第五章 運送ギルド創設
「五十袋の塩ですって?」
メルダは目を丸くした。
「一日で、カルム港まで往復して?」
「ああ。できた」
誠一は淡々と答えた。
リーネの家の居間には、五十袋の塩が山のように積まれていた。カルム港で銀貨一袋三枚だった塩が、王都では銀貨十枚以上で売れる。利益は莫大だ。
「信じられない……」
メルダは塩袋に手を触れた。確かに、本物の塩だった。
「これで、借金が返せるわ。いいえ、それだけじゃない。商会を再建する資金ができる」
「その前に、やるべきことがある」
誠一は言った。
「ギルドの設立だ。正式な運送業者として登録しないと、大口の仕事は受けられないんだろう?」
「そうね……でも、ギルドの設立には審査があるの。資金証明、実績証明、それから——」
「既存の商人ギルドの承認」
リーネが付け加えた。
「そこが問題なのよ。商人ギルドは、新規参入を嫌う。自分たちの利権を守りたいから」
「つまり、妨害される可能性がある、と」
「ええ。特に、うちは没落した商家だから。復活されると困る人たちがいる」
誠一は腕を組んだ。
「だったら、実績を作るしかないな」
「実績?」
「王都の人々に、俺たちの価値を証明するんだ。塩を安く売る。困っている人に届ける。そうすれば、民衆が味方になる」
リーネの目が輝いた。
「そうね……民衆の支持があれば、商人ギルドも無視できない」
「それに——」
誠一は窓の外を見た。
「本当に必要としている人は、たくさんいるはずだ。薬が届かなくて苦しんでいる病人。食料が足りなくて飢えている村。俺たちがやるべきことは、山ほどある」
「セイさん……」
メルダは感動したように、誠一を見つめていた。
「あなた、本当に夫に似ているわね」
「お父さんに、ですか」
「ええ。あの人も、利益よりも先に、人を助けることを考える人だった。だから、みんなに慕われた」
メルダは塩袋を撫でた。
「でも、だからこそ——危険な仕事も引き受けてしまった。私は、それが怖い」
「心配してくださるのは嬉しいです。でも——」
誠一は立ち上がった。
「俺には、このスキルがある。走っている限り、俺は無敵だ。誰にも止められない」
「四時間の制限があるでしょう?」
「ああ。でも、それも計算に入れて動けばいい。休憩を取りながら、安全に運ぶ。それが、俺のやり方だ」
リーネとメルダは顔を見合わせた。
「……分かったわ」
メルダが言った。
「私も、できる限り協力する。帳簿の管理や、取引先との交渉は任せて」
「ありがとうございます」
「私は——」
リーネが前に出た。
「配車を担当する。どこに何を運ぶか、どのルートを使うか、計画を立てるわ。父から学んだことが、きっと役に立つ」
「頼りにしてる」
誠一は二人を見回した。
「じゃあ、決まりだな。カートライト運送商会——いや、運送ギルドの再建を、今ここで宣言する」
三人は手を重ねた。
新しい始まりの、小さな儀式だった。
翌日から、誠一たちは動き始めた。
まず、塩を売った。王都の市場で、相場の半額で。
「安い! こんなに安い塩は初めてだ!」
「どこから仕入れたんだ?」
「カルム港から、たった一日で運んできたって? 嘘だろう!」
噂はあっという間に広がった。
一週間も経たないうちに、誠一の名前は王都中に知れ渡った。「西の韋駄天」「走る商人」「塩の運び屋」——様々な異名が付けられた。
客が押し寄せた。塩を買いたい一般市民だけでなく、他の物資の輸送を依頼したい商人たちも。
「東の鉱山都市ドワームから、鉄を運んでほしい」
「南のミルフィアから、小麦を」
「北の……いや、北はまだ危険か」
依頼は次々と舞い込んだ。誠一は休む暇もなく走り続けた。
東へ、西へ、南へ。
一週間で十回以上の長距離輸送をこなした。普通の馬車なら、一往復するのがやっとの期間だ。
「このペースは、さすがに無理があるわ」
リーネが心配そうに言った。
「体を壊すわよ、セイ」
「大丈夫だ。走っている間は疲れないし、スキルのおかげで怪我もしない」
「でも、精神的な疲労は?」
「……それは、少しある」
誠一は正直に認めた。
走ること自体は平気だ。だが、帰ってきてからの事務作業——伝票の整理、金銭の管理、依頼人との折衝——それが、想像以上に重荷だった。
「だから、ギルドが必要なんだ。俺は走ることに専念して、それ以外は任せたい」
「分かったわ。私と母さんで、なんとかする」
リーネは力強く頷いた。
「それより、そろそろ動くわよ。商人ギルドが」
「動く?」
「ええ。うちの商売が軌道に乗り始めたから。きっと、妨害してくる」
その予言は、三日後に現実となった。
「運送ギルドの設立申請? 却下だ」
