『杖』専門店、えつのつえでの一幕
早朝のツムリの街を、一匹の小鳥がゆるゆると飛行する。
この世界、ロマエンガの西地方から百二十年前に姿を消したはずの青い小鳥、ルールルー。
まだ南に生息しているのこそ確認されているが、それでも大部分は西であったその鳥は、もしも知る者が目撃すれば目の色を変えて捕獲しようとするであろう希少な種だ。
だが、そんな小鳥がいるというのに誰も目もくれない。空を見上げる者がいれど、そこにいるというのに、何故か不自然なものではないと扱っている。
早朝とはいえ人々は目を覚まし、早い者であれば活動を始める時間帯。そも天幕に覆われたツムリの街では、野生の鳥が飛翔していることさえ珍しい光景であるというのにだ。
だがそれは当然のこと。
決して彼らが盲目なのではない。ある魔女の魔法によって異物という違和感を拒絶された小鳥の姿は、あって自然のものと誤認させられているのだから、そもそも疑いようすらないのだ。
(騒がしいがあの魔力。さては馬鹿弟子、早々にやらかしたな。……はあっ)
そしてそんな小鳥よりも遙かに人々の関心を奪う、突如ツムリの街に現出した極大異常。
轟音が起きたと同時に、穿つように空へと昇る膨大な魔力の柱。
街を覆う天幕を優に突き抜け、恐れを知らずに空へと喧嘩を売るかのような勢いで放出される魔力は、ツムリの街を騒然とさせてしまっている。
そんな魔力の柱を認識し、しかし周囲の人間のように呆然とするわけでもなく呆れを見せる小鳥。
──否、小鳥の姿をした銀の髪の魔女。
噂を聞けば泣く子も黙るであろう拒絶の魔女。ヒニグ・コ・ドームは、その魔力と自身の奥の奥たる魂が告げる感覚から即座に元凶を把握し、心の中でため息を吐いてしまう。
恐らく魔女の唯一であろう、魔法を使えない魔女の弟子。
拒絶の魔女をヒコさんなどと呼ぶ恐れ知らず。魔女よりも魔女らしき強欲でありながら、人の心を残したまま、この拒絶の魔女さえ踏み台にしようとする夢追い人。
この世でもっとも愚かで、無能で、恐れを知らぬと不届き者。
嗚呼、そして拒絶の魔女にとっての唯一の弟子。最新にして最後であろう娯楽のまたのやらかしに、あとで仕置きをすると心に決めながら微笑みつつ、ある建物の二階にある寂れた木の扉の前に着地する。
『好きな色は?』
「色を超える、そんな気概こそ最良の色なりて」
カンカンカンと、器用にくちばしでノックを三回繰り返したあと、扉の奥から問われる問い。
小鳥は念話ではなく小鳥のまま女の声で一言、まるで合言葉のように回答になっていない答えを歌うように吐けば、扉は独りでに、ギギギと軋むような音を立てながら開いていく。
「……意味の分からない合言葉、変わり映えのない殺風景な店内。例え二百年という歳月が経とうが、魔女の趣味というやつは一向に変わらんものだな」
「死と老いに拒絶され、魔女の中でも永くこの世にあることを強制された魔女に言われてしまえば形無しだ。これでもカウンターとグラス、あと棚の酒は新調したんだがね。まあ、分からぬ者に説いても無駄だろうな」
導かれるままに店の中へと入りながら、拒絶の魔女は小鳥から人の姿へと戻っていく。
閉店間際のような、寂れた雰囲気を醸すバー。
長いカウンターが一つ、席は少し間隔の空いた五つのみ。端には年代物の蓄音機と小さなピアノが置かれ、明かりは天井から垂れ下がる丸い形状の、橙色の淡い光を放つ魔法灯が二つ三つのみ。
慣れた手つきで『穴』から白衣と丸いレンズの眼鏡を取り出した拒絶の魔女が、身につけながら店内の風景に呆れた口振りで言葉を漏らすと、カウンターの奥でグラスを磨いていた白髪の店主は顔を上げることもなく、臆することさえなく呆れを返した。
「くくっ、壮健そうだな仲介の魔女。朝方のみやっている、知る人ぞ知る『杖』専門店えつのつえ。いい加減に潰れているか、代替わりでもしているかと思ったぞ」
「こちらこそ。未だ大きく小さな世界が畏怖する七つの業が一人、拒絶の魔女ヒニグ・コ・ドーム。この店を畳む前に、また顔を見られるとは驚きだな」
