第67話 決戦
愛刀が陽光を反射して、いつになく鋭い輝きを放っている。
父さん……。
その柄を握りしめると、『俺が傍にいるぞ、負けるな』という、父の力強い声が聞こえてくるようだった。
そして、僕の左腕。
そこには、僕の命を助けてくれたあの、黒い布が形を変えて巻かれている。
とうに役目を終え、捨ててしまっても良かったはずの、ただの布切れが。
──僕のセンチメンタルだと、笑わば笑え。
風になびくその様は、彼女の長く美しい黒髪が、風に揺れて波打つのを思い出させた。今も僕を励ましてくれているかのように、優しく揺れていたんだ。
『貴方ならきっと大丈夫。がんばれ、私の大事な宝物』と──。
僕はいつだってこうして、見守られてきた。
そして今、僕の傍らには──その手に漆黒の弓を握りしめるマリーさんと、白銀の盾を前面に構え立つミゲルさんがいる。
失ったものと、新しく得たもの。
その全てが、今の僕の力になる。
僕は父の刀の切っ先を、真っ直ぐに二体の悪鬼へと向けた。
「悪いなお前たち。今日の僕は一人じゃあない。僕には、命を預けられる最高の仲間がいる。……今日が、お前たちの命日だ」
僕の宣言に、黒い悪鬼の一体が、地を揺るがす咆哮で応戦する。
「グウゥオオオオオオッ!」
それを合図にして。もう一体が巨大な戦斧を振り上げ、僕たちへと向かって、その第一歩を踏み出した。
決戦の火蓋が、今、切って落とされた。
ふぅ。さてと、まずは、こいつらの連携を断つ。
二体同時に相手にするのは、さすがに分が悪い。同じ轍は踏まないさ。
一体の敵意を、僕に集中させる必要があるな。
僕は片方の悪鬼の、血のように赤い双眸を真っ直ぐに見据え、挑発するように、くい、と顎をしゃくってみせた。……僕の挑発に乗ってみせろ。お前のその知性が、ただの見せかけでないというのならな。
あの馬鹿でかい戦斧は、攻撃範囲も相当に広い。
互いに距離が近すぎれば、奴ら自身も戦い辛くなる。そこを突く。
本当に僕の挑発に乗ったのだろうか。片方の黒いオーガが、僕だけを標的に定め、ズウン、ズウンと足音を大地へと響かせて追従してくる。
いいぞ、ついてこい。
僕は敵を引きつけながら、もう一体の黒オーガと距離が離れていくのを、冷静に確認する。そして、十分な距離が取れたと判断した頃、仲間たちへと叫んだ。
「マリーさん、ミゲルさん! 残った一体をお願いします! いつもの連携で!」
「まかせてっ」
「お任せを!」
二人の声の、何と頼もしいことか。
嬉しさに、身が震えそうになる。
「──さあ、お前の相手は僕だ」
地面を強く、強く蹴った。
鍛え抜かれし肉体が、爆発するかの如く僕の体を前へ押しやる。
「はあっ!」
奴に、渾身の斬撃を見舞う。
しかし黒オーガは、その巨大な戦斧でこともなげに、それを受け止める。
キィィィィン!!
甲高い金属音が響き渡り、僕の腕に、痺れるような衝撃が走る。
鍔迫り合いになった一瞬。僕は奴の体表に、見覚えのある複数の傷跡があることに気づいた。こいつ……間違いない、あの夜に、僕が仕留め損なった、一体目の方か!
僕が歯噛みしたその時、黒オーガが咆哮と共に、僕を力任せに弾き飛ばす。
体勢を立て直しながら、僕は思わず、もう一体の黒オーガと戦っているはずの仲間たちへと視線を向けた。
二人は、大丈夫なのか……!?