王都の役所。窓口の役人は、冷たい目で誠一たちを見下ろした。
「理由を教えてください」
リーネが食い下がった。
「商人ギルドからの推薦状がない。審査基準を満たしていない」
「推薦状なら、ここに——」
リーネは書類を差し出した。取引のある複数の商店から集めた、推薦状の束だ。
役人はちらりと見て、鼻で笑った。
「これは、商人ギルドの正式な推薦状ではない。個人商店の私的な文書にすぎない」
「そんな……」
「次の方、どうぞ」
門前払いだった。
誠一たちは、役所の外に追い出された。
「くそっ……」
リーネは悔しそうに唇を噛んだ。
「分かってたわ。商人ギルドが裏で手を回してるのよ。私たちを潰そうとしてる」
「そのギルド長に、直接会えないか」
誠一が言った。
「会えるかもしれないけど……話を聞いてくれるとは思えないわ。マルクスという男で、王都で最も影響力のある商人よ。欲深くて、狡猾で、新参者を徹底的に排除することで有名なの」
「会うだけ会ってみよう。話はそれからだ」
誠一は歩き出した。
「ちょっと、セイ! どこに行くの!」
「商人ギルドの本部に。直談判しに」
「無茶よ! アポイントもなしに——」
「アポイントなんて取れないだろ。だったら、押しかけるしかない」
誠一は振り返らなかった。
商人ギルドの本部は、王都の中心部にあった。
白亜の大理石で造られた、威風堂々たる建物。入り口には武装した警備員が立っている。
「何の用だ」
警備員が、誠一を睨みつけた。
「ギルド長に会いたい」
「アポイントは?」
「ない」
「なら帰れ。ギルド長は忙しい方だ。飛び込みの面会など受け付けていない」
「そうか。じゃあ、伝言を頼む」
誠一は懐から、一枚の紙を取り出した。
「『カートライト運送商会の代表が、商売の話を持ってきた』と。断ったら、損をするのはそちらだ、とも」
警備員は訝しげな顔をしたが、紙を受け取った。
「……待っていろ」
警備員の一人が建物の中に消えた。
五分後、戻ってきた。
「ギルド長がお会いになる。ついてこい」
誠一は建物の中に入った。
長い廊下を歩き、大きな扉の前で止まった。
「入れ」
扉が開いた。
中は豪華な応接室だった。壁には高価な絵画が飾られ、床には厚いペルシャ絨毯が敷かれている。部屋の奥に、巨大な執務机。その向こうに、一人の男が座っていた。
マルクス。商人ギルド長。
太った体に、脂ぎった顔。小さな目が、貪欲な光を放っている。
「お前が、噂の『走る商人』か」
マルクスは値踏みするように、誠一を見つめた。
「随分と稼いでいるようだな。塩、鉄、小麦——たった二週間で、我々の一年分の売上を奪った」
「奪ったつもりはない。届けただけだ」
「同じことだ」
マルクスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「で、何の用だ。ギルドの設立を認めろとでも言いに来たのか」
「そうだ」
「断る」
「理由は」
「お前が気に入らないからだ」
マルクスは立ち上がった。
「いいか、若造。この王都で商売をするには、俺の許可がいる。俺が黒と言えば黒、白と言えば白だ。お前がどれだけ足が速かろうが、そのルールは変わらない」
「そのルールを変えに来た」
誠一は一歩前に出た。
「あんたは、物流の重要性を分かっていない。塩が届かなければ人は困る。薬が届かなければ人は死ぬ。俺は、それを何とかしたいだけだ」
「くだらん」
マルクスは吐き捨てた。
「商売は、利益を出すためにやるものだ。人助けがしたいなら、神殿にでも行け」
「利益なら、出している。あんたの何倍もな」
「だからこそ、気に入らないんだ!」
マルクスの顔が紅潮した。
「お前のせいで、うちの商会は大損害を被っている! 塩の価格が暴落し、輸送の依頼が激減した! これ以上、お前に好き勝手させるわけにはいかない!」
「それは、あんたの商売がまずいだけだ」
「何だと……!」
マルクスは怒りで顔を歪めた。
「いいだろう。ギルドの設立は絶対に認めない。それどころか、お前の商売を徹底的に妨害してやる。取引先には圧力をかける。役所には手を回す。王都で、二度と商売ができないようにしてやる!」
「やってみろ」
誠一は静かに言った。
「だが、覚えておけ。俺は、届けることを止めない。あんたがどれだけ妨害しようと、俺は走り続ける」
「ふん、大きく出たな。身の程を知れ、田舎者が」
マルクスは冷笑した。
「出ていけ。二度と俺の前に顔を見せるな」
誠一は踵を返した。
扉を開ける寸前、振り返って言った。
「俺は、諦めない。届けられない場所なんて、この世にはないからな」
扉が閉まった。
商人ギルド本部を出ると、リーネが待っていた。
「どうだった?」