相変わらずな物言いだと、怒ることなく、ただにやりと笑みを浮かべる拒絶の魔女。
そんな珍客の二百年振りの来店に、仲介の魔女と呼ばれた白髪の男は、笑みを浮かべることもなく淡々と再会の言葉を告げた。
拒絶の魔女が席に座ると、蓄音機が声を上げ始める。
まるで久しぶりの来客と再会を喜ぶように、ぷつぷつとノイズを混じらせながら、ノスタルジックを思わせる侘しい音楽を店内へ奏でていく。
「再会に一杯。拒絶の湖の水と晴れ粒から作った清酒マルキス、六十年ものだ」
「何だお前、当てつけか?」
白衣と丸眼鏡をした銀の髪の魔女へと置かれたのは、透明色をした液体の入ったガラスのグラス。
拒絶の魔女が手に持てば、カランと、グラスよりも透き通る丸氷が小気味好い音で耳を楽しませてくる。
「……少々苦いが、悪くない透りだ。がお前、私のボトルはどうした? 確か以前来てやったとき、お前の面倒な要望に応え、一つ置いてやったはずだろう?」
「ああ、ブルーアップルの果実酒か。絶滅種故に少々惜しくはあったが、とっくに消費期限切れで処分してしまったよ。キープを続けたいのなら、せめて毎年一回は顔を出すことだな」
拒絶の魔女は触れるくらいに唇をグラスの口に付け、喉を通る刺激と香りに僅かに頷き、ふと何かを思い出したようにカウンターの向かい側へいる白髪の店主──仲介の魔女へと質問を投げかける。
それは二百年もの前、かつてこの店を訪れたときに半ば強制された一本のボトルのキープ。
世にも珍しい、青いりんごから作られた果実酒。
甘さと爽快さを売りにした上物の一本を、まるで今思い出したかのように尋ねる魔女に、店主が辟易でもしているかのようにため息を吐きながら苦言を漏らせば、別段暴れることもなく「……確かに」という呟きと氷の音が店内に溶け消えていった。
「……二百年か。口にすれば中々な年月だが、私にとってはそう彼方の過去ではない。お前はどうだ?」
「無論、実のある歳月だったとも。だが二百年という年月は、並の魔女であれば望みを果たし生を終える程度には短くない。かつて魔法を誇りとした街が、学びの街へと名を変えるほどにはな」
懐かしむように語った店主は、白い小皿にて、軽く塩をまぶした乾燥豆を差し出す。
コロロという、上手く調理すればどんな酒にも適合するとされた希少種。
市場では数粒だけで大競りが起きるであろう代物だが、拒絶の魔女はそんな詳細など露知らずとばかりの雑さで掴んで口へと放り込んだ。
「んぐっ、そういえば気になっていたんだ。弟子の前で事前に自慢げに語ってしまったせいで大いに恥を掻かされたんだが、このツムリはいつから魔法を売りにしなくなったんだ?」
「……驚いたな。どうやらあの拒絶の魔女が弟子を取ったなどという、奇天烈極まりない風の噂は真だったというわけか。昨今の『淫魔』絡みと言い、やはり世は末を迎えたかもしれんな」
愚痴のような問い方に、無愛想な面をしていた店主はグラスを磨く手を止め、ほんの一瞬だが驚きを浮かべてしまう。
だがその反応は無理もない。彼女を拒絶の魔女と……否、彼女も名を連ねる七罪と知る者であれば驚嘆から天地がひっくり返ったと錯覚してもおかしなことではない。
七業魔女。
拒絶。天国。孤独。背徳。異端。特別。属従。
世界に魔女は多かれど、不動の頂点、絶対たる魔女の象徴とされるはこの七人のみ。
魔女の中の魔女。
魔女にさえ畏怖される魔女。
世界に多くの傷と遺産を残した、歴史に刻まれるほどに身勝手な人でなし。
最早実在さえ疑われるほど、表へ姿を現わさなくなった理外の怪物達。
その一角たる魔女に弟子が出来たとあれば、魔女だけにあらずこの世界に生きる人々にとっても凶事。
仮に今の話が小さな店から漏れ出ることがあれば、拒絶の魔女の実在が現代に確認されることを含め、それだけでしばし世を騒がせることだろう。
「……まあいい。それで質問の答えだが、百年ほど前にな、このガグンで大規模な魔法事故が起きた。そのとき発生した悪性物質が魔法耐性のある者ですら蝕む代物でな? 危うく街が滅ぶか否かの瀬戸際まで追い込まれて以来、この街は魔法ではなく学びを押し出すようになったというわけだ。……今でこそ役割を終えて意味のない堺と化したが、街を囲む天幕もかつては悪性物質の除去に大いに貢献したものだよ」
