長考、始まり
「時雨様をこの場所から解放するためには、貴方の力が必要なのです」
唐突に俺が話の中心になったようで、さぞ間抜け面を晒しただろう。一瞬だが。
「解放?何故?」
「この社も私たちと同じ時間、およそ七百年間此処にあります。ある程度は保護されるよう札が貼ってあったのですが、随分前に剥がれてしまって。そうなれば社は朽ちる一方。社が無くなれば私たちは消えてしまいます。未練がある訳では……ええ、無いのですが……助かる道があるならば……」
時雨が一番驚いているようだ。切れ長の目を少しばかり大きく見開いている。
「いつからそんなことを考えていた?」
「札が剥がれて社が時を取り戻し、朽ちるようになってからです。手遅れになる前に、なんとか出来る人を捜さなければ、と」
「外の様子を見てくると言っていたのはこの為だったのか」
「はい。しかし地縛霊に近い存在故あまり遠くには行けず……裏にある学校が出来てからはずっと其処へ」
学校が出来たのは七十年程前か。
「ずっとなんてどうやってたんだ?」
「非常に薄い存在なので、記憶に残らないように過ごすのは簡単です」
友達が生返事だったり、霧咲が見えていない感じだったのはこの所為か。そういやあいつら大丈夫かな。
それにしても記憶に残らない、か。
「そして漸く見つけることが出来ました……玖乃川様……貴方は霊に干渉することが出来ますよね?」
「あー、うん、まあ、多分な」
見たり、声を聞いたり。そして、要らない思い出。
「で、俺はどうすりゃいいんだ?改築か?出来るかな……」
「流石にそれは……申し上げ難いのですが、玖乃川様には新たな依り代になっていただきたいと……」
「……なるほど。取り憑かれろってことか。」
いやいやいや。いやいや。
「改築の方がマシなんじゃないか、それ。どうやってそんな器用なことするんだよ」
「色々なことを試してみようと思います。例えば普通に取り憑いてみるとか」
「普通にって。いや、幽霊は取り憑くなんて日常茶飯事なのか」
「無理だ……恐らくな」
時雨の即答。
「や、やってみなければ分かりませんよ?」
「そもそもやり方が分からんのだがなぁ」
時雨がこちらを向く。
徐ろに俺の眼前へ手を翳し、何かを念じるように目を瞑る。たまに手を握ったり、開いたり。
そして、
「出来そうにはない」
と、やりきった顔で手を下ろし、俺から視線を逸らした。
「やっぱり、こういうのは専門家に頼んだ方がいいんじゃないか?」
「そういった人間は大概興味本意で、信用出来ないので……」
「俺は大丈夫だってのか?」
「玖乃川様は、大丈夫な気がするんです。根拠は有りませんが……」
霧咲の声がどんどん声が小さくなっていく。
というか、こんな大事なことなのに曖昧な人選でいいのだろうか。信用出来ないならば消去法で信用出来そうな人間ってことになるが、それも曖昧だよな。
……俺は、今、頼られている。
「俺に出来ることがあるなら力になりたい」
口を突いてそんな言葉が出ていた、本音。
この少女(年上)には、誰でもない、ここにいる俺が必要なのだろう。
「玖乃川様……」
これが尊敬の眼差しなのだろうか。期待され過ぎても困るが。
「許可は得たな。さて、どうしたものか」
腕組みした時雨が難しい顔で仕切り直す。その後、色々やってみるだけやってみた。
俺はただ座っておくだけで、時雨主導で事は進む。手を翳し合い、指先程度で触れ合い、呪文のような言葉まで唱えられた。
全てが無駄に終わり、時刻は零時に近付いていく。霧咲もうんうん唸って考えているが、一つも意見を出していない。
「他に効果がありそうなのは……」
今までので効果がありそうなものは無かったと思うけど……
「く、口付け……とか……ですか?」
そう言って霧咲は顔を朱くして俯いた。隣を見ると、こちらは平気な顔をしていた。
霧咲は……幼いのは見た目だけではないのかも知れない。
恐らく俺もちょっとは赤いんだろうが。
「本気か?」
俺は一呼吸置いてから霧咲に問う。
改めて時雨の方を見ても涼しい顔で、というか、関係ないが、こいつの隣はやけに涼しい。幽霊だからか?
「そもそも初対面でそんな……なぁ」
なんとかして話を逸らしたいが、どうにも何も思いつかない。
「ま、まあ一回やってみませんか。成功するかも知れません」
さっきまで赤くなってたくせに、今は少し楽しそうにしてやがる。
「俺は……時雨はどうなんだ?」
俺よりも時雨がどう思うかだろう。俺を選ぶのは、時雨だ。
「別に嫌ではないが。なんてことはない。想儀はどうなんだ?」
鋭い視線を突きつけられる。彼女は本気だ。決して、俺や霧咲のように、余計なことは考えていない、だろう。
自身を解放する、自身を想ってくれている人の為に。
「俺?俺はなぁ、えーと。時雨さえいいなら、えっと、俺は二人の期待に応えるだけだから、な?」
「拒否しないなら、問題はあるまい」
「やるだけやってみましょう?」
微笑み、胸の前で両手を小さく合わせる霧咲。こいつ、テンション上がってきてるな。大人しい少女だと思ってたのに。
「し、しかしだなぁ……っと」
いきなり時雨に詰め寄られ、声が止まる。
幽霊である筈なのに、現実味のある白く綺麗な肌。瞬きをする瞼に釣られる睫毛も、艶やかで、何よりも、薄い赤色の唇が美しかった。
吐息は触れなかった。代わりに、時雨の体温であろう涼しさが、俺の顔の火照りを鎮めていく。
何か言おうとした。
「何も、死ぬ訳ではないだろう」
冷たい感覚が唇に触れた。何が起きたか分からないくらい、一瞬。
午前零時。
俺は、自身の体温に融けていく冷たさに戸惑っていた。




