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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
第三章 黒が忌諱される理由

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第94話 続、森のふくろう亭

 食事を終え、僕たちが階上の部屋へと上がろうとした、その時。

「ああ、お客さんたち、その前に一つだけいいかい?」

 カウンターの奥から届く、女将さんの明るい声が僕たちを引き止めた。


 彼女はまず、マリーさんとアンリエッタさんへと、その優しい視線を向ける。

「体を洗うなら、裏の井戸を使っておくれ。女性用にはちゃんと、目隠しの幕を張ってあるから、そっちでね。いい? 間違っても手前で洗っちゃいけないよ」


 母親のような、温かい心遣いが嬉しい。

 そうだ。二人の肌が、他の宿泊客の目に触れるだなんて、あってはならないのだ!

 もしそんな不埒な奴がいたら、僕の『イグニスフィア』が黙ってはいない。

 かも、しれない。

 ……宿が全焼してしまうから、ここは『トールランス 』くらいで手を打つべきか?


 僕が一人、そんな危険な防衛策を練っていると。

 女将さんの温かったはずの眼差しが、今度は、僕とミゲルさん二人を射抜き始める。

 温度差が、凄い。

 

「……それで、そこのお兄さんたち」

「「はい」」

 僕とミゲルさんの声が、綺麗に重なる。

「女の子たちが気持ちよく使ってるんだ。野暮な真似は、無しだよ? もし、そんなことをしたら……おばちゃんが許さないからね。宿を出て行ってもらうよ」


「な、なぜ、僕の方をじっと見て言うんですか!?」

「だって、そこのお兄さんは真面目そうじゃないか」

「言いがかりです!」

 ミゲルさんを見て、次に僕を見て言ったな!?

 そんな言い方、まるで、僕だけが不真面目そうじゃないか! 


 興味はあっても、いまだかつて覗いたことなど、一度も無いというのに!

 僕はぶんぶんと、首を横に振り憤る。

 その、あまりにも分かりやすい狼狽ぶりに、マリーさんがくすくすと、喉を鳴らして笑っていた。


 そんな僕たちの、少しだけ可笑しなやり取り。

 アンリエッタさんはその全てを、どこか楽しそうに見守っている。

 彼女の美しい蒼玉の瞳には、以前のような悲しみの色は、もうどこにも見当たらなかったよ。


 僕たちは、女将さんに改めて礼を言うと、階上の部屋へと向かう。

(……僕だけは、心境が少し複雑だけど、ね)

 

 ギシギシと軋む木の階段を上がる、その途中で。僕のすぐ後ろに続いていたマリーさんが、楽しそうに僕の背中をつんつんと突いた。


「フェリクス君、駄目よ、覗きは」

「し、しませんし、したことありませんよ、そんなこと!」

 

 僕が、顔を真っ赤にしながらマリーさんへ振り返ると。今度は、僕の前を上っていたはずのアンリエッタさんが、ふわりとこちらを振り返った。

 その唇には、いつぞやの悪戯っぽい、されど天使のような微笑みが浮かんでいる。


「そういえば、フェリクスさんは、随分と大きくなられてからも、お母様とご一緒に湯浴みされてましたものね」

 

 今ここで、それを言う。

 ──砕け散る、男子のプライド。

 間髪容れず放たれた、その、あまりにも無邪気で残酷で……最大火力な一言に、僕の足はぴたりと、階段の途中で止まる。

 僕の後ろで、マリーさんが腹を抱えて笑っているのが、雰囲気で分かってしまう。

「ぷっ……あはははは! な、何それ! 最高じゃない、アンリエッタさん! 後で色々、教えてちょうだい!」


 ……ああ、そうだったね。忘れていたよ。彼女にはこんな悪戯っぽい一面があったことを。母さんとアンリエッタさんのコンビネーションが、懐かしいや。

 追撃のアンリエッタ──再び。


 僕は、もう、何も言い返せず。

 ただ、その場で崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えることしかできなかった。

 飛び火を恐れたミゲルさんからの援軍も、見込めそうになかったから。

『君子危うきに近寄らず』

 そんな体で、僕を眺めていたよ。薄情者ッ。

 

 居たたまれない思いのまま、軋む木の階段を上りきり、僕はようやく部屋の前へとたどり着く。

 扉を開け、中へと入ると──

 そこには、そこそこに広い空間に、大きな、大きな、寝台が二つ。意外と、近しい距離で並んでいた。その逆の空間には、木でできた蓋付きの箱型の収納家具や、卓に、椅子が四脚ほど並ぶ。


 部屋の壁側に、足を向けるようにして鎮座ましますは、大きな木製の寝台が二つ。

 僕の視線は、その一点にのみ絞られる。

 一連の出来事で、完全に打ちのめされたはずの、僕の邪心と好奇の心が。熱い血潮のように再び、止めどなく胸の内に押し寄せてくる。

 現金なものだよ。さっきまで死にかけていたのに。

 必死で平静を装い、わざと少しだけ大きな声を作り、皆に問いかけてみる。


「さて皆さん。寝台の割り当ては、どうしましょうか」

「ぷっ。聞くまでもなくない? 普通に考えてキミとミゲル君、私とアンリエッタさんじゃないの?」

 