「ふうん、つまり日和った結果か。真実というのは、往々にしてしょうもないものだよな」
「魔女如きが人の発展と犠牲を一言で分かった気になるものじゃない。望みのために情けも器も、理さえも捨て去った人でなし共に人であろうとする者達の可能性など測りきれんとも」
苦言を呈するというよりは、お前とて知っているだろうと。
流石というべきか、すぐさま平静を取り戻した店主は、大まかな理由を聞いて退屈そうに嘲笑した拒絶の魔女へ、微塵の恐れもなく辛辣に言葉を返す。
相手がどんな大罪を犯した魔女だとしても、店を訪れカウンターを挟めば一人の客。
それが白髪の店主こと仲介の魔女の信念。その一点があるからこそ、今日までこの店は知る人ぞ知るを続け、拒絶の魔女でさえ癇癪を起こさないのだ。
「それで拒絶の魔女よ。今日は冷やかしか、弟子の愚痴か……それとも理由などない買い物か? 二百年もあれば随分と品揃えも変わったが、お前ほどの魔女のお眼鏡に叶う『杖』があるかは自信がないな」
「『杖』……そうだな、私もそろそろ新しいのを欲しいと思ってはいたが、残念ながら本題ではない。──実は弟子に一本、見繕って欲しいんだよ。他ならぬ仲介の魔女の導きでな」
まだ半分程度はグラスに入っていた、透明色の液体。
度数二十といくつの酒の残りを一気に飲み干した拒絶の魔女は、眼鏡のブリッジを中指で軽く持ち上げながら頼み事を零す。
一見普通でしかなく、微笑ましくさえ聞こえるであろう頼み事。
けれど他ならぬ拒絶の魔女、ヒニグ・コ・ドームからそれを言葉にされてしまえば、驚愕を通り越して動揺までいくのが道理。頼まれた仲介の魔女が、手に持っていた精巧な意匠の施されたグラスを地面に落とさなかったのは流石と言えよう。
「……あの拒絶の魔女が贈り物とは、どうやら相当に出来がいいらしい。 ……或いは七罪に届く、時代を荒らすほどの逸材なのか?」
「ん……くくっ、くははっ! あれが? あの阿呆が? そんなわけあるかよ、むしろ逆だ」
「……逆、だと?」
さぞ有望なのだろう、もしかしたら彼ら七罪に届きうるほどの金の卵。
そう考えた白髪の店主は、自ら深くを問わない理想の店主の心得さえひとまず曲げ、そっと尋ねてみる。
けれど拒絶の魔女は何が面白かったのか、店主の問いを受けて数秒の後、よほど愉快な道化でも見つけたみたいに高らかな笑いを上げるばかり。
白髪の店主は呆気にとられ、ただ首を傾げるばかり。
拒絶の魔女の言葉の意をくみ取れないと困惑していると、件の彼女は「同じのを注げ」とグラスの淵を指で軽く叩いた。
「結構な年月教えてやってるのに魔法の一つさえ使えない不出来な弟子だが、それなりに年月は積んだからな。そろそろ見習い卒業に『杖』の一つでも送ってやらにゃ、私の格好がつかんと思ったまでだ」
「魔法を、使えない? あの拒絶の魔女の、七罪の弟子が? もしも拒絶の魔女が弟子を取るならば、それは自らを殺す可能性を秘めた才覚のみと踏んでいたが……まさか、ついに正気を失ったか?」
「冗談などではないよ。魔力はあるが頭も悪く、魔法のセンスなんて致命的と褒めるほどには存在しない。恐らく長い歴史の中でもただ一人しか存在しない、魔法の使えない魔女の弟子。だがそれでも……嗚呼、断言してやろう。あれはいつか私を最上の形で殺しうる、最も期待する男だとも」
こ再び酒を注がれた拒絶の魔女は、にやりと笑みを浮かべてから、再び清水酒を大きく呷る。
「プハア! ……いいか店主ぅ、やつはな、マニスはなぁ? 魔女よりも魔女でありながら、我らと同じ魔女に堕ちることなく、人のままの輝きに満ちたまま己が夢を追う異常者なんだ。ついには稚拙な理論を心から信じて大雷霆に打たれ、死の代わりに頂戴した無限に近い魔力を押し込めるために体を作り替えこそしたが、これっぽっちも心を曲げず損ねずの頑固者。嗚呼、それは魔女とは同じようで違う、お前の言う人の輝きそのものじゃないか?」
