第39話 オーガとの遭遇
「マリーさん、少し教えて欲しいのですが」
「なあに? フェリクス君」
「やっぱり、強い魔物っていうのは、もっと森の奥の方にいるものなんですかね?」
「そうねぇ、基本的には、奥へ行けば行くほど、強力で危険な魔物が生息していると考えて間違いないわね。今私たちがいるこの辺りは、まだまだ森の浅い部分だから、出くわすのもゴブリンかコボルト、精々がダイアウルフやオークくらいのものね」
マリーさんが、周囲を警戒しながら色々教えてくれる。
「……もっと、奥の方へ行ってみたいの?」
僕の視線に気づいたのか、彼女がそう尋ねてきた。
「そういうわけでは……ただ、自分の力を試してみたいって思いは、あります……」
「ふふ、じゃあ、ほんのもう少しだけ、奥の方へ行ってみる? ただし、本当に少しだけよ? 入りすぎると今日中に帰れなくなるから」
『本当に困った子ね、もう』という雰囲気を、その優しい笑顔の奥に少しだけ漂わせながらも、マリーさんは結局、僕の我儘を了承してくれる。
こういうところ、なんだかアンリエッタさんと通ずるものがあるのかも。
「ホントですか!? やった!」
ゴブリンやオークに不満がある訳ではなかった。けれど、アンリエッタさんを取り戻すためには、より多くの報酬が必要で。そのためにも、もう少し手強い、報酬の良い敵についても知っておきたかったんだよね。
なんだろう?
心なしか、地面が僅かに揺れていないか?
「マリーさ…」
僕が何かを言いかけるよりも早く、
「シッ!」
マリーさんが鋭く息を呑み、口元に人差し指を当て、僕に黙るよう促す。
彼女の表情からいつもの快活な笑みは消え、厳しい緊張感が漲っていた。
「何か、変よ。この感じ……。かなりの大物がこっちに来る? フェリクス君、逃げるわよ!」
「え、逃げるんですか? 一体何が……」
「いいから、説明は後! とにかく、今は全力でここから離れるの。 急いで!」
僕が彼女のただならぬ気配に、こくりと頷きかけた、まさにその時だった。
バキバキバキッ!!
すぐ近くの木々が、まるで細い小枝のように薙ぎ倒される。
大地を揺るがすような轟音と共に、森の奥から巨大な影が、怒涛の勢いでこちらへ向かって駆けて来るのが見えた。
「オーガ!? なぜ、こんな森の浅い場所にオーガが!」
マリーさんが、信じられないといった表情で叫ぶ。
あれがオーガ、なのか……。
その姿は、随分前にベルガーさんが語ってくれた、父さんの命を奪った黒オーガとは違い、黒くもなく、おそらくは通常種なのだろう。けれど、その巨体から迸る、剥き出しの殺意と、圧倒的な威圧感は、これまでのゴブリンやオークとは比較にすらならないほど強烈だった。
こ、こいつ……!
