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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第37話 遠き日と魔法の応用

「ふぅ」

 工房の所定の場所へ、最後の鉄インゴットを下ろした僕に、この店の主であるゴードンさんが、汗を拭いながら大きな声で労いの言葉をかけてくれた。

「おぅ、フェリクス! 今回も助かったぜ、ご苦労さん!」

 

 近頃は、この辺りもようやく初夏の陽気といったところ。

 まだまだ汗をかくような季節ではないはずなのに、工房の炉に火が入っているせいだろう。ゴードンさんも、力仕事を終えたばかりの僕も、玉のような汗をびっしょりとかいていた。


「いえいえ、で、今回はこれだけでいいんですか? 僕ならまだまだ運べますけど」

 できれば少しでも目標に近づきたい僕は、少しだけ食い下がってみる。

「い、いいって、もう十分だ! 前も口を酸っぱくして言っただろうが、そんなに運び込まれたら店の床が抜けちまうってよ! ったく、お前さんだけにこの仕事を任せてたら、俺に何か恨みでもあるのかってくらい、運びやがるからな」

 僕がちょっとカマをかけると、案の定、熊のように大柄なゴードンさんが、本気で顔を引きつらせて否定する。

 これが、僕たちの月に二度あるかないかの、ちょっとしたお約束のやり取りになっていた。


「そ、そんなぁ……がっかりです」

 僕がわざと残念そうな顔をしてみせると、

「ガハハハハ!」「ははは」

 ゴードンさんは、またいつものように、腹を抱えて豪快に笑い飛ばすのだった。


「じゃ、約束通りインゴット八十本で、銀貨は八枚だな」

「ゴードンさんありがとうございました。また来月、在庫が減ったらお願いします」

 僕は深々と頭を下げて礼を言うと、その銀貨を革袋へと大事にしまい込んだ。


 その足で、僕は時間を惜しむように、急いで次の依頼先へと向かう。

 インゴット運搬依頼だけで一日を終えてしまうのは、あまりにも勿体ない。だからこの日に合わせて、ここ、リヨンの町中だけで済むような雑多な依頼を、いくつか併せて受けてあったのだ。

 塵も積もれば何とやら、だね。ふふ。


「さて、と、次の依頼は……マルタンさんのお店だったかな」

 城館へと繋がる通りから一本裏に入った、少し静かな通りにある魔法薬店。

 その名が示すとおり、まだ店の扉を開けてもいないのに、様々な薬草が醸し出す独特でちょっぴり薬臭い(?)、けれど不快ではない香りが漂っていた。

 

「こんにちは〜。冒険者ギルドから、依頼を受けに来ましたフェリクスです」

 先ほどの鉄張りとはまた違った、趣のある木製扉を開けて中に入り、カウンターの奥にいる女性へと声をかける。ここは、冒険者ギルドや、先ほどのゴードン武具店さんのような喧騒はなく、とても穏やかで、どこか落ち着いた空気が流れていて居心地がいい。

 壁の棚には、様々な種類の乾燥薬草や、色とりどりの液体が入った小瓶が整然と並べられていた。


「あらあら、フェリクスちゃんじゃないの。いらっしゃい。今日は依頼を受けてくれたのねぇ、いつもありがとうねぇ」

 カウンターの奥から、柔らかな声と共に現れたのは、このお店の店主でもあるマルタンさん。少しふくよかな、人の良さそうな笑みを絶やさない妙齢の女性で、何ともおっとりとした優しい雰囲気の方なんだ。

 それがそのまま、このお店全体の穏やかな雰囲気に現れているような気がする。

 

 時たま、ポーションの材料になりそうな薬草を売りに来たり、念のため予備の回復薬を買いに訪れたりすることもあって、僕の顔を覚えてくれているのだけど……。

 いい年をした男子に対して「ちゃん付け」で呼ぶのは、そろそろ勘弁してもらいたい。可愛がってくれているのは伝わってくるので、無下にもできず……。

 何とも複雑な心境。


「マルタンさん。今日の依頼は井戸の掃除と聞きましたけど、合ってますか?」

「そうなのよぅ……。今日はちょっと大変なお仕事をお願いしちゃって、ごめんなさい。お店の裏手にある、あの井戸の掃除をお願いしたいんだけどぉ……。足元も滑りやすいし、結構力もいる仕事でしょう? フェリクスちゃん大丈夫?」

 マルタンさんが、少し心配そうに僕の顔を覗き込む。

 

 井戸掃除か。やったことはないけれど……実は、この依頼を受けるにあたって、ちょっと試してみたいこともあったんだよね。

 もし、それが失敗したら、ただの過酷な力仕事になっちゃうけど……。

 でも昨晩、水浴びの際に試した、ある魔法の応用は見事に成功したんだよね。

 ふふ、これなら、きっとうまくいくはず。

 

