第十五章 点呼の奇跡
戦況は、膠着状態に入っていた。
帝国軍の補給線妨害が効いていた。食料と矢弾の不足で、帝国軍の攻勢は鈍っている。かといって、王国軍も反撃に出るだけの余力はない。
「睨み合いが続いている」
ヴェルナーが地図を見ながら言った。
「帝国軍は、補給が回復するまで大規模な攻撃を控えるだろう。我々も、援軍が到着するまで守りを固める」
「援軍は、いつ来るんですか」
「あと五日。それまで持ちこたえれば、勝機が見える」
五日。長いようで、短い。
「俺は、輸送を続けます」
誠一は言った。
「補給さえ維持できれば、五日は持つ」
「頼む。お前だけが、唯一の命綱だ」
その日も、誠一は王都への往復を行った。
朝、ノルド砦を出発。三時間でヴァンス村。三十分休息して、一時間で王都。荷物を積み込んで、再びヴァンス村へ。休息して、ノルド砦へ。
「ただいま」
砦に戻ると、リーネが出迎えてくれた。
「おかえり。今日も、予定通りね」
「ああ。物資は十分に積んできた」
「ありがとう。でも、少し休んで。顔色が悪いわ」
「大丈夫だ。俺は——」
その時、城壁の上から叫び声が聞こえた。
「敵襲! 敵襲だ!」
「何——」
誠一とリーネは、顔を見合わせた。
「攻めてきたのか」
「だめ、こっちに来て!」
リーネが誠一の手を引いた。
二人は、城壁の上に駆け上がった。
そこで見た光景に、誠一は息を呑んだ。
「あれは……」
北の地平線が、黒く染まっていた。
帝国軍だ。数千、いや、一万以上の兵士が、砦に向かって進軍してきている。
「本格的な攻撃だ……」
「補給が回復したのか? それとも——」
「やけくそだろう」
ヴェルナーが駆け寄ってきた。
「長期戦では不利と判断して、短期決戦に出たんだ。一気に砦を落とすつもりだろう」
「対応は?」
「籠城するしかない。城壁の上から、矢と魔法で迎え撃つ」
「俺は——」
「お前は、中に入っていろ。城外に出たら、敵に狙われる」
「でも——」
「今は守る時だ。攻める時じゃない」
ヴェルナーの声は、有無を言わせない口調だった。
誠一は、唇を噛んだ。
自分にできることは、走ることだけ。だが、今は走る場所がない。
「……分かった」
誠一は城壁から降りた。
戦闘が始まった。
帝国軍は、怒涛のように押し寄せてきた。梯子をかけ、城壁をよじ登ろうとする。王国軍は、矢を放ち、石を落とし、必死に防いだ。
「くそっ……」
誠一は、砦の中庭で拳を握りしめていた。
何もできない。ただ、待っているだけ。
「セイ」
リーネの声がした。
「大丈夫?」
「ああ……いや、大丈夫じゃない。俺は何もできない」
「今は、できることをやりましょう。負傷者の手当てとか、物資の管理とか」
「……そうだな」
誠一は頷いた。
走れないなら、別の方法で貢献する。それが、今できることだ。
戦闘は、三時間以上続いた。
帝国軍は、何度も城壁に取りついた。王国軍は、そのたびに撃退した。死傷者は、両軍合わせて数百人に上った。
「持ちこたえた……」
日が暮れる頃、帝国軍は撤退を始めた。
「明日また来るだろう」
ヴェルナーが言った。
「今日は、様子見だ。本気の攻撃は、明日以降になる」
「矢弾は、持ちますか」
「ギリギリだ。お前の輸送がなければ、とっくに底をついていた」
「明日も、輸送を続けます」
「頼む。だが、気をつけろ。敵も、お前を狙ってくるはずだ」
「分かっています」
その夜、誠一は眠れなかった。
明日の戦闘のことを考えていた。帝国軍は、本気で攻めてくる。王国軍は、持ちこたえられるのか。
そして——自分は、何ができるのか。
「セイ」
ノックの音と共に、リーネの声がした。
「起きてる?」
「ああ」
ドアが開き、リーネが入ってきた。
「眠れない?」
「ああ。明日のことを考えると……」
「私もよ」
リーネは、誠一の隣に座った。
「怖い?」
「……ああ」
誠一は正直に答えた。
「怖い。戦争なんて、経験したことがない。俺にできるのは、走ることだけだ。でも、それが本当に役に立っているのか、分からなくなる時がある」
「役に立ってるわ」
リーネの声は、力強かった。
「あなたがいなければ、この砦はとっくに落ちていた。みんな、あなたのおかげで戦い続けられている」
「……そうかな」
「そうよ。だから、自信を持って」
リーネは、誠一の手を取った。
「私たちは、仲間でしょう? 一緒に乗り越えるのよ」
「……ありがとう」
誠一は、リーネの手を握り返した。
「明日も、頑張る」
「うん。頑張りましょう」
翌朝。