その、あまりにも強烈な威圧感に、僕の体は、縫い付けられたかのように動けないでいた。だが、恐怖と同時に、僕の心の中では全く別の、熱い感情が燃え上がっている。
(……戦ってみたい)
いずれ、あの忌まわしき黒オーガを僕自身の手で倒し、父さんの無念を晴らすためにも。その前にまず、こいつで自分の力がどこまで通用するのかを、試してみたかったんだ。
「フェリクス君、何ぼさっとしてるの! 急いで逃げるわよ!」
マリーさんの切羽詰まった声が飛ぶ。
オーガは、その巨大な図体からは想像もつかないほどの速度で、こちらへと迫ってきていた。このままでは、追いつかれてしまうのは時間の問題だろう。
「マリーさん、敵は一体だけです! どうか、僕に、やらせてください!、」
僕はマリーさんを振り返り、決意を込めた目で訴える。
「っ、キミ、本気で言ってるの!? あれはオーガよ! 鉄級冒険者が叶う相手じゃないわ!」
「分かっています! でも、あいつは僕にとって……!」
「っ……勝算は、あるのね?」
僕の言葉を遮り、マリーさんは、僕の瞳の奥にある覚悟を見定めるように、鋭く問い返す。
「あります。だけど、少し時間を稼いで欲しいです」
僕の迷いのない即答に、彼女は「はぁー」と深いため息をついた。
「……本当に、キミは、馬鹿なんだから……。もう、分かったわよ! でも、絶対に無理はしないで。本当に駄目だと思ったら、私のことなんて置いて、真っ先に逃げなさい? いいわね!?」
マリーさんは、一瞬だけ躊躇うような表情を見せるも、すぐに覚悟を決めたように頷き、逃走しかけていた体勢から素早く踵を返して、その弓をオーガへと向けた。
「僕がマリーさんだけを置いて、逃げれる訳がないじゃないですか。見くびらないでください!」
「わかってはいるけど、それでも!」
そんな言葉の応酬を合図にしたかのように、マリーさんがオーガの注意を引きつけようと、その巨体を中心に、軽やかに円を描くように駆け出した。
そうして、その流麗な動きの中で、彼女は牽制の矢を次々と、一切の無駄なくオーガへと放っていく。
僕は対峙するオーガの巨体から決して目を離さず、油断することなく、全神経を集中させ、魔力を右の掌──ただ一点へと集中させていく。
「蒼き炎よ、其の羽撃きで、我が敵を焼き尽くせ!【イグニスフィア】」
僕の右手に膨大な魔力が収束していく。
「いけぇぇぇっ、奴に裁きの炎を!」
僕の絶叫と共に、収束した魔力が、美しくも猛々しい巨大な蒼炎の翼となって顕現した。それは一たび解き放たれるや、奴を死へと誘う、滅びの蒼き滅火となりて、一直線に飛翔していく。
ドオオオォォォォン!!!
周囲の木々が根元から震えるほどの凄まじい衝撃と轟音が、森全体に轟いた。
燃え盛る蒼い炎と、もうもうと立ち昇る黒煙が僕たちの視界を遮り、オーガの姿はおろか、前すらもよく見えない。
「マリーさんっ、どこですか?」
「私はここよ、大丈夫!」
万が一に備えて、僕はマリーさんの前へと立つ。
僕の我儘で、奴と相対することになったんだ。自分の命と代えてでも、彼女だけは絶対に守り抜かなければ。
やがて、放出された魔力の消失と共に、荒れ狂った蒼い炎がゆっくりと霧散していく。そして、そこに残された光景は……僕たちの想像を、遥かに絶するものだった。
オーガが立っていたはずの場所には、もはやその原型を留めない、ただの大きな黒い炭塊が転がっているだけ。
その蒼き滅火が着弾した近くの地面は、まるで巨大な何かに抉り取られたかのように大きく陥没し、周囲の岩や石は、その表面がガラス化するほどの高熱で溶け落ち、どす黒く変質している。
爆心地、とでも言うべき場所に近い木々も、当然のように黒く炭化し、無残な姿を晒していた。
石の融点……いや、石英の融点か。あれがガラス化しているということは、一瞬で千五百度以上の熱量が発生したというのか……?
これは……少し、魔力を込めすぎた、かも……?
マリーさんは、その信じられない破壊の惨状を目の当たりにして、ただ、口をあんぐりと開けたまま、完全に固まってしまっていた。
僕が何度か「マリーさん? 大丈夫ですか?」と呼びかけても、虚ろな目で、燃え尽きたオーガの残骸と、変わり果てた周囲の景色を交互に見つめているだけ。
何の反応も返ってこない。
ああ……。また、やってしまった。
僕のこの、加減を知らない魔法が、彼女をこんなにも驚かせてしまっている……。
本当に、ごめんなさい、マリーさん……。
僕が内心で、心からの謝罪をしていた、その時。
そんな彼女が、やがて、ぽつりと、震える声で呟いた。
「キ、キミの、師匠って……。もしかして、ま、魔王か、何か、なの……?」
「いえ、ハーフエルフだそうですけど?」
しまった、なんたることだ。
僕としたことが、アンリエッタさんの呼称の前に『美しい』という、最も重要な言葉を付け忘れてしまうだなんて!
