っ張られてもいいだろう。
教室を出て、階段の方へ――
「ん?」
上の階へ続く階段に、見たことのある後ろ姿。
「時雨…翠雨か………」
追い掛けてみよう。声を掛ければいいのに、何故か後ろをこっそりついて行ってしまった。まるでストーカーだ。
「これより上は…」
屋上か?
他の部屋のドアよりも重厚感のある灰色のドア。翠雨はそれを何の躊躇いも無く開ける。開放はされてないと思ってたけど…
「鍵掛かってないのか」
ドアが閉まったのを確認し、壁から身を出しドアの前に立つ。
「腹減った…」
此処まで来たら行くしかないが、腹が減ったので一旦戻りたいのも事実。
「まあいいや」
ドアノブに手を掛け、開ける。
「………」
「…こんにちは、想儀君」
ドアの前に立っていた翠雨と目が合った。
「バレてた?」
「君が最初の階段の一段目に足を掛けた時から」
「マジか」
「私に用か?」
「いや、翠雨の後ろ姿が見えて…後はなんとなく」
「ストーキングか。いい趣味をお持ちで」
「ああいや…そうだな」
「冗談だよ。すまないな」
翠雨はフェンスに背を預け、ちょっとした段差に座る。
「君も座ったらどうだ?立っているのは疲れるだろう」
「ん」
翠雨が自身の左隣を掌で指す。折角なので隣に座る。
「屋上って鍵開いてたっけ?」
「ああ。夏休み直前に気付いてな。此処はフェンスが高いし、二重になっているだろう?落ちたという話も聞かない。開放しているのだろう。それか閉め忘れか」
「開いてる学校って結構あるのかな」
「聞けばマスターの学生時代は開いていたそうだ。此の学校だが」
へぇ。開放していると言う割りには人が居ない。翠雨の後者の考察が正しいのかも知れない。
「夏は暑い、冬は寒い。今は季節が合わないのだろう。今日は風が気持ちいいので絶好の屋上日和だ」
屋上日和というのはよく分からなかったが、何となくは分かった。
翠雨の長くて黒い綺麗な髪が、陽に照らされて輝き、風に靡く。細い銀縁の眼鏡が陽を反射して、美しさを演出している。
そういや時雨と初めて会った時も隣に座って…
「どうした?」
「え?あ、いや」
思わず横顔を眺めていた。
「ふむ、こういう時は…私の顔に何か付いているか?」
「えと、綺麗だなって見てただけで」
「ふふ…素直だな」
笑顔が綺麗過ぎる。
「そういやさ、時雨が友人は居ないのかって心配してたぜ」
「…何故?いや、いい。居るよ、数人だがね。今日は気候が良いのでね。屋上へ出てきただけだ」
「そうか、時雨に伝えておくよ」
「お願いする」
少し沈黙が流れる。
「…折角の時間だ。質問してもいいかな?」
「いいよ」
「君は、真人間、まともな人間と少し狂った人間と、狂気に塗れた人間、この三種類の内唯一人とこの世に取り残されるなら、どれがいい?」
「うーん?」
質問の意図がよく分からない。
「どういう意味なんだ?」
「いいから答えて」
ううむ。
「少し狂った人間、かな」
「ははは、やはりか」
「やはり?」
「そう答えてくれると思っていたんだ」
「なあ、どういう意味なんだよ」
「自分で考えてみたまえ。分からなくても問題無いがね」
そう言う翠雨は俺より年上のお姉さんに見えて…
時雨とよく似ていても性格は違うんだな。精神年齢は時雨よりもよっぽど高いだろう。
これは言ったら流石に怒られるな、時雨に。
「翠雨ならどれを選ぶんだ」
「狂気に塗れた人間」
翠雨は即答する。
「どうして」
「そいつと二人きりだぞ?まともな人間と二人きりでも、私はまともな精神で居られる気がしない。相手が狂っているならば、少しは安心出来そうじゃあないか?」
「…俺にはよく分からない」
「先程も言ったが、分からなくても問題無い。ああ、時間を埋める為の暇潰しだと思ってくれ」
翠雨は小さく笑う。笑顔がやたら可愛く、鼓動の上昇を許さざるを得ない。
「おや?どうしたんだ、耳が赤いぞ?」
悪戯な笑みを浮かべる翠雨。
「分かってんなら、近付くなよ」
翠雨が顔を、躰を近付ける。
「はは、冗談だよ。君は素直過ぎるな。長所であり短所でもある。どちらかと言えば長所だ。だが、素直さを隠すことも、時には必要になるだろう。いや、私が語るようなことではなかったな。上から語ってしまった。すまない」
「いや、自分じゃ見れないところもある。そういうことを教えてくれるのは、誰であれありがたいよ」
「流石だな」
「…何がだ?」
「此方の話だ。では、また。店の方もご贔屓に頼むよ」
翠雨は華麗に立ち上がり、背を向けてドアを開けて屋上から出て行く。
スラリとしてスタイルのいい体躯、それがしなやかに動く様が、暫く目に焼き付いていた。
「…何だったんだろうな…今の時間」
一人、屋上に取り残された。
翠雨は時雨に物凄く似ているが、近くに寄ると違いが分かる。どこがどう違うのかは分からないが…別人だと見分けるのは、黙っていても出来る、と思う。
「腹減ったな」
俺は立ち上がり、屋上を後にした。食堂は…面倒だから寄るのはやめておこう。
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教室の時計に目をやると、もう昼休みは半分も無かった。
「何処行ってたの?遅かったね」
「混んでたんだよ。何か残ってるか?」
「ほい」
雹が苺ジャムパンを投げて寄越す。
「サンキュ」
包みを開け、頬張る。
「飲み物あるか?」
「無いよ」
「買いに行くのも面倒だな」
「自販機まで混んでいたのか?」
「すげぇよ。長蛇の列だった」
「ふむ、見てみたかったな」
「そう君、よかったらこれ」
マカがお茶の入ったペットボトルを差し出す。量から見るに、飲みかけ。
「いいのか?」
「うん。パンには合わないかも知れないけど」
「いや、助かる。ありがとな」
ペットボトルを受け取り、口を付けないように飲む。
「はあ、潤った」
「パン食べなきゃいいのに」
「パンしかないんだからしょうがないだろ」
残り少ない時間を談笑で潰す。此処が俺の居場所なんだろうな。




