第十章 再会
国境交渉の場は、両軍の中間地点に設けられた。
荒野の真ん中に、白いテントが一張り。王国側と帝国側から、それぞれ数名の代表が歩み寄る。
誠一は、ヴェルナー司令官の随行者として、その場に立っていた。
「来たぞ」
ヴェルナーが低い声で言った。
帝国側の一行が、テントに近づいてくる。黒い鎧を身にまとった騎士たち。その中心に——。
誠一の心臓が、一瞬、止まった。
銀色の髪。鋭い目つき。人を見下すような、傲慢な表情。
間違いない。
「黒崎……」
呟きは、風に消えた。
ガルド・シュバルツ将軍——いや、黒崎剛史は、堂々とした足取りでテントに入った。
交渉が始まった。
表面上は、停戦の条件について話し合っている。だが、実際には、双方が相手の出方を探り合っているだけだった。
誠一は、交渉の内容など、ほとんど頭に入ってこなかった。
ただ、黒崎の姿を見つめていた。
変わっていない。いや、より傲慢に、より残忍になっている。日本にいた頃の黒崎は、少なくとも「上司」という社会的な枠組みの中に収まっていた。だが、今は違う。
将軍という地位。そして、「絶対支配」という力。
枷が外れた獣のように、黒崎は自分の本性を剥き出しにしていた。
「——で、お前は何者だ」
突然、黒崎の声が、誠一に向けられた。
「……」
全員の視線が、誠一に集まった。
「交渉の席に、運び屋風情が何の用だ。ヴェルナー、これはどういうことだ」
「彼は、王室の認可を受けた運送ギルドの代表だ。輸送業務の専門家として、同席を許可した」
「輸送業務? くだらん」
黒崎は鼻で笑った。
「戦争の場に、荷物運びが出てくるとはな。王国も落ちぶれたものだ」
「……」
誠一は黙っていた。声が、出なかった。
体が震えている。心臓が早鳴りしている。呼吸が浅くなっている。
十八年間で刷り込まれた恐怖が、全身を支配していた。
「何だ、黙ったままか。口のきけない馬鹿か?」
黒崎は立ち上がり、誠一に近づいた。
「まあいい。どうせ、お前のような小物は——」
そこで、黒崎の動きが止まった。
「……」
無言で、誠一の顔を凝視している。
「お前……」
黒崎の声が、変わった。
「どこかで……会ったことがあるな」
「……」
「思い出せん。だが、この不快感は——」
黒崎は目を細めた。
「お前、何者だ。名を名乗れ」
誠一は、深呼吸をした。
震える体を、必死で押さえ込む。
「日向……セイ、です」
「日向?」
黒崎の眉が、ピクリと動いた。
「ヒナタ……」
その瞬間、黒崎の表情が一変した。
驚愕。そして——歓喜。
「ヒナタ……日向誠一か!」
黒崎は、声を上げて笑い始めた。
「まさか……まさか、お前まで来ていたとはな! これは傑作だ!」
「……久しぶりだな、黒崎」
誠一は、なんとか声を絞り出した。
「ああ、久しぶりだ。元部下くん」
黒崎は、まるで旧友に会ったかのような態度で、誠一の肩を叩いた。
「見てくれ、俺の姿を。帝国の将軍だぞ。日本じゃ、中小企業の配車係長だった俺が、今やこの国の軍を率いている。笑えるだろう?」
「……」
「お前は相変わらず、運び屋か。成長しないな。日本でも異世界でも、結局はドライバー止まりか」
黒崎は嘲笑した。
「俺は違う。俺は、生まれ変わったんだ。この世界では、俺が上だ。俺が支配する側だ。誰も、俺を止められない」
「……」
「何だ、黙ったままか。相変わらず、口答えもできないのか。そういうところが、お前の駄目なところだぞ」
黒崎は誠一の顔を覗き込んだ。
「震えてるな。まだ、俺が怖いか?」
「……」
「情けないやつだ。十八年経っても、お前は何も変わっていない」
黒崎は踵を返した。
「交渉は終わりだ。帝国は、停戦を認めない。一週間以内に、王国は無条件降伏しろ。さもなければ——」
黒崎は振り返った。
「俺がすべてを支配してやる。人も、土地も、そして——お前もだ、日向」
笑いながら、黒崎はテントを出て行った。
残されたのは、静寂だった。
「……セイ」
リーネの声が、遠くに聞こえた。
「大丈夫? セイ、しっかりして」
「……ああ」
誠一は、かろうじて返事をした。
だが、体は動かなかった。足が地面に根を生やしたように、その場から動けなかった。
「くそ……」
呟いた。
「やっぱり、俺は……」
声が、震えていた。
「怖い。あいつが、怖い。逃げたい。逃げ出したい」
「セイ……」
「俺は……変われてないんだ。十八年間も、逃げ続けて……異世界に来ても、結局——」
「違う」
リーネの声が、誠一を遮った。
「あなたは、変わってる。私が、見てきたもの」
「何が——」
「あなたは、困っている人を助けてきた。金にならない仕事でも、危険な仕事でも、逃げなかった。届けるべきものがあれば、どこへでも走った」
「でも、今は——」
「今は、震えていていいの」
リーネは、誠一の手を取った。
「怖いと思うことは、恥ずかしいことじゃない。十八年間、傷つけられてきたのだから。すぐに克服できなくて、当たり前よ」
「……」
「でも、あなたは一人じゃない。私がいる。ギルドの仲間がいる。みんな、あなたの味方よ」
リーネの手は、温かかった。
「だから、今日は休んで。明日から、また考えればいい。焦る必要はないわ」
「……ありがとう」
誠一は、リーネの手を握り返した。
「俺……もう少し、強くなりたい」
「なれるわ。私が、保証する」
二人は、テントを後にした。
北風が、頬を撫でた。冷たいが、どこか心地よかった。
「黒崎……いや、ガルド」
誠一は呟いた。
「俺は、お前に勝つ。必ず」
その言葉は、誰にも聞こえなかった。
だが、誠一の心には、確かに刻まれた。