「大丈夫だと思います。ぜひ、やらせてください」

「まあ、本当に助かるわ。 じゃあ、具体的に説明するわねぇ」

 彼女の説明によると、この魔法薬店にとって清潔で質の良い水は、魔法薬を調合する上で何よりも重要であり、まさに生命線なのだそう。

 そのため、定期的に井戸の水を全て汲み出しては空にし、底に溜まった泥や、風で舞い込んだ木の葉などの異物、小さな虫の死骸なんかをも綺麗に掃除する必要があるという。


「裏口のところにねぇ、大きな木桶と、井戸に降りるための丈夫な縄梯子、それからゴシゴシ洗うための硬いブラシを用意してあるから、自由に使ってちょうだいねぇ。汲み出した古い水は……そうねぇ、お手数だけど、そこの薬草畑にでも撒いてくれると、とっても助かるわぁ」

「分かりました。では、早速取り掛かりますね」


 僕はマルタンさんに告げて、さっそく店の裏手へと回る。

 そこには、古びてはいるものの頑丈そうな石造りの井戸が、静かに佇んでいた。傍らにはマルタンさんが言った通り、大きな木桶と、見るからに丈夫そうな縄梯子、そしてブラシが数本、きちんと用意されている。

 

「よぉし、まずは、この井戸の水を抜かなきゃ」

 井戸の中を覗き込むと、深さは思ったよりもありそう。

 底の方で、水面が差し込む光を微かに反射しているのが見える。これを全部、あの木桶だけで汲み出すとなると……考えただけでも気が遠くなる……。

 骨が折れるどころの話じゃないよ、これは。 


 けど、僕には考えがあった。

 昨晩も含め、十分に策は練ってきた。後はもう、実践するだけだ。

 僕は井戸の水面に向け、右手を真っ直ぐに突き出す。そして、ゆっくりと意識を集中させていった。

 さあ、思い出せ。

 まだ僕が小さかった時分、アンリエッタさんが、僕に魔法の手本を見せるため、その手のひらの上に、小さな水球をふわりと浮かべてくれた、あの光景を。

 最後にえい! と、その水をかけられてしまった、あの大切で懐かしい日々を。

 

 先日、アンリエッタさんとの、あの日の光景を思い出した際に、ふと、僕は一つの可能性に思い至った。

 魔力を用いれば、もしかしたら、液体や、あるいは多少の物体だって、自由に持ち上げたり、動かしたりすることが出来るのではないか? と。

 だって、彼女のあの小さな手のひらの上で、水の塊は、確かに、重力に逆らって、ふわりと浮かんでいたのだから……。


 大量の水を、桶で一つ一つ汲み出すのは、あまりにも非効率な作業だ。

 だけど、水そのものを、魔力で『操作』するだけなら……今の僕にとっては、それほど難しいことではない、かも、しれない。

 僕は、体内の魔力をゆっくりと練り上げ、井戸の奥底に溜まっている水全体へと、その意識を干渉させていく。

 いいか? 汲み上げるんじゃない。

 井戸の中の水を、一つの巨大な水の塊として認識し、それを、ゆっくりと、確実に持ち上げるんだ。


 ……ん、動かないな。

 やはり、規模が違いすぎるか。

 僕の額に、じわりと汗が滲む。

 これだけの水量を動かすには、圧倒的に、魔力の総量が足りていないのかも。

 昨晩の実験は、水桶一杯程度の水だったからなぁ。比較対象として、あまりにも少なすぎたのかもしれない。

 

 僕はさらに魔力を練り上げ、手のひらがぽうっと淡い光を帯びるのが、見た目に分かるほど、集中的に魔力を井戸の奥底へと投じてみる。

 すると、僕の強い意思に応じたように、井戸の中からごぼごぼと、水が激しく対流するような音が聞こえ始めた。そして、巨大な水球がゆっくりと浮かび上がり、ふわふわと漂うように僕の目線の高さまで上がってくる。

 

 そのまま、僕は体ごと腕をゆっくりと横にスライドさせ、その巨大な水球を近くの薬草畑の上へと慎重に導いていく。当然、繊細な魔力の制御は忘れずにね。

 そうして、畑の真上で一気に魔力の制御を解いたんだ。

 ザッパーーーン!!

 ものすごい水音と共に、大量の水が畑へと降り注ぐ。

「よし! ようし! うまくいったぞ!」

 思わず、僕は快哉を叫んでいた。

 やった、やった! これなら、あの重い桶で何十往復もする必要もない。こういう地味な場面で魔力を応用できるのも、なかなか悪くないじゃないか。

 まさに、必要は発明の母だね!


 二、三度、同じように魔法で水を操作すれば、あれほど深く見えた井戸の水は殆ど空になった。あとはもう、底の方に少しだけ堆積物が残っているだけ。

「ようし、これならすぐに掃除に取り掛かれるぞ」

 僕は縄梯子の一端を井戸の縁に結びつけると、もう一端を井戸の底へと慎重に垂らして、湿った石壁を伝うように、ゆっくりと梯子を降り始めた。


「さ、さむっ……!」

 ぶるっ、と体が震える。

 井戸の底は、想像していたよりもずっとひんやりとしていて、暗かった。

 外の、汗ばむほどの初夏の陽気とは全くの別世界。光も、音も、そして温もりさえも隔絶された、地の底に忘れられたような、孤独な空間。


「小さき炎よ、我が指先に宿りて光を放て【ルイン(灯火)】」 

 僕が初めてあの女性(ひと)に教えてもらった、記念すべき初の魔法『ルイン』(灯火)

