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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第80話 小さな僕と、大人だった貴女のたった一つの約束

 曇った鏡に映る自分の顔を、僕は何度も確認する。

 髪に、寝ぐせはついていないだろうか。目ヤニは大丈夫……?

 

 あと、もう少しすれば、あの女性(ひと)に会える。

 どうせなら、成長した僕を見て欲しい。

 少しでも、見違えた自分を見て欲しい。

 当たり前だったはずの日常。僕から失われてしまった、ささやかな幸せの数々が、ようやく、僕の元へと帰ってくる。

 そう思うだけで、浮き足立つ心を抑えきれない。


「よし、行くか」

 皆に背を押してもらった僕は、改めて二階の部屋で身支度を整え、階段を降りる。僕なりに精一杯のおめかしをしたつもりだ。

 まあ、あり合わせの服では、これが限界なのだけど。

 

 ギルドを一歩出ると、まだ背の低い太陽が、祝福のように僕の全身に降り注いだ。昨日までとは比べ物にならないほど、温かく、そして眩しい。

 今まで見過ごしてきた町の色彩が、音色が、匂いが、一斉に僕の世界へと流れ込んでくるみたいに。


 稼がなきゃ、稼がなきゃと、心ばかりが焦っていた僕は。この世界の美しさに、目を向ける余裕すら、失っていたのかもしれない。

 随分と前、アンリエッタさんと共に見上げたあの日の空と同じように、今見上げる空も、どこまでも突き抜けるように青い。人の営みにまだ汚されていない世界の、その美しさを。僕は、ようやく思い出すことができたのかも知れない。


 冒険者ギルドを出た僕は一人、商人ギルドへ向かって歩き出す。

 懐に忍ばせた革袋が、ずしりと重い。

 それは、ただの貨幣の重さではなくて。

 僕自身の血と汗が、マリーさんとミゲルさんがくれた温かい想いが、そして何よりも、アンリエッタさんが自らの「自由」と引き換えに託してくれた彼女の人生が。最後に、父の仲間たちが繋いでくれた、アドリアン・コンスタンツェという騎士の生き様が──

 その全てが、この一つの革袋に息づいている。

 

 石造りの、この町でも有数の大きさを誇る商人ギルド。その重厚な扉をくぐると、外の喧騒が嘘のように遠ざかり、ひやりとした空気が肌を撫でた。

 インゴットの運搬で何度もお世話になった、受付のお姉さんと目が合う。

 彼女は僕の顔を見るなり、ふわりと、優しい笑みを浮かべた。

「よく、頑張ったわね」

 ……ん? 何のこと?

 この前のインゴット運搬のことだろうか?

 今さら褒められても、と少し戸惑ったけれど、今はそんなこと、どうでもよかった。待ちきれない僕は、彼女にロルフさんを呼び出してもらうよう、お願いした。


 あれ? おかしいぞ?

 もうすぐアンリエッタさんに会える。そう思うだけで、心臓が、やけにうるさく鳴り始める。

 あれだけ毎日一緒にいたのに、どうしてだろう。

 収まれ、僕の心臓。


「おお、坊主。本当に来たか」

「ロルフさん、こんにちは」

「よし、じゃあ付いてきな。応接室に案内してやる」

「はい、宜しくお願いします」

「ん? そういや坊主、今まで俺に『さん』付けで呼んでたか?」

「え、いやあ……その、すみません」

「カハハハ、現金な奴め!」


 バンバンと、容赦なく背中を叩かれる。痛い。

 正直、昨晩までは『ロルフ』と呼び捨てでした。すみません……。それに貴方は、どちらかというと敵側でしたのも認めます。

 三ヶ月は無理だと聞いたときは、本気で恨みましたよ。

 本当に、ごめんなさい!


 ロルフさんに導かれ、僕は、一つの扉の前で足を止める。

 ここだ……。ここが、僕の辛くて苦しい三ヶ月の、終着点。

 ゴクリと、乾いた喉が鳴る。

 希望と、それから、ほんの少しの不安を胸に、僕はその一歩を踏み出した。


「初めまして。私が当商人ギルドのマスターをしており、名をヨハンと申します」

「ヨハンさん、初めまして。フェリクス・コンスタンツェと申します」

「これはこれは、ご丁寧に」

 軽い挨拶のあと、マスターであるヨハンさんに勧められ、高価そうな革張りの長椅子へと腰を沈める。体が、ふわりと沈み込む感覚があった。


「さて、フェリクス様。当ギルドにてお預かりしている女性を一人、お引き取り希望と伺いましたが、相違ありませんかな?」

「はい、間違いありません」

「念のため、その者の名をお伺いしても? ああ、他意はありませんよ。万が一、違う者の契約書をお見せしてしまわぬよう、確認のためです」


「……名は、アンリエッタと申します。黒い髪に、蒼い瞳の女性です」

 その名を口にした瞬間、一つの、あまりにも単純な事実が、僕の胸を冷たく貫いた。

 アンリエッタさん……。

 そう、僕は、彼女の名前しか知らない。生まれも、歳も……家名(?)さえも知らないんだ。何が『かけがえのない』だよ。僕は、彼女のことを何一つ……知りはしなかったんだ。