「予想通りだ。門前払い」
「やっぱり……」
リーネは肩を落とした。
「これからどうする? マルクスは本気で妨害してくるわ」
「受けて立つ」
誠一は歩き出した。
「俺たちには、民衆の支持がある。王都の人々は、安くて早い配送を求めている。その需要がある限り、俺たちは負けない」
「でも、マルクスには権力がある。役所を動かせるし、他の商人にも影響力がある」
「だったら、もっと上に行く」
「もっと上?」
「王族に直訴する」
リーネは驚いて足を止めた。
「王族に……? そんなこと、できるの?」
「分からない。だが、やってみる価値はある」
誠一は空を見上げた。
「物流の問題は、一商人の利権の問題じゃない。国家の問題だ。戦争が近いなら、なおさらだ。補給線がなければ、戦争には勝てない」
「そうね……」
「だから、国を動かす。王族を味方につける。それができれば、マルクスなんて敵じゃない」
リーネは誠一の顔を見つめた。
「セイ……あなた、変わったわね」
「変わった?」
「最初に会った時は、もっとおどおどしていた。自信がなさそうで、何かに怯えているような顔をしていた。でも、今は——」
リーネは微笑んだ。
「すごく、強く見える」
「……そうか」
誠一は照れくさそうに頭を掻いた。
「俺も、自分で驚いてる。こんなに熱くなれるとは思わなかった」
「良いことよ。私、そういうセイが好きだわ」
「おい、何を——」
「何でもないわ! さあ、行きましょう! 王宮に直訴しに!」
リーネは赤い顔で走り出した。
誠一は苦笑しながら、その後を追った。
王宮への直訴は、思いのほかスムーズに実現した。
理由は単純だった。誠一の噂が、すでに王宮にまで届いていたのだ。
「西の韋駄天の話は聞いている」
玉座の間。誠一とリーネの前に、一人の女性が立っていた。
エレノア王女。国王の第一子にして、王位継承者。まだ二十代前半だが、聡明さと行動力で知られている。
「あなたが、カルム港から一日で塩を運んだという運び屋ね」
「はい、陛下——いえ、殿下」
「エレノアでいいわ。堅苦しいのは嫌いなの」
エレノアは玉座から立ち上がり、誠一に近づいた。
「単刀直入に聞くわ。あなたは、何が目的?」
「運送ギルドを設立したい。正式な認可を得て、王国全土に物資を届けたい」
「商人ギルドが反対しているそうね」
「はい。マルクスというギルド長が、妨害してきます」
「マルクスか……」
エレノアは眉をひそめた。
「あの男は、父の代から利権を握っている。厄介な相手よ」
「だから、殿下のお力をお借りしたいのです」
「私に何ができると?」
「王室の直轄事業として、運送ギルドを認可していただきたい」
エレノアは目を見開いた。
「大胆な提案ね」
「物流は、国家の生命線です。民間に任せておくには、重要すぎる問題だと考えます」
「……続けて」
「今、王国は物資不足に苦しんでいます。塩、薬、鉄、食料——すべてが足りない。原因は、街道が危険になって、輸送ができなくなったこと」
「それは分かっているわ」
「俺には、それを解決する力があります。走っている間は無敵になれる。魔物も、盗賊も、関係ない。どこへでも、何でも、届けられます」
「一人でできることには限界があるでしょう」
「だから、ギルドを作りたいんです。俺一人じゃなく、組織として動きたい。配車、経理、営業——役割を分担すれば、もっと多くの荷物を運べます」
エレノアは考え込んだ。
「……面白い提案だわ」
「殿下?」
「実は、私も物流の問題を重視していたの。特に、北の国境の情勢を考えると——」
エレノアは窓の外を見つめた。
「鉄血帝国との関係が、日増しに悪化している。いつ戦争が始まってもおかしくない。その時、補給線がなければ、王国は負ける」
「おっしゃる通りです」
「だから、あなたの提案を受け入れるわ」
エレノアは振り返った。
「運送ギルドの設立を、王室の名において認可する。ただし、条件がある」
「何でしょうか」
「有事の際には、王国軍の補給を優先すること。それが、認可の条件よ」
誠一は一瞬、考えた。
戦争に巻き込まれることになる。危険だ。だが——。
「分かりました。その条件を受け入れます」
「よろしい」
エレノアは微笑んだ。
「カートライト運送ギルドの設立を、ここに認可する。王室の印璽を押した認可状は、後日届けさせるわ」
「ありがとうございます、殿下」
誠一は深く頭を下げた。
隣で、リーネが泣いていた。
「父さん……やったよ……」
声にならない声で、リーネは呟いていた。
「カートライト運送商会が……復活したよ……」
誠一は黙って、リーネの背中を叩いた。
運送ギルドの設立。
それは、新しい戦いの始まりだった。