酔いが回り始めたのか、柔らかな口調になりながらも饒舌に語っていく拒絶の魔女。
それはまるで自身の一番大事なおもちゃを自慢するような、可愛げのある部下への不満を愚痴るような、初恋の相手を惚気るような。
理の外にあり、世界にその名を轟かせる魔女とは思えないほど一介の生娘のような語りに、白髪の店主は曖昧に頷きながら自らの髭を弄るばかりだった。
「……随分と、異なことを。己が欲のために体を作り変えることを是としたならば、それはもう人ではなく、魔女と呼ぶべきなのでは?」
「違う違う違う、違うだろう! 魔女か否かを分けるのは心、すなわち在り方の話だとも! ……あいつと魔女は違う。魔女の失った心を持っている。辛うじてだが人の道の上に立っている。紛れもなく魔女でない、人のままなんだよ」
魔女は語る。歌うように語る。己がまま、魔女の如くただ語る。
白髪の店主、仲介の魔女が訝しげに首を傾げ、狂気に堕ちた者を哀れむ目を向けようと、構うことなくただ語りたいから語ると、心を込めて。
嗚呼やはり、その姿はまるで……否、まさに恋に魂まで冒され盲目となった女のそれ。
白髪の店主は確信する。二百年という年月は、拒絶の魔女にとっての長すぎる時だったのだと。
「……さしもの拒絶の魔女も、女の性と情には勝てないというわけか。たかが未熟な弟子とやらに、まさかこうまで骨抜きにされるとはな」
「惚れた、惚れたか。……くくっ、くくくっ、クハハッ! 嗚呼、確かにそうかもな! 未だ我が肉も魂も健在なれど、既に心は殺されていたか! そりゃいい、傑作だ!」
上機嫌に笑う拒絶の魔女は再び酒を呷り、一気に飲み干してからグラスをカウンターへと叩き置く。
割れそうで割れない、そんな絶妙な鈍い音を一拍響かせ、店内は蓄音機の奏でる物寂しげな音楽だけの静寂を取り戻す。
「……だがそこまで執着しているのなら、『杖』くるい自分で作ってやればいいだろう?」
「なあに、あいつはまだ半人前未満の見習いだからな。そういうのは私の満足いく男になってからであって、今はまだ時期じゃないんだよ」
しばし時を経て、ようやく自身の中で情報の咀嚼を終えたと、白髪の店主は一つ問いかける。
だが拒絶の魔女はくつくつと、まるでそのときを夢想するかのように笑いを噛み締めるばかり。
只人であるならば、果たしてどんな奇跡が重ねれば、この拒絶の魔女を打倒出来るのだろうかと。
白髪の店主は彼女にとっての都合の良い未来が訪れないであろうと、そう心の中で導き同情してしまいながら、けれど言葉に出すのは無益であるとバーの店主らしく口を噤むのみだった。
「……まあ魔女の趣味に深くは口を挟む気はない。それで期限と要望は?」
「街を出る前にもう一度寄るからそのときまで。形は……まあ何でもいいか、どうせその『杖』で魔法を使うわけでもないからな」
「……なんて身勝手で職人泣かせな。まあいい、承った。受けたからには満足いかせてやるとも、必ずな」
そうして白髪の店主、仲介の魔女は自信に満ちた笑みと言葉を以て返事とする。
『杖』が求める相手、『杖』を求める者。互いに最も相応しい相手を用意する、仲介の魔女の名に偽りはないと誇るかのように。
「そうだ店主。この街だがな、近々少々荒れそうだぞ?」
「……おかしなことを。たった今、外は百年ぶりの大混乱に陥っているが?」
「くくっ、確かにな。それより店主、本題は終わったから、次は二百年の成果とやらを拝ませてくれ」
やがて蓄音機から流れる音が止まり、独りでに、跳ねるようにピアノの音が鳴り始める。
不遜、不敬、身勝手ばかりな拒絶の魔女の笑み。
堕ちたとはいえ銀の髪の魔女の態度に変わりはないと、呆れと安堵を示すみたいに小さく息を零してから、再び透明色の液体を彼女のグラスへ注いでいった。
「ああそれと、やっぱり『杖』は如何にも杖って感じのにしてくれ。ガグンの連中が入学して配られるのと同じように、如何にも駆け出しで特別な物じゃないですよって感じ。分かるか?」
「……やっぱりお前は変わってないよ。昔のまま、自分勝手で最高に面倒臭い客だ」