 ……これからは、ちゃんと教えてもらおう。

 一つ、一つ、ゆっくりと。時をかけて。


「では、こちらをご確認ください」

「はい」

 差し出された契約書はインクが掠れ、長い年月を経て紙自体が薄汚れている。そこに記された「Anrietta」という署名。その、どこか子供っぽさが残る筆跡に、胸が締め付けられる思いがした。

 

「既にロルフから聞き及びかと思われますが、念のため。私どもがお預かりしているアンリエッタを買い取るのでしたら、金貨百枚が必要です。ご用意は?」

「はい、ここに」

 僕は懐から、あの革袋を取り出し、重い音を立ててテーブルに置いた。何度も、何度も数え直した金貨百枚。間違いないはず。

「では、確認させていただきます」

 ヨハンさんが目に単眼鏡のようなものを装着し、金貨を一枚、一枚、丁寧に調べていく。

 ……真贋の見極めだと!?

 偽物が混ざっていたら、どうしよう……。

 焦る僕の脳裏に一瞬だけ、あの領主の顔が浮かぶ。

 いや、さすがに偽の金貨を渡すことはないだろう?

 腐っても領主だよ?

 誰か無いと言って!


「……確かに。金貨百枚、正しくお預かりいたしました」

 その言葉に僕は、今まで押し殺していた息を、ようやく細く長く吐き出す。

 ああ、本当によかった……。

「──ではロルフ、彼女を連れて来なさい」

「分かりました」


 ロルフさんが一度、僕の顔を無言で見て、それから静かに部屋を出ていく。

 ふう……あと、もう少しだ。

 僕は、逸る心臓を必死で抑えながら、その時を、ただ、待った。

 だめだ、まだ会ってもいないのに、込み上げてくる熱いもので、視界が滲んでしまいそうになる。


「実は、あなたのことは当ギルドでも、ちょっとした話題になってましてね」

 僕が一人で感傷に浸っていると、ヨハンさんが楽しそうに口を開いた。

「そうなんですか?」

「お若い方が、当ギルド預かりの女性を取り戻すために日夜頑張っていると、ロルフが吹聴して回るものですから、皆の知るところとなってしまいまして」

「ロルフさんが……?」

 僕からアンリエッタさんを奪っていった、あの男が?

「彼なりの、私への牽制だったのかもしれませんが」


「おっと、話がそれてしまいましたな。で、不謹慎ではありますが、当ギルド内で賭けが行われておりましてね」

「一体何を?」

「ええ。フェリクス様が、アンリエッタの契約が決まる前に彼女を取り戻せるか、否か、と。ちなみに『取り戻せる』方に賭けたのは、私とロルフの二人だけでした。いやぁ、個人的にも大儲けさせてもらいましたよ。ありがとうございます」

 

「は、はは……そうですか」

 僕の、あの、必死だった毎日が、まさか娯楽にされていたとは。だけど、あのロルフさんが僕に賭けてくれていたという事実に、僕はどうしようもなく、心を揺さぶられてしまう。

 なるほど、だからあの受付のお姉さんも、優しかったのか……。

 賭けに負けちゃったのに……。


 ヨハンさんとの、どこかちぐはぐな会話が終わると、部屋には再び、息の詰まるような沈黙が訪れた。

 時針の、刻限を刻む音だけが、やけに大きく聞こえるほど。

 一分が、それこそ一刻にも感じられるような、長い、長い時間。

 でも、それすら苦痛じゃなかったよ。


 やがて、廊下から、二つの足音が近づいてくるのが分かった。

 一つはロルフさんの、重い革靴の音で。

 そして、もう一つは──もっとずっと、軽やかで、僕が焦がれたあの人の足音だと分かる。

 心臓が、喉から飛び出しそうになる。


 扉の取っ手が、ゆっくりと、回されていく。

 ギィ、と。軋む蝶番の音が、永遠のように長く響いて──扉が開かれた先に、そっと、一人の女性が姿を現した。


 少し痩せたかもしれない。けれど、あの頃と何も変わらない、黒曜の髪と、蒼玉の瞳が美しい女性(ひと)

 僕の姿を認めた彼女の瞳が、信じられないものを見るかのように、大きく、見開かれている。

「え? ぼっちゃまがどうして、ここに?」

 記憶喪失を装っていた、小さな僕に。

 貴女は、いつだって優しかった。

 慈しみと、思いやりで、僕をずっと見守り続けてくれた女性が……今、扉の前に立っている。


 覚えてるかな? いつだったか交わした、幼い日の約束を。

 僕は、忘れたことなんてなかったよ。

 もう少しだけ待っていて。今、貴女に返すから。

 

「では、フェリクス様、最後の確認です」

 ヨハンさんの厳かな声が、僕の意識を現実へと引き戻す。

「はい」

「これで彼女は、法的には貴方の所有物となります。貴方が彼女をどう扱おうと、それは貴方の自由です。──殺人以外は、ですが。これは、まあ、爺の老婆心というやつですかな。一つ聞いておきたい」

