第八章 空車回送の恐怖
運送ギルドの快進撃は、三ヶ月で終わりを告げた。
「また契約キャンセルです」
ナタリーが書類を持ってきた。顔色が悪い。
「どこから」
「ドワームの鉱山組合です。鉄鉱石の定期輸送契約、打ち切りだそうです」
誠一は眉をひそめた。
「理由は」
「書いてありません。ただ『諸般の事情により』と」
三通目だった。
この一週間で、三件の大口契約がキャンセルになった。カルム港の塩商、ミルフィアの穀物商、そしてドワームの鉱山組合。いずれも、ギルドの収益の柱となっていた取引先だ。
「偶然じゃないな」
誠一は呟いた。
「ええ。明らかに、何かが起きている」
リーネが険しい表情で言った。
「調べたわ。三つの取引先に共通していること。どれも、最近になって商人ギルドとの取引を始めている」
「マルクスか」
「たぶん。私たちの取引先に、より有利な条件を提示して、横取りしているんでしょう」
「ダンピングか……」
誠一は苦い顔をした。
ダンピング——原価を割り込む低価格で競争相手を潰し、市場を独占してから値上げする手法。現代日本でも、物流業界では珍しくない話だ。
「商人ギルドには、それだけの資金力がある。私たちが太刀打ちできる相手じゃないわ」
「だからって、黙って見てるわけにもいかない」
「でも、どうするの? こっちも値下げしたら、赤字になる」
リーネの声には、焦りが滲んでいた。
誠一は考え込んだ。
資金力では勝てない。それは明らかだ。だが——。
「別の方法を考えよう」
「別の方法?」
「値段で勝負しないってことだ」
誠一は地図を広げた。
「俺たちの強みは何だ? スピードだろう。商人ギルドの馬車が一週間かかるところを、俺なら一日で走れる。その差を、もっと活かせないか」
「でも、セイ一人じゃ限界があるわ」
「分かってる。だから、ニッチを狙う」
「ニッチ?」
「隙間市場だ。商人ギルドが手を出さないような、小さな仕事。でも、誰かが困っている仕事」
リーネは首を傾げた。
「そんな仕事、あるかしら」
「探せばある。俺が日本でやってきたのは、そういう仕事だったからな」
誠一は立ち上がった。
「とりあえず、現場を見てくる。困っている人がいれば、話を聞く。それが、営業の基本だ」
誠一は王都の街を歩いた。
商業地区を抜け、職人街へ。さらに進んで、貧民街の入り口に差し掛かる。
「おい、運び屋さん」
声をかけてきたのは、薬屋の店主だった。小柄な老人で、白髪交じりの髭を蓄えている。
「何かご用ですか」
「あんた、カートライト運送ギルドの人だろう? 評判は聞いてる」
「ありがとうございます」
「実は、頼みたいことがあるんだが——」
老人は店の奥から、小さな木箱を持ってきた。
「これを、北の村に届けてほしいんだ」
「北?」
「ああ。国境近くの、ヘルムという村だ。そこに、重い病気の子供がいる。この薬が必要なんだ」
誠一は木箱を見た。小さい。両手で抱えられるサイズだ。
「運賃は——」
「正直、金がない。村は貧しいし、俺も余裕がない。だから、商人ギルドには断られた。運賃が払えないなら運べない、と」
「……」
「無理を言ってるのは分かってる。でも、あの子は——このままじゃ、死んでしまうんだ」
老人の目に、涙が光った。
誠一は黙っていた。
商売として考えれば、この依頼は受けられない。運賃が出ないのでは、ガソリン代——いや、この世界では馬の飼料代か——すら賄えない。
だが——。
「届けます」
気づけば、そう言っていた。
「本当か?」
「ああ。金は、いりません」
「だが——」
「いいんです。俺の仕事は、届けることだから」
老人は、誠一の手を両手で握りしめた。
「ありがとう……ありがとう、運び屋さん……」
北の村、ヘルムへの道は険しかった。
王都から馬車で十日。誠一のスキルを使っても、片道五時間はかかる距離だ。
「行ってくるわ」
「気をつけて。北は、魔物の出没が多いらしいから」
リーネの心配を背に、誠一は出発した。
街道を北へ。
最初の二時間は順調だった。道は整備されており、魔物の気配もない。
だが、三時間を過ぎたあたりから、景色が変わり始めた。
畑が減った。森が深くなった。道が荒れ始めた。
「ここから先は、あまり人が来ないんだな」
独り言を呟きながら、誠一は走り続けた。
四時間が近づく。スキルの制限時間だ。
「あと少し……」
前方に、村の影が見えた。小さな集落。木造の家々が、肩を寄せ合うように建っている。
三時間五十八分。
誠一は村の入り口に到着した。
「はあ……はあ……」
息を整える。スキルを解除し、普通の足で村に入る。
「誰だ、あんた」
警戒した声。村人たちが、遠巻きに誠一を見ていた。
「王都から来ました。薬を届けに」
「薬?」
「ええ。重い病気の子供がいると聞いて」
村人たちの表情が、変わった。
「まさか……本当に来てくれたのか」
「どうやって……魔物が出る街道を、どうやって」
「説明は後で。今は、患者のところへ」
誠一は急いだ。
