第十六章 最後の長距離
戦況は、日に日に厳しくなっていった。
帝国軍の攻撃は、執拗だった。毎日、朝から晩まで、城壁に押し寄せてくる。
「矢弾が尽きかけている」
ヴェルナーが、疲れ切った表情で言った。
「あと二日……二日で援軍が来る。それまで持ちこたえれば——」
「物資は、俺が運びます」
誠一は言った。
「今までと同じように」
「無理だ。敵は、お前を狙っている。街道には、待ち伏せがいる」
「分かっています。でも、他に方法がない」
「……」
ヴェルナーは、沈黙した。
「俺を、信じてください」
誠一の声には、揺るぎない決意があった。
「……分かった。だが、気をつけろ。お前がいなくなったら、この砦は終わりだ」
「死にませんよ。届けるものが、まだあるから」
翌朝。
誠一は、出発の準備をしていた。
「セイ」
リーネが声をかけてきた。
「何だ」
「私も、一緒に行くわ」
「駄目だ」
誠一は、即答した。
「危険すぎる。敵は、俺を狙っている」
「分かってる。でも——」
「でもじゃない。お前がいなくなったら、ギルドは回らない。配車管理は、お前にしかできないんだ」
「……」
リーネは、唇を噛んだ。
「じゃあ、約束して」
「何を」
「必ず、帰ってくるって」
誠一は、リーネの目を見つめた。
「約束する」
「……本当に?」
「ああ。俺は、届けるのが仕事だ。自分自身も、ちゃんとここに届ける」
リーネは、誠一に抱きついた。
「気をつけて……」
「ああ」
誠一は、リーネの背中を軽く叩いた。
「行ってくる」
「……うん」
誠一は、砦の門を出た。
振り返ると、リーネが手を振っていた。
誠一も手を振り返し、走り出した。
街道は、静まり返っていた。
いつもなら、鳥の声や風の音が聞こえる。だが、今日は何も聞こえない。不気味な静寂が、辺りを支配していた。
「待ち伏せか……」
誠一は、警戒しながら走り続けた。
一時間が経過した。ヴァンス村まで、あと二時間。
「来るなら、来い」
呟いた。
その時——。
前方の森から、黒い影が飛び出してきた。
騎馬隊だ。五十騎以上が、誠一に向かって突進してくる。
「やっぱりな」
誠一は、速度を上げた。
敵を振り切るつもりだ。どれだけ速い馬でも、誠一のスキルには追いつけない。
だが——。
「止まれ、日向」
声が聞こえた。
誠一の動きが、一瞬、鈍った。
その声は——知っている声だった。
騎馬隊の先頭に、一人の男がいた。銀色の髪。鋭い目つき。傲慢な表情。
「黒崎……」
ガルド・シュバルツ。元上司。そして、帝国軍の将軍。
「久しぶりだな、日向。いや——元部下くん」
黒崎は、馬上から誠一を見下ろした。
「逃げるのか? 俺から、また逃げるのか?」
「……」
「十八年間、逃げ続けてきただろう。俺に怒鳴られても、理不尽な仕事を押し付けられても、何も言い返せなかった。ただ黙って、逃げ続けてきた」
「……」
「この世界でも同じだ。お前は逃げる。いつも、いつも、逃げる。それがお前の本質だ」
誠一は、立ち止まった。
「……確かに」
声が、震えていた。
「俺は、逃げてきた。お前から、ずっと逃げてきた」
「だろう? お前は——」
「でも」
誠一は、黒崎の目をまっすぐに見つめた。
「今日は違う」
「何?」
「俺は、もう逃げない。届けるべきものがあるから。待っている人がいるから」
誠一は、拳を握りしめた。
「だから、お前を——ぶち抜いて、先に進む」
黒崎は、一瞬、驚いた表情を浮かべた。
だが、すぐに嘲笑に変わった。
「面白い。久しぶりに、お前の強がりを聞いた。だが——」
黒崎は、手を挙げた。
「俺を倒せるものか。俺の能力を、忘れたわけじゃあるまい」
騎馬隊が、誠一を取り囲んだ。
「『絶対支配』——触れたものすべてを、俺の支配下に置く力だ。お前のスキルが何だろうと、俺に触れた瞬間、お前は俺のものになる」
「だったら——」
誠一は、走り出した。
「触れさせなければいい!」