「……あ、もしかして」

 マリーさんはそこで一度言葉を切り、僕の心の一番深いところを見透かすように、その美しい緑の瞳を細める。

「もしかして、私たちのどちらかと、一緒に寝たかったの? ん?」


 酷すぎる。

 神なんて、いなかった。


 考えるまでもない。男同士、女同士で寝るのが当たり前じゃないか。

 そんな簡単なことにも気づけないほど、僕は浮かれていたというのか。淡い期待を込めた、僕の姑息な問いかけが……今更ながら猛烈に恥ずかしい。

 

 部屋でしばらく、それぞれが荷物を解いたり、旅の疲れを癒したりと思いのままに過ごした後。

 不意に、マリーさんが静かに立ち上がった。

「さてと。じゃあ、汗を流しに行こうかしらね」

 彼女はそうアンリエッタさんを誘いつつも、どこか少し言い淀むように口ごもる。

 なんだか、ちらちらと、こちらを見ているような気配がした。


「なんですか? まさか、まだ僕のことを、疑っているんですか?」

「ち、ちがうわよ!」

 マリーさんは慌てて、首をぶんぶんと横に振る。


「……その、いくら幕があるとは言ってもね。まだこの宿にも慣れないし、もし、知らない男の人たちが来たりしたら、少し、怖くない?」

「はあ、それで?」

「だから、その。皆で、一緒に行かない?」


 マリーさんの、少しだけ恥ずかしそうな提案。

 それにアンリエッタさんが、こくりと頷いた。

「そうですね。もし、知らない男性の方たちがいらっしゃったら。『今は一杯です』と、言ってくださると、嬉しい、かもしれません……」

 

 ……そっか。そういうことか。

 僕を、疑っていたわけではないんだ。

「承知した。我々も体を洗いつつ、見張りを務めよう」

 ミゲルさんが力強く宣言する。

 僕も、もちろん、異論などあるはずもなく。


 先ほど上ってきたばかりの、軋む木の階段を、今度は四人が降りていく。

 一階の薄暗い通路の半ばに、宿の裏手へ至る唯一の木製扉があった。扉を開けると蒸し始めた夜の空気が、季節を感じさせる。


 そこには女将さんの言葉通り、古い石造りの井戸が一つ。

 その横手には目隠しのためだろう、宿の壁との間に一本の支柱が立てられ、大きな白い幕が広げられている。

 幕のふもとには、大きな桶がいくつか。

 女性客は井戸で水を汲み、そこに貯めて、幕の向こう側で体を洗えということなのだろう。

 

「二人とも、先にどうぞ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 アンリエッタさんも少し頬を染めながら、ぺこりと小さく頭を下げた。

 二人はそそくさと、幕の向こう側へと消えていく。


 衣の擦れ合う音が、僅かに聞こえたかと思うと、ぱしゃぱしゃと、心地よい水音が聞こえ始めた。

「さてご主君。我々も」

 ミゲルさんに促され、僕も服を脱ぎ始める。


 男性用に用意された木の棒へ、それぞれ服や肌着を掛けていく。僕が素っ裸になったその体を見て、ミゲルさんがほうと純粋な感嘆の声を上げた。

「さすがはご主君と言うべきでしょうか。そのご年齢でそこまで鍛え上げられた肉体は、見たことがありません。無駄な肉が一切ない」

 ミゲルさんの大きすぎる称賛の声に、幕の向こう側の水音が、しんと一瞬だけ止まった気がした。


「え、なになに、ちょっと気になるじゃない!」

 幕の向こうから、マリーさんの楽しそうな声が飛んでくる。

 ミゲルさん、お願いだから余計なことは言わないで。

 これ以上僕を辱めないでくれ!

 

 僕の悲痛な心の叫びも虚しく、今度は幕の向こうから女性陣の楽しそうな囁き声が聞こえ始める。

「うわぁ、アンリエッタさん、肌が綺麗ねえ。真っ白じゃない。スラっとしてて羨ましいぐらいだわ」

「そ、そんなことありませんよ。細すぎるくらいで……。むしろマリーさんの、その、豊かな……」

「あらあら、もう」

 聞こえてくる、あまりにも無防備で、刺激的な言葉の数々。

 僕は思わず、その幕にうっすらと浮かび上がる二人の影法師へと、視線も心も奪われてしまう。

 顔からぶわっと、火が出そうなほど熱い。


 そんな僕の隣で、同じように体を洗っているはずの青年は、その魅惑の陰影に一瞥もくれず、ただひたすらに僕たちの背後にある、宿への出入り口だけを見据えていた。

いかなる不埒な輩が侵入してきても、即座に対応できるように、と。


 たぶん、今……この場で一番不埒なのは僕なんだけどな……。

 知ってるかい? ミゲルさん……。


 いつしか夜も更け。長いようで短い一日が終わりを告げた。

 それぞれが割り当てられた寝台へと、潜り込む。

 女将さんが用意してくれた灯具の、絞られた柔らかな灯が、部屋の隅々までを淡い橙色に染め上げていた。


 並んで置かれた二つの寝台。

 その間に横たわる、僅かな通路分の隙間だけが、僕と彼女を隔てている。


 しん、と。

 静まり返った、暗い部屋の中で。

 僕とアンリエッタさんは、音もなく、ただ互いを見つめ合っていた。

 灯具の仄かな光が、彼女の美しい蒼玉の瞳に宿り、まるで星屑のようにきらきらと揺れる。

 言葉は、ない。

 やがて──穏やかな眠りが、二人を別つまで。

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