ああ、今すぐ『美しいハーフエルフ』に訂正させてくれえええ。
「…………」
(ダメなやつだ、これ)
たぶん、さっきの声も届いちゃいないだろう。
マリーさんは依然として、口を半開きのままポカーンと立ち尽くしていて、呼んでも何の反応もない。どうやらその思考は、遥か彼方へと旅立ってしまい、美しい抜け殻だけが、ここに残されたかのようになっている。
こういう時、不意に脇腹とかを指でつついてみたら、一体どうなるのかな?
「ビクッ」とか「きゃぁっ」ってなったりするんだろうか?
僕の中に、ほんの少しだけ、黒い悪戯心が芽生え始める。
だ、だってさ、いつも僕ばかり揶揄われているじゃないか! たまには僕だって、ちょっとした意趣返しくらい……してみたいよ。
たわわさんを、直接、つついてみるというのは……ダメ、だよな、さすがに。
ほほほ、分かってるって。そんなの、ただの犯罪じゃないか。
ちょっと言ってみただけなのに。みな、手厳しいなあ。
悲しみが痛いよ。
「はぁ~。一体、どうなってるの、これ……。やっぱり、フェリクス君がやったのよね?」
ややあって、ようやく思考がお戻りあそばされたのだろう。正気を取り戻したマリーさんが、「まだ信じられない」といった表情で、目の前に広がる凄惨な光景を指差しながら尋ねてくる。
(ふぅ。あ、危なかった……)
僕の指が、彼女の脇腹を突くという暴挙に出る、まさにその寸前でのお目覚めだったから。危ない、危ない。
……でも、ちょっとだけ、残念だったかな。悪戯、やってみたかったなぁ。
「父が、黒いオーガにやられたと聞きましたから。奴がオーガだと分かった瞬間、ついカッとなってしまって……少し、魔力を込めすぎてしまったみたいです。本当にすみません」
僕が正直に、父の仇討ちの念があったことを打ち明けると、
「それは……うん、そうよね。私も、途中でその話を思い出しちゃったもの。……キミの気持ち、凄く分かるわ。仕方ないわね、今回は」
マリーさんの言葉は、驚くほど優しかった。
僕の激情を理解し、今回は『仕方ない』と、その全てを許容してくれたようにも聞こえた。
「だとしてもよ? いくらなんでも、これは規格外すぎるわよ。あんな、集落を一つを軽く吹き飛ばせそうな威力の魔法を、こともなげに放っておいて、当の本人は魔力切れで倒れるどころか、ケロっとしてるのが、また信じられないんだけど」
「マリーさん……」
「お願いだから、フェリクス君。あまり無茶はしないでくれる? 私が冒険者を辞めることになった過去の話、したわよね? 若さ故の、ほんの少しの油断と慢心が、一体何を招いたか……」
彼女の、悲しみを宿した真剣な眼差しに、僕は素直に頷くしかなかった。
「はい。本当に、ごめんなさい」
「あぁ、よかった……。フェリクス君を見てると、時々、すごく危なっかしいというか、自分の限界とかを全く考えずに、突っ走ってしまいそうな危うさがあるから。見てるこっちが、本当に心配になるのよ。……その、お節介が重かったら、ごめんね」
マリーさんが、心の底からほっとしたような安堵の息の後に、心配しすぎる自分を、反省するような言葉を吐く。
その、僕の身を心から案じてくれる彼女の言葉と、優しい表情を見ていると、僕は不意に、遠い過去……前世の、ある記憶の断片を思い出していた。