僕の目に映ったのは、絶望的な光景ではなかった。
ミゲルさんがその身を盾として、黒オーガの猛攻を懸命に躱し、受け流している。彼の足は、一撃を受けるごとに地面を深く削り、後退を余儀なくされてはいても、それでも、決して倒れはしない。
彼の後方からマリーさんの矢が、黒オーガの注意を逸らすように、その動きを僅かでも鈍らせるように、的確に放たれ続けていた。
だが相手も、ただの魔獣ではない。
ミゲルさんと対峙しながらも、その意識の半分は、常に後方のマリーさんに向けられている。彼女の放つ矢を巧みに戦斧で弾き、あるいは、分厚い皮と体毛で受け流し、致命傷には至らせない。
……強いな。だが、拮抗してはいる。
僕が、早くこいつを倒すことさえ出来れば、勝機はある。
二人の戦況に意識を奪われた、まさにその時だった。
ゴオオッと、僕の耳元で、嵐のような風切り音が轟く。
目前すれすれを、薙ぎ払われた巨大な戦斧の刃が通り過ぎていく。
僕の前髪が、数本、はらりと宙を舞った。
冷たい汗が背筋を伝う。
くっ……よそ見すら命取りかよ。
僕が、再び目の前の宿敵へと全神経を集中させようとした、その瞬間。
どこか遠く、けれど、凛としたマリーさんの詠唱が僕の耳に届いた。
「自由なる空の使者よ、彼の者の足枷を解き放ち、天翔ける翼を授けたまえ 【ヴインドリエル】」
彼女の声が、間髪入れずに続く。
「優雅なる風の舞よ、彼の者を包む衣となりて、全ての害意を淀みなく受け流したまえ【ヴィンドルヴェルン】 」
敵の一瞬の隙をついて、距離を開けた向こうから放たれたのであろう、二つの補助魔法。シュルルッと、柔らかな風が僕の体を優しく包み込み、足が嘘のように軽くなる。
同時にミゲルさんの体にも、風が渦を巻くようにして、見えない防御の衣が纏わりつくのが見えた。
マリーさん、ミゲルさん。
かつて、これほどまでに、心が奮い立ったことがあっただろうか。
父さんを失い、アンリエッタさんを奪われ、一人でこの森を彷徨った絶望の日々。
こんなに嬉しいことは無い。
この温かい想いに、僕の全てで応えたい。
僕は呼吸を沈め、精神を統一していく。
深く、深く、意識が落ちたその先で、僕の体は静かに、自然にその一歩を踏み出していた。その一歩は、間合いという名の、奴の絶対的な死の領域を、あまりにも容易く侵犯する。
「ガアアアアアアッ!」
その許されざる一歩を皮切りに、奴が、まるで薙ぎ払うというよりは、森ごと刈り取るかのような勢いで、その巨大な戦斧を真横に振るった。
くっ……! やはり、歪で巨大すぎる。
横薙ぎのままでは、間合いを詰められない……ならば!
ゴウッと、再び、風を裂く轟音。
二撃目が一撃目よりもさらに速く、僕の胴を狙って水平に疾る。
僕はその豪速の斧が正面を過ぎる寸前、その軌道に対して父の刀を垂直に、叩き落とすように合わせた。
ガキィィィィィィィン!!
森に木霊する、鼓膜が破れそうなほどの甲高い金属音と、迸る火花が一瞬、薄暗い森を真昼のように照らし出す。
僕の一撃は、確かに奴の薙ぎを止めた。
だが、奴は止まらない。
二の撃を止めるや否や、さらに苛烈な三の撃、四の撃が、間髪入れずに僕へと襲い掛かる。けど、僕も、もう退きはしない。
その全てに、この刃を突き立ててやるまで。
唸る戦斧に、合わせられ迸る火花が舞う。
奴は前回の戦いで懐への侵入を許し、僕に斬りつけられたのを思い出したのだろうか。間合いを詰められるのを警戒するあまり、その攻撃は、単調な横薙ぎの繰り返しとなり始めていた。
続けられる苛烈極まる横薙ぎの嵐に、僕は懲りずに再び、垂直に刃を合わせる。
するとほんの一瞬、攻撃が止まり、奴の醜悪なツラがニタァ、と醜く歪った。
『斧を攻撃して何になる。貴様、もう手詰まりなのか?』
その双眸が、まるでそう嘲笑っているかのようだ。
それから奴は、以前僕が死の淵で見た光景と全く同じように、肩周りや腕周りの筋肉をボコボコっと、あり得ないほどに隆起させ、その眼を、憎悪の炎で真っ赤に染め上げる。
奥歯をギリ、と軋ませながら、渾身の大戦斧を振るった。
まさに、巨石をも断つであろう、破断の一撃。
喰らえば、我が身の破滅間違いなしだ。
僕の眼前を横切ろうとする死刃に対し、僕は恐れることなく、真っ向から立ち向かう。瞬きすら追いつかない、刹那すらを超えた、その先の領域で。
僕の放つ神速の真向斬りが、奴の大戦斧のただ一点へと、吸い込まれるように叩き込まれた。
キィィィィィィィンッ!
まるで嘘のように、澄み切った金属音が、薄暗い森へと響き渡る。
パキッ、ミシッ……ズウン。
歪で巨大なあの大戦斧が……僕の刃が穿った一点から、綺麗な亀裂を走らせて、真っ二つに割れた。重い音を立てて地へと落ちてゆく。
彼女と日夜稽古に勤しんだ僕の剣激は、寸分の狂いもない精密な一撃となりて。
そこに、マリーさんの風の寵愛がもたらした、神速の踏み込みが乗る。
全てが合わさった僕の一撃は、ついに、奴の絶対的な破壊の象徴を、両断してみせたのだ。




