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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第78話 いつか自分を自由にするためのもの

 震える手で、扉を開ける。

 その先に立っていたのは、やはりロルフだった。

「とりあえず、中に入れてくれるか?」

「……どうぞ」


 望んだ客か、望まざるべき客か……。

 扉が、乾いた音を立てて閉ざされた。僕の狭くて殺風景な部屋が、この男一人いるだけで、まるで檻のように息が詰まる。

「お、来客か。しかし、よくこんな狭い所に三人もいたもんだな」

 

 マリーさんとミゲルさんが、射抜くような警戒の眼差しをロルフへと向けている。彼はそんな視線など、慣れたものなのだろう。飄々と受け流していた。

 僕は、というと……怖くて、彼の顔をまともに見ることができなかった。もし、その唇から、あの人の名と、絶望的な結末が告げられたら……。そう想像するだけで全身から血の気が引いていく。


「今日は、領主の依頼を達成したお祝いの打ち合わせよ」

「おお、聞いたぜ? やるじゃねえか。まあ、やる奴らだとは思ってたがな」

「一応、礼は言っておくわ」

 狼狽える僕の代わりに、彼女が毅然と応対した。

 助かった……。今の僕では、まともに話せそうになかったから。


「……それで、アンタ、一体何しに来たの?」

 その問いは、僕が喉まで出かかっていた言葉そのもの。

「──まさか、アンリエッタさんの、契約が……決まった、とか?」


 彼女の台詞に勇気を振り絞り、恐る恐る付け加える。僕の声は、情けないほどに震えていたかもしれない。

「ん、ああ。だから坊主、そんなに暗い顔していたのか。違う違う、今日は別件だ」

「……ほんとに? 契約が決まったんじゃないんですね?」

「ああ、本当だ」


 ロルフの、あっけらかんとした否定の言葉に、僕の心臓を締め付けていた氷の枷が、音を立てて砕け散る。まるで今まで止めていた呼吸を、ようやく許されたかのように、深く、熱い息が漏れた。

 ああ、よかった……。本当に、よかった。

 あと金貨十七枚。

 あと、たったそれだけでアンリエッタさんに手が届くというのに、ここで全てが終わりだなんて、そんなの無情すぎる。


 では、一体何のために?

 この男が、わざわざ僕の部屋を訪ねてくる理由なんて、他に何かあっただろうか……? こいつは、僕からアンリエッタさんを奪って行った男の一人であって、友誼をかわした間柄ではない。


 ロルフが、一つの古びた革袋を、卓上へと無造作に置いた。

「|ハーフエルフの嬢ちゃん《アンリエッタさん》から言伝と、これを渡して欲しいと、まあ、懇願されちまってな。俺はどうにも女の涙に弱いらしい」

「……これは、何ですか?」

「開けてみろ、坊主」


 僕の心臓が、また嫌な音を立てる。

 ……言われるがまま、年季の入った革袋の固く閉じられた紐を解き、そっと中を覗き込んだ。そこには──長い年月を経て縁が摩耗し、輝きを失った金貨と銀貨が、びっしりと詰まっていた。

「……なぜ、お金が?」

「そうなるわな。では、嬢ちゃんからの言伝、伝えるぞ。よく聞け。二度とは言わんからな」

「は、はい」

 言伝を伝えるだけだろうに、なぜ、この男が照れているんだろう……?


「『このお金は、私がいつか……、自分を買い戻すために貯めてきたものです。頂いたお給金を、コツコツと貯めたお金ですから、やましいお金ではありません。どうか、フェリクス様の今後のためにお使いください。あなたの幸せを、ずっと、願っています』……だとよ」


 ロルフのぶっきらぼうな口調の中に、確かに彼女がいた。僕だけが分かる、彼女の言葉選び、息継ぎの間。

 本当に、彼女がそう言ってくれたのだと、聞いているだけで分かってしまった。

 

「言っておくがな坊主、お前が嬢ちゃんを取り戻すために、こうして冒険者をしていることは伝えていないからな。あいつは、これを使って私を取り戻して、なんてこれっぽっちも考えちゃいねえぞ」

 

 懸命に築いていたはずの僕の理性の壁は、驚くほどに脆く。

 気づけば、僕の瞳から熱い雫が、ぽた、ぽたとテーブルの上に流れ落ちていた。


 マリーさんが、ミゲルさんが、ロルフまでもが、すぐ側にいるというのに、もう、止めることなんてできなかった。

 どうして……。これは貴女が、貴女自身の自由のために、ずっと、来る日も来る日も貯めてきたお金じゃないか。それを、なぜ、こんなにも簡単に、僕に託せるんだ……?

 

 アンリエッタさん……。

 貴女は、一体、どれだけ……。


「あーやば、もらい泣きしちゃうわ、私も」

「ええ、本当に……」

 マリーさんとミゲルさんの声が、同情に濡れている。

 僕はロルフへと向き直った。

「失礼ですが、このお金、今ここで数えても?」

「ああ、もうお前のもんだ。好きにしろ」


 彼の許可を得て、僕は震える手で革袋を逆さにした。

 ジャラリと卓上に、鈍い輝きを放つ硬貨の山ができる。僕はその山をそっと崩し、指先で広げていった。並べられた硬貨はどれも、見知らぬ誰かの手を渡り、長い年月を経てきたのだろう。表面がすり減って輝きも鈍い。


 この一枚一枚に、彼女がどれだけの時間を、想いを込めてきたのか。

 十四枚、十五枚……十六枚。そこで硬貨の山は無くなった。

 アンリエッタさん……っ。 

 一度は堪えたはずの涙が、また、熱い雫となって頬を伝い始める。


「──全部で金貨十六枚分、ありました」

「そうか……」

 そんな僕の隣でマリーさんが、すっと涙を拭う。

「ロルフさん、と言ったわね」

「何かな? 元冒険者ギルドの人気受付嬢様」

「なぜそれを?」

「はは、姉さんはこの町じゃ、ちっとは有名人なんだぜ?」

「う……。それよりも、頼みがあるのよ」

「頼み、とはなんだ?」

「領主からの報奨金にギルドからの特別手当、うちのリーダーが貯めたお金、そして……今回アンリエッタさんから託されたお金。これ、すべて合わせたら金貨九十九枚になるわ」

「ほう、頑張ったじゃねえか、坊主」

「あと一枚で目標達成よ。だから私たちが買い戻すまで、アンリエッタさんの交渉は、これ以降、全て中止して頂戴」


 そうだ……感極まってる場合じゃない。マリーさんに任せきりにしてどうする。これは、僕の戦いだ。


「ふむ、正直言うとな? こいつや嬢ちゃんを見てると、俺も胸に来るものがあってなぁ。出来るなら何とかしてやりたいが、それは無理なんだ。俺には、そんな権限はねえ……」

「あんた、使えないわね」

「ああ、ほんとにな……」

「なによ、悪者なら悪者らしくなさいよ。調子くるっちゃうわ」

「悪者か、たはは、ちげえねえ」

「いいわ、じゃあ残りの一枚は、私が……」


「いえ、それは駄目です、マリーさん」

 僕は彼女の優しさを振り払うように、静かに、しかし力強く言い放つ。

「……最後の一枚は、明日、必ず用意します。だからロルフさん、彼女の引き渡しの準備をして待っていてください」

「わかった、坊主」

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