責任二つ、謂れがあったりなかったり
ナオ・ホルー、十五歳。
ツムリの歴史に名を残す英雄ガンテ・ホルーの末裔にして、ホルー家四代目当主ホリ・ホルーの一人娘。戸籍上はそうなっており、事実ではあるのだが、断言するには彼女の出生は歪であった。
全ての始まりは今より二十年前ほど前のこと。
いつもより少しだけ静かだったその家に起きた悲劇の後の、ほんのささいな偶然の悪戯のせい。
娘は、ナオは死産だった。理由のない、運命の悪戯と思えるほど原因不明の死。
ホリ・ホルーの妻である茶髪の女性は出産に耐えられないほどに病弱で、生まれてこれなかった娘の遺体を抱きながら、夫に別れの言葉をかける余力すらなく眠りについた。
妻と娘。二人を同時に失ったホリ・ホルーの世界は絶望だけとなり、悲観に暮れるしかなかった。
死のうとさえ考え、誰の姿も音もない書斎の中で、実行の一歩手前まで至った。
そんなとき、偶然から見つけてしまったのは書斎に隠されていた、地下へと続く秘密の階段。
ふらふらと生気なく、導かれるままに降りた先に広がっていたのは、倫理と常識から反した誰かの工房だったのだ。
そしてそこで見つけた真っ黒な柩。
その上に置かれていた古びた手記に記されていたのは、常人であれば理性が理解を拒む悍ましき業の数々。
百年前の大災害の真相。自身の先祖である英雄、ガンテ・ホルーの真意と彼が子孫に託した願い。
だがそんなことは、絶望に染まったホリ・ホルーにはどうでもよかった。
先祖の悪行になど関心は抱けず。人の道を外れた、魔女に並ぶであろう研究にも恐怖はなく。
彼の目に止まったのは『穴』と呼ばれる何かを開くための『鍵』──遠い昔に失われたはずの人造生命の創造法であった。
だからホリ・ホルーは人の道を外れた。
先祖の悲願を果たすためではなく、自身が再び妻と娘を取り戻すために、人としての一線を越えた。
奇しくも、ホリ・ホルーには先祖の残した理論を形にするだけの才と財があった。
良好な関係であった使用人達を全員クビにし、たった一人で、地下の工房へ籠り研究を続けた。
娘を産んで力尽きた母の肉体と、死して母の胎から出てきた娘の血。
かつて愛した二人の尊厳を踏みにじり、五年という歳月を経て、ついに人造生命──ナオ・ホルーは望む形で完成したのだ。
本物の人間にだって劣らない、構造による欠陥などない人造生命。
汚れをしらないと思えるほど無垢で、純心であった幼きナオは、誰が見たって愛らしい一人娘そのもの。
──だが悲願を果たそうが、ホリ・ホルーの心は満たされることはなかった。
「お父さん、です!」
目の前のそれは本物の娘でありながら、偽物でしかなく、偽物ですらないかもしれない何か。
そしてホリ・ホルーにとって何より耳障りだったのは、その人間らしくない語尾。
珍しくともあり得ないとは言えない、個性で片付けていい範疇の一要素でさえ、彼にとっては不完全さの象徴であり、自らの穴を埋める救いとなることはなかった。
そうして再び絶望したホリ・ホルーは完全に狂い、やがて先祖の悲願である『穴』を渇望した。
絶望のままに。憎悪のままに。怒りのまま、苦しみのまま、何より嘆きのままに。
ナオ・ホルーを道具と刻みつけるように虐げ、先祖の残した『穴』に死の先があると、妻と娘を取り戻せると柩に完成させようとした。
だがそんな一人の男の、哀れな悲願は目前で、誰とも分からぬ余所者に頓挫させられ。
父親という理不尽な軛から放たれて、生きたいという自我とも言うべき願いを得たナオは、最早父親の道具、『穴』のための『鍵』ではなくなった。
「お世話になりました! わたしあなたのこと、本当に大っ嫌いです! さようなら、です!」
父が憎悪さえ向けて疎んだ、人としては稚拙な語尾のまま、真っ直ぐと高らかに。
いたぶられるだけの存在に敗北し、驚愕とばかりに見上げるマセカ。
ナオはそんな彼を見下ろしながらはっきりと、満面の笑みでそう告げて、そのままガグン魔法学園を去った。
