第7話 「使い捨て」文化の崩壊と、迫る危機
その夜、私は鼻をつく焦げ臭いにおいで目を覚ましました。
「……火事?」
飛び起きて、寝室を飛び出します。
工房の方から、パチパチという不穏な音が聞こえました。
まさか、私の店が? 父の残した大切な場所が?
「レオンさん!?」
私が駆けつけると、勝手口の扉が開け放たれていました。
そこには、月明かりの下で仁王立ちするレオンさんの姿がありました。
彼の手には、昨日私がピカピカに磨き上げた『鏡面の大盾』が握られています。
そして、その足元には――黒焦げになった何者かが、悲鳴を上げながら闇夜へ這いつくばって逃げていくところでした。
「逃がさない……ッ!」
レオンさんが追撃しようと踏み出します。
その背中から、今まで見たこともない冷徹な殺気が立ち昇っていました。
ですが、私の姿に気づくと、彼はハッとして足を止め、瞬時に「いつものレオンさん」に戻りました。
「マリエ! 下がっていて!」
「レオンさん、これは……」
私は絶句しました。
店の外壁の一部が、煤で真っ黒に汚れていたからです。
地面には割れた瓶と、油の臭い。
そして、微かな魔力の残滓。
「火魔法……放火、ですか?」
レオンさんが盾を下ろし、悔しそうに頷きます。
「すまない。気配には気づいていたんだが、一瞬遅れた。火の玉を投げ込まれた」
「それで、その盾で?」
「ああ。反射して、投げた本人にお返しした。……顔は見られなかったが、プロの手口だ」
私はレオンさんの持つ盾を見ました。
表面は傷一つなく、月光を鋭く反射しています。
私が「光の反射率100%」を目指して研磨したおかげで、熱エネルギーすら完全に跳ね返したようです。
いい仕事をしてくれました。
ですが。
私の視線は、再び壁の焦げ跡に吸い寄せられました。
白い漆喰についた、醜い黒い染み。
父が残し、私が毎日磨いて守ってきた『城』につけられた傷。
プツン。
私の中で、何かが切れました。
「……許せません」
私は雑巾をバケツに突っ込み、ギリギリと絞りながら低く唸りました。
「私の店を汚すなんて。煤掃除がどれだけ大変か、分かっているんですか!」
「えっ、そっち?」
レオンさんが目を丸くしました。
「当たり前です! 命が無事なら、次は建物の心配です! ああっ、もう、タワシじゃ落ちないかもしれません!」
私は怒りに任せて壁をゴシゴシと擦りました。
恐怖はありません。
あるのは、職人の聖域を土足で踏み荒らされたことへの、静かな激怒だけです。
「……犯人が誰であれ、後悔させてやります。私の『研磨』を敵に回したことを」
私の剣幕に、レオンさんは苦笑し、それから優しく私の頭を撫でました。
「頼もしいな。……僕も、二度とこんな真似はさせない。誓うよ」
その夜、私たちは交代で見張りをしながら、一睡もせずに朝を迎えました。
◇
翌朝。
寝不足の目をこすりながら店を開けると、遠くから地響きのような足音が近づいてきました。
「マリエ! いるかッ!」
飛び込んできたのは、ガルド将軍でした。
いつも冷静沈着な彼が、顔面蒼白で息を切らせています。
鎧も着けず、シャツ一枚の姿です。
しかも、その腰にある剣帯は軽そうでした。
「将軍? どうされたんですか、そんなに慌てて」
「緊急事態だ。……国が終わるかもしれん」
将軍はカウンターに手をつき、搾り出すように言いました。
「聖女の武具が……すべて、消えた」
「はい?」
私は首を傾げました。盗まれたという意味でしょうか。
「違う! 文字通り『消滅』したのだ! これを見ろ!」
将軍は腰に帯びていた短剣を抜こうとしました。
ジャリッ。
金属音ではありませんでした。
彼が柄を引き抜いた瞬間、刀身があるはずの場所から、灰色の砂がザラザラとカウンターにこぼれ落ちたのです。
「なっ……」
私は息を飲みました。
目の前で、刃の形をしていた砂が、形を保てずに崩れていきます。
「今朝の訓練中、一斉に始まった。騎士が剣を振るえば砕け散り、鎧は砂になって剥がれ落ちた。聖女が召喚してから半年以上経過したものは、すべてだ」
「……なるほど。期限切れ(タイムオーバー)ですか」
私は妙に納得してしまいました。
聖女様の召喚魔法は、無から有を生み出す奇跡とされていました。
ですが、物質としての強度が足りないとは感じていました。
あれは『本物の鉄』ではなく、『魔力で固めた砂上の楼閣』だったのです。
魔力が尽きれば、土に還る。
本当の意味での「使い捨て」だったのです。
「なんてこと……。メンテナンス以前の問題ですね」
「ああ。現在、王宮は大パニックだ。近衛兵も騎士団も、丸腰同然になってしまった」
将軍が拳を強く握りしめます。
「最悪なのは、このタイミングだ。……隣国が、国境に軍を集結させている」
「戦争、ですか?」
「こちらの武装が崩壊するのを待っていたかのような手際の良さだ。おそらく、情報は筒抜けだったのだろう」
隣国の大軍に対し、こちらの武器は砂。
勝負になりません。
一方的な蹂躙が待っています。
「宰相はどうしているんですか?」
「『聖女に新しい武器を出させろ』と喚いているだけだ! だが、聖女はパニックで魔力枯渇(ガス欠)を起こして寝込んでしまった。もう、打つ手がない」
将軍は私を見つめ、深々と頭を下げました。
国の英雄が、下町の娘に頭を下げているのです。
「マリエ。頼む。お前の力を貸してくれ」
「私に、戦えと?」
「違う。お前の店にある『本物の武器』を……そして、お前の『直す技術』を借りたい」
彼は店の奥、レオンさんが手入れをしている棚を見ました。
そこには、私が廃棄場から拾ってきて、再生させた数々の武具が並んでいます。
数は多くありませんが、どれも一級品です。
「俺の部下たちに、まともな武器を持たせてやりたいんだ。死にに行くとしても、せめて砂ではなく、鉄の剣を持たせてやりたい」
将軍の声は震えていました。
部下を思う、切実な親心。
私はエプロンの紐をギュッと締め直しました。
昨夜の焦げ跡が、脳裏をよぎります。
私の大切な場所を脅かす暴力。
それは放火犯も、隣国の軍隊も同じです。
そして何より、物を大事にせず、使い捨てて自滅していくこの国のあり方が、職人として我慢なりません。
「頭を上げてください、将軍」
私はニヤリと不敵に笑いました。
「死にに行かせるつもりはありませんよ。私の磨いた剣を持てば、誰だって一騎当千です」
私はレオンさんを見ました。
彼は無言で頷き、店の奥から『準備中』の札を持ってきて、入り口に掛けました。
そして、代わりに大きな張り紙を掲げます。
『緊急営業 騎士団様・団体割引あり』
「かき集めてください、将軍。倉庫に眠っている錆びた剣、刃こぼれした槍、埃を被った鎧……全部です」
私は腕まくりをし、愛用のハンマーを手に取りました。
「国中のガラクタを、私が全部『聖剣』に変えてみせます。……使い捨ての時代は、今日で終わりです」
将軍の目から、涙が一筋こぼれました。
彼は無言で敬礼し、踵を返して飛び出していきました。
数分後。
王宮から下町へ続く道には、大量の「鉄屑」を抱えた騎士たちの行列ができることになります。
それは、この国の運命を変える、史上最大の『大改修祭り』の始まりでした。