誠一は、いつも通り点呼を行った。
「バルト」
「ここだ」
「レオン」
「はいっす」
「ゴルド」
「おう」
「リーネ」
「はい」
「ソフィア」
「います」
「トム」
「はい」
「ナタリー」
「はい」
全員、無事だった。
「よし、今日の配置を確認する」
誠一は地図を広げた。
「俺は、王都への輸送を続ける。バルトとレオンは、砦の防衛に参加。ゴルドは、車両の整備。リーネとナタリーは、配車管理。ソフィアとトムは、物資の管理」
「了解」
「何か質問は?」
「ボス」
バルトが手を上げた。
「今日の戦闘、相当激しくなるぞ。俺たちも、前線に出た方がいいんじゃないか」
「駄目だ」
誠一は首を振った。
「お前たちは、輸送のプロだ。戦闘のプロじゃない。無理に前線に出ても、足手まといになるだけだ」
「でも——」
「俺たちの仕事は、届けることだ。戦うことじゃない。自分の役割を、しっかり果たせ」
バルトは、不満そうな顔をしたが、反論はしなかった。
「分かった。お前の言う通りにする」
「頼む」
点呼を終え、誠一は出発の準備を始めた。
その時——。
「敵襲! 敵襲だ!」
城壁の上から、叫び声が聞こえた。
「もう来たのか……」
誠一は、窓の外を見た。
昨日と同じ光景。北の地平線が、黒く染まっている。
だが、何かが違った。
「あれは……」
誠一の目が、点のように小さな一団を捉えた。
砦の東側。城壁から少し離れた場所に、別の部隊がいる。
「別働隊だ」
リーネが言った。
「本隊が正面から攻撃している間に、別働隊が横から奇襲をかける作戦よ」
「くそっ——」
誠一は走り出した。
城壁の上に駆け上がり、東の方角を見る。
別働隊は、砦の外壁に向かって進軍していた。百人、いや、二百人ほどか。本隊に比べれば少数だが、無視できる人数ではない。
「あそこは、守りが手薄だ」
ヴェルナーが言った。
「正面の防衛に人員を割いているから、東側には十人しか配置していない」
「増援は?」
「送れない。正面から攻められている時に、東に人を回す余裕はない」
「じゃあ、どうする」
「……持ちこたえるしかない。東の守備隊が、どこまで粘れるか」
誠一は、東の城壁を見た。
十人の兵士が、必死に弓を放っている。だが、敵の方が圧倒的に多い。このままでは、突破されるのは時間の問題だ。
「俺が行く」
誠一は言った。
「何?」
「俺が、東の守備隊を助けに行く」
「馬鹿を言うな! お前一人で何ができる!」
「走れる。走っている間は無敵だ。敵の中を走り回って、撹乱すればいい」
「それでも——」
「これしか方法がない」
誠一は、ヴェルナーの目をまっすぐに見つめた。
「俺を信じてくれ」
ヴェルナーは、しばらく沈黙した。
「……分かった。だが、死ぬなよ」
「死なない。届けるものが、まだあるからな」
誠一は、城壁から飛び降りた。
誠一は、東の城壁に向かって走った。
スキルを発動。全速力で、砦の中を駆け抜ける。
「セイ!」
リーネの声が、背後から聞こえた。
「気をつけて!」
「ああ!」
誠一は、東の門に到着した。
門の向こうには、敵の別働隊が迫っている。梯子を担いだ兵士たちが、城壁に向かって殺到していた。
「くそっ——」
誠一は、門を開けた。
「何をしてるんだ!」
守備隊の兵士が叫んだ。
「援軍だ。俺に任せろ」
誠一は、門の外に飛び出した。
敵の兵士たちが、一斉に誠一を見た。
「何だ、あいつ!」
「一人で出てきたぞ!」
「殺せ!」
矢が放たれた。剣が振り下ろされた。
だが——。
「効かねえよ」
誠一は、敵の攻撃をすべて弾きながら、敵陣の中を走り抜けた。
「な、何だ……!」
「化け物だ!」
「逃げろ!」
敵兵たちが、混乱し始めた。
誠一は、その隙を突いて、敵の隊列を引っ掻き回した。走りながら、梯子を蹴り倒す。武器を叩き落とす。旗を引き抜く。
「追え! 追うんだ!」
敵の指揮官が叫んでいるが、誰も追いつけない。
誠一は、敵の中を縦横無尽に走り回った。
「これで……どうだ!」
十分ほど経った頃、敵の別働隊は完全に混乱状態に陥っていた。指揮系統が崩壊し、兵士たちは右往左往している。
「今だ!」
城壁の上から、王国軍の矢が降り注いだ。混乱した敵兵は、次々と倒れていく。
「撤退だ! 撤退しろ!」
敵の指揮官が、ようやく命令を下した。
別働隊は、散り散りに逃げていった。
「やった……」
誠一は、息を切らしながら、城門に戻った。
「すごい……あんた、一人で……」
守備隊の兵士たちが、呆然と誠一を見つめていた。
「礼はいい。まだ、戦いは終わっていない」