遺産は全て孤児院に寄付する形で手放し、ガグンの市政からは退き。
そして最後の清算とばかりに魔法決闘にて、持ち合わせていた身体能力と、あの夜から使えるようになった、真っ黒で何もなかった世界への『穴』を繋ぐ魔法のゴリ押しで雪辱を晴らし。
家と過去に関わる何もかも放り捨てたナオは、それでも全てを手に入れたとばかりに、生き生きとした表情でツムリの街から飛び出したのだ。
「次会えたら、責任取ってもらうです……えへへっ」
それは実の父であった男に無意識にでも望みながら、それでも得られなかった反動。
初めて偏見と忌避のない、自身を自身として見てくれる存在。
路地裏にそよ風のように現れて、自分の危険さえ顧みず手を差し伸べてくれた、小鳥を肩に乗せた旅人。
そんなあの人に愛されたい。甘やかされたい。肯定されたい。頭を撫でられたい。──またあの温かい光で満たして、愛してもらいたい。
ツムリの英雄、ホルー家の落ちこぼれとしてではなく。
実父、ホリ・ホルーの一人娘としてではなく。
造られただけの贋作、生命未満の『鍵』としてでもなく。
彼女にとってあの夜の肯定と問いかけは、ずっと求めていた父親の愛のようで。
まるで初めて目にした生き物を親と認識した雛鳥のように強烈に、マニスという男の存在が、ナオの心にすり込まれてしまったのだ。
純粋さはときに、どんな穢れよりも強固で厄介な瑕疵となる。
人造生命。決して人に、魔女に、欲に生きる生物にはない無垢と潔白を得た存在。
そんな彼女の欲はもしかしたら、欲のまま生きる魔女にさえ真似できないほど強固なのだろう。
いずれにしてもその感情の芽が育つのはずっと後、夢を求める魔女の弟子と再開してからの話。
かくしてナオ・ホルーはツムリを後にし、憧れのままに旅に出た。
最早彼女を造られた生命と知る者は、ナオの二人しか存在しない。彼女の人生はこの街からの旅立ちの如く、まさにこれから産声を上げる。──彼女はもう、一羽の小鳥のように、自由だった。
ツムリの街、ナオが旅立った数日後。
街中の小さな魔道具屋の前にて、声を荒げての口論が周囲の人の注目を浴びていた。
「てめえの親父には恩があるが、流石にもう面倒見きれねえ! 金はやるからもう出て行ってくれ!」
「はんっ、言われなくとも出ていこうと思ってたんでちょうどいいってもんです! 今までお世話になりました! 当分は控えて、お体気をつけてくださいね!」
「ああ、どこにでも行っちまえ! てめえこそ酒はほどほどにしろよ、馬鹿ショロン!」
仲が良いのか悪いのか。愛想を尽かしたのか、いい加減一人立ちしろという親心なのか。
ともかく口論の末、恐らく互いに納得し合った末での退去という形で決着がつき、乱雑にキャリーバッグの手を掴んだショロンは、ズカズカと大きな歩調で店前から立ち去っていく。
少し古めかしいベージュのトレンチコートに、あまり馴染んでいない灰色のベレー帽。
長身で手足が長く、何よりケツのデカい金茶髪の美女。
ツムリの人々は彼女をこんな風に呼んだ。飲んだくれへっぽこ探偵ショロン、酒癖がなくとも手に負えないほど癖のあるお騒がせ美人。偉大な探偵一族の駄目娘、名探偵であった父親の七光りと。
「まったくもうあのクソオヤジ、腰悪いくせに大声出してくれちゃって。棚の一番下が掃除できなくても知らないんだから」
ぶつぶつと、店から貰ってきた干物を加えながら不満を零すショロン。
そもそも喧嘩別れの原因はショロンの酒と怠け癖にあるのだが、まあひとまず置いておこう。
ショロンが言った出ていくつもりだったというのは、何も負け惜しみではない。
彼女はそう遠くないうちに居候していた店を、このツムリの街を出ていくつもりだった。迅速に店を出られるほどに荷物がまとまっていたのはそのためだ。
ショロンが空を、正確には穴の開いた天幕を仰ぎ見つめながら、あの日の記憶へ思いを馳せる。
つい先日、ツムリの大生図書館へと入った盗人。