村の奥、小さな家。中には、痩せこけた少年が横たわっていた。十歳くらいだろうか。顔色は土気色で、息も浅い。
「この子か」
「ああ……息子だ。高熱が続いて、もう十日も……」
父親らしき男が、涙声で言った。
誠一は木箱を開け、薬を取り出した。
「これを。用法は、一日三回、食後に」
「本当に……本当にありがとう……」
男は、誠一の足元にひざまずいた。
「立ってください。俺は、届けただけです」
「でも、金も払えないのに……どうして」
「……」
誠一は少し考えてから、答えた。
「届けられない場所なんて、ないからです。届けたい人がいる限り、俺は走る。それが、俺の仕事だから」
男は泣いた。周りの村人たちも、もらい泣きしていた。
誠一は少し照れくさくなって、外に出た。
帰り道、誠一は考え事をしていた。
金にならない仕事。だが、届けたことで、誰かが救われた。誰かが涙を流して感謝してくれた。
「……これだ」
呟いた。
日本にいた頃は、忘れていた感覚だ。いや、感じることを許されなかった感覚かもしれない。
荷物を届けて、「ありがとう」と言われる。それだけで、心が温かくなる。
十八年間、何万回も荷物を届けてきた。でも、そのほとんどは、感謝されることなく、当たり前のこととして処理された。遅れれば怒鳴られ、時間通りに届けても何も言われず、ただ次の荷物を押し付けられるだけ。
「俺は……何のために走ってたんだろうな」
空を見上げた。夕焼けが、地平線を赤く染めている。
「でも、今は違う」
誠一は拳を握りしめた。
「今は、届けたい相手がいる。届けたい想いがある。だから——」
走り出した。
全速力で、王都に向かって。
帰り荷はない。空車回送だ。商売としては最悪の状態。
だが、心は満たされていた。
王都に戻ると、リーネが待っていた。
「おかえり、セイ。どうだった?」
「届けてきた」
「……よかった」
リーネは微笑んだ。だが、その目には、心配の色があった。
「で、帰り荷は?」
「……ない」
「そう」
リーネはため息をついた。
「セイ、分かってると思うけど——」
「分かってる。赤字だ。このまま続けたら、ギルドは潰れる」
「それでも、やるつもり?」
「……」
誠一は黙った。
商売として見れば、今日の行動は愚かだった。金にならない仕事に、時間と体力を費やした。ギルドの経営は悪化するばかりだ。
だが——。
「やる」
誠一は言い切った。
「理由を聞いていい?」
「困ってる人がいたからだ。それだけじゃ、駄目か」
「……」
リーネは黙った。何かを考えているようだった。
「いいえ」
やがて、リーネは口を開いた。
「駄目じゃないわ。私も、父からそう教わったから」
「リーネ?」
「父は言ってたの。『商売は、金を稼ぐためだけにやるんじゃない。人と人を繋ぐためにやるんだ』って。私、その言葉を忘れていたわ」
リーネは誠一の手を取った。
「だから、私もやる。あなたと一緒に。金にならなくても、困っている人を助ける。それが、カートライトの誇りだから」
「リーネ……」
「でもね」
リーネは急に真顔になった。
「経営が傾いたまま放置はできない。だから、私は私のやり方で戦う。あなたは走って。私は、金を稼ぐ方法を考える」
「分かった」
二人は頷き合った。
「さて」
リーネは帳簿を取り出した。
「今月の収支、計算しないとね。覚悟しておいて。赤字、結構きついわよ」
「……ああ」
誠一は、恐る恐る帳簿を覗き込んだ。
その後、一ヶ月が経った。
誠一は、困っている人への無償配送を続けた。
薬が必要な病人のところへ。食料が足りない村へ。手紙を届けてほしいという老人のところへ。
金にならない仕事ばかりだった。ギルドの経営は、悪化の一途をたどった。
「これ以上は、もたないわ」
ソフィアが、厳しい表情で言った。
「あと三ヶ月で、資金が底をつく」
「そんなに悪いのか」
「ええ。商人ギルドの妨害もあって、大口契約が取れない。小口の仕事だけでは、人件費すら賄えない」
誠一は頭を抱えた。
「何か、打開策は——」
「あるわ」
リーネの声だった。
「王女エレノアから、連絡が来たの」
「王女から?」
「ええ。緊急の輸送依頼よ。成功報酬は、金貨五百枚」
「五百枚!」
それは、ギルドの年間売上に匹敵する金額だった。
「何を運ぶんだ」
「北の国境へ、軍事物資を」
「軍事物資……」
誠一の表情が、曇った。
「戦争が、近いってことか」
「そうみたい。鉄血帝国との関係が、かなり悪化しているらしいわ。王国軍は、国境の守りを固めている」
「……」
「どうする、セイ? 危険な仕事よ。国境付近は、魔物だけじゃなく、帝国の斥候も出没するらしい」
誠一は考えた。
危険な仕事。だが、成功すれば、ギルドを救える。そして——。
「やる」
誠一は立ち上がった。
「これも、届ける仕事だ。危険だからって、逃げる理由にはならない」
「……分かったわ」
リーネは頷いた。
「じゃあ、準備を始めましょう。明日の朝、出発よ」
こうして、誠一は北へ向かうことになった。
そこで待っていたのは、予想もしなかった「再会」だった。




