第3話 開店! 奇跡の「サビ取り屋」
チュンチュン、と小鳥のさえずりで目が覚めました。
久しぶりに熟睡しました。
王宮にいた頃は、いつ理不尽な呼び出しがあるかと、枕元に靴を用意して寝ていましたから。
「……あ、レオンさん?」
寝室を出て、私は目を丸くしました。
工房兼リビングが、ピカピカに磨き上げられていたからです。
床の油汚れは消え、窓ガラスは透明になり、朝の光がサンサンと降り注いでいます。
その中心に、彼――レオンが立っていました。
彼は亡き父の作業着を着ていました。
ただ、明らかにサイズが合っていません。
父は小柄な職人でしたが、レオンは長身で筋肉質です。
結果として、袖は七分丈になり、胸元のボタンは弾け飛びそう。
動くたびに、背中や太ももの筋肉が布越しに浮き上がり、彫刻のような肉体美を強調しています。
(目のやり場に困りますね……)
彼は私に気づくと、パッと表情を明るくし、手に持っていた雑巾を掲げました。
『掃除、終わりました』というアピールです。
「おはようございます。その、働き者ですね」
彼は誇らしげに胸を張り――ビリッ、と微かな音がしました。
「ああっ! 無理に動かないでください! 背中が裂けます!」
私が慌てて駆け寄ると、彼はシュンとして小さくなりました。
本当に、叱られた大型犬みたいです。
◇
固くなったパンとスープの朝食を済ませ、いよいよ開店準備です。
私は端材の板に、ペンキで文字を書きました。
『スミス修理店 〜刃物研ぎ・サビ取り・メンテナンス〜』
『包丁一本:銅貨5枚より』
安すぎでしょうか。
いいえ、今のこの国では「修理にお金を払う」という文化自体が廃れています。
まずは安さで釣って、修理の良さを知ってもらわなければなりません。
「レオンさん、これを店先にお願いします」
彼は看板を受け取ると、敬礼のようなポーズをとって表へ出て行きました。
数分後。
店の中から外を覗くと、レオンが看板を持って直立不動で立っています。
その整いすぎた顔立ちと、ピチピチの作業着から溢れるフェロモン。
道行く女性たちが、顔を赤くして振り返っては、ひそひそと話し合っています。
(……すごい宣伝効果です。内容は伝わっているのでしょうか?)
不安になりましたが、すぐに答えが出ました。
カランカラン。
ドアベルが軽快に鳴ります。
記念すべき第一号のお客様です。
「おや、店が開いてるなんて珍しいねえ」
入ってきたのは、近所に住む食堂の女将さん、マーサおばさんでした。
手には買い物かごを持っています。
「マーサさん、お久しぶりです。実家に戻って、店を継ぐことにしたんです」
「へえ、マリエちゃんがねえ。王宮勤めは辞めたのかい?」
「ええ、まあ。色々ありまして」
私は曖昧に笑って誤魔化しました。
クビになったとは言いにくいですから。
「で、どうだい? この包丁、研げそうかい?」
マーサさんがカゴから取り出したのは、刃がボロボロに欠けた包丁でした。
柄には聖女様の紋章が入っています。
「聖女様の召喚品ですね」
「そうなんだよ。最初は凄かったんだけどねえ。一ヶ月もしたらこの有様さ。新しいのを買おうにも、最近は配給が遅れててね」
私は包丁を受け取り、指で刃先をなぞります。
酷い状態です。
刃こぼれというより、金属疲労で崩壊しかけています。
聖女様の武具は「魔力で形を保っている」だけなので、魔力が抜けるとこうなるのです。
「直せますよ。少し待っていてください」
私は作業台に向かいました。
レオンがさっと横に来て、新しい砥石と水桶を用意してくれます。
なんて優秀な助手でしょう。
私は包丁を砥石に当てました。
(……鉄の声を聞くのよ)
目を閉じ、意識を集中します。
この包丁は泣いています。