ツムリの平和と希望の象徴たる天幕に風穴を開け、初めてショロンの追跡から逃げ果せた金髪の美少年。
解放の瞬間、一瞬のみはっきりと知覚出来たその顔は驚くほど端正で。
そして金髪美少年が放った魔力を全身で体感したショロンは、この街の誰よりも確信している。
あれはまさに奇跡の具現。常軌を逸した魔力はこの街のどの魔法使いよりも鮮烈で雄大であったと。
──そして。
「ふひ、ふひひ……んっ♡」
金髪美少年の顔を、眼差しを、魔力を思い出したショロンは、酷く艶めかしく小さく喘いでしまう。
嗚呼、間違いない。あの最中、自分はあの金髪美少年に抱かれていた。
金髪美少年の魔力によって上から下まで丸裸にされ、大事な所からとても大事な所までを徹底的に舐め回され、激しく優しく、快感で壊れてしまいそうなほどに陵辱されてしまったのだと。
無論、ただの思い込みである。
あの金髪美少年ことマニスにそんな意図はなく、何なら連日の騒動のせいでほとんど忘れているくらいには認識されていない、まさに完全な片思いである。
そも解放された魔力の直撃で犯されたなど言い始めたら、世の戦闘行為や魔法の実演なんて乱痴気にもほどがあるだろう。
けれども、そんな理屈はこのショロンには通用しない。
何せショロンは二十数年ものの処女。美人且つショロンの一族だったせいでちやほやされ、基本的に告白を振る側だった彼女は、常人が思う七割増しくらいには色々と拗らせた女であった。
ともかく。
あの金髪美少年はそれなりに大事にしていた二十数年ものの初物を容赦なく蹂躙し、身も心も傷物にしておきながら放置していったと、ショロンはそう解釈して酷く憤慨していた。
あれほどの屈辱は生涯味わったことのない。
あれほどの
そしてあれほどの快楽も、真っ直ぐで愛という
一応、ショロンは善人ではある。
へっぽこだの七光りだの言われているが、それは人々に親しまれている証拠とも言える愛嬌。
迷い猫に失せ物に浮気調査、ちょっとした地上げ屋の撃退や指名手配犯の捕獲など。
金目的で事件に首を突っ込んだりすることもあるし、酒癖の悪さから路地裏でチンピラと喧嘩するなんてこともあるが、それでも時には無償や飴ちゃん一つで謎を解いたりすることだってある。魔女やその弟子なんかよりも、ずっとずっと心の優しい人間である。
酒さえ入っていなければ、遺憾なく発揮される知能と才覚。
言葉と酒と性格さえ抑えてくれれば、少年達の初恋を容易く奪ってしまう謎めいた美人お姉さん。
探偵でなく戦いを専業としていれば、或いは英雄と称賛を受けていたかもしれない逸材。
そんなショロンの善性は、あの早朝を経てもそう変わったりはしない。
ただたった一人の最低な男へ、異常なまでの執着と色んな感情がごちゃ混ぜにしながら向いてしまっている。それだけなのだ。
「……ふふっ、あははっ、逃がしませんよ。ようやく張り合いのある獲物を見つけたんですから」
爛々と、まるで初恋の相手を見つめるみたいに瞳を潤ませるショロン。
ショロンが思い出すのは、父から教わったある言葉。
ショロンの一族に代々伝わる言葉、代々大切にされている探偵の教えのようなもの。
──ショロンの一族は必ず自らの探偵人生における最大障壁、自身の全てを懸けてでも捕まえたいと思える終生のライバルと巡り会うだろう。
苦節二十数年の人生の果てに、ショロンはついに運命と出会ったのだ。
捕まえるために人生を捧げてもいいと思える、まさに終生のライバルと言っていいほどの男と。
故にショロンはツムリを経つことを決め、世界を巡る旅に出る。
泥棒の件や天蓋を壊した歴史的大犯罪などは、最早一切関係ない。
全ては自分の身も心も穢していった最低な犯罪者に、誰よりも先に手錠をはめてやるために。
「私に火を付けた責任、必ず取ってもらいますからね♡ 宿敵さん♡ んっ♡」
……まあもっとも、その想いがライバルへ向ける執着であるかは、大分微妙ではあるが。




