第10話 コンセンサスという怪物
城の廊下は、今日も静かだった。
だがその静けさは、平穏とは違う。嵐が過ぎた後の静けさでもない。
もっとこう――
誰も動かないことで成り立っている、奇妙な均衡だ。
白石快人は、窓辺に寄りかかりながらそれを眺めていた。
(なるほどね)
宰相が追放された。普通なら、組織は混乱する。
だがアストレア王国は違った。誰も騒がない。誰も動かない。
ただ――止まっている。
「……」
快人は小さく笑う。
(意思決定が止まってる)
宰相という強い中心が消えたことで、今この国は、奇妙な形になっていた。
意思決定機関。それは「有権者の会議」
古くから続く制度らしい。
王族。
貴族。
商会代表。
騎士団上層部。
そういった人間が集まり、国の方針を決める。一見、民主的だ。
だが――
(典型的だな)
責任が、誰にもない。
その頃。会議室の扉が、重々しく開いた。
「……はあ」
ため息。銀髪が廊下に流れる。
フィリア・アークライト。
近衛騎士団団長代理。
彼女は肩を落としながら歩いてくる。その顔は、戦場で見るより疲れていた。
快人は手を振る。
「お疲れ様でーす」
「……」
フィリアは無言で睨む。
「お前、ここで何をしている」
「顧問の仕事です」
「ただ立っていただけだろう!」
「観察です」
にやり。フィリアは深く息を吐いた。
「はあ……」
そして壁にもたれる。
「どうでした? 偉い人たちの会議」
「……」
少し沈黙してから、彼女は言った。
「難しい話は、正直わからん」
「脳筋発言きた」
「誰が脳筋だ!」
剣の柄に手がかかる。快人は即座に走る。
「待て!」
「暴力反対ー!」
廊下を二人が駆ける。兵士たちが見慣れた顔で見送る。
「また始まった」
「平和だな」
平和ではない。ただ日常が騒がしいだけだ。
やがて追いかけっこが終わり、中庭のベンチに二人は座った。
夕方の風が吹く。しばらく無言。
フィリアがぽつりと呟いた。
「……誰も変えようとしない」
快人は顔を上げる。彼女は遠くの空を見ていた。
「宰相は消えた」
「はい」
「だが何も変わらない」
拳がわずかに握られる。
「皆、自己保身ばかりだ」
貴族は領地を守る。商人は利益を守る。騎士は立場を守る。
「国が沈むとわかっているのに、誰も最初に動こうとしない」
風が止まる。快人は少しだけ笑った。
「なるほど」
「何がだ」
「そのパターンですね」
フィリアが眉をひそめる。
「パターン?」
「日本でもよくありました」
「にほん?」
「俺の故郷」
快人は肩をすくめる。
「組織って、だいたい同じなんですよ」
責任は取りたくない。リスクは避けたい。だが現状は変えたい。そんな都合のいい願い。
「つまり」
快人は指を立てた。
「誰かが最初に言うのを待ってる」
「……」
フィリアは黙る。図星だった。
「じゃあ、お前が言えばいい」
「無理です」
即答。
「なぜだ」
「俺、まだ会議に出られません」
「あ」
フィリアは固まる。
そう。快人は顧問だが、正式な構成員ではない。
つまり。発言権がない。
「フィリアさんなら?」
「私も末席だ」
騎士団代表として座っているだけ。発言力は弱い。
「……」
沈黙。夕陽が沈む。快人は少しだけ笑った。
「大丈夫ですよ」
「何がだ」
「この状況、珍しくないです」
むしろ――
「一番やりやすい」
フィリアが怪訝な顔をする。
「なぜ」
快人は立ち上がる。そして振り返った。
「コンセンサスを作ればいい」
「こんせ……?」
「合意形成」
フィリアは腕を組む。
「それができないから困っている」
「違います」
快人は首を振る。
「まだ必要性が見えてないだけです」
人は、理屈では動かない。
だが――危機には動く。
「ちょっとだけ、状況を動かしましょう」
「何をする」
快人はにやりと笑う。
その顔は、また何か企んでいる顔だった。
「簡単です」
「まず」
指を一本立てる。
「会議を炎上させます」
フィリアの眉が跳ねる。
「は?」
「安心してください」
快人は笑う。
「ちゃんと燃えるように設計します」
「お前はこの国を壊す気か!」
「逆です」
夕陽の光の中で、彼は言った。
「動かすんです」
止まった国を。止まった組織を。
そして。
止まった会議を。
快人は歩き出す。
「まずは準備ですね」
「何の」
振り返りもせず答える。
「味方作りです」
コンセンサス。
それは――多数決ではない。
空気を支配するゲームだ。
そしてそのゲームは、すでに、始まっていた。