『まだ切れる』『捨てないで』と。
「――【研磨】」
指先に魔力を込め、リズミカルに砥石を滑らせます。
シャッ、シャッ、シャッ。
静かな工房に、澄んだ音が響きます。
ただ削るだけではありません。
崩れかけた金属の結晶を、魔力で再結合させる。
脆くなった分子の隙間を埋め、一本の線に収束させる。
研げば研ぐほど、刃が青白い光を帯びていきます。
それは本来、名剣にしか宿らない『魔剣の輝き』でしたが、作業に没頭している私は気づきません。
「……よし」
十分ほどで、作業は終わりました。
刃こぼれは消え、鏡のように顔が映る美しい刃先が蘇りました。
「お待たせしました。どうでしょうか?」
私はマーサさんに包丁を返します。
「おやまあ! 新品みたいだねえ!」
マーサさんは目を丸くしました。
「見た目はいいけど、切れ味はどうだい? ちょうど夕飯の仕込みがあるんだ」
彼女はカゴから、根菜の中でも特に硬い『岩ニンジン』を取り出しました。
石のように硬い皮を持つ、主婦泣かせの野菜です。
彼女は持っていた木のまな板の上に、それを置きました。
「いくよ、えいっ」
マーサさんが軽く包丁を振り下ろしました。
ストン。
音が、しませんでした。
何の抵抗もなく、包丁が吸い込まれていきます。
「え?」
マーサさんが首を傾げます。
岩ニンジンは綺麗に二つに分かれています。
ですが、それだけではありません。
パカッ。
ニンジンの下にあった、厚さ三センチの堅木のまな板も、真っ二つに割れました。
さらに。
「ああっ!?」
私が悲鳴を上げました。
まな板の下にあった作業台の天板にまで、深い切り込みが入っていたのです。
「なんてこと……! お父さんの代からの作業台が!」
私が青ざめる横で、マーサさんが震える声を出しました。
「……マリエちゃん? これ、包丁だよね? 伝説の聖剣とかじゃないよね?」
「もちろんです。ちょっと、刃の角度を最適化しただけですよ。あーあ、天板の修理もしないと……」
私は肩を落としますが、マーサさんの目はギンギンに輝いていました。
「す、すごいよ……! あんた、天才だよ!」
ガシッ、と私の手を握ります。
「これなら、筋張った肉でもドラゴンの皮でも切れるよ! ご近所さんにも教えてやらなきゃ!」
彼女はカウンターに、銀貨1枚(銅貨100枚分)を叩きつけました。
「ちょ、マーサさん!? これじゃ多すぎます! 定価は銅貨5枚で――」
「いいんだよ! これは『技術料』さ! お釣りはいらないよ!」
言い残し、彼女は嵐のように去っていきました。
「……ふう。喜んでもらえて何よりですが、申し訳ないですね」
私は銀貨を見つめ、ため息をつきました。
レオンが、そっと冷たい水を差し出してくれます。
その時でした。
店の外から、ざわざわと人の声が聞こえてきたのは。
「ここか? どんなボロ包丁でも名剣にしてくれるって店は」
「あのイイ男がいる店って本当?」
窓の外を見ると、既に五、六人の行列ができていました。
マーサさんの宣伝効果、早すぎます。
「レオンさん、忙しくなりそうですよ」
彼はニカッと笑い、腕まくりをしました。
その二の腕の筋肉を見て、並んでいた女性客から黄色い悲鳴が上がります。
その中の一人が、連れの女性に話しているのが聞こえました。
「ねえ、聞いた? 最近、騎士団の方々が困ってるらしいわよ」
「ああ、聖女様の剣がポキポキ折れるって話? 訓練にならないって嘆いてたわね」
「ここを紹介してあげたら喜ぶかしら?」
(騎士団の剣が折れる……?)
不穏な言葉が耳に残りましたが、考える暇はありませんでした。
次のお客様が、錆びた鍋を持って入ってきたからです。
こうして、『スミス修理店』の初日は、予想外の大盛況で幕を開けたのです。




