第10話 国一番の整備士として
王宮の一室で、私は死んだ魚のような目をしていました。
「マリエ様! お茶を飲む際は、カップの底を凝視しないでくださいませ!」
「シャンデリアを見上げないで! 金具の緩みなど、侍従に任せればよろしいのです!」
「また椅子の脚を撫で回して! 歪みチェックはおやめください!」
教育係の夫人の金切り声が響きます。
私はガチガチに締め上げられたコルセットの中で、酸欠になりかけていました。
「申し訳ありません……。つい、カップの縁の研磨ムラが気になって……」
「それが余計なのです!」
(……帰りたい。工房に)
あの日――レオンさんが宰相を拘束し、事実上の『革命』が成功してから一ヶ月。
国は劇的に変わりました。
『使い捨て文化』は終わりを告げました。
ガルド将軍を中心に「武具の手入れ」が騎士の義務となり、下町の鍛冶屋や修理屋は大繁盛。
物を大切にする精神が戻ったことで、不思議と人々の表情も穏やかになったそうです。
それは素晴らしいことです。
私の店がきっかけで、国がピカピカになったのですから。
ですが。
(私には、この煌びやかな世界は眩しすぎます)
私はため息をつきました。
救国の英雄となったレオンさんは、次期国王として激務の日々。
そして私は、「王子の婚約者」として城に軟禁され、地獄の花嫁修業をさせられているのです。
「今日はここまでですわ。……はぁ、マリエ様は職人としては天才でも、貴婦人としては……」
夫人が頭を抱えて部屋を出て行きました。
私はソファに倒れ込みます。
「無理です……。私には、ドレスより作業着がお似合いなんです」
私の手を見ます。
やすりダコも、火傷の痕も、ケアされて薄くなってきています。
それが酷く寂しい。
職人としての私が、死んでいくような感覚。
(レオンさんのことは好きです。でも、一生ハンマーを握れず、カップの汚れも見ないふりをして生きるなんて)
それは、私にとって魂の死と同じです。
コンコン。
控えめなノックの後、ドアが開きました。
入ってきたのは、仕立ての良い軍服を着たレオンさんでした。
一ヶ月前よりもさらに精悍になり、王者の貫禄が漂っています。
「マリエ。お疲れ様」
「レオンさん……。あの、もう限界です。私、下町に帰らせていただきます」
私は思い切って言いました。
これ以上、自分を偽ることはできません。
レオンさんは驚くこともなく、苦笑して私の隣に座りました。
「やっぱり、そう言うと思ったよ。教育係が泣いていたからね。『あの方はマナーよりも建物の構造を気になさる』って」
「うっ……それは」
「帰る前に、どうしても見せたいものがあるんだ。着いてきてほしい」
彼は私の手を取り、立ち上がらせました。
「君の、新しい『城』へ」
◇
連れて行かれたのは、王宮の裏手にある離宮でした。
以前は武器庫として使われていた、石造りの頑丈な建物です。
レオンさんが扉の前で立ち止まり、重厚な鉄の鍵を私に渡しました。
「開けてみて」
私は言われるままに鍵を回し、扉を開けました。
ギィィ……。
中に入った瞬間、懐かしい匂いが鼻をくすぐりました。
鉄と、油と、火の匂い。
「これ……!」
私は息を飲みました。
そこは、広大な工房でした。
壁には最高級のミスリル製工具がズラリと並び、中央には特注の炉が赤々と燃えています。
作業台は、私が下町の店で使っていたものよりずっと広く、使いやすそうです。
それだけではありません。
下町の店にあった私の愛用のハンマーや、父の遺品までが、綺麗に並べられていたのです。
「こ、これは……?」
「僕たちが暮らす『家』だよ」
レオンさんが背後から私を抱きしめました。
「君からハンマーを取り上げるなんて、そんなことするわけがないだろう? 君は職人だ。その手が、この国を救ったんだから」
彼の声が、耳元で優しく響きます。
「公務なんて、適当でいい。舞踏会も、出たくないなら僕も出ない。君はここで、好きなだけ好きなものを磨いていればいい」
「で、でも、王妃としての役目が……」
「君の役目は一つだけだ」
彼は私を振り向かせ、真剣な瞳で見つめてきました。
その瞳は、宝石のように輝いています。
「僕のメンテナンスをしてほしい」
彼は自分の胸に私の手を当てさせました。
鼓動が、速く打っています。
「王なんて立場は、重くて、錆びつきやすい。君がいないと、僕はすぐにまた動けなくなってしまう」
彼の瞳が潤んでいました。
出会ったあの日、廃棄場で私を見上げていた時と同じ。
捨てられた子犬のような、けれど今は、私だけを求める雄の目。
「僕を、一生ピカピカにしていてくれないか? ……僕の、専属整備士として」
それは、世界で一番不器用で、私にしか理解できないプロポーズでした。
私の目から、涙が溢れました。
ドレスも、宝石も、地位もいらない。
欲しかった言葉は、これだけだったんです。
「……仕方ないですね」
私は涙を拭い、彼に向かってニカッと笑いました。
いつもの、職人の顔で。
「貴方ほど手のかかる『最高級品』、他の人には任せられませんから。……特注で、契約をお受けします」
レオンさんの顔がパァッと輝きました。
彼は私を抱き上げ、くるくると回ります。
「ありがとう! 愛してる、マリエ! もう絶対に逃がさないからな!」
「ああっ、目が回ります! それに、まだ公務が残っているんじゃ?」
「サボる! 今すぐ『緊急メンテ』が必要だ!」
彼はそのまま、私を作業台……ではなく、工房の隅にある大きなソファへと運びました。
以前、店で未遂に終わった「壁ドン」の時のように、熱っぽい視線が私を捕らえます。
どうやら、最初の仕事は『王様のガス抜き』になりそうです。
もちろん、私もプロですから。
徹底的に、骨の髄までとろとろに磨き上げて差し上げましょう。
◇
それから数年後。
この国には、一風変わった王妃様がいます。
彼女はドレスを着ず、エプロン姿で王宮の一角にある工房に籠もっています。
国民は親しみを込めて、彼女をこう呼びます。
『お直し王妃様』と。
「マリエー! 執務で背中が凝った! 緊急メンテ頼む!」
今日もまた、国一番のハンサムな王様が、工房へ駆け込んできました。
ネクタイを緩め、犬のように尻尾を振って(幻覚)私を求めています。
「はいはい。また骨格に『歪み』が出ていますね」
私は愛用の**『整備用ハンマー』**と**『仕上げクロス』**を手に取り、愛しい旦那様を出迎えます。
「座ってください。肩甲骨のズレを、コンコンッと叩き直しますから」
「頼む! 君のハンマーじゃないと効かないんだ!」
側から見れば、王妃が王様をハンマーで殴ろうとしている不敬な図でしょう。
でも、これが私たち流の愛の形です。
錆びついた剣は、もうありません。
私の技術と、彼への愛がある限り。
この国も、私たちも、永遠にピカピカに輝き続けるでしょう。
さあ、今日も開店です!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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