 小一時間ほど持つように魔力を込めて、その小さな光球をそっと空中に漂わせる。

 

 それからは、井戸の底に溜まっていた、木の葉や小石が混じった堆積物を、まずは用意された桶に黙々と詰めては、自ら井戸を登ってロープで地上へと引き上げる。この単純で、ひどく骨の折れる作業を、僕は愚直なまでに繰り返した。

 何度も、何度も、びしょ濡れになりながら繰り返して。

 すると、井戸の底がようやく、硬い石の底面を見せた。


 ようし、次は壁面の苔落としだ。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 井戸の穴深くに一人でいると、まるで時の流れから切り離されたようで、時間の感覚がおかしくなる。その代わりではないけれど、井戸は随分と綺麗になったと思う。

「ふぅ」と一息ついて、ふいに井戸の底から見上げた空は──暗夜にぽっかりと切り取られた、夜の始まりを告げる、深い蒼色の円。

 それは、吸い込まれそうなほどに青く、とても美しく見えた。

 

 アンリエッタさん……。

 暗中にただ一人佇む僕を、見守るように優しく照らす蒼色の円は、彼女のあの、慈愛に満ちた深い蒼玉の瞳を連想させて、冷え切った僕の心を、じんわりと温めてくれるようだったよ。


「ふぅ……やっと、終わった……」

 壁面を伝う縄梯子を登り、ようやく地上へと戻る。

 使った道具たちを感謝の気持ちを込めて綺麗に洗い、元の場所へと戻していく。

 それが終わると、軽く自分の体の汚れを払い、店の裏口から中のマルタンさんに作業の完了を報告した。

 

「フェリクスちゃん、お疲れ様。ずいぶん早かったじゃないの。ええぇ? もう終わったの? ちょっと、井戸を見せてもらってもいいかしらぁ?」

 マルタンさんは僕と一緒に裏口へ出て、綺麗になった井戸の中を感心したように、そして少しだけ信じられないといったように覗き込んでいる。

「まあ、すごいわぁ。一体どうやったの? こんな短時間で井戸の底まで、ピカピカになってるだなんて! ありがとう、本当に助かったわぁ」

 彼女は満面の笑みで、心の底からお礼を言ってくれる。

 その屈託のない笑顔と、ストレートな感謝の言葉に、僕の疲労も少しだけ和らぐような気がした。

 うん、こういう『誰かの役に立つ』依頼って、悪くないよね。


「これで、しばらく大丈夫そうですか?」

「十分すぎるくらいよ。本当にありがとうねぇ。これでまた、安心してお薬をたくさん作れるわぁ。はい、これが今回の依頼の報酬。大変な仕事だったでしょぉ、本当にありがとう」

 そう言って、彼女は銀貨二枚を手渡してくれた。

「いえ、とんでもないです。こちらこそ、ありがとうございました」

「あ、そうそう。これ、良かったら持っていってくれるぅ?」

 僕が報酬を受け取ると、マルタンさんがカウンターの奥から、小さな小瓶を二本取り出して僕の前に置いてくれた。中には、鮮やかな緑色の液体が入っている。

 これ、たぶん彼女が作った回復薬だよ……。

 

「いえ、そんな! 報酬は頂きましたから、受け取れませんよ」

「ううん、いいのよぉ。大変な仕事の割に、うちが出せる報酬安いから。だから、これはほんの気持ちなの。せめてこれくらいは、ほら、遠慮しないで、フェリクスちゃん」

 半ば強引に、僕の手へ握らせてくれるマルタンさん。

「じ、じゃあ、すみません。有難く、頂戴いたします」

 僕は丁寧に、何度もお礼を言って、その二本の回復薬を受け取った。

 お金うんぬんよりも、こうして気遣ってくれるマルタンさんの、その温かい気持ちが、何よりも嬉しかったんだ。


 ギルドへ戻る道すがら、僕は今日の稼ぎと、マルタンさんから貰った回復薬を眺めていた。あとちょっとだ、と自分に言い聞かせても、その「あとちょっと」が、果てしなく遠いこと、本当は分かっている。

 アンリエッタさんと離れて、僕がこのリヨンの町に一人で居を構えてから、そろそろ、一か月と半分が過ぎようとしていた。

 可能な限り努力はしているけども、残念ながら目標の金額には届いていない。

 

 それでも諦めずに、頑張る僕の日常は……。

 ほぼ毎日のようにギルドで受ける魔物の討伐依頼と、ゴードンさんのところを始めとした、リヨンの町中で済む様々な依頼をこなしては終わる。

 それの繰り返し。

 

 コンスタンツェ家領で過ごした、あの温かくて幸せな日々が、今でも鮮明に思い出されて、時折、無性に寂しくなる。

 今日も一日、場所は違えど、きっとどこかで同じ空の下にいるであろう、アンリエッタさんのことを思いながら、僕はこうして、この異世界で生きている。

 必ず彼女を取り戻すんだ。僕は、まだ、折れてなどいない。

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