第34話 ルクス・リヴァイヴ
僕がオークの死体から手際よく魔石を取り出している間、マリーさんは何も言わず、少しだけ離れた場所で腕を組み、じっと僕の作業を見守っていた。
見られてると何だか、少しやり辛い……。
「……ねえ、フェリクス君?」
その声は、いつもの明るく快活なトーンとは少し違って、妙に落ち着いていて重みがあったように聞こえるんだけど、気のせいだろうか?
「はい、何でしょう?」
「リヨンで冒険者になったのが『初めて』というのは、確かなの?」
マリーさんが眉間に僅かに皺を寄せ、難しい顔で僕の目を見つめながら尋ねてくるけど、一体どういう意味だろう?
彼女の質問の意図がよくわからない。
「えと、意味がよく分かりませんが。前にマリーさんが、ギルドで登録手続きしてくれた日、ありましたよね? あの日が初めてですけど?」
「うーん……。いくらね、あれから頑張って、今は鉄級冒険者になったとはいえね。キミのその魔物の解体、あまりにも手際が良すぎない? まるで熟練の解体師みたいよ。正直言って、そこらのベテラン冒険者よりも、よっぽど的確で速いような……。それこそ、元冒険者の私なんかよりも、ずっと上手いように見えるわ」
「ええっ?」
まずい。これは、またやってしまったのかも?
定期的に訪れてしまう、僕のやらかし案件……。
前世の経験……医師としての知識や、培った精密な手技が、無意識のうちに出てしまっていたのかもしれない。
出来るだけ、この世界の常識から逸脱しないように気を付けてはいるつもりなんだけどなぁ。駄目だなぁ。
「それにね、今まで何度か依頼を一緒にさせてもらったけれど。やっぱりキミの強さ、ちょっと異常よ。とてもギルドに登録したばかりの新人のレベルじゃないわ。あの剣捌きも魔法の威力も……。ねえ、フェリクス君。あなたは一体、誰にそんな凄い技術を教わったのかしら? よほど名のある師についていたとか?」
マリーさんの大きな緑色の瞳が、純粋な好奇の色を浮かべて、僕を真っ直ぐに見つめてくる。
前世は医者だから、そりゃまぁ解体は得意というか……なんというか。
でも確かに、冒険者として駆け出しの、たかだか十六歳の少年が手際よく魔物を解体し、その上それなりの戦闘能力まで持ち合わせているのは、少々不自然に映るのかもしれない。
「えっと、戦闘とか魔物の解体、そういう基本的なことは、騎士だった父にみっちり教わりました。魔法と実践的な稽古は、アンリエッタさんに教わりましたけど」
「ふうん」
マリーさんは何だか釈然としない様子。
「もし僕が、年不相応に強いように見えるのだとしたら、それは、僕自身の力というよりも、惜しまずに僕を教え導いてくれた二人のお陰かと。それから、自分で使っている『強化再生魔法』の効果が大きいのかもしれません」
しどろもどろになりながらも、僕は正直に答えた。
「あの魔法に、そんな効果があるの? え、じゃあ、たまにかけてもらってる私も、その、少しづつ強化されちゃってたり?」
一部に嘘……はあったけれど、言ったことの殆どは本当のことだった。
ここまで親身になって、僕の事情を知ってもなお、真摯に向き合ってくれたマリーさんに対して、前世に関わること以外で嘘をつくことはできなかった。
それは、僕の全てを信じてくれたアンリエッタさんに対しても、同じこと。
──違う世界から来ましたなんて、言えないよなぁ。
「マリーさんと毎日行動できてる訳じゃないので、効果の程は不明ですけど……強化はされていってると思います」
「なるほどね。キミの強さの秘密が少しわかっちゃった。て、感じかしら。そうとなれば、あの魔法は皆の前では使わないほうがいいかもしれないわね。少なくとも、効果に関しては絶対秘密にしておきなさい」
「今のところ知ってるのはアンリエッタさんと、マリーさんだけです」
「フェリクス君が、信頼できる。と思った人だけにしときなさいな。少しづつ体が強くなるなんて皆に知れたら、とんでもないことになってしまいそうだもの」
「!?」
二人で話し合っている、その時だった。
マリーさんが突然、鋭い表情を森の奥へと向ける。
「マリーさん、今の、聞こえました?」
それは、僕の耳にも確かに届いていた。
それほど遠くない場所から、風に乗って運ばれてくる微かな悲鳴のような声。
「ええ、聞こえたわ」
マリーさんの表情から、先ほどの弛緩した空気は完全に消え去り、瞬時に元冒険者としての鋭い顔つきへと変わる。瞳には、強い警戒の色が浮かんでいた。
「今のって悲鳴、ですよね、それも女性のような」
甲高い、恐怖に満ちた女性の叫び声だった気がする。
「ええ、たぶん間違いないわ。どうする? 行ってみる?」
