第2話 サビだらけの騎士様をピカピカに
ギイィ……ガタンッ。
店の中に台車を引き入れると、私はその場にへたり込みました。
全身汗だくです。
日が落ちて、工房の中は薄暗くなっていました。
「ふぅ……。まずは灯りですね」
私はランプに火を入れ、作業台の上を片付けます。
そして、台車の上でうずくまっている『彼』――赤錆まみれの全身鎧を見下ろしました。
改めて見ると、酷い状態です。
関節という関節が錆で固着し、身動きが取れなくなっています。
これでは中の機構も窒息寸前でしょう。
(自律型の魔導鎧だとしても、ここまで放置されるなんて)
私は台車の車輪に木の楔を噛ませて固定しました。
これから暴れるかもしれませんから、安全第一です。
エプロンを新しいものに取り替え、髪をひっつめる。
職人モードへの切り替えです。
「さあ、始めましょうか。オペの時間ですよ」
私は工具棚から、一番粗い金タワシと、強力なサビ取り油を取り出しました。
◇
まずは表面の泥と、浮いた赤錆を落とすところからです。
私は鎧の胸板に油をたっぷりとぶっかけました。
ビクッ!
鎧が跳ねました。
「動きません! じっとしていてください」
私は冷たく言い放ち、金タワシを押し当てます。
ガリガリ、ジョリジョリ。
小気味いい音が工房に響きます。
普通の錆なら、これだけで落ちるはず。
ですが、こびりついた汚れは頑固でした。
まるで呪いのように、鉄の肌に食らいついています。
「……なるほど。ただの汚れじゃありませんね」
私は金タワシを置きました。
深呼吸をして、魔力を練り上げます。
私の家系に伝わる、ただ一つの魔法。
そして、私が王宮を追い出される原因になったスキル。
「――【研磨】」
私の掌が淡く発光します。
これは、単に表面を削るだけの魔法ではありません。
対象が本来持っていた「輝き」をイメージし、そこへ強制的に還す時間逆行に近い魔法。
私は光る手を、鎧の肩に押し当てました。
ジュワァァァ……!
油が焼けるような音と共に、黒い煙が立ち上ります。
錆が悲鳴を上げているかのよう。
ガタガタガタッ!
鎧が激しく震え始めました。
台車の上でのたうち回り、私の手から逃れようとします。
「こらっ! 逃げない!」
私は逃げる鎧の腕をむんずと掴み、ねじ伏せました。
「痛くないです! サビが落ちているだけですから! ここを綺麗にしないと、一生動けないままですよ!」
鎧はカチカチと歯(?)を鳴らし、必死に首を振っています。
まるで「そこはダメだ」と訴えているよう。
ですが、私は容赦しません。
一番錆びついているのは、動きの要となる関節部分です。
「はい、腕を上げて!」
固まった脇の下に、光る指先とブラシを突っ込みます。
ゴリゴリと重点的に【研磨】を流し込みました。
ガアァァァン!
鎧が背中を反らせ、無言の絶叫を上げます。
よほど錆の根が深かったのでしょう。
抵抗が激しいです。
「次は股関節! 足を開いて!」
私は鎧の太ももを強引に開き、内側の蝶番にブラシを突き立てました。
ビクンッ、ビクンッ!
鎧がまるで捕らえられた魚のように跳ねます。
暴れる足を膝で押さえ込み、私は一心不乱に磨き続けました。
「ああもう、んっ、固い……! 力を抜いてください! 奥まで届かないじゃないですか!」
汗が滴ります。
相手も必死なら、こっちも必死です。
こんなに手応えのある相手は久しぶり。
私は職人としての恍惚すら感じていました。
「いいですね……落ちてきましたよ……その調子です……!」
一時間後。
工房の床には、山のような赤錆の粉が積もっていました。
◇
「ふぅー……」
私はタオルで汗を拭い、目の前の『彼』を見つめました。
そこにあるのは、ゴミではありません。
月明かりを反射して白銀に輝く、芸術品のような騎士甲冑です。
細部の彫刻までくっきりと蘇り、まるで生まれたてのような神々しさを放っています。
「完璧です」
これなら王宮に飾っても恥ずかしくありません。
私は満足感に浸りながら、最後仕上げに兜の留め具に手を掛けました。
「外も綺麗になりましたし、中も掃除しておきましょうか。カビが生えていたら大変ですし」
パチン。
留め具を外し、フェイスガードを跳ね上げます。
空洞か、魔法陣が見えるはず。
そう思っていました。
「……え?」
中から現れたのは、一対の瞳でした。
宝石のような、深い蒼色の瞳。
人間……?
私は驚いて、思わず手を引っ込めそうになりました。
プシューッ、と蒸気が抜けるような音がして、鎧のロックが一斉に解除されます。
全身の装甲がスライドし、まるで果実の皮が剥けるように開きました。
中から転がり出てきたのは、一人の青年でした。
汗でぐっしょりと濡れた、薄い亜麻色のシャツ。
それが肌に張り付き、引き締まった体のラインを露わにしています。
金色の髪も濡れて頬に張り付いていました。
彼は床に膝をつくと、肩で息をしながら私を見上げました。
その顔は真っ赤で、涙目になっています。
(か、可愛い……)
不覚にも、そう思ってしまいました。
整った顔立ちだからではありません。
まるで、初めてお風呂に入れられた大型犬のような、情けない表情をしていたからです。
「あ……ぅ……」
彼が口を開きます。
ですが、声は掠れて出ません。
(言葉が話せない? それとも、長く閉じ込められていて喉が?)
私はすぐに水差しを持ってきて、彼の口元に差し出しました。
彼は震える手でそれを受け取り、一気に飲み干します。
「ぷはっ」
息を吐き、彼は私をじっと見つめました。
先ほどの怯えた目ではありません。
今度は、縋るような、熱っぽい視線です。
彼は私の手を取り、その甲に額を押し付けました。
騎士が主人に行う、忠誠の礼。
「……感謝されている、のでしょうか?」
彼はコクコクと頷きます。
そして、よろめきながら立ち上がると、私が放り出したままの金タワシを拾い上げました。
どうするつもりでしょう。
彼はタワシを持ったまま、キョロキョロと工房を見渡し、散らかった錆の粉を指差しました。
そして、自分の胸を叩きました。
『僕が掃除します』
そう言っているように見えました。
「えっ、いいですよ。貴方は病人のようなものですし」
止める私を制し、彼は箒を掴んで掃除を始めました。
動きはぎこちないですが、丁寧です。
何より、その背中からは「役に立ちたい(捨てられたくない)」という強烈な意思を感じます。
(不思議な人。それに……)
私は彼のシャツの襟元を見ました。
うなじのあたりに、まだ薄汚れたような黒い痣が残っています。
(あそこ、磨き残しですね)
私の職人魂がうずきました。
まあ、今日は疲れているでしょう。
残りのメンテナンスは、また明日にでも。
私はピカピカになった鎧と、うっすら汚れた美青年を交互に見比べて、小さく笑いました。
「拾ったからには、責任を持ってメンテナンスしてあげますからね。……名前、なんて呼べばいいですか?」
彼は一瞬困った顔をして、それから私の作業台にあった獅子の刻印を指差しました。
「ライオン? ……レオン、とか?」
彼――レオンの顔が、パァッと輝きました。
嬉しそうに頷く彼を見て、私は思います。
どうやら私、とんでもなく手のかかりそうな、けれど磨き甲斐のある『原石』を拾ってしまったようです。