「なんでしょう」

「この契約書は今や貴方のもの。どうされますか? もし、貴方が真に彼女の自由を望むなら、この場で責任を持って焼却処分もできます。……無論、そうすれば、彼女が貴方の側を去るやもしれませんがね」


 とうとう、この時が来た。

 僕の答えは、もう、ずっと前から決まっている。

「ヨハンさんがおっしゃって下さらなければ、私の方からお願いするつもりでした」

「ほう、では?」

「その契約書は破棄してください。そして、彼女を……アンリエッタさんを、自由にしてあげてください」

「本当によろしいのですね?」

「はい、ずっと昔に約束しましたから」

 

 僕の言葉が、引き金になったのだろう。

 それまで、ただ、呆然と立ち尽くしていたアンリエッタさんの、その美しい蒼玉の瞳から、大粒の涙が堰を切ったように、ぽろぽろと溢れ出す。

「ううっ……」

 か細い、悲鳴のような嗚咽。

 そんな彼女の肩をロルフさんが、どこか不器用にそっと支えようとする。けど──彼の指が触れそうになる瞬間、アンリエッタさんの肩がびくりと跳ねた。

「す、すまん。あー、しっかりしろ嬢ちゃん。まだ終わってねえぞ、坊主も頑張ってる。そう言いたくてな……」

「はい……」

 

 ごめん、アンリエッタさん。泣かせるつもりはなかったんだ。ただ、貴女に自由になってほしくて。

 けれど、まだ終わりじゃない。

 貴女のその白い首筋に、今なお食い込む、最後の枷が残っているのだから。

 これこそが、幼き頃の僕の……たった一つの願い。


「ヨハンさん、彼女の首輪も、外してあげてください」

 僕の言葉にヨハンさんの眉が、僅かにひそめられた。

「本当によろしいので? 解放された彼女の力が、貴方に向く可能性もあるのですよ? 主人と使用人、信頼していたのは片側のみ。昔からよくある話です」

「ええ、それでも構いません」


 僕は、涙に濡れる彼女の蒼い瞳を、真っ直ぐに見つめ返して答える。

 貴女の力が、僕を襲う?

 そんなことは、あり得ない。それでも……。

「万が一そうなったとしても、僕は甘んじて受け入れようと思います。それも、彼女が選んだ『自由』なのだから」


 僕の絶対的な響きを持った言葉に、部屋の空気までもが息を呑むよう。

 ヨハンさんは一度だけ固く目を閉じ、やがて何かを確信したように確かに頷くと、ロルフさんに目配せした。

 

 彼は自ら重厚な執務机へ向かうと、錠前付きの引き出しを開け、中から一本の銀細工が施された小さな棒状の物を取り出す。

「ではロルフ、彼女をこちらへ」

 ロルフさんはアンリエッタさんを伴い、彼の元へとゆっくりと歩み寄る。

 彼はその銀の魔道鍵を、アンリエッタさんの首輪の中心にある小さな紋様へと、そっと触れさせる。すると、鍵の先端が仄かな蒼い光を放ち始めた。

 カシュン、と。

 錠が外れるような、澄んだ音がして──長年、彼女を縛り付けていた魔封じの首輪が、力なく床へと転がり落ちた。


 雪のように白い首筋には、長年の束縛を物語るかのように、一本の細く赤い痕が痛々しく残っていたよ。

 おかえり、アンリエッタさん。

 ずっと、会いたかったんだ。君がいない毎日は本当に辛くて、なんて無意味な生なんだと思えた。

 そして、君はもう、本当に自由だよ。これからは、好きに生きていい。

 もし、叶うのなら、僕の側にいて欲しいけど──


 黒曜の髪 蒼玉の瞳 転生医師の異世界奮闘記

 ─ 第二章、取り戻すために 完 ─

 ─あとがき─

 第二章「取り戻すために」、お楽しみ頂けましたでしょうか。

 ここまでお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございます。


 孤独な旅に出たフェリクスが、マリアンヌやミゲルといったかけがえのない仲間と出会い、数々の試練を乗り越えて成長していく姿を描いた第二章でした。そして、ついにアンリエッタを取り戻すことができました。これもひとえに、応援してくださった皆様のおかげです。


 自由になったアンリエッタを迎え、フェリクスたちのパーティー『契りの円環(フェルツェンギルデ)』は、四人揃って新たな旅路へと歩み出します。彼らを待ち受ける『広がる世界』。 そして、物語の核心に迫る『黒が忌諱される理由』とは何なのか。第三章では、彼らの新たな絆と、この世界の謎をさらに深く描いていきたいと思っています。


 皆様の反応が、この物語を書き進める上で何よりの励みとなっております。これは本当です。

 もし、この第二章の結末や、これからの物語に少しでも「面白い」「続きが気になる」と感じていただけましたなら、★★★★★やブックマーク、レビューに感想など、足跡を残していただけると嬉しいです。どんなお声でも構いません。本当に嬉しいのです。


 引き続き第三章も、キャラクターたちの魅力を精一杯お届けできるよう頑張りますので、どうぞ応援をよろしくお願い致します。


 神崎 水花

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