騎馬隊の間を、縫うように駆け抜ける。
「捕らえろ!」
黒崎が叫んだ。
騎兵たちが、一斉に誠一に襲いかかる。剣を振り下ろし、槍を突き出す。
だが——。
「効かねえって、言ってるだろ!」
誠一は、すべての攻撃を弾きながら、敵の包囲網を突破した。
「追え! 追うんだ!」
背後から、怒号が聞こえる。
だが、誠一は振り返らなかった。
ただ、前を向いて走り続けた。
ヴァンス村に到着した時、誠一は息を切らしていた。
「はあ……はあ……」
追手は、振り切った。だが、体力の消耗が激しい。
「三十分……休まないと……」
誠一は、村長の家に駆け込んだ。
「すみません、休ませてください」
「どうぞ、どうぞ」
村長が、水と食料を用意してくれた。
誠一は、それを口にしながら、体力の回復を待った。
二十分が経過した。あと十分で、スキルが使えるようになる。
その時——。
「村長さん、大変だ!」
村人の一人が、駆け込んできた。
「北から、軍隊が来てる!」
「軍隊?」
「帝国軍だ! こっちに向かってる!」
誠一の顔色が変わった。
「追いつかれた……」
立ち上がろうとしたが、足がもつれた。
「まだ、十分足りない……」
スキルの休息時間は、三十分。今は二十分しか経っていない。あと十分は、無敵状態になれない。
「くそっ——」
窓の外を見ると、北の方角に土煙が上がっていた。
騎馬隊が、村に迫ってきている。
「逃げてください」
誠一は、村長に言った。
「俺が、時間を稼ぎます」
「でも——」
「いいから、早く!」
村人たちは、慌てて南へ逃げていった。
誠一は、村の入り口に立った。
敵が近づいてくる。先頭には、黒崎の姿が見える。
「……来い」
誠一は、拳を握りしめた。
「俺は、ここから動かない」
「諦めたか、日向」
黒崎が、馬上から誠一を見下ろした。
「お前のスキルは、四時間が限界だと聞いている。そして、その後は三十分の休息が必要。今のお前は——」
黒崎は笑った。
「無防備だ」
「……」
「さあ、大人しく捕まれ。俺に逆らっても、いいことはないぞ」
誠一は黙っていた。
時間を稼がなければならない。あと五分。五分で、スキルが使えるようになる。
「何を黙っている。答えろ」
「……黒崎」
誠一は口を開いた。
「お前は、俺を十八年間、虐げてきた」
「ああ、そうだ。それがどうした」
「俺は、お前が怖かった。怒鳴られるのが怖くて、見捨てられるのが怖くて、ただ黙って耐え続けた」
「当然だ。お前は、その程度の人間だからな」
「でも——」
誠一は、黒崎の目をまっすぐに見つめた。
「今は違う」
「何?」
「俺には、仲間がいる。待っている人がいる。守るべきものがある」
「くだらん」
「くだらなくない。お前には、分からないかもしれないけど——」
誠一は、一歩前に出た。
「人との繋がりが、俺を強くしてくれた。一人じゃできないことも、仲間がいればできる。それを、俺は学んだんだ」
「……」
黒崎は、無言で誠一を見つめていた。
その目に、何かが揺らいだ。
怒りか。嘲笑か。それとも——。
「お前も、昔は違った」
誠一は続けた。
「俺が入社した頃、お前は優しい先輩だった。仕事を丁寧に教えてくれて、困った時は相談に乗ってくれた」
「……」
「いつから、変わったんだ。いつから、あんなに苦しそうな顔をするようになったんだ」
黒崎の表情が、歪んだ。
「黙れ」
「お前も、追い詰められていたんじゃないのか。上からの圧力、下からの不満、終わらない仕事——」
「黙れと言っている!」
黒崎が叫んだ。
「お前に、俺の何が分かる! 俺は、お前とは違う! 俺は——」
その時、誠一のステータス画面に表示が出た。
【休息完了】
【スキル使用可能】
「悪いな、黒崎」
誠一は、走り出した。
「話は、また今度だ」
黒崎が何か叫んでいたが、聞こえなかった。
誠一は、全速力で村を駆け抜け、王都へ向かって走り続けた。