誠一は、正面の戦況を確認した。
本隊の攻撃も、勢いが弱まっている。別働隊の敗北が、士気に影響しているようだった。
「今日は、持ちこたえられそうだな」
呟いた。
だが、その時——。
「ボス! 大変だ!」
バルトの声が、城壁の上から聞こえた。
「何だ!」
「ギルドのメンバーが——リーネたちが——」
「何があった!」
「敵の別働隊に——南側から、別の部隊が侵入した! リーネたちが閉じ込められてる!」
誠一の血が、凍りついた。
「リーネ——」
誠一は、南側へ向かって走った。
全速力で、砦の中を駆け抜ける。
「くそっ、くそっ、くそっ——」
心臓が、破裂しそうだった。
別働隊は、二つあったのだ。東側だけでなく、南側からも。俺が東に気を取られている間に、南側から侵入された。
「リーネ——」
南側の倉庫エリアに到着した。
煙が立ち上っている。火の手が、あちこちから上がっていた。
「リーネ! どこだ!」
叫んだ。返事はない。
誠一は、倉庫の中を走り回った。瓦礫を掻き分け、煙の中を突き進む。
「リーネ! ゴルド! レオン!」
名前を呼び続けた。
そして——。
「ボス……!」
声が聞こえた。
「レオン!」
誠一は、声の方向に向かった。
倒壊した倉庫の中に、レオンがいた。足を挟まれて、動けなくなっている。
「大丈夫か!」
「俺は平気っす……でも、リーネさんたちが——」
「どこだ!」
「あっちの倉庫に——敵兵と一緒に——」
誠一は走り出した。
指さされた方向に、大きな倉庫があった。扉は閉まっている。中から、剣戟の音と悲鳴が聞こえる。
「リーネ——」
誠一は、扉を蹴り破った。
中には、十数人の敵兵がいた。そして——。
「セイ!」
リーネの声だった。
彼女は、倉庫の隅に追い詰められていた。ゴルド、ナタリー、ソフィア、トムと一緒に。バルトが、必死に敵を食い止めている。
「助けに来たぞ」
誠一は、敵兵の中に飛び込んだ。
スキルを発動したまま、敵を押しのけ、蹴散らし、仲間のところに駆け寄る。
「みんな、無事か」
「ああ、何とか——」
バルトが答えた。肩から血を流している。
「怪我してるじゃないか」
「かすり傷だ。それより——」
敵兵たちが、態勢を立て直していた。
「殺せ! 全員殺せ!」
「逃がすか——」
誠一は、仲間を背後に庇った。
「俺が、道を開ける。みんな、俺の後ろについてこい」
「セイ——」
「行くぞ!」
誠一は、敵の中に突っ込んだ。
走りながら、敵を押しのける。剣で切りつけられても、効かない。矢を射られても、弾かれる。
「こっちだ!」
仲間を引き連れて、倉庫を脱出した。
外に出ると、王国軍の兵士たちが駆けつけてきていた。
「援軍だ!」
「敵を追い払え!」
戦闘は、すぐに終わった。
南側から侵入した敵兵は、全員、撃退された。
「……はあ……はあ……」
誠一は、地面にへたり込んだ。
体中の力が、抜けていく。
「セイ!」
リーネが駆け寄ってきた。
「大丈夫? 怪我は?」
「俺は平気だ……お前こそ——」
「私も平気よ。あなたが助けに来てくれたから」
リーネは、誠一の手を取った。
「ありがとう」
「……礼はいい。俺は、自分の仕事をしただけだ」
「仕事?」
「ああ。仲間を、安全な場所に届けるのも——運び屋の仕事だろ」
誠一は、力なく笑った。
「それより……みんなは?」
「全員、無事よ。怪我人は何人かいるけど、命に別状はないわ」
「そうか……よかった」
誠一は、空を見上げた。
夕焼けが、西の空を赤く染めていた。
「今日も……生き延びた」
呟いた。
「ええ。生き延びたわ」
リーネも、空を見上げた。
「セイ」
「何だ」
「どうして、すぐに私たちの場所が分かったの?」
「……点呼だ」
「点呼?」
「朝、点呼を取っただろ。みんなの配置を確認した。だから、どこにいるか分かった」
リーネは、目を見開いた。
「そう……あの点呼が……」
「点呼は、命を守る儀式だ」
誠一は、立ち上がった。
「日本でも、異世界でも、それは変わらない。毎日の積み重ねが、いざという時に命を救う」
「……」
「だから、俺はこれからも続ける。朝の点呼。車両点検。スケジュールの確認。全部、意味がある」
リーネは微笑んだ。
「あなたらしいわね」
「そうか?」
「ええ。とても、あなたらしい」
誠一は、照れくさそうに頭を掻いた。
「さて、明日の準備をしないとな。戦争は、まだ終わっていない」
「そうね。一緒にやりましょう」
二人は、砦の中へ戻っていった。
夕焼けが、二人の背中を照らしていた。