「当然です! 行きましょう!」
「場合によっては、私たちも危険な目に合うのはわかってる?」
「それでも、黙って知らぬふりは出来ません」
「ふふ、キミって子は……本当にいい子なんだから」
僕たちは目線だけで意思を交わすと、同時に地面を強く蹴った。
悲鳴が聞こえた方角へ向けて、鬱蒼とした森の中を全速力で駆ける。行く手を阻む木の枝が肌を掠り、顔に葉が当たろうとも、そんなことは一切構わず、ただひたすらに前へ、前へと駆けた。
急がなければ、手遅れになってしまうかもしれない。
その焦燥感が、僕たちの足をさらに速める。
森の中を、木々の間を縫うように駆け抜けると、僕たちの目に飛び込んできたのは、目を覆いたくなるような、凄惨な戦闘の光景だった。
「なぜ、こんな場所にオークの大群が!?」
マリーさんが息を呑んで、信じられないといった様子で呟く。
眼前にはゆうに十数体……いや、倒れた亡骸を合わせればもっとか。
巨大な緑色の、豚のような醜い顔をした魔物──オークが群がり、その正面で、たった数人の冒険者が文字通り必死の抵抗を試みていた。
その冒険者たちの姿に、僕は見覚えがあった。
あれは、いつだったか、ここへ向かう乗合馬車で一緒になり、僕に親切に忠告してくれた、あのパーティー?
体の線がはっきりと分かりそうな薄手のローブをお洒落に着こなしていた、綺麗な女性……そう、確かミレーユさんに、その隣にいた赤髪で快活そうだった青年剣士。そして、リーダー格の屈強な鎧姿のおじさんが率いるパーティーに違いない。
知った彼らの、今の状況は明らかに絶望的だった。
「ミレーユ! しっかりしろ、ミレーユ!」
赤髪の青年の、悲痛な叫び声が森に木霊する。
その視線の先を見ると、ミレーユさんがぐったりと地面に倒れ伏していた。
オークが振り下ろしたであろう、汚れた断割り斧によって深く切り裂かれたのか、夥しい量の鮮血が流れ出し、周囲の草地を赤黒く染め上げている。苦悶に顔を歪め、か細く、浅い呼吸を繰り返しているのが、ここからでもはっきりと分かる。
おそらく、数の多さに前線を押し切られ、攻撃を受けてしまったのだろう。
「くそっ! この豚野郎ども! ミレーユに近づくんじゃねえ!」
赤髪の青年が自らも腕や足から血を流し、それでも必死に剣を振るい、倒れたミレーユさんを守るように立ち塞がっている。
「数が多すぎる! これではポーションを飲ませることも出来ん!」
鎧姿のおじさんも大きな盾を構え、四方から襲い来るオークの猛攻を、満身創痍で必死に捌いていた。盾には無数の打撃痕や斬撃痕が生々しく残り、鎧の隙間からはべったりと血が滲んでいる。
倒れた彼女のことが心配で仕方ないのだろうが、次から次へと波のように迫りくるオークの群れに、二人とも完全に手が離せない状況だった。
オークたちの獰猛な雄叫びと、鈍い金属音に剣戟の音、そして二人の必死な声と荒い息遣いが暗鬱な森に響く。まさに絶体絶命、風前の灯火という状況。
その絶望的な光景を前にしても、僕とマリーさんは諦めない。
僕たちは瞬時にそれぞれの役割を理解し、行動を開始する。
「マリーさん、僕は彼女の治癒を! 援護をお願いします!」
「了解、任せて! 死なせない、私の前で、もう誰も死なせないわ!」
僕はマリーさんの力強い返事を聞くと同時に、父の形見の刀を抜き放ち、一直線に倒れているミレーユさんの元へと駆け出す。
マリーさんも、即座に背負っていた弓を構え、鋭い鏃を持つ矢を番えていく。
僕がミレーユさんの元へと血路を開こうとする、その間にも、後方からはヒュン、ヒュンッと、立て続けに鋭い風切り音が鳴り、僕に迫ろうとした数体のオークが、頭や胸といった急所を正確に射抜かれ、短い悲鳴と共に地に倒れ伏すのが見えた。さすが、マリーさん。
「ぼ、坊主!? あの時の! なぜここに!?」
僕の姿に気づいた鎧姿のおじさんが、驚愕の声を上げている。
「二人とも、話は後よ。援護するわ! あの魔法使いの娘は必ず彼が助けるから、今は目の前の敵に集中して、持ちこたえて!」
マリーさんの戦場によく通る、凛とした声が響く。
「アン!? くっ…… 分かった、助太刀感謝する! 踏ん張るぞフィン」
「任せろ、もう一匹たりとも抜かせねえ」
鎧のおじさんが、赤髪の青年フィンが必死の形相で叫び返す。
マリーさんは動揺する二人を必死に鼓舞し、冷静に矢を放ち続け、戦線の維持に努め僕をサポートしてくれている。
「ミレーユさん! しっかり!」
僕は、血溜まりの中に倒れる彼女の隣に、滑り込むように膝をつき必死に呼びかける。彼女の意識は朦朧としていて、僕の声に反応はない。
だが、まだかろうじて呼吸はある。諦めるな!
