第6話 騎士団長の極秘来店と、王宮の焦り
レオンさんの「壁ドン」騒動から、わずか数分後。
呼吸を整え、店を再開しようとした矢先のことでした。
カラン、カラン……。
ドアベルが重々しく鳴り、入り口の光が完全に遮られました。
そこに立っていたのは、壁のような巨体でした。
身長は二メートルを超え、丸太のように太い腕。
顔には歴戦の傷跡が走り、眼光は獲物を狙う猛禽類のよう。
王宮に勤めていた私なら、彼を知らないはずがありません。
王宮騎士団長、ガルド将軍。
『歩く要塞』の異名を持つ、国最強の武人です。
(ひぇっ……本物が来ました)
私は思わず身構えます。
先日、部下のカイル様が聖剣ではなく私の磨いた剣で活躍した件について、文句を言いに来たのでしょうか。
ガルド将軍は、無言で店内を見回しました。
そして、彼の鋭い視線が一点で止まります。
店の隅で箒を持っていた、レオンさんです。
「…………ッ!」
将軍の目が大きく見開かれました。
その顔が、驚愕と、そして万感の思いに歪みます。
彼は大股で、ドスドスとレオンさんに歩み寄りました。
(まずい、レオンさんが睨まれている!)
レオンさんは美形すぎて目立ちます。
きっと「チャラチャラした軟弱な店員だ」と目をつけられたに違いありません。
騎士団長は規律に厳しいと聞きますから!
私はとっさに、カウンターから飛び出しました。
「い、いらっしゃいませ!」
二人の間に割って入ります。
将軍の巨大な胸板が目の前に迫り、威圧感で膝が震えました。
でも、退くわけにはいきません。
レオンさんは私の大切な従業員(兼、最高傑作)ですから。
「お客様、私の店員に何かご用でしょうか?」
私は精一杯の虚勢を張って睨み返しました。
将軍は私を見て、それから私の背後にいるレオンさんを見ました。
振り返ると、レオンさんは将軍を真っ直ぐに見つめ返し、人差し指をそっと唇に当てています。
『シッ』というジェスチャー。
(ああっ、レオンさんまで! そんな挑発したら殺されますよ!)
ところが。
将軍はピタリと動きを止め、レオンさんの顔の『ある一点』――右頬にある薄い傷跡(解けかけの呪印)をじっと見つめました。
そして、ふうーっと長い息を吐き、肩の力を抜いたのです。
その目は、どこか安堵したように見えました。
「……いや。人違いだったようだ」
将軍の声は、岩が擦れるように重低音でした。
「少し、昔仕えていた主に似ていたものでな」
彼はそう言うと、レオンさんから視線を外し、私に向き直りました。
「ここが『スミス修理店』か。カイルから噂は聞いている」
「は、はい。店主のマリエです」
「……修理を頼みたい」
彼は着ていたマントをバサリと翻しました。
現れたのは、右肩の甲冑です。
黒鉄で作られた重厚な鎧ですが、奇妙なことに、将軍の右肩だけが不自然に上がっています。
「この鎧、どうも調子が悪い。着ていると右肩が石のように重くなり、腕が上がらんのだ」
「肩こり、ですか?」
「医者にはそう言われた。だが、どんな薬も効かん。鎧の重心が狂っているのではないかと」
私は将軍の右肩に近づき、じっと観察しました。
(……これは)
職人の目が、異常を捉えます。
鎧の重心ズレではありません。
鎧の継ぎ目から、ドス黒い澱のようなものが滲み出ています。
「お客様。失礼ですが、この鎧を着て『呪い』を受けたことは?」
将軍の眉がピクリと動きました。
「……なぜ、それを」
「鎧が覚えているからです。痛かったでしょうね」
私はそっと黒い澱に触れました。
これは、持ち主の体を蝕むタイプの呪いです。
おそらく、誰か大切な人を守って受けた名誉ある傷でしょう。
「鎧の歪みではありません。鎧に染み付いた『古傷』が、貴方の神経を圧迫しているんです」
「……治せるか?」
「もちろんです。私の店に来たからには、新品以上の着心地をお約束します」
私は踏み台を持ってきて、将軍の背後に立ちました。
身長差がありすぎて、台に乗らないと肩に届かないのです。
「少し暴れるかもしれませんが、我慢してくださいね」
私は両手に魔力を込めました。
レオンさんの時とは違う、硬い岩盤を砕くようなイメージで。
「――【研磨】!」
ガシッ!
私は将軍の肩を鷲掴みにしました。
バチバチバチッ!
火花のような魔力の衝突音が響きます。
将軍の喉から「ぐおっ!?」という野太い呻き声が漏れました。
「硬いですね! だいぶ溜め込んでいます!」
私は呪いの塊を、指先で粉砕するように揉みほぐします。
物理的なマッサージと、概念的な浄化の同時進行。
ゴリゴリ、バキバキと、骨が鳴っているのか呪いが割れているのか分からない音がします。
「ぬ、ぐ……っ! 貴様、何を……熱い、肩が焼ける……!」
「悪いものが抜けている証拠です! 動かないで!」
将軍は大木のように踏ん張っています。
額に玉のような汗が浮かび、こめかみの血管が浮き上がっています。
痛みに耐える武人の姿ですが、私には「頑固な汚れと戦う洗濯機」に見えていました。
「よし、仕上げです! そこっ!」
私は呪いの核となっている一点を、親指で強く押し込みました。
パキィン!
ガラスが割れるような澄んだ音が、店内に響きました。
同時に、将軍の右肩から黒い煙が吹き出し、霧散していきます。
「……ふぅ。終わりました」
私が手を離すと、将軍はよろめくように膝をつきました。
荒い息をついています。
私はタオルを渡しました。
「動かしてみてください」
将軍は恐る恐る、右腕を回しました。
グルン、グルン。
風を切る音がします。
「……軽い」
彼は信じられないという顔で、自分の肩を見つめました。
「五年だ。あの方をお守りして以来、五年間、鉄球をぶら下げているような痛みだったのが……消えた?」
「鎧の呪いも綺麗さっぱり落としました。これでもう、貴方の動きを邪魔する者はいません」
将軍はゆっくりと立ち上がりました。
その顔から、険しい皺が消えています。
彼は私をまじまじと見下ろし、それから、今まで見せたことのない穏やかな表情を浮かべました。
「マリエ、だったか。……見事だ」
「お褒めに預かり光栄です」
彼は懐から、金貨を取り出しました。
銀貨ではありません。金貨です。
「い、いただけません! 高すぎます!」
「治療代ではない。口止め料と、予約金だ」
彼は金貨をカウンターに置くと、チラリとレオンさんを見ました。
そこには、上官と部下のような、あるいは共犯者のような空気が流れました。
「俺はこれから、頻繁にここへ来る。部下の武具のメンテナンスも頼みたい。……もちろん、ここに『あるべきもの』を守るためにな」
意味深な言葉でした。
おそらく、国宝級の技術を持つ私の店を保護してくれるという意味でしょう。
こんな強面の方がガードマンになってくれるなら安心です。
「ありがとうございます! お得意様ですね!」
「ああ。……それと、そこの店員」
将軍はレオンさんに声をかけました。
「いい掃除係だ。大事にしてやれ」
そう言い残し、将軍は満足げに店を出て行きました。
去り際、その背中が以前より一回り大きく、頼もしく見えたのは気のせいではないでしょう。
「……ふぅ、緊張しました」
私がへたり込むと、レオンさんが駆け寄ってきて、私を支えてくれました。
彼の顔は、どこかホッとしたような笑顔でした。
「レオンさん、怖かったですね。でも、いいお客様になってくれそうです」
「……そうだね」
レオンさんは短く答え、ふと窓の外へ視線を向けました。
その目が、一瞬だけ鋭く細められた気がしました。
「どうかしましたか?」
「いや。西日が眩しいなと思って」
レオンさんはニコリと笑い、窓のカーテンをシャッと閉めました。
まるで、外からの視線を遮断するかのように。
(? もう日は落ちかけているのに)
私は不思議に思いましたが、手元の金貨の輝きに気を取られ、深く考えるのをやめました。
外の暗闇に、誰かの息を殺した気配があることなど、知る由もありませんでした。