「後で必ず謝りますから、ごめんなさい!」
僕はそう小さく呟くと、彼女の傷口近くの破れたローブの布地を、躊躇なく大きく引き裂いた。彼女の真っ白な素肌と、豊かな胸元の一部が露わになってしまうが、今はそんなことに構ってはいられない。これは医療行為だ。まず、傷の状態と出血点を正確に把握せねばならない。
くそっ、思ったより深いぞ。
見ると、左の肩口から縦に斬り下ろされた彼女の傷は、僕の想像以上に深く、鎖骨と肋骨の一部を割り、胸の上あたりにまで達していた。肺の左上葉に迫ろうとするほどの深手。
当然、出血も夥しく、このままでは出血多量で命を落とすだろう。一刻も早く、この出血を止め、傷口を治癒しなければならない。
「大丈夫、必ず助けますから。だから頑張って!」
僕は彼女に、そして自分自身に言い聞かせるように強く叫ぶと、傷口全体を覆うように両手を翳し、意識を集中させる。
「生命の輝き、再生の光よ疾くあらん【ファストヒール】」
僕の掌から淡い緑色の治癒の光が溢れ出し、ミレーユさんの傷口を包み込む。包むけど……くそっ、これじゃあ駄目だ。傷口からの出血は多少勢いが弱まった気はするものの、傷そのものが塞がる気配がない。
もしかして、治癒力が、足りていないのか!?
僕のファストヒールは、あくまで応急処置レベルの、即効性に主眼を置いた治癒魔法だった。
これほど広範囲で、骨をも断ち、内臓にまで達するような深い傷には、効果が限定的なのかもしれない……。
くそっ! もう持たない。
早く、もっと強力な治癒魔法で出血を止めなければ、彼女の命が失われてしまう。焦りが、焦燥が僕の心を支配しそうになる。
……落ち着け。焦るな、フェリクス。
僕には知識があるはずだ。前世で培った膨大な医学知識は何のために?
この世界でアンリエッタさんに教わり、共に磨き上げてきた魔法の力と、今こそ融合させるんだ!
前世ではあり得なかった、奇跡の治癒効果をもたらす魔力の煌めき。
それを、僕の持つ知識で正確に導くんだ。傷つき、断裂した血管や組織を正確に繋ぎ合わせ、破砕された骨を元の形へと。
裂けてしまった筋肉繊維を一本一本再生させ、大きく損傷してしまったであろう左肺の上葉部までも……その全てを、正確にイメージし、脳内で完璧な状態へと修復していく。
「アンリエッタさん、僕に、力を貸して……!」
僕は、祈るように、彼女の名前を呟いた。
愛しい女性の名は、僕の師でもある名だから。
随分と前に、彼女から一度だけ聞いたことがある、上級治癒の詞。それを思い出しながら、お手本のようにして絞り出した詞。
そこに、ありったけの魔力を練り上げ、込めた。
「万物を照らす光よ、生命の煌めきよ、今、消えゆかんとする同胞の灯火に、慈悲と恵みの力を与え給え。砕けし骨、裂けし肉を癒し、失われし血潮を再び【ルクス・リヴァイヴ】」
僕の全身から、これまで感じたこともないほどの膨大な魔力が溢れ出し、眩いばかりの、温かく力強い黄金色の光の奔流となって、ミレーユさんの血濡れた体を包み込んでいく!
頼む、間に合ってくれ。
ミレーユさん、まだ死ぬのは早いよ。
「なっ……なんだ、あの光は!?」
「なんて温かくて、神々しい光なんだ……」
僕の背後で、赤髪の青年と鎧のおじさんが、驚愕の声を上げるのが聞こえた。
「二人とも、しっかりしなさい! よそ見をしている暇はないわよ!」
はは、マリーさんの鋭い叱咤の声が、な、んだか、頼も、しい……や……。
「あ、ああ、そうだな。すまん